第4話
帰り道。
歩き出すと、自分が異様な量の汗をかいていたことに気が付いた。
そりゃそうか、あんな変な女に水晶玉投げ付けられたんだし。
魔女。
ゲームとかマンガなら、美女だったり可愛かったりするけど。
あいつはそっち系じゃないタイプの魔女だ。
不気味という文字を具現化したような女。
「何だったんだ……マジで」
くっそビビった。
割とマジで死んだかと思ったぐらい。
あの不良女子三人組も、よくあんな奴に絡んだものだ。俺だったらとても無理。
あんなヤバい女が同じ学年にいたとは。
たぶん俺と同じ一年生だろう。
あまり関わり合いにならないように気を付けたいが、攻撃されたからなあ、俺。
何かあいつの気に障ることでもあったのだろうか?
ただ単にギャラリーの一人を攻撃しただけ、かな……。
まあ、ああいう奴の考えてることなんてわかるわけない。
「あいつに顔、覚えられてないといいけど……ん?」
言いつつ、ふと気付く。
ヤバいと言えば、アレだ、マジックキューブ。
もしかして、アレを考えたの、あの女なんじゃないか?
「……あり得るな」
ということは、だ。
マジックキューブを俺の机に置いたのもあいつ?
で、俺が例のメモの内容を信じなかったから、それに怒ったあいつは俺に攻撃した……とか。
え、ヤバくない?
俺、知らないうちに何かのターゲットにされてる?
うおおおおい、どうすんだよ。
せっかくゴールデンウィークが始まるってのに憂鬱だ。
ため息をついて空を見上げる。
どうしたもんか。
無視してさっさと捨てるべきかな、あの小箱。
それから数分後。
「ありがとうございましたー」
俺の手には、買ったばかりの油性ペン(金色)が握られていた。
「買ってるし!」
思わず突っ込んだ俺の独り言に、歩いていた小学生の集団がビクリと反応する。
不審者丸出し。慌てて離れる。
買ってしまった。
金色なんてコンビニに売ってないから、わざわざ文房具屋まで足を伸ばして買ってしまった。
ホワイ?
あんなイタズラメモに乗ろうというのか、俺?
「……まあ、いいよな、別に」
ペンを学ランの胸ポケットに入れる。
そう、別に深い意味はないのだ。
俺だってあんな狂った文章を本気で信じるほど愚かじゃない。
でもいいじゃないか。
捨てる前のちょっとしたお遊びだ。それだけの話。
それに、あの魔女。
あいつがマジックキューブを作ったと決まったわけじゃないが、もしそうだと仮定すると。
俺がこのままマジックキューブを捨てたりしたら、キレて今度こそ水晶玉でボコられるかもしれない。
だから、身の安全のため。
文字を書くまでやれば、魔女もそれなりに納得はしてくれるだろう。
たぶん。
俺が衝撃を与えたことでマジックキューブがメモを吐いたのを思い出す。
あれと同じように、油性ペンの成分と反応することで、また何か仕掛けが動くのかもしれないし。
「願い事……ねえ」
ただのお遊びとはいえ、何を書いたもんだか。
確かメモの内容は、漢字で単語を書け、とかだったよな。
俺の(他にも存在しているかどうかは不明だが)マジックキューブに現れた数字は1~3だから、漢字三文字の単語を考えなくちゃいけないのか。
えーっと。何だろう、衣食住ぐらいしか出てこないぞ、三文字って。
でもそういうことでいいのか?
衣食住って書けば、これからの人生、服と食事と家には絶対困らなくなるのかな。
ふむ。具体的な実物でもいいのかな。
腐葉土と書けば溢れるほどの腐葉土が、って腐葉土なんか要らないんだけど。
「三文字……」
現実的な願いだと、大金持、とかかな。
ああ、だったら大富豪と書いた方がいいか。
石油王なんかでもいいな。
愉快に生きるなら、芸能人とか書いてジャニーズ入りでも果たすか。
だけどお笑い芸人なんかも芸能人の括りに入るな。
売れない芸能人にはなりたくない。大俳優、とかの方がいいかもしれんな。
「いや、待て俺」
違う。
何よりも必要なものがあるじゃないか。
……女!
そうだ、可愛いカノジョを願うのはどうだ?
もっと言えばハーレム、そうだ、ハーレムだ!
「ふ、ふふふ」
いいじゃないか。コレだろ!
毎日可愛い女の子たちを従えて登校してえ。
充実した昼休みとか学園祭とか過ごしてえ!
ただ問題は、漢字でどう書くか。
ハーレムって日本語で何て言うんだ?
女沢山、とかで通じるのかな。
あ、桃源郷、とかどうだろう。
もう学校とか行かずに、どこか秘密の場所で、可愛い女の子たちと死ぬまでイチャイチャし続けるのだ。
うーん最高じゃね?
いつの間にか結構真剣に悩み始めていた。
こういうの考えるのって、ちょっと楽しいかもしれない。
あ、超能力、なんかどうだ?
これなら人生楽しく過ごせ――
「あー、うぜぇ!」
聞こえた声に、一瞬で思考が停止。
しかし別に俺に向けられた台詞ではないようだった。
脳内世界に浸っていたので気付かなかったが、前方に見慣れたセーラー服の後ろ姿があった。
それも三つ。
聞き覚えがあると思ったら、廊下で叫んでいた、あの不良女子三人組に間違いない。
図らずも後を追う形になったが、せっかくなので話を盗み聞きする。
「っげームカツク、貞子の奴。キモいくせに学校来んなよ。死ねっつーの」
貞子ってのはあのモーゼさんのことか。言い得て妙。
「あんなのさっさと辞めさせろよ、マジで。超邪魔」
「ぜってー頭おかしいし」
「マジキモい、貞子。キモ子だキモ子。あー、誰か殺してくんないかな」
「殺しちゃえば?」
「えー、めんどっちいし」
頭の悪そうな台詞が続けられる。
つーか往来でベラベラそんな話すんなよ。
さっきの小学生たちがいなくてよかった。
「だいたい、なんでアタシたちだけ指導室なんか行かなきゃいけねーんだよ。アイツ逃げてんのに。マジうざい」
「…………」
なんでって、どうせお前らが絡んだからだろ。
自業自得という言葉を知らんのか?
何かヤンキーとギャルが混ざったような奴らだな、こいつら。
さっき廊下で見たときはよく解らなかったが、三人が三人とも黒とはほど遠い髪の色してるし。
スカートもえらく短いけど、あーゆーのって自分でやんのかな。
それとも短いのが売ってんのかな……つーかマジで短い……ああ、どっか階段とか登ってくんないかなあ。
あんな連中とは彼女どころか友達にもなりたくない。
けど見れるもんならパンツは見たい。
パンツに罪はない。愛と性欲は別物よ。
だけど、もしこいつらがヤラしてくれるとしても、しないかもしれないな、俺。
やっぱ初めてはもっとこう普通の、せめてケバくない女の子とヤリたいところだ。
どうせこいつら処女じゃないだろうし、恥じらいのなさそうな奴はちょっとなあ……。
でも目の前で服を脱がれたら、性欲に負けるかも。
うん、たぶん負けるな。
たとえギャルでも女は女、ていうか単純なエロさだったらギャルの方がポテンシャル高い?
俺の初体験は金髪の黒ギャルでした、しかも好きでもないのに「おら、あたしとセックスしろ!」とか言って無理やりヤラされて……うーん、これはこれでめっちゃ興奮するような。
ていうか俺のこの考えも超キモいね。童貞万歳。
やがて住宅街に入っても三人組はギャアギャア言いながら歩き続けていた。
この辺の道はあまり通ったことがないので、俺の家に近付いているのか遠ざかっているのか今ひとつ解らない。
でもまあいいか、と思い、とりあえず尾行続行することにした。
暇だし。どうせ明日から休みだし。
と、曲がり角の手前で。
三人のうち一人が、飲んでいた缶コーヒーらしきものを平然と他人の家の塀に乗せた。
そしてそのまま何事もなかったかのように角を曲がって行った。
げえっ、マジかよ。
どうやら思いやりって言葉も知らんらしいな、こいつら。
他人の家にゴミ捨てるなんてどういう神経してるんだ。
全く最悪な連中だ、クソ女どもめ。
近付いてみたら確かに缶コーヒー。
しゃーねーな、と手に取る。
代わりに俺が捨てておこう。
それぐらいの正義の心は持ち合わせている。
人目があったら恥ずかしいけど、連中も道を曲がって行ったからもう見えないし、俺以外には誰の姿もない。
後はコンビニのゴミ箱でもありゃバッチリだ。
ポイ捨てはダメ、絶対。
「……ん?」
缶を手に取ったはいいが、微妙に重い。
まだちょっと中身が残っているようだ。
振ってみるとピチャピチャと音がする。
もったいねー、つか飲みかけ放置すんなっつーの。
中身だけはその辺の溝にでも捨てた方がいいかな、と思ったところで、
「あ」
気付いてしまった。
これ、ついさっきまで女が飲んでたんだよな? てことは……。
「…………」
ゴクリ、と自分が唾を飲む音が聞こえる。
ファースト間接キスぐらい、誰が相手でもいいか……。
それにコーヒーだってもったいないし……。
ドクドクと心臓が脈打ち始める。
こんなことで緊張してるのか、俺。
反射的に、もう一度周囲をバッと見回す。
ハアハアと荒い息で周囲の様子を伺う今の俺の姿は、どっからどう見たって不審者フォルダ行きだろう。
サブフォルダは変態。実際自分でも否定できない。
ちなみに最善の策としては、この缶を持ったまま「これは俺のですよー」という顔をして普通に歩いて行けばよかったはずだ。
しかしこのとき、思わぬ展開に俺は結構テンパっていて、そこまで考えが回らなかった。
足が止まっていた。
ある意味、落ちているエロ本を見つけた小学生に近いものがあるかもしれない。
目の前に缶を持ってくる。
ちくしょう、心なしか輝いて見えるぜ。
どうする、まずは普通に飲むか?
それとも飲み口を舌でなぞったり嘗め回したりするべきか……?
キモいという声が今にも聞こえてきそうだが、無視。
こちとら童貞だ文句あっか。
考えることしばし。
決めた。まずはグビリとやろう。
ちょうど喉も渇いてきたし。
缶を顔に近付けた。口から漏れる荒い息が缶に吹きかかる。
もう一度口中の唾を飲んでから、再び缶を移動させる。
それではいざ、魅惑のワンダーランドへ……。
しかし、缶と口が触れる直前。
「あああああああああっ!」
突然、誰かの大声が聞こえた。
心臓が止まるかと思った。
反射的に声の方向に目をやる。
「げっ……」
最悪だ。
こともあろうに、曲がり角を通り過ぎていったはずの三人組が、三人揃ってそこに立っていて俺を見ていたのである。