扉
雪の上に倒れた少女を見て、バッジに伸ばそうとしていた手を降ろす。
「申し訳無いけど、このバッジは本当にお守り程度の物なんだよ。君達とはスペック差があり過ぎて、普通に拳銃で撃っても倒れてくれない。死んでくれないし」
そして、彼女の横に落ちている拳銃を手に取る。
かなり血痕が付いていたが、気にせず懐へ入れる。
倒れたフードは全く動かない。
「拳銃で頭を撃った事もあるんだけど、頭蓋骨が硬すぎて全然死ななくてね。いやはや化け物とはこういう物なんだなーと心から関心したと同時に恐ろしくなったものだよ」
「拳銃って、目と目標物を一直線上に置かないとなかなか当たらないし、そうやって撃つ物だっていう先入観があるんですよ」
後ろの人影に向かって言葉を投げかける。
「つまり、銃弾が逆方向に発射されたらどうなるかって言うと、至近距離から銃弾が眼球を通って脳まで貫通します。で、硬い頭蓋骨を壊せずに、脳内で跳弾を繰り返す訳です」
そして、今度こそバッジに手を伸ばす。
後ろに居た二人目のフードは、静かに倒れた。
握りしめた手に爪が食い込む。
吐き気を堪えて、懐の銃の握りしめる。
「俺が弱いから、だからこんな方法でしか止められないんですよね」
拳銃には何種類もの血が付着し、それはかなりの期間あえて掃除しなかった事を意味している。
昨日と明日はイコールで、自分より他人を思う余裕があるように。
こんな抽象的で、とても小さな夢物語は、今のところ叶う目処は立っていない。
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「先生、今日はどうされたのですか?とても疲れた顔をしていますけれど?」
この俺を先生と呼んでくれる、栗毛の愛らしい少女は、俺の護衛役を買って出てくれた優秀な人材だ。
きっと未来の日本を担ってくれるだろう。
日本に未来なんてあればの話だが……。
公社の巡回部、電気ストーブの前に立ち、小さな声で談笑する。
「君の同族を殺したんだよ。一個目のカラクリに引っ掛かってくれて良かった。あれが一番外傷が少ないからね。痛みも感じないし」
ははは、とまるで楽しげな話でもするように。
「何も言わずに倒れてさー見物だったよ。おかげで時間が稼げて後ろの仲間もバッジでコロリ。今日は大量だったね」
「それは大変でしたね。私も連れて行ってくだされば良かったのに……」
「ダメだよ。僕に殺させてくれないと。結構ボーナス入るんだから」
「私は裏切ったりしませんよ?そういった教育を受けていますので」
「教育というより洗脳だよな……完全に奴隷じゃないか」
「いいのです。先生のお役に立つには必要な事でしたから」
「でも殺そうと思えばすぐ殺せるんだろ?」
「ええ。多分5秒も掛からずに先生の息の根を止められますね」
「だから、俺達はどうしようも無い程に終わっているんだ。君はペット。OK?」
「OKですよ。これからも忠犬であり続けます」
それでは、と彼女は部屋を出る。
断熱性に優れた厚いドアは、少し軋んだ音を立てて栗毛の彼女と俺を物理的に遮断する。
それを確認して。
木の机を思いっきり殴った。
「何が見ものだっただ!」
もう一度、強く殴る。
俺程度の力じゃびくともしなくて、拳から血が滲む。
「なんで笑ってんだよ糞が!!」
椅子を思いっきり蹴りつける。
「フザケやがって……この道化が!!これで何人殺した?」
全員の名前も死因も空で言える。
「何が糞みたいな日本だ……糞みたいなのは俺じゃねーか…」
「何が先生だよ……」
机には血痕が付いていて、彼女が戻ってくる前に自分で綺麗に掃除しないといけない。
これは必要な発散なのだ。
人を殺して心から談笑できる程俺の肝は座っていない。
何人も、何人も殺して、それでも精神が擦り切れないように笑って、人前で笑って、溜め込んで。
「俺が死ねば良かったんじゃねーか」
もう振り下ろす拳にも力は無い。
赤黒く染まった拳銃を机に置く。
まだこの引き金を引く訳にはいかない。
まだ、目標には何一つ届いていない。
だから、また心を閉ざす。
防寒扉のように、重く、鍵を掛けて。
ポケットから、自分のハンカチを出して机に付いた血を拭った。
とても汚い血に見えて、そのハンカチをゴミ箱へそのまま捨てた。
ゆっくり彼女が出て行った扉を開けて、自分の居住区間へ移動する。
いつもの様に、何枚も皮を被って、浅い眠りにつくのだ。
きっと今日も悪夢を見るのだろう。
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「それでは」
厚い防寒扉を閉める。
私は、弱い。
先生は強い。
それは純粋な力の話ではなく、きっと魂や心の問題なのだ。
ドアの向こうで鈍い音が聞こえる。
先生が人を殺してしまった時、毎回私が帰るまでこの部屋に残っている。
一番防音性が優れたこの部屋は、今の彼には必要で、そこに私は居てはいけない。
「ごめんなさい」
私は弱い。
だから、何もできないのだ。
彼の元に付いてから、まだ一度も巡回へ連れて行って貰っていない。
きっと何度も、何度も一人で殺して、それでも心が壊れないようにああやって発散して。
本来天敵であるはずの私の事まで気遣って。
彼は仮面を被っている気になっているかもしれないが、そんな物全然透けてしまっている。
どんな顔をして笑っているのか、彼は鏡を見た事があるのだろうか。
私は、とてもじゃないけれど、それを見て笑顔を作る事はできなかった。
何かが倒れて転がる音が聞こえる。
きっとそろそろ終わる頃だろう。
私は、大きく、大きく頭を下げて、静かに廊下を歩く。
彼の幸せを願って。