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第6話

「いってえ……あー、ったく、クソ女どもめ」


 家に帰ると、すでに両親は旅行に出発した後だった。

 イラついた気分のまま自室で制服を着替え、リビングに戻って薬箱から消毒薬を取り出す。


「いって……」


 大した傷ではないものの、やはり染みる。

 結局、三人組から逃げ出すことには成功した。

 だが、あまりにしつこく追い回され、俺は何度か転倒するハメになった。

 もし学ランが薄手の生地だったら、今頃体中が擦り傷だらけになっていたことだろう。

 左手を擦りむいただけで済んだのはまだ不幸中の幸いだ。

 むしろ捕まらなかった代償としては安いぐらいだ。そう思えば、気も晴れる……


「んなわけねえ!」


 思わず叫ぶ。

 あんのクソ女どもめ!

 缶のポイ捨てなんかしやがった分際で、あんなに俺を追いかけ回しやがって!

 間接キスが何だってんだ。

 つーか未遂のまま終わった(缶は途中見かけた自販機の空き缶入れに捨てた)し……。

 あーくそ、うぜぇのはどっちだっつーの。

 面白くねえ。


 大きめの絆創膏を貼って治療を終えると、ますますイライラ感が募ってきた。

 色々な感情が束になって、俺の頭の中でケケケと笑いながらダンスでもしているかの如くだ。


 やり場のないフラストレーション。

 冷蔵庫に入っていた飲みかけのコーラを一気に胃に流し込んで、とりあえず思考を落ち着ける。


「…………」


 ふと思ったが、しかしあいつら、どれだけ克明に俺の顔を記憶しているだろうか。

 学校内で偶然すれ違う可能性がないとも限らない。

 そのときに、向こうが俺に気付くかどうか。


 自分で言うのも何だが、俺は全く特徴のない、わずか数秒で記憶するにはかなり難易度の高い平凡な顔付きをしている。

 これでゴールデンウィークが過ぎてしまえば、あいつらも俺の顔を思い出すことはできなくなるはず。

 だから、たぶん大丈夫だとは思うが。


「くっそ、ホントにイライラすんな……」


 冷静になってもならなくても不快感は変わらなかった。

 ガシガシと頭を掻きむしる。

 いくらストレスのやり場がない(まさかあいつらを殴りに行く訳にもいかない。普通に怖いし、そもそもそんな大それたことはできないヘタレだし)とはいえ、このままじゃ頭皮が磨耗され続けてしまう。

 しかしこっちも間接キスをやろうとしていたのは事実なわけで。

 その負い目が余計にイライラを増幅させて……ああああ!

 いかん、無限ループだ。少しでもこのイラつきを解消しないと。


「……よし」


 どうすべきかしばし考えた後、俺は呟いてリビングを出、自室に向かった。

 ノートパソコンを机の片隅から中央に寄せ、電源を入れる。


「ふ、ふへへ……」


 我ながら気持ち悪い声が漏れた。だがそれも仕方なきこと。

 俺が選択したメンタルリフレッシュの方法は、ギャル物のAVを観ることだった。

 それもドぎつい奴。

 平たく言えばレイプ物である。

 俺の代わりにあいつらに鉄槌を下してくれ、AV男優たちよ! うへへ。


 そんなんで復讐の代わりになるのかって?

 細けえことはいいんだよ!

 パソコンの起動を待つ間、椅子に座り、ズボンを脱ごうとして――ふと思い出したことがあった。

 机の引き出しを開ける。


「……ああ」


 すっかり忘れていた黒い六面体が、そこにあった。

 そういえば、こいつのためにわざわざ金色の油性ペンまで買ったんだっけ。

 脱衣を中止し、椅子から立ち上がると、クローゼットの中の学ランからペンを取り出す。

 指先でくるくるとペンを弄びながら再び座り、引き出しからマジックキューブも取り出して机の上に置いた。

 1、2、3、の白い数字。

 机の中の説明書が目に入る。

 そういえば、ずっと考えていたんだった。

 漢字、三文字――


「…………」


 このとき。

 どうして俺があんなことを書いたのか、明確にその理由を述べられる自信はない。

 だいたい、こんなもの別に本気で信じちゃいなかったし。

 あくまで冗談、気分で手が動いただけだ。


 ムリヤリこじつけると、あのクソ女どもに対する苛立ちが、無意識にあいつらと正反対のベクトルへと俺を誘い、その着地点にあったのが『それ』だったのかもしれない。

 要はギャルの対極にある単語を書いたという、それだけの話。


 パソコンはすでに起動していたが、俺はペンのキャップを外すと、「1」と染め抜かれているマジックキューブの面を上に向け、そこに文字を書き始めた。

 音もなく文字を書く。

 続いて「2」の面。

 もちろん最後は「3」の面。

 さらさらとペンを滑らせ、そして。


「……ふん」


 書き終わると、何だか唐突に馬鹿馬鹿しくなった。

 何やってんだろ、俺。

 こんなペンまで買っちゃって。

 そもそもコレ買わなけりゃ、余計なトラブルに巻き込まれることもなかったのに……。


 妙な脱力感と恥ずかしさに襲われ、やれやれと首を振る。

 それもこれも、全部あの不気味女のせいだ。

 そう、あいつのせい。

 おい聞いてるか魔女。

 ここまで付き合ってやったんだから、もういいだろ?

 ちゃんと文字も書いてやった。満足したか?


「やれやれ」


 キャップを閉めたペンをペン立てに突っ込む。

 そして後ろも見ずに、マジックキューブを背後のベッドへと放り投げた。

 そのまま俺は振り返ることもなく、パソコンのディスプレイへと意識を移した。

 もういいや、何がマジックキューブだ。

 どうでもいい。

 こんな意味不明な物体はやはり後で捨ててしまうことにしよう。

 それよりAV、AV。

 何だか興が削がれてしまったが、やはり観なくては。


 マウスを手に取り、カチカチとお気に入りのエロいファイルが詰まったフォルダを開く。

 えーと、ギャル系のエロはこの魔窟のどこに収納されていたっけ、と遠い記憶を辿ろうとしたところで――

 ドサッ、と重い何かが落ちるような音が背後から聞こえた。


「な、なんだ!?」


 反射的に後ろを振り向く。

 と同時に、俺は文字通り固まった。


「…………」


 視線は固定され。

 言葉を発するどころか、息をするのも忘れ。

 指の一本も動かせない。

 もし道を歩いていて突然こんな状態になったとしたら心臓麻痺か脳梗塞を疑うべきだろう。

 しかしこのときは、そのどちらでもなかった。

 つまり単純な驚き。


 どうして驚いたのかって?

 なぜなら俺のベッドの上に、見知らぬ少女が横たわっていたからである。


 硬直しまくっていた俺の細胞たちの中で、最も早く活動を再開したのは脳細胞だった。

 とはいえ、しばらくは無数に浮かび上がる疑問符の処理に精一杯だったが。

 そもそも処理不可能な案件でもあった訳で。


 ――これは、何だ? 何が起こった? この女は誰だ?


 頭の中を飛び交う疑問に呆然としながら、何とか動きを取り戻した顔面の神経と筋肉を操り、少女の様子を観察する。

 しかし常識的に考えてあり得ない光景だった。

 俺の部屋に女がいる、という時点でかなり非現実的だ。

 幻覚?


 仰向けに横たわる彼女。

 眠っているのか死んでいるのか目は閉じられていて、とりあえず意識がなさそうなことはすぐに解った。

 四肢は投げ出されたかのようにくたっとしている。

 今のドサッという音は彼女が立てたのか?

 寝ていたのに?


「落ちて来た、のか?」


 ベッドの上に落ちた音、だったのか?

 落下の衝撃音? 

 それっぽい感じではあったが……。

 けど、落下って言っても、どこから?

 言うまでもないが天井に穴など開いてはいない。


 着ているのはセーラー服、しかしウチの高校じゃない。

 よく見たら黒い革靴のようなものまで履いていた。

 部屋の中で靴って、海外じゃあるまいし。

 ついでに彼女自身も外国人には見えなかった。


 いくらか青みがかって見えるほどの綺麗な長い黒髪、白く美しい肌。

 何より人目を惹くのは端整なその顔立ちだった。

 小さな顔にはめ込まれている超一級品のパーツたちは、さらに互いが互いを引き立て合い、向かうところ敵なしの流麗なオーラを放っていた。

 閉じられていてもなおその瞳の美しさが容易に想像できるかの如くだ。


 要するに、メッチャクチャ可愛かった。

 美しさと可愛さは同居できないと言うが、どうもそれは嘘だったらしい。

 両方を兼ね備えた実例が目の前にいるのだから。


 それにしても……何だか、異様なまでに可愛すぎるな。

 普通、どんなに好みの顔でも一つぐらいは文句を付けたくなるものだが、彼女にはそれがない。

 非の打ち所がないほど俺のストライクゾーンど真ん中だ。

 まるで、俺の好みのタイプをそのまま具現化したかのような……。


「……まさか」


 言いつつ、目を走らせる。

 マジックキューブは? どこだ?

 見あたらない。

 ベッドに投げたはずだから、彼女の下敷きになっているのか?

 ……いや、違う。

 消えたのか。俺の願いを、叶えたから――


 まさか。

 馬鹿か。

 そんなことがある訳がない。

 書いた願いが叶うなんて、そんなことが――でも。


「…………」


 でも、他にどう説明できるって言うんだ。

 だって、俺が書いたのは。

 俺がマジックキューブに書いた、三文字の漢字。

 それは――


『美少女』という、実に安直な単語だったのだ。




 今一度、明言しておかねばなるまい。

 現在俺が陥っているこんな状況のことを、もし俺が他人にマンガの話として説明したとしたら、それを聞いた誰もがこう思うだろう。


 ああ、はいはい。謎の美少女ね。同居ね。

 それでアレでしょ?

 エッチなハプニングがあったり、何かの名目でデートしたり、他の異性と仲良くしている様を見てやきもきしたりするんでしょ?

 手作り弁当? 痴話喧嘩? ですよねー。

 こういう場合って、大抵気の強い女の子が多いから。

 で、そんなあの子が実は……っていう秘密を知ってしまう主人公。

 それと時を同じくして、謎の組織、奇妙な化け物、現代に蘇った強力な妖怪なんかが二人に襲いかかる。

 主人公は謎のチート能力に目覚めていきなり最強に。

 それからまあ色々あるんだけど、でも敵を撃退して、んで最後は二人がくっつくような未来を予感させつつ終わったりするんだよね――と。


 実を言えば、俺だってこのとき少し、自分でもそう思い始めていた。

 だってそうだろ?

 こんな可愛い超美少女が俺のベッドで寝てるんだぜ?

 信じられないが、しかしどうやら現実である以上、今の俺の状況はそんなマンガみたいな非日常への入り口なんじゃないかと思わざるを得ないじゃないか。


 ドキドキの同居生活とか。

 それを脅かす謎の敵とか。

 あるいは彼女に連れられて不思議な異世界へと旅立ったりとか。

 そんなことを期待せざるを得ないじゃないか。


 ロクでもなかった俺の人生が、恋にバトルに世界の謎という三大創作テーマと邂逅し、実りある人生へと生まれ変わるのだ。

 そう信じざるを、得ないじゃないか。

 妄想が現実になったかのような、こんな状況下に置かれては。


 だが違った。それは違ったのだ。

 俺のその考えこそが、下らない妄想だった。

 ワクワクドキドキニヤニヤしていたこのときの自分の心境を思い返すと、今でも脳味噌を掻きむしって死にたくなる。


 期待とは裏切られるために存在する。

 いい意味で、ならばともかく、悪い意味で裏切られるとなると、もう本当に最悪だ。

 そんな最悪な出来事が起こるのは、もう少し後のことだが……まあとにかく、俺の部屋に美少女がやってきた、という事実だけ覚えておいてもらえればいい。

 今は、まだ。

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