植物学者と花咲き病
登場人物
主人公:椎名皐月
彼 :新田圭史
※この小説は花咲き病の内容が入っています。しかし、一般的な花咲き病とは別物ですのでご注意ください。
※たまに誤字、脱字がある可能性があります。そのときはコメントで知らせてくれると嬉しいです。
私は今、恋してる。
とある研究所の温室で、彼は今日も花たちを見つめている。
植物学者である彼は、毎日、この研究所に設立された温室で植物たちの観察、研究をしているのだ。研究に熱中している彼には、植物以外、何も情報が入ってこない。
視線も、音も。
植物に熱い視線を注いでいる。それほど彼はこの職を、植物を愛しているのだ。
その熱い視線が私に注がれることがあるのだろうか。
植物の陰で彼を見つけて足を止めた。そんな現実味のない理想を抱いても、意味のないことだとわかっている。私は自分を叱咤して、彼の前に姿を現した。
「先輩、そろそろ休みましょう。ティータイムの時間です。」
彼は観察に熱中し始めると、一日中、休息も取らない人だった。そんな彼に休息を取らせるのが、私の日課になっていた。
「・・・・・。」
彼に声は届いていない。集中力は素晴らしいが、流石にそろそろ休まないと、体に不調が出てきてしまう。私はもう一度、さっきより少し大きな声で彼を呼んだ。
「新田先輩!」
「...っもうそんな時間か。ありがとう、すぐ行くよ。」
彼は振り向くとふわりと笑って礼を言った。手元のボードに素早く何かを書き込むと、こちらに向かって歩いてきた。
そう、私はこの純粋な笑顔に惚れたんだ。
五年前、梅雨に入ったばかりで雨がしとしとと降っていた日。
大学で教授に将来をどうするのか聞かれ、悩んで歩いていた日のことだった。
私の気分は落ち込んでいた。学力は大して高くもなく、希望を持って勉強をしていたわけでもない。ただなんとなくで生きてきた自分に「将来」という言葉は重くのしかかってきた。
呆然と中庭を見ていた時、一人の男性が、目についた。雨の中、中庭で一点を見つめる彼に私は目を奪われていた。
「そんなところにいると風邪をひきますよ?」
それは、本当の偶然だった。傘をさして彼に近づき声をかけた時、彼の視線は花の蕾、一点を見つめていた。私もその蕾に目を移すと、ピクッと動いた蕾が一気に花びらを広げる瞬間だった。私はその一瞬の出来事に心奪われた。ただ、心にジーンと響くなにかだけが私の心を支配していた。
「咲いた!やっと咲いた!頑張ったねー!」
その男性の声で私は気がついた。そういえばこの男性は。
「花が咲く瞬間は、やっぱり、綺麗だよね!」
彼は私に向かってこう言った。その瞳はとても輝いていて、花のような笑顔に私は一瞬で恋に落ちた。
それ以降、私と先輩が仲良くなるのにそう時間はかからなかった。
たまに、中庭で一緒にお昼を食べて、話をして。植物について語る彼の楽しそうな顔は今でも忘れられない。そうこうしているうちに先輩は卒業、研究所への就職が決まった。
私は、先輩から学んだ勉強方法、植物の知識のおかげで無事に進級。先輩の後を追うようにして、同じ研究所の職員になった。
そんな植物を愛する彼の話についていける者は稀で、ここで、彼の話を聞ける人は私だけだった。最近は、職員からも「新田の休憩係」と呼ばれるほどになっている。
彼は私が入れたハーブティーを飲みながら、つかの間の休憩を楽しんだ。
「そういえば、椎奈。最近、首元まで隠れた服着てるけど寒いのか?ここは一定の温度に保たれているんだから、もうちょっと楽な格好しなよ。前みたいに。」
「いや、寒いわけじゃないんですけど…。まぁ、大丈夫です。」
貼り付けたような笑顔になったかもしれない。でも、こんな時でも、彼が私のことを見てくれているとわかると、なんか嬉しい。そう思った時、私の首元にツキンッと痛みが走った。顔をしかめる。
「大丈夫?怪我してるんなら無理しないでね。」
神経痛かなー?そう言いながら彼は、席から立ち、また観察に戻る。この休憩の数十分が私の一番大好きな時間。でも、彼は私が恋をしているなんて知る事はないだろう。彼は植物を愛しているから、これは私の秘めた想いとして留めておけばいいんだ。
自分を無理矢理納得させて、テーブルに乗ったハーブティーを片付ける。その時、テーブルの上に彼のボードがあることに気付いた。
「先輩、ボード忘れてますよ!」
「あっ、ごめん!」
彼がこっちに戻ってくる。どこか抜けてる所があるのも私の好きなところ。クスリと笑ってボードに目を移すと、何やら難しい図式や文章などが描かれている。私にはわからないな、などと思っている時、一つだけ、目につく言葉があった。"色が変わる花"?
ボーっと見ていたら、ボードが先輩の手の中に収まった。
「見てて面白いもの、あった?」
笑ながら質問してくる彼に、少し戸惑った。人のものをじっと見る事はあまり良いことでは無いのに。
「あっ、すみません、なんでもないです。お仕事、頑張ってください。」
ポットとティーカップを持って、その場から逃げるように去る。
そのまま、社内の給湯室まで走って行くと、同僚の二人がコーヒーを飲んで談笑していた。トレイを置いて、走って乱れた呼吸を整える。
「おっ!皐月ー。お疲れ様。今日も休憩係?」
「うん。今日はハーブティーを持っていったよ。飲む?」
そう問うと、二人は、もらう!と言ってポットに残ったハーブティーをカップに注いだ。私は使ったティーカップを洗い、さっきのことを思い出していた。先輩の質問はぐらかしたのは、これが初めてかもしれない。洗い終えたティーカップをしまい、給湯室から出る。あのポットはいつも通り同僚が片付けてくれるだろう。そう思いながら廊下を歩いた。先輩にちゃんと答えるべきだったかな。でも…
「これは、さすがに言えないじゃん。」
化粧室の鏡の前で、ため息と声を漏らす。首から解いたストールの下から、現れたのは小さな青い蕾だった。
花咲き病。これは世にも珍しい奇病で、人への想いをこじらせた人がかかる。体の一部から花が咲き、その根は心臓に絡みついているため、治療も不可能。人の想いと生命力を養分とし、花が咲く時がその人の命の終わりだと言われている。
私の首元に芽が出てきたのは、一カ月前。彼のことを思うたびに成長する蕾は、私の恋が目に見える形として現れる。このことが彼に知られたら、私は彼の研究の邪魔になってしまう。
そう思うと、また、ツキンッと痛みが走って蕾がわずかに膨らむ。またか。そう思っていると、化粧室に近づく同僚の声が聞こえてきた。私は急いでストールを首に巻き、何気ない顔でまた仕事に戻った。
数ヵ月後、いつもの通り、彼のところへ休憩係の仕事をしに行く。
夏特有の暑い日差しに、首を隠すことの苦しさを感じながら、温室の中へ入っていった。
「先輩、ティータイムの時間です。そろそろ休みましょう。」
「ああ、今行く。」
私は違和感を感じた。いつもは、二回くらい声をかけないと反応しないのに、今日はすぐに返事が返ってきたから。
しかし、私はその違和感を気に留めることなく、テーブルの準備を始めたが、大きくなった蕾や出てきた葉を隠しながら準備を進める事は、ほぼ不可能だった。この数ヶ月の間に、彼が好きだと思うたびに大きくなる花の欠片は、もう拳よりも大きくなってしまっていた。
こちらに歩いてきた彼は、ふと、何かに気づいたように私の首元に手をのばす。
「ここに、葉っぱ、ついてるよ。どこかで落ちたのかな?」
彼の手が私から出ている葉に触れる。
「痛っ」
彼は驚いて手を離した。私も今までに感じたことのない大きな痛みに、胸が締め付けられるようだった。彼は心配した表情で私を見つめる。そんな顔しないで。私が好きなのは、あなたの笑った顔だから。
「大丈夫です。ちょっとびっくりしただけで、」
その時、ストールが首から落ちた。暑いからゆるく巻いていたのが仇となったらしい。首元の蕾が彼の視界に入った瞬間、彼の目は大きく見開かれた。知られてしまった。彼に、知られてしまった。
「ねぇ、椎名。これ、何?」
目を輝かせて質問してくる。やっぱり。思った通りだった。私の首元の花は、珍しい奇病。もし彼がこのことに興味を持てば、彼自身の研究が厳かになってしまうかもしれない。しかし、そんな彼に惚れている私に、答えないと言う選択肢はなかった。
「へぇ、花咲き病。」
私は全てを話した。数ヶ月前からこの蕾があること。珍しい奇病だと言うこと。そして、「好き」な気持ちがこの花を育てると言うことを。もちろん、私が好きな人の事は秘密にして。
「じゃぁ、椎名は好きな人がいるんだ。誰なんだろうなぁ。」
あなたです。彼から研究対象として見られていても、好き。
彼は大学時代に、恋愛には興味がないと言っていた。それでも私は彼にずっと片思いをし続けている。だから、この思いは、この想いだけは、知られてはいけない。この花の存在を知られれば、私の恋の相手が彼だということがわかってしまうと思っていたが、それは大きな間違いだった。彼に知られて嫌われる、だがそれ以前に彼には自分が恋愛対象になるということを考えていなかった。
ここまで知っても彼のことを好きな私は相当だ。そんなふうに考えながら、私は彼を見つめていた。
「この花、触ってもいい?」
「はい!?」
突然のことに私は驚いた。好きな人に触れられる。そう考えるだけで、顔が赤くなる。
彼は、私の返事を許可と受け取ったのか、手を伸ばしてきた。心臓の音がうるさい。ドキドキするのを抑えるためゆっくり息を吐いた。彼の手が優しく、肩から葉、蕾を撫でる。つぼみが膨らむ痛みも忘れるほど大好きが溢れて、体が心臓になったみたい。
「あ、膨らんだ。」
彼はそう言って手を離した。私は自分の体温が上がるのを感じ、つぼみが大きくなる痛みと心臓が締め付けられる苦しみで、何も考えられなくなる。
今日のティータイムは私の花に大きな変化をもたらした。
それから二週間、私は、休憩係の仕事を休んだ。彼のことを考えるたび蕾が膨らむ。もう花が咲くのは時間の問題かな。 二週間の間にもう半分あきらめの感情も出てきた。
花咲き病の咲かせる花は、見たことのない美しさだと言われているらしい。彼にこの花、見せてあげたいな。私はそう思って二週間ぶりに、彼のいる温室へ行った。もちろん、紅茶をもって。
「先輩、そろそろ休みませんか?ティータイムにしましょう。」
返事がない。それは、そうか、私は2週間も顔出していないから。彼はもう、私を待っていないのかもしれない。でも、もう一度だけ。
「新田先輩!」
「椎奈?……すぐ行くよ。」
彼は静かな声で返事をして、こっちへ来た。
多分、この2週間、不規則的な生活をしていたんだろう。私は申し訳なくなった。私の勝手な都合で来なくなってしまったから。時間を告げる役目を、放棄していた自分を責めずにはいられなかった。
「来てくれてありがとう。ほら、そんな顔しないで、顔あげて。」
彼はいつもの笑顔で私を見た。やっぱり好き。ふと気づくと、彼の手元には一輪のバラが握られていた。
この花、なんだろう。またいつもの研究かな。不思議に思って彼の顔を見ると、彼はとても真面目な顔をして口を開いた。
「椎名、君に好きな人がいるのはわかっている。でも聞いてくれ。この二週間、椎名の顔が見られなくてずっと不安だった。俺は、椎名のこと、好きなんだ。このバラ、受け取ってくれないかな?」
私は自分の耳を疑った。彼が私のことを好き?そんなまさか。
彼は私にバラを差し出す。恐る恐る手を伸ばして、私はそのバラを受け取った。その時、白いバラが赤色に変わった。これは、あの時の…
「色が変わる花?」
「あ、知ってたんだ。俺が研究してた内容"温度で花の色を変える"。赤いバラの花言葉は」
「あなたを、愛しています。」
私の目から涙がこぼれた。新田先輩を愛していた五年間。決して無駄じゃなかった。
ここで花が咲き、命尽きても、私は、幸せだ。そう思っていた時、私の首元の花がさいた。青い花ではなくピンク色の花が。
「色、変わりましたね。」
胸が苦しくなる。花が咲いたら、命が終わるって本当だったんだ。立っているのが辛くて、椅子に腰掛ける。息をするのが辛い。でも、伝えなきゃ、彼に本当の気持ちを。
「私も、圭史先輩を、愛して、います。」
彼が驚きの顔見せる。思いが強いと死んじゃうって、残酷な病気だな。
私は重いまぶたを閉じた。
新田圭史の腕の中で、美しい花を添えた女が静かに眠りについた。
花咲き病・・・片思いなら青い花、両思いならピンク色の美しい花が咲く。
十年後、椎奈は目を覚ました。
彼女が眠りについた後、体が機能を止める前にプリザーブドフラワーの要領で彼女を保管した。
そして十年経った今、花咲き病でも生きていく方法が発見された。
俺は、彼女とまた話したい。その一心で今日まで研究を続けてきた。一人の時間に耐えてきたんだ。
でも、それも今日で終わり。
「おはよう、椎名。」
不思議そうな顔をした椎名皐月は、おはよう、と花よりも美しい笑顔を向けた。




