変な奴に絡まれる
高校生になってから一ヶ月が経過した。
「責任とか、お金の事とか、色々悩んでると思う。だけどね、高校はちゃんと通って」
彩子さんはそう言い、僕に勉強を教えてくれた。
彩子さんや健太を養うためには、中学を卒業したらすぐにでも仕事に就くつもりだったが、彩子さんは僕を、どうしても高校へ通わせたかったらしい。いくら断っても、頑なに意見を曲げなかった。
彩子さんの母校でもある、地元で有名な進学校へと入学できたのは、一重に彩子さんの教え方が上手だったお陰だろう。
「私この学校に入るのに凄く苦労したのにぃ」と、少しふてくされ気味にぼやいていた彩子さんの表情が、この学校の敷居の高さを物語っていた。
「ありきたりな事を言うようだけど、高校って言うのはね、勉強だけを教えてくれる場所じゃないんだよ。高校っていうのは、大人になりかけの若者達が集まって、互いを見詰め合って、互いに成長しあう場所なの」
彩子さんはその台詞の後に「ま、成長しない奴もごまんと居るんだけどね」と言って笑っていた。
正直、他人は僕には必要の無いもの。
僕から見た同級生はとても幼く、僕を成長させてくれるものだとは、思えない。
僕と知り合った人、関わった人は「あぁ、この人には敵わない」という、憧れにも似た、諦めにも似た、嫉妬にも似た、黒い色の感覚を、抱くだろう。
これは思い上がりでも何でも無い。事実、そうなんだ。僕ほどの経験を積んだ十五歳は、勉強ばかりをして生きてきた、この学校の生徒の中に居るとは、思えない。そこらのガキとは、オーラが違う筈だ。
彩子さんのような独特な人間だって、居ないだろう。
だから僕は、入学してから一ヶ月が経つ今でも、同級生の誰とも話をしていなかった。
それでも別に、全然かまわない。
ただ、つまらないだけ。
五月だと言うのに、やけに暑いある日。
僕はいつも通りに学校へと登校し、教室へと入る。
やたらと暑いので靴を脱ぎ、机の上に足を上げ、持参していたウチワを取り出し、足を扇ぐ。
僕のこういった行動を、クラスの自称インテリ達は、まるで汚いものを見るような目で見てくる。
確かに、清潔な事じゃない。だけど、実際かなり涼しくなるんだから、本当は誰もがやりたい事だと思う。
……心に嘘をついてたら、損するのは自分なんだから、他の人もやればいいのに。
僕はそんな事を勝手に考えながら、延々と足をウチワで扇ぎ続けていた。
足を扇いでいる最中、突然、後ろから「なぁ」と、声がかかる。
あまりに近い距離から、ふいに聞こえてきたので、思わず「うぉっ!」と声を漏らし、体をビクンと跳ね上がらせた。
どんな経験を積んだとしても、僕は相変わらず小動物的だ。
「なっ……?」
声が聞こえた方向に慌てて振り返ってみると、そこには、少しだけ知っている顔があった。
確か、同じ中学に通っていた、神に愛された男。
中学生にして百八十センチを超える身長を持ち、その長身に見合う端麗な顔立ちを備えている。
加えて成績は常に学年トップ。体育なんかも苦手じゃなかったはずだ。
当然、女子に人気があったが、彼の側には常に同級生の女子がひっついていて、入り込む余地が無いと言った感じだった。
当人自身も少し変な人らしく、ひっついている女子以外の人と話をしている場面を、僕は見た事が無い。
名前は確か、正也。
「何? 何か用?」
僕は落ち着きを取り戻し、少しそっけなく返事を返した。
「俺の事知ってる? 同じ中学だったんだけど」
正也は少しだけ微笑みを浮かべて、僕の隣の席へと腰を下ろした。
うちの学校はブレザーの制服なのだが、正也はブレザーを着ていなかった。そればかりかネクタイもしていないし、ワイシャツのボタンを上から三つ目までを開けている。
髪の毛は深い深い黒色。少し長め。それをロクヨンくらいで左右に分けていた。
一見、優等生ばかりが集うこの学校の生徒とは、とても思えない格好である。
中学の時もコイツは、こんな格好ばかりしていた。
「知ってる。正也でしょ? 有名人だからね」
「そうか、俺も知ってる。啓二だろ? 有名人だからな」
正也はそう言って、胸ポケットからダサい柄の扇子を取り出し、片手で広げて自分の顔を扇ぎだした。
「あっちぃよなぁ、今日」
「……うん。暑いね」
変な奴に、絡まれてしまった。