友達できた
正也はそれ以降「あっちぃ」しか言わなくなった。
何か用事があって、僕の隣に座ったのでは無いのだろうか……と思い、再び「何か用?」と問いかけたくなる。
しかし、僕はさきほど「何か用?」と訊いて、見事にスルーされてしまっている。同じ質問をするのは、この場を更に居辛いものにするだけだ。返答しないという事は、返答するつもりが無いという事だから。
僕は正也のほうをチラチラと見ながら、この気まずい空気に耐えていた。
正也が僕の隣に座ってから一分程度だろうか、正也は突然「あ」と言いながら、扇子をたたんだ。そして僕の顔を見つめて「そうだ」と言う。
「何?」
「聞きたい事があんだけど」
正也は、好奇心に満ちた表情を作っている。
この男は、僕と同じ中学の出身だ。僕は中学二年の三学期からは、数回しか学校へと顔を出さなかった事が、ちょっとした噂になっている。僕が学校に行かなかった理由が、尾ひれなんかが付いて出回っているんだろう。正也は、真相を確かめるため、僕に近づいてきた。という所だろう。
嫌だな。話したくない。
「何?」
「啓二って、あまり学校に来てなかったけどさ」
やはり、思った通りであった。その手の質問には、答えたく無い。
後々面倒だし、下手な奴に話してしまったら、警察沙汰になってしまう。
僕の頭の中は「どうやってコイツをあしらおうか」という事について、高速に動いていた。
「どうやって勉強したんだ?」
「は?」
「塾は行ってなかっただろうから、家庭教師かなんか?」
意外な言葉に、僕の思考は一時停止した。
「俺はそんなに苦労しなかったんだけどさ、ユキってああ見えて結構お馬鹿さんでな。やる気はあるんだけど、物覚えが悪くてよ」
なんでもこの正也という男、ユキという女性に、勉強を教えていたらしい。今僕は、何故かは解らないが、その時の愚痴を聞かされている。
何故だろう。
「しかもユキ、お稽古かなり習ってて、教えられる時間があまり無かったんだよ」
「へぇ……そりゃ大変だったね」
ユキ。
記憶が正しければ、成績は中の上程度だったと思う。それこそ中学校に通っていた時の、僕と同じくらい。
その程度の成績しか取れていなかったユキを、この高校へと受からせるとは、正也の家庭教師としての手腕は優秀だ。彩子さん並みと言っていいだろう。
「当のユキちゃんは? 今日、居ないの?」
「あぁ、今日はバイオリンのコンクールなんだとよ」
バイオリンのコンクール……なんだそれ。異世界の言葉みたいな単語が飛び出した。
どうやらユキちゃんは、絵に描いたような金持ちの暮らしをしているらしい。ユキちゃんの父親は、この地域ではそこそこ有名な、中小企業の社長さんだ。その一人娘となると、そりゃ色々とやらされるだろう。
バイオリンにピアノに、茶道に華道、弓道なんかもやっていると聞いた事がある。
そんな多忙な毎日を送っているというのに、本来の頭の悪さを努力でカバーし、この高校へと入学してきたのだ。加えて、彩子さんには及ばないが、かなりの美人。文句の付け所が無い。
そんな女性と付き合っているなんて、これも容姿端麗、成績優秀な、神に愛された男の特権なのだろう。
誰もが羨む、美男美女のカップル。そういった印象を受ける。
「付き合ってどれくらい?」
「付き合ってねぇよ」
即答された答えに、思わず耳を疑った。
耳に入ってきた短い言葉が処理しきれず、僕は混乱する。
「なんて?」
「付き合ってねぇって」
「……付き合ってないの?」
「三回目だぞ」
付き合って、ないらしい。
とても意外な言葉が返ってきて、僕の頭は本日二度目となる思考の一時停止が起きる。
「え? なんで?」
「なんでって……そうだな、あまり必要性を感じないからじゃないか?」
必要性を感じない?
「何ソレどういう事? お互いの存在が必要じゃないって事?」
僕のその言葉を聴いて、正也は少しムッとした表情を作った。鋭い瞳で、僕を軽く睨む。
「ちげぇよ。俺とユキの間に、そんな曖昧で浮ついた定義は必要無いって事だ」
……僕は思わず「へぇ」と、素直に声を出してしまっていた。
よくもまぁ、初めて話す男の前で、そんな恥ずかしい事を言えるもんだと、関心する。
しかも、これっぽっちも照れていない。腕を組んで、ふんぞり返って、堂々としている。
何なのだろう、この自信満々の態度は。変な人過ぎる。
「とか言って理由をつけてみたけど、ホントは単純に、今更恥ずかしくて好きだとか付き合うだとか、言えないだけなんだけどな。小さい頃から友達だっただけに、その枠を超えるのをためらってるんだろ。お互いに」
正也は顔の筋肉を緩めて、薄く微笑んでみせた。
今更付き合うのが、恥ずかしい……らしい。
周りには、付き合っているという印象しか与えない二人なのに、恥ずかしいらしい。
よっぽど恥ずかしい事を、今さっき話したばかりだろうに。
「アンタ、変な奴だね」
僕は、何故か笑ってしまっていた。
「俺、アンタって名前じゃねぇよ」
正也も鋭いと感じる瞳を和らげ、僕に微笑みかけている。
「あー……ユキちゃんからは、タダ君って呼ばれてるよね? じゃあ、タダっちね」
僕が作っていた心の壁は、穴をあけられた訳でも無く、壊された訳でも無く、いつの間にか、自分で取っ払ってしまっていた。
こんな感覚は味わった事が無く、実に清々しい気分。
どうやら僕は、タダっちの事が気に入ったらしい。
ビックリする事に、この高校で、友達が出来た。