(5)
武者鎧姿の不審者が出没したのは、屋内に設置された運動場付近とのことだった。
「まあ、こういうところなら身体を動かすのが好きそうな人が集まりそうだけど」
ここは、市民が健康的に運動をする場として定期的に自由解放されている。よって、その中や周囲には人が多く、常識を知らない怪人ならば、勧誘目的で派手な格好のままうろついても不思議ではない。
だが心なしか、今日に限って運動を嗜んでいる住民は少ない。武者鎧がうろついているという噂は、集客効果に少なからず影響を与えているのだろうか。
「でも、こういうところで呼び込みをするのって充分迷惑なんじゃ。怪人に限ったことじゃないけど」
誰にも聞こえない声で文句を言いながらも、美江は黙々と任務を遂行する。
まずは、怪人の目撃者探し。人の集まりが悪いためか、これはやや難航した。やはり実際に目の当たりにした住民は、例の不審者が捕まったという話を聞けないと、不安で出歩けないのかもしれない。
しばらくしてどうにか見つけたのは、いかにも体育会系といった感じのお姉様風の女性。爽やかな汗を流しながら、スポーツドリンクを補給しているところで話を聞くことに成功した。
「本当ですか! その、武者鎧を見たんですか!」
「ええ。というか、しつこく声をかけられたわ。新手のナンパかなって思ったんだけど、違ったみたい。それにしても、むさ苦しかったわね。運動場に、武者鎧よ? 本物の馬鹿なんじゃないかって思ったわ」
女性は肩にかけたタオルで、小麦色に焼けた首筋を拭く。活発でハツラツとした美人が好みの男ならば幾分か興奮しそうな仕草だったが、美江にとってはどうでもいいことだった。
「ええ、そうですね。そんな格好で運動なんて、絶対できませんよね」
「それにしても、あなたはどうしてそんなことを聞き回ってるの? もしかして、警察?」
「え、ええっと。まあ。そっちの方から、来ました」
KTHがあるビルの先には、警察署があったはず。なので、そっちの方から来たというのは決して間違いではない。よく考えたらKTHと警察署は真逆の位置にあったかもしれないが、今はそういうことにしておこう。
どうにかはぐらかして他を当たってみたものの、「むさ苦しかった」「目立ってた」「頭おかしいと思った」くらいしか目撃者の口から飛び出さず、被害らしい被害は聞き出せなかった。
「迷惑と言えば迷惑だけど、悪気はないのかしら。だけど、武者鎧って。ほっといていいのかどうか」
ここではもう、得られるものはなさそうだ。屋内ではなく、外で聞き込みをした方がいいかもしれない。これは賢明な判断であって、断じて運動もせずに他人に話しかけまくる行為に羞恥心を覚えたから逃避を試みたというわけではない。
心の中で言い訳を並べたてて見切りをつけると、運動場から一旦外に出た。
運動場の近隣はにぎわっているわけでなければ、かといって閑散としているわけでもない。人通りも、場内ほどではないがちらほらあった。
「……もうやだ」
しんどい。しんど過ぎる。あと何回、見知らぬ人に声をかけろというのか。
途方もない作業を長時間続けたせいだろうか。比較的忍耐強いと自負していた美江だったが、とうとう任務を苦行に思い始めていた。
「黒沢さんも、どうしてこんな無茶なこと頼むのかしら。私は、探偵でも刑事でもないのに情報収集なんて。一瞬で変身できる道具とかを作る技術があるんだったら、一瞬で情報を集めるコンピューターくらい作れそうなのに。何でこういうことだけ人力頼りなのよ!」
わかりたくもないことだが、今回ばかりは永山の気持ちもわかるような気がする。ヒーローだからという理由で酷使されれば、不満を持っても仕方がない。ましてや、自分はヒーローですらないただの監視役。それなのに、どうしてここまでそんな役回りまで押しつけられなければいけないのか。
「KTHって、あいつの言う通り、そこそこブラック体質なのかも。暇な時は暇だけど、忙しい時は恥も外聞もなく……ああっ! 嫌になっちゃう!」
「何が、嫌になるんです?」
「そりゃあもう、今の仕事が。やっぱりまともな職業に就いて、無難な人生を……って、あれ?」
ストップ。今は一体、自分は誰に向かって愚痴をこぼしていたのだ。
美江は背筋にヒヤリとした感覚を味わいながら、おそるおそる振り向く。そこにいたのは、思いもよらない人物だった。
「大変ですね、あなたも。何かあったんですか?」
「ひゃあっ! ご、ご、ごめんなさい!」
いきなり謝罪の弁を口走ってしまったのも無理はない。美江の背後に立っていたのは、先日多大な迷惑をかけてしまった喫茶店のマスターだったのだから。
本日はカジュアルな格好で、手にはスーパーで購入したと思われる食材や日用品が詰まったエコバッグを持っていた。
「あ、驚かせてしまったようですね。別に、盗み聞きするつもりはなかったんですけど」
「いや、私が悪いんです。こんな大声で、グチグチ言ってたらそりゃあ……。そ、そんなことより。こ、こ、この間は、申し訳ありませんでした! いくらあの馬鹿のせいとはいえ、とんでもないことを」
「大丈夫ですよ。悪いのはあなたではないと、重々承知していますから。できれば彼には、二度と出会いたくないものですが」
表面上は取り繕ってくれているが、心の奥底ではきっと怒っているのだろう。永山のことを口にするなり、非常に不機嫌そうに目元が歪んだ。
「そ、それにしても、どうしてここに? お店は? もしかして、私とあいつのせいで」
「あの程度のことで潰れたりはしませんよ。今日は定休日なので、スーパーで必要品の買い足しを。今日、特売日だったんで」
「ああ、なるほど」
出産直後の奥さんの代わりに、お買い物とは。素晴らしいサポート振りである。
何気に失礼なことを言ったことに気づいていない美江は、彼の眉間にいくつかしわができていることにが目に入らぬまま何度もうなずく。
「これだけあれば、栄養のある料理も作ってやれます。産後は体力が落ちるって言いますしね。ああそうだ。帰ったら洗濯と掃除もしないと。妻にやらせるわけにはいかないしな……」
どんだけパートナを大事に思っているのだ、この人は。若くもないはずなのに、これだけ精力的に尽くすだなんて。
男性にしてはめずらしい献身っぷりに面食らっていると、どこからか「きゃあっ!」という女性の悲鳴が上がる。
反射的に顔を向けると、そこには先程話を聞かせていただいた体育会系の女性と、腰に刀を収めた鞘を差した、赤く塗られた武者鎧を着込んだ大柄な男の姿があった。
「またあなた? いい加減にして! 通報するわよ」
「お願いですから、話を。こんな運動場よりも、ずっといいところがあるんですよ。今なら入会費」
「だからあ……」
シュールにもほどがある光景に、道行く人は見て見ぬふりをしているか、面白がってこっそり携帯電話やスマートフォンで事の次第を撮影するかのどちらか。この世界はのんき過ぎるというか、とことん狂っている。
「あ、あの人さっきの。どうしよう、これってまずいんじゃ」
「……キセナガ」
「はい?」
謎の言葉を呟いたマスターを見ると、実に険しい表情がそこにあった。
もしや、あの怪人のことを知っているのか? いや、そんな馬鹿な。いくら自称、わけありの過去を背負っている身だからって……。
「くうっ。こっちがこれだけ頼み込んでいるというのに。こうなれば、仕方がない!」
「きゃあっ!」
そうこうしているうちに、怪人はとうとう強硬手段に打って出る。女性の腕をガッと掴むと、自身の胸元へ強引に寄せた。
「何すんのよ、変態!」
「ゆっくり話せば、きっとわかってくれるはず。場所を変えて、じっくりお話するとしよう」
「いやあーっ!」
怪人の足元がぐにゃりと歪んだかと思うと、毒々しい紫色の渦巻きが湧き、彼らはその中に吸い込まれていってしまった。
女性の悲鳴が聞こえなくなるのと同時に、突如発生した渦は消え、地面は元の形に戻った。
「な、何だ今の?」
「超常現象? それとも、新手のイリュージョン?」
信じられない事象を目にした人々は、何が起こったのか理解できないままざわめく。怪人が立っていた足元をちょんちょんとつま先でつついてみる者や、撮っていた動画を再生して何度も確認する者。または、「UFOの仕業だ!」わけのわからぬことをほざく者と、リアクションは様々だ。
「さっき話をした人が、目の前でさらわれるなんて。と、とりあえず、連絡。黒沢さんに、連絡しないと!」
半ばパニックに陥りかけた美江は、震える手で携帯電話を持ち、黒沢の番号にかける。数回コールが鳴ったのちに、わずかながら心を落ち着かせてくれる美声が聞こえてきた。
「どうしたんだい」
「さ、さっき、怪人が女の人を。急に目の前から消えて」
「ええっ! まだ本部から、何の連絡も来てないよ⁉ さては上の奴ら、近頃平和なのにかこつけてバカンスに。僕には一切休みをくれないってのに……」
「黒沢さん?」
「ああ、ごめん。何でもない。よくやってくれた、花咲君。君が見ていなかったら、情報入手が大幅に遅れるところだったよ」
「でも、私、何もできませんでした。人がさらわれるところを、ボーっと見ていただけで」
「充分だよ、気にすることはないさ。怪人と戦うのは、あくまでもヒーローのお仕事。流石に、その代役を務めろとまでは言わないから」
「……はい」
「怪人が向かった先が特定でき次第、すぐに送るから。情報が届いたら、花咲君はその場所に先回りして、駆けつけてくる外道君を見張って。頼んだよ」
「わかりました」
通信が切れると、美江は途端に力が抜けて崩れ落ちそうになった。
怪人の凶行を見るのは久々のことで、油断していたせいか刺激が強かったらしい。恐怖の念によって突き動かされた心臓が、ドクドク鳴って仕方がない。
「どうしよう。私も永山に連絡を入れた方がいいのかな。でも今頃、黒沢さんがしつこく……あれ?」
そういえば、マスターは。彼はどこに行ったのだ。
つい数分前まで一緒にいたはずの人物の姿が見えないことに、美江はやっと気がついた。
「何も言わずにいなくなるなんて。帰っちゃった……? あっ」
コツンと何かが足に当たり、美江は視線を下に向ける。するとそこには、マスターが持っていたはずのエコバッグと、メモ帳の切れ端に急いで記されたと思われる殴り書きのメッセージがあった。
「これ、あの人の? えっと、『突然の頼みで申し訳ありませんが、これを店まで届けて下さい。今度お詫びに、タダでコーヒーを提供します』……?」
あの人は一体、何を考えているのか。そして、どこに向かったのだろうか。
謎は深まるばかりだが、自力で真相に辿り着くのは不可能に等しかった。