(7)
「すみませんでした。うちの永山が、大変ご迷惑をおかけしたようで」
「お気になさらないで下さい。頭を下げなくて結構ですから」
ここはKTH……ではなく、喫茶プレセペ。三人は怪人を本部に送りつけてから、マスターへの謝罪やら何やらを兼ねてわざわざ足を運んだのだった。
ちなみに断っておくと、永山は怪しい衣装を脱いで普通の赤ジャージ姿に着替えている。戦闘中は強がっていたが、内心恥じていたらしい。
「黒沢さん。俺、何かしました?」
「したも何も、あれだけダイレクトな攻撃を仕掛けておいて。反省しないんだったら、お給料減額かな?」
「それは、パワハラととらえてよろしいでしょうか」
「とんでもない。これは教育だよ、教育」
カウンター席に隣同士で腰掛けている永山と黒沢は、絶品の軽食をつつきながらも、早くも言い合いになりかけている。
美江は端っこの席を陣取りながらコーヒーをすすりつつ、カウンターの中で顔をしかめているマスターの方を見た。
「迷惑ですよね、三人で押しかけたりなんてしたら。しかも、定休日に」
迷惑なのは重々承知だった。だが、永山と黒沢がどうしてもこの店に来たいと様々な思惑から言い張って仕方がなかったのだ。
美江もまた、あの絶品コーヒーにありつきたかったので、偉そうなことは言えない立場にあるが。
「いえ。こちらも少しでも利益が出た方がいいですから、三人くらいなら問題はないです。彼らはともかく、あなたには恩もありますし。もう、妻にも言ってありますから。痛たた……」
「あの、痛むんですか」
「ええ、少し。ほっとけば治ると思いますけど」
「はあ」
永山の蹴りが直撃して、怪我一つなく痛いだけで済むとは。歳にしては……いや、人間にしては、尋常ならざる丈夫さなのでは。彼はどういう身体の鍛え方をしているのだろう。
美江はマスターのたくましさに舌を巻きながら、コーヒーをもう一口。何度飲んでも最高の口当たりと、ふわっと鼻から抜けていく香りがたまらなく癖になる。
「それにしても、マスターって強いんですね。昔何か、武術でもやられてたんですか?」
「ああ、まあ、そんな感じですかね。剣術とかを、少々」
「へえー……」
純粋に感心していると、黒沢が目を輝かせながらカウンターに身を乗り出す。
急に迫られる形となったマスターは、ぎょっとしながら何度もまばたきをした。
「な、何ですか?」
「唐突でぶしつけかもしれないんですけど、あなた本当にお強いんですね。素晴らしい鉄パイプ裁き、この目でしっかり見届けさせていただきましたよ。で、ものは相談なのですが、あなた、ヒーローになる気はないですか?」
「は?」
ヒーローへの勧誘、キターっ!
人員不足のKTHは、常にヒーローにふさわしい人材を欲している。そんな状況下において、永山に引けを取らないクラスの人物が目の前にいたとしたら、彼が声をかけないわけがない。
「……ありません。私には、家族と店がありますから」
「副業みたいな感じでもオッケーですから。うちの永山だって、アホほどバイト掛け持ちしてますしね」
「アホとはなんですか。仕事を多く経験することはいいことですよ? それを、アホ呼ばわりするとは」
「アホほどって言うのと、アホって直接言うのはわけが違うでしょ。君に対しては、前者も後者も言い放ってやりたいところだけどね」
料理にがっつきながら反論する永山に、黒沢は嫌味を吐きながら深く息をつく。
「今はね、大事な話をしてるところなの。だから、ヒーローに対して悪い印象を抱かれるような真似は謹んでくれないかな。もうひと押しなんだから」
どこがもうひと押しなのだ。マスターは、嫌悪感丸出しの表情で睨んでいるぞ。
黒沢の強引なポジティブシンキングに、美江は何も言うまいと口を閉ざす。しかしこちらが黙っていても、決して黙らない男が横にいる。
「何がもうひと押しですか。あれ、見て下さいよ。苦虫を軽く、千匹以上は口に含んだような顔をしていますよ。絶対嫌がってますって。老眼って、近距離を見るのにも影響するんでしたっけ」
「しません。あと、せっかく美味しいご飯を食べてるんだから、年齢いじりはやめてくれないかい」
「ほほう。では、美味しいお食事を摂っていない時は、いくらでもいじっていいというわけですか」
「あのねえ。そうやって人の言葉尻ばっかりとってたら、嫌われるよ?」
「別にいいですよ。これ以上嫌われようがありませんし」
「それでいいのかい、君の人生は」
口の上手い子供にさらに悪知恵を加えたような思考を持つ永山は、のらりくらりと巧みに言葉をかわす。
「それに、あなたにつべこべ言われたくありませんね。俺よりもうんと辛酸をなめさせられて、自分の人生をどっぷり後悔している黒沢さんには。人生の負け組に、教えを説かれるいわれはないです」
「そ、そこまで言う⁉」
しかも、相手が気にしている部分をこれでもかというレベルの強烈な毒でえぐる。これよりも質が悪い奴がもし存在するならば、ぜひとも見てみたいものだ。
「ついでに言っておきますと、いくら人材不足が半端ないからって、お歳を召した方をヒーローとして雇おうとするのはどうかと思いますよ。おっさんが怪人退治とか、無謀にもほどがあるでしょ」
「……」
話がとうとうマスターに飛び火し、目がギロリと永山の方に向く。その瞳の奥には、明らかに怒りの炎がちらついていた。
「あなたにおっさん呼ばわりされる筋合はないと、幾度となくお話しているはずですが」
「おっさんにおっさんって言って、何がいけないんだよ? それとも、自分がお若いとでも?」
「まあ、見た目はアレですけど……。詳しくは語りたくありませんが、とにかく控えて下さい。子供に言われるならまだしも、あなたのような輩に言われるとどうも」
「ふーん。もしかして、老け顔だったりするんですかねえ? あ、ひょっとしてマスター、逆黒沢?」
「僕の名前を使って、勝手に変な名称を作るのはやめてくれないかな!」
憤慨する黒沢を尻目に、永山はニヤニヤしながら軽食を口に頬張る。無礼な発言を連発しているにも関わらず、平然と「おかわり!」と言ってのける神経の図太さはうらやましい。
「私は家族とともに、静かに暮らせればそれでいいのに。今回は、この地域を乱されては妻や子供に関わるかもしれないと思い、つい首を突っ込んでしまったが。しかし、よりによってヒーローになってくれというお誘いが来るとは……はあ」
ヒーローに異常なまでの嫌悪感を示し、人とは思えぬ身体能力を誇るマスター。この人、本当に何者なのだろうか。
手を動かしながら呟かれる独り言をこっそり盗み聞きしながら、コーヒーを飲み続ける美江。永遠に解けそうにない謎に、胸にはモヤモヤとした気持ちが募るばかりだ。
「にしても、マスターを見てると何か退治したくなるだよなあ。職業病かな」
「永山君! あ、し、失礼しました。そんなことよりも、気が変わったりしませんか? 待遇も、うんといいのを用意しますよ」
「勘弁して下さい。嫌なものは嫌なので」
「ほら、嫌がってるじゃないですか。黒沢さんも、しつこい人ですねえ。安心して下さいよ。この地域の怪人は、俺が責任をもって全て対処致しますから。どんな手を使ってでも」
「そこが駄目なんだよ! ヒーローっていうのはね、きちんとした手順で怪人を退治することで一定の評価をされるものなの。でもって、慈愛の心とかも持ち合わせて」
「……どこぞの馬鹿どもは、全然だったな」
「おっさん、何か言った?」
再びこぼれたマスターの独り言を、永山がすかさず拾い上げる。
再三忠告されていたというのに、はっきりと禁句を交えながら。
「しつこいぞ! 貴様、これ以上抜かしたら店から叩きだすぞ!」
「おお、モードチェンジしやがった。何回聞いても、面白いしゃべり方だなあ。ま、ちょうどいい。やれるもんならやってみろよ。いいこと思いついた。なあ、今からタイマン張らねえか。あんたが勝ったら、おっさん呼ばわりは二度としない。俺が勝ったら、今日の食事代はタダってことで」
「ふん。正々堂々、一対一とは。面白い。表に出ろ!」
「そうこなくっちゃなあ。おっし、やってやろうじゃねえか!」
「「駄目駄目駄目駄目!」」
店の中はもちろんだが、外で喧嘩されても大参事につながりかねない。しかも、人とは思えぬおぞましい戦闘能力を持つお二方が暴れた日には、飲食店街が戦火の炎に包まれること間違いなしだ。
「は、花咲君! こういう場合、どうしたらいいんだい?」
「私に聞かないで下さい! あ、そうだ。奥さんならマスターを……。黒沢さん、どうにかこの場を収めといて下さい。失礼します!」
「ああっ。ちょ、ちょっと待って!」
コソコソと店の奥に潜入していった美江を目で追いながら、取り残された黒沢は一人戸惑う。猛者が放つ気迫に挟まれ、どうしたものかと頭を抱える。
「やだもう、恐いって。うう、胃が……何となく頭も……」
「あなたが奥様ですか? お若くておきれいで……。ええと、私、花咲美江と……あ、お二人の赤ちゃんですか? うわあ、かわいい……」
「花咲くーん! ちゃんと役目を……あああ、痛い痛い痛い! もう、全部痛い!」
場違いにもほどがあるほのぼのとした掛け合いと、険悪なムードに押され、黒沢のストレスはピークに達してしまった。
「やっぱ、KTHにこもってりゃよかった……」と嘆きながらその場にうずくまり、うんうんと唸る。
「いいなあ、このお店。私、やっぱり好きかも。赤ちゃんにも会えるし、また来ようかな……」
水と油の如く、最後まで決して相容れぬことがなかった二人。それはある意味運命であり、ある意味必然だったのかもしれない。
「にしてもよお、てめえも恩知らずだよなあ。あそこで俺が駆けつけなかったら、今頃……。命の恩人に、そんな態度でいいのかよ」
「その救った命を、むしり取ろうとしたのはどこのどいつだ。ん?」
そして現在勃発しかけている騒動も、起こるべくして起ころうとしているのかもしれない。だって片や正義のヒーロー。そして、もう片や……。
「うふふ、かわいい。いいなあ、赤ちゃん」
しかしそんなことは、愛らしい天使に癒されまくって心をとろかされている美江にとっては知ったことではないのだった。