表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幸せは冬の夜に歩いてくる  作者: 遊月奈喩多
3/5

抱腹絶倒ナルシシズム

人間は貪欲な生き物だ。それはきっと誰でも、全部を手に入れたかに見える「完璧な」人でも同じこと。

ある冬の夜、何を除けてでも望むものを全て手に入れたいと願った「完璧な」彼女の、欲望と終わりの話。

 1月も終わりが近付き、真冬に変わっていくような寒い夜。

 降り始めた雪は、地面に薄らと積もり始めている。

 まるで、その下に鳥のフンや人々の落とすゴミで汚れている本当の地面を覆い隠すように。

 美しい自分を作り上げることで自分を押し隠そうとしているかのように。

 白く染まっていく地面を意識的に踏みしめながら、紗月さつき 莉緒りおは駅前のロータリーを通り過ぎた。電車の中の暖房と、規則的に聞こえていた枕木の音で誘われていた眠気も、雪が降るほどに寒い外気であっさりと霧散した。

 心地よいまどろみを引き剥がされたようで少し気分が悪かったが、それでも莉緒は構わないと思った。

 彼女の着ている真新しいコートは、恋人である松嶋まつしま れんから昨年のクリスマスに贈られたものだ。最近話題になっている人気ブランドの、しかも今年流行間違いなしと様々な雑誌で特集を組まれている新デザインである。正直な話、こういったブランド関係に疎い蓮では手に入れられないのではないかと敢えて期待せずにいたこともあって、彼からこのコートをもらったときのことは、莉緒の記憶に今でも明るく残っている。

 それに加えて、今日は…………。

「~♪」

 つい頬が緩みそうになり、慌てて辺りを確認した莉緒は、しかしそれを我慢することをやめて、代わりに緩んだ頬でもおかしくないようにと鼻唄を始める。

 周囲の視線が向いていないことを確認してから、携帯を見る。今日、彼女はある「報告」を受けるはずなのである。

 画面の端に表示される、もう日付も変わろうという時刻。

 今日は少し浮かれすぎて、普段ならば外にいないような時間まで出歩いてしまった。そういえば別れ際に蓮から『気をつけて帰ってね』と本当に心配そうな目で見つめられたのを思い出し、莉緒はまた笑う。

 そして、ふと思う。

 

 ――――あぁ、わたしってやっぱり幸せなんだろうなぁ。

 今までも、そしてこれからも。

 

 そして莉緒は、また少しだけ笑みを深くした。

 街灯の白い光がグロスの塗られた唇に当たり、艶のある輝きを放っていた。そして小さく唇が開き。

「バイバイ、綾ちゃん」

 愉しげな呟きが漏れて、深夜の静寂が訪れる前の、消えかけのロウソクが見せる最期の輝きにも似た喧騒の中に消えた。



 紗月 莉緒にとって、自分の思い通りにならないものがあるという現実は何よりも恐ろしく、受け入れがたいものだった。誰か、何かに自分の意志を制限されるなど、彼女にとってはあってはならないことだった。

 それは彼女が生きていくうちに至ってしまった考え方というよりは、生まれついてのさがと言うべきもので、莉緒自身にとっても疎ましいものではなかった。

 そして生まれつき容姿や頭脳に恵まれていた彼女は、幼い頃から周囲の関心を集め、自分の味方を増やすことに執心していた。その為にあらゆる努力を惜しまなかった――肉親や友人を含めて、他人の期待することを察知して、時には陰で後ろめたいことをしてでも、集団の中で排斥されずに優位な状態でいられるように気を回し続けてきた。

 そうした努力を惜しまない精神と、その努力を実行することのできる彼女の能力とが噛み合った結果として、小学3年に上がる頃にはいわゆる「みんなのアイドル」といった立ち位置を勝ち得ていた。それは周囲によって与えられたものではない、自身の努力によって勝ち取ったものだ。その自負は莉緒の自信となり、その自信に満ちた姿もまた彼女の人気を支えることとなった。それがまた莉緒の自信に繋がり……その循環の中で作り上げた「誰からも愛される理想的な少女」の仮面は、それ以降の莉緒の顔となった。

 莉緒は誰からも好かれる自信があったし、更に人に好かれる為の努力も欠かさなかったため、自分から好かれようと思って接した相手からは老若男女関わらず誰からも好かれる少女だった。

 しかし、その自負があるからこそ、自分の手が届きそうなものを「横から掠め取られる」ということに対しては並々ならぬ屈辱と苦痛を感じる少女でもあった。

 自分のもの同然だったブローチをクラスのいじめっ子に取られて遊ばれたとき。

 自分に好意を寄せていた男子が友人と付き合っていることを知ったとき。

 自分が何かしらの善行をしたのと同じタイミングで、普段目立たないクラスメイトがより目立つことをして周囲の気持ちがそちらを向いたとき。

 「取られた」と感じたものに対する莉緒自身の思い入れは、問題ではなかった。

 ブローチは当時の莉緒にとって大事なものだったが、友人が付き合い始めた男子などは正直な話まったくタイプではなく、むしろ好意を寄せられていることについて迷惑に思っているくらいだったし、周囲の気持ちが自分から目立たないクラスメイトに向いたことなど、別に気に留めるべきことでもなかった。

 しかし、対象への思い入れは問題ではない。

 まったく興味のないものであっても、「奪われる」ということが莉緒にとっては耐え難いことだった。だから莉緒はそれらのものは全力で奪い返そうとしたし、そういうときにこそ莉緒が幼い頃から培ってきた人心掌握術は遺憾無く発揮されることとなった。多少強引なことをしても、当事者同士のいざこざはあったとしても、周囲からは莉緒を責めるものは現れなかった。

 当然そのようなことは公言されるわけではないし、彼女自身それを笠に着るようなことはなかったが、少女時代の莉緒はほぼ何でも肯定される存在だったのである。

 そんな彼女にとって、蓮との付き合いは大きなストレスのかかるものだった。

 出会った第一印象としては、決してどこか突出したところがあるわけでもない、何もかもが普通の人。可もなく不可もなく、どこにでもいる普通の男。しかし同じ講義を受けていることもあってか目に入ることはあり、その度に感じたどこか人からの干渉を避けようとしている空気に興味を持ったのである。

 だから「たまにはこういう人もアリかな」くらいの気持ちで蓮と関わるようになり、それから付き合うようになった。そしてその段階に至って、莉緒には1つ引っかかることができた。

 綾の存在である。

 2人がまだ「友達」だったときには、気にならなかった。

 単に面倒見のいい、優しい性格なのだろうという蓮の一要素に過ぎなかった。しかし、彼が「自分の」恋人になったとき、綾は自分の優位を脅かすものになっていた。

 まず、付き合うことになったときにただの幼馴染でしかない綾を気にして躊躇するところに苛立った。

 もちろん、蓮が綾に対して恋愛感情を抱いているわけではないことはわかっていた。

 むしろ、少し距離を置きたがっているような気配すらあったのだ。

 だというのに、蓮は以前誰かと付き合ったときに綾のことがネックとなって別れることになったことを気にしているのか、その関係になることを躊躇したのだ。

 結局付き合うことにはなったが、それからも蓮の影には「幼馴染」が覗いていた。

 蓮が――もちろん蓮に限らず、自分の恋人、友人などが自分以外の人間を優先することは、莉緒にとって激しい屈辱であり、それを感じるたびに彼女の自尊心には粉々になるくらいの亀裂が走っていた。どうにかして自分の世界から「幼馴染」――寺枝てらえだ あやを排除しないと、自分が壊れてしまうのではないかというくらいに。

 かといって、莉緒と綾の間には蓮以外に接点はなかったし、莉緒には理由がわからなかったが、蓮は話すことはあっても実際に莉緒と綾を引き合わせることをあの手この手で避けてきていたため、莉緒は綾に直接何かをしかけることはもちろん、誰か第三者を唆して綾を孤立させるという方法を採ることもできなかった。

 莉緒の心の中には、直接会ったこともない綾に対する敵意があり、同時に蓮との関係にここまで必死になっている自分自身への苛立ちもあった。

 元々莉緒は、蓮に異性としては特に惹かれてはいなかった。

 自分に好意を寄せてきていることはわかっていたし、あまり付き合ったことのないタイプだったから交際を始めただけである。そして実際付き合ってみれば、容姿にしてもデートの時における感性にしても「普通」の一言に尽きる。決して裕福な暮らし向きではないために金銭面では何かと我慢があったし、キスもセックスも平凡――というよりは経験がとても乏しいのかむしろ下手の部類だ。

 少し思い浮かべただけでも、蓮よりも魅力のある恋人ならいくらでもいる。

 というより、蓮個人の魅力はほとんどの恋人よりも劣っている。蓮と会っているときに感じる利点は、長いこと幼馴染の面倒を見てきていたことから来る重すぎない優しさと、あまり気を張っていなくてもいい落ち着く雰囲気――言うなら、実家にいるような安心感というのだろうか、そういったものくらいだった。

 飽きたら別れるくらいの気持ちで付き合い始めた彼にここまで煩わされることが、許せなかった。

 ――蓮くんなんて、どうでもいいはずなのに!

 何度も自分に叫び続けるうち、莉緒はこの「屈辱」から逃げられない理由を悟った。

 ――このまま別れたら、逃げたことになる。

 ――綾に負けたままで逃げたことになる……!

 蓮以外にも自分を大事にしてくれる恋人はいくらでもいたし、そちらを中心に据えることだってできた。

 しかし、それは彼女の自尊心を今度こそ粉々にしてしまっただろう。

 それだけは、避けなくてはならない。

 長年築き上げてきたプライドを、蓮と綾のために崩したりはしたくない……!

 ほかの恋人がどれだけ自分を大事に扱ってくれていても、何をしていても、「完璧」な自分が取るに足らない蓮の「1番」になれていない思いが楔のように突き刺さり、彼女の心を軋ませる。そして溜まったストレスがいよいよ限界を超えたとき、莉緒はその人物と出会った。


 蓮が莉緒に贈るコートと綾に贈るバッグを探していた夜、莉緒は大手企業への就職を決めていた恋人と会っていた。彼と、彼の友人でありその恋人公認の「浮気相手」である男と3人で酒盛りをして、そのまま深夜まで過ごした。

 その帰り、自棄酒に近いほどの深酒のせいか現実逃避じみた行為からくる疲労のせいか、足腰が立たず覚束無い足取りで歩いていた彼女の背後から現れたその人物は、異様な姿をしていた。

『こんばんは』

 姿――というより、まずかけられた声からして異様だった。

 機械の合成音のような、しかしその低さから辛うじて恐らく男であろうと判別できる声。

 そして声に振り返った莉緒は、妙な気味の悪さを感じた。

 黒い山高帽を目深に被ってよく見えない顔に、喪服のように黒い背広。小学生低学年でももう少し高い子がいるのではないか、と感じるほどの背丈と、その背丈に近い体の幅。

 泥酔してみている悪夢なのではないかと疑いたくなるほど不気味な人物は、親しげに話しかけてきた。

 明らかに気味が悪く、できることならば関わりたくない部類の人物ではあったが、莉緒は全く自分に関係ないような人物であっても揉めてしまったら致命的な弱みに繋がりかねないことを、自分自身がそれを利用して他人を陥れてきた経験から理解していた。

 だから。

『こんばんは~』

 何とかその場をやり過ごすべく、莉緒は努めて穏やかに、いかにも『浮かれて飲みすぎた近所の女子大生』というような像を演じることにした。何か話しかけてきたら適当に流し、万が一体を求められても、その辺りは適当に済ませてしまおう……そう思いながら。

 しかし。

『紗月 莉緒さん。あなた、いつまでもそんなに無理をしていてはいけませんねぇ』

『――――――――――っ!?』

 いきなり彼女を見透かし、心を突き刺すような言葉に、莉緒は笑顔を消す。こちらを見透かしたようなことを言ってくるその人物に、莉緒は抑えきれない敵意を感じた。

『何なんですか、あなたは?』

 口調も険しく、現れた黒服の人物を睨みつける莉緒。直後にそんな自分を反省した。

 普段ならば、この程度の相手にここまで感情的にならなかった。しかし、その時の莉緒は非常に苛立っていた。思い通りにならないことに直面していることに対して、誰かに投げつけてしまいたいほどの苛立ちを覚えていた。

 それ故に莉緒の顔に現れていた敵意は、彼女が何としてでも「排除」しなくてはならないと認識した相手に向ける、ある意味で最も本音に近い表情だった。それを見て、その人物は再び癪に障る合成音じみた声で笑った。

『だから、何?』

 問い返す莉緒に、黒服の人物は『これは失礼しました』と静かに返す。

『やっぱり人間、素直な気持ちでいるのが1番いいものだと思いましたのでね? 莉緒さんも、そう思いませんか? ……あぁ、申し遅れました、私はタカギといいます』

 無機質な、しかしどこか表情を感じさせる声音から来る雰囲気の齟齬に、理緒は苛立ちを通り越して得体の知れない恐怖を感じ、『そうですか。ご親切にどうも、それじゃ』と吐き捨ててその場を立ち去ろうとする。しかし。

『あっ――――』

 覚束無い足取りでは、その場を立ち去ることは容易ではない。

 壁伝いに歩こうとしても焦った足はもつれ、理緒は体勢を崩してしまった。

『おや、大丈夫ですか?』

 立ち去ろうとしていた莉緒はその人物から少し離れていたはずなのに、転びそうになった体はタカギと名乗った黒服の冗談みたいに太い腕に支えられた。太い……といってもそれは脂肪や筋肉を感じさせる太さではなく、幼児向けマンガに出てくるキャラクターのようにデフォルメされたデッサンの腕。その感触にも、莉緒は不気味さを感じた。

 慌ててその腕から離れた莉緒に、タカギはその言葉を投げかけた。


『あなた、幸せになりたいですか?』


 その声には、直前までの気味悪い無機質さはなく、代わりにまるごと全てを包み込むような優しさがあった。それは莉緒の心にあっさりと入り込み、だから彼女は何の警戒もなく、反射的に『はい』と答えてしまっていた。

 その直後、莉緒は自分自身に困惑した。

 こんな怪しいやつに、弱みを見せちゃいけない……!

 だから、『そうですか。では、私にお手伝いできることはありますか? どんな些細なことでも構いませんので』という申し出には『は? そんなのないけど』と、もはや普段見せている外の顔を捨てた状態で応じていた。

 明確な拒絶の意思を込めて。

 しかし、タカギは退かなかった。

『本当に? あなた、何か自分ではどうしようもなくて、気が狂いそうになってしまっていることがあるのではありませんか……?』

 その言葉に、莉緒は1度も会ったことのない「障害」のことを思い出した。

 莉緒には、たとえ見ず知らずの相手であっても縋りたくなるくらいの事情がある。それでいて、自分の手を尽くしたくはないこと。尽くすことで自身の矜持をズタズタにしてしまいかねないこと。自分の手を汚さずに成し遂げられるならそれに越したことはないと常々思っていたこと。その方法が思い付かず、それこそ気が狂ってしまいそうなほどに苛立っていること。

 寺枝 綾という、紗月 莉緒にとっての不安と屈辱と悩みの種。

 普段ならば、考えもしなかっただろう。

 どう足掻いたところで、求める以上人間には限度があり、だから当然のごとく不可能なことだってある。あらゆるものを利用して自分の満足を第一に考えてきた莉緒だからこそ、願ったこと全てが叶うわけではないという事実を、それに抵抗こそすれ、より強く実感していた。

 しかし、このとき莉緒にはある期待があった。

 もしかしたら、これはチャンスかも知れない。

 この人には不可能なんてないのかも知れない。

 それに、もし期待外れだったとしても、それはそれで問題はなかった。

 善意のふりをしてどうでもいい悩みを聞き出して、何か見当外れの、そうでなくても誰にでもできるような親切を音着せがましく強調して、鼻息荒く「見返り」を求めてくるような手合いは、初めてではない。そんなのは、もう何人も相手をしてきた。

 もしこのタカギとかいう男――タカギの声が低く感じたため、莉緒はタカギのことを男だと判断した――がそういう種類の男だったら、まぁ期待外れではあるけど、別にどうということのない相手だ。

 そういう保険をかけて。

『じゃあ……』

 以前蓮のフォトアルバムから抜き取っておいた綾の写真をタカギに差し出した。

『この写真に写ってる娘を、人としてめちゃくちゃに壊してみてよ』

 タカギに期待した瞬間から胸の奥で溢れ返りそうになっていた、まるで焦燥にも似た感情のままに、莉緒は言い放った。タカギはその写真――真新しい高校の制服を着て、ファインダーの向こうにいる蓮に向かってはにかんだ笑顔を見せている綾の写真――に目を落とし、口元をニヤリと歪める。

『このお嬢さんの人生をめちゃくちゃにする。それが、あなたの幸せなんですね?』

 まるで試すような言葉。

 莉緒は毅然とした表情で応じた。

『えぇ。わたしの幸せを願ってくれるんだったら、やってくれますよね、タカギさん?』

 一瞬の沈黙。

 もしかしたら、わたしは言ってはいけないことを言った? そもそも、こんなの犯罪なのでは? 今からでも酒に酔った勢いで言ってしまったことにすれば……!

 したくもない緊張をする莉緒の前で、タカギはゆっくりとその笑みを深めた。

『そうですか。それでは承りましょう。では、1月20日午前0時ちょうどにお知らせいたします』

『……、お願いしますね』

 そうして、孤月が冷たく輝く空の下、莉緒はタカギに「依頼」をしたのである。


「もうすぐ……、もうすぐ……」

 1月19日、23時58分。

 携帯の液晶画面と睨み合う莉緒。タカギの言ったことが本当ならば、もうすぐ成功の――蓮と付き合う自分のプライドにとって最大の障害と言える寺枝 綾の人生がめちゃくちゃに壊されたことを示す――報告が来るはずなのである。

 特に期待はしていない。

 何故なら、「依頼」をした後に自分から申し出た「見返り」に対して、『いえいえ、私は出会った人々が幸せになることが何よりの報酬ですから。それ以外のものは受け取らないことにしているのです』と言ってのける相手だったのだから。

 莉緒にとってそんな相手は未知数で、信用するしない以前の問題だったのだ。

 しかし、あのタカギの雰囲気。

 彼には恐らく不可能なことなどない。たとえば、死んだ人間だって生き返らせることができるのではないか……タカギにはそう思わせる何かがあった。

 だから、期待はしていなかったものの、何らかの予感を持って、莉緒は待っていた。

 莉緒は知らない。

 その時まさに綾は「めちゃくちゃ」な状態で蓮と対面していることなど、知らない。ただ、彼女は時間を待つことで頭がいっぱいになっていた。

 もうすぐ、もうすぐでわたしは1番になれる……!

 「誰からも愛される」「完璧な」自分。

 綾がどうにもならない状態にまでなってしまえば、もう蓮の「1番」になることは簡単だろう。

 この1年で――恋人ではなく友達として付き合っていた時から、もう蓮の好みや求めている傾向は大体把握している。それに、もしタカギへの依頼が成功したのなら、蓮にとっては大切な幼馴染を生命とは限らずとも失うことになるに違いない。傷のついた心には入り込みやすい。それも、今までの経験から知っていた。

 しかし。同時に莉緒は考えずにいられなかった。

 もし、万が一タカギが失敗して、それだけならまだしもその失敗が中途半端になってせいで莉緒から依頼したことが蓮に知られでもしたら。

 恐らく、蓮は莉緒を激しく罵るだろう。

 彼はそうやって「綾を大事にする」ことで自分を守っているからだ。

 そうでなければ、恐らく何かしら理由をつけて謝るのだろう。綾のわがままで困らされてきたと酔った勢いで話した中で過去の彼がそうしていたように。そして、そこから距離が開く。

 それだけは、あってはならないことだった。

 自分はあくまで綾の崩壊と無関係でなくてはならない。

 失敗したのなら、もう何も進展などなくていい。もしくは、莉緒がなんの関係もない状態になるように根回しの1つでもしておいてほしい。

 そうでなければ、わたしは消えるしかなくなる……!

 知らせはいつ届くの!?

 莉緒は気を揉みながら液晶画面を眺める。

 そして、数字が歪み。

 1月20日、0時0分。

 静かになった駅前ロータリー、莉緒の手の中で流行りのアイドルソングが流れる。

「わっ!?」

 身構えてはいたものの、少しだけ気を抜いた一瞬を狙ったようにかかってきた電話に、思わず声を上げる。しかし、液晶画面に表示された「公衆電話」は間違いなくタカギだ。何故か確信することができた。

「はい……」

『もしもし、紗月 莉緒さん。タカギです』

「名前は言わないで。誰が聞いてるかわからないでしょう」

『これは失礼。では用件だけ……』

「どうなったの!?」

『無事にご依頼を完了できました』

「……そうですか」

 莉緒がそう答えるか答えないかのところで、電話は切れた。

 しかし、それでいい。用件が終わったら、もう「彼」とは全くの無関係だ。だから礼を言う時間すら必要ない。それがベストだ。

 そう思うことにして、莉緒は駅前ロータリーから足早に離れ、口元には抑えきれない笑みを浮かべながら、帰路に就いた。

 星も見えない夜。

 降り始めた雪は莉緒の靴跡を刻みながらも、その少し後には莉緒の歩いた痕跡さえも白く覆い隠していった。

「~♪」

 鼻歌交じりに、気分良く夜道を歩く莉緒。

 気分のいい夜だった。

 歌でも歌いたいような、とてもいい気分の夜だった。

 だから、気付かなかった。

 蓮に相談していた「ストーカー」……連絡を絶ってからもしつこくメールや電話、時には自宅まで調べ上げて気持ちの悪いオブジェを贈りつけてきたこともある人物が、すぐ後ろにいることに。莉緒が「り~おちゃん♪」という下卑た低い声に気付いたときには、もう逃げられないほど近くにまで男は迫っていた。

 振り返った莉緒の顔が、瞬時に恐怖で固まる。

「た、鷹山さん……!?」

「莉緒ちゃん酷いなぁ~。連絡くれなくなってそろそろ1年だよ? しかも黙って引っ越しちゃうし。まだ遊び足りない、って僕言ってただろ?」

 鷹山という男は、外見はいわゆるチビデブを極端にデフォルメしたような姿で、いつも汚い身なりをしている。しかも本人はそれが格好いいものだと思っているから始末に負えない。そして加齢のせいだけとは思えない脂ぎった不快な体臭、そして何より女性の人格を否定するような言動と体中に絡みつくような視線を、莉緒は嫌っていた。

 それでもこの男には、父から受け継いでいた大企業経営者という肩書きと莫大な資産があった。だから、ほかのところには目を瞑る形で鷹山と一時期付き合っていた。

 しかし付き合い始めてすぐに鷹山のおぞましい「趣味」を身を以て知ることとなり、もらう金だけをもらって莉緒は彼との付き合いを一方的に終わらせた。莉緒の心に、鷹山の趣味を味わわされたときの痛みが蘇る。

「いやぁ、そこら辺の……JKっての? 女の子たちの噂話も聞いてみるもんだね。何でも願いを叶えてくれる黒服だっけ? 何かそういうのに出くわしたから莉緒ちゃんに会いたいなぁって言ったら、この時間にここを通れば会えるはずだって言われてさ、それで……」

 鷹山が嬉々として話す言葉など、莉緒には聞こえていなかった。

 どうしよう、見つかった。

 誰かに助けてもらわないと……!

 周りを見回しても通行人の姿は見えない。

 ちょうど歩いていたのは工場の多いところで、人家もない。

 恐怖で硬直している莉緒の体を、鷹山の脂っぽく毛深い両腕が抱きしめる。声にならない悲鳴を上げる莉緒など歯牙にもかけず、その耳元で、不快感を煽る猫なで声で囁く。

「他のババア共じゃもう慣れちゃってて、君みたいにいい反応を返してくれないんだよ。わかるだろ?」

「わ、わかっ……」

 わからない。

 そう返そうとした莉緒は、唇の震えから言葉を出せない。そこに先程までの、そして普段の、自信を全身に纏ったような紗月莉緒の姿はない。そして、莉緒には言葉を許さないとでもいうように、鷹山は言葉を続ける。

「君が1番なんだよ、莉緒ちゃん。他のぶっ壊れたオモチャなんか比べものになりやしない。ホントさ」

 1番。

 それは、聞き慣れた言葉だった。


 雪の舞う夜空の下、街灯の明かりさえも希薄な夜道で、願いを抱えた人間たちが冬の夜に迎えた物語は終わりを告げた。

こんばんは、今週は意外に仕事が暇でした(あと1日……)!な遊月奈喩多です!

今週は大体晴れていて綺麗な月が見えていたこともあって、気分がホクホクだったりします……(o>ω<o)

さて、今回は莉緒さんのお話でした!

彼女ほどでなくとも、こういう気持ちってあるんじゃないでしょうか?

このお話に出てくるのはそういう(程度の差はあっても誰しも持っていそうな部分を持った)人ばかり……にしようとしたつもりです(;^ω^)

残すところこのお話もあと1話。

最終回はエピローグ的なお話となっております。

今少し、お付き合いくりゃれ☆


ではではっ!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ