第十夜 桜稲荷
山の中に大きな桜の木がありました。
その根元にはうろがあり、一匹の狐が棲んでおりました。狐は小さい頃両親を亡くし、やっとの思いでこの場所に辿り着き、うろをみつけて棲み着いたのであります。
そんな狐を、桜の木は優しく見守ってやりました。
春は咲き誇る花で
夏は涼しい木陰を作り
秋は甘酸っぱい実をたくさんつけ
そして冬は温かいうろに包んでやりました。
今では狐も大きくなり、あたりの山を駆け巡っています。でも夜は必ずうろに戻ってきました。桜の木は狐にとって一番大事な場所だったのです。
何年か経った後のことです。
桜の木を目指して大勢の人間がやってきました。手には斧や鉈を持っていました。鉄砲を持った猟師も混じっていました。
狐は怖くなって逃げました。山を二つ越えた沼のほとりまで逃げ、渇いた喉を沼の水で潤しました。
落ち着くと、今度は桜の木が心配になってきました。自分は逃げられたけれど、桜の木は逃げられません。自分をずっと守ってくれた桜の木を見捨てて逃げてきてしまったことが悔やまれます。
それで狐は桜の木へ戻ることにしました。でもその足取りは重く、なかなか進みません。桜の木は心配だけれど、やっぱり人間は怖いのです。
逃げる時は一日で駆けた道なのに、帰りは三日もかかりました。そうしてこわごわ戻った狐の目に映ったものといえば。
切り株になった桜の木でした。
御領主のお姫様がお嫁入りするというので、立派な材木が必要になり、この桜の木が使われたのです。
狐は泣きました。なくなってしまった桜を想い泣きました。そして逃げてしまった自分が、何もできなかった自分が、情けなくって泣きました。
ひとしきり泣いた後、桜の木を元通りにしたくて、その方法を知っているものを探しに、狐は長い旅に出ることにしたのです。
暗闇森のフクロウに聞きましたがわからないと言われました。
雲が岳の天狗に聞こうとしましたが相手にしてくれませんでした。
みどろが池の大蛇に聞きに行ったら呑まれそうになってあわてて逃げました。
北の山、南の沼、東の森、西の谷。
狐は行ける限りの場所を巡りました。巡って巡って、それでもわからなくて。
長い長い旅の末に、狐は桜の木があった場所に戻ってきました。木がなくなってぽっかりと開けたそこは見知らぬ場所のようでした。そして力尽きた狐はそこに倒れ込んでしまったのです。
どれくらい時間が経ったのでしょう。頬をくすぐる優しい感触に狐は目を覚ましました。
狐の目に映ったのは小さな芽。桜の若木でした。見れば、地面のそこかしこから、桜の芽が生えてきています。桜の木は自分が伐られても、子供たちを残していったのです。
伐られた桜の木はもう戻ってこないけれど、この子供たちを守っていこう。
狐はそう決心しました。なぜか涙が流れて止まりませんでした。そして桜の木が伐られてから初めて狐は微笑みました。涙を流しながら微笑んでいたのです。
それから何年、何十年が過ぎたことでしょう。
今、そこは桜の森と呼ばれ、森に棲む鳥や獣たちに愛され、人間からも大事にされています。
春になれば一斉に咲く桜の森。その片隅には桜稲荷と呼ばれる小さな祠が祀られているということです。
お読みいただきありがとうございます。
十夜目、完結です。
お付き合いくださりありがとうございました。




