8
ごんは自分の過去を話すと、ふっと息を吐いた。
「つまり……おれが全部悪いんだ」
ごんは猫の姿から、本来のキツネへと戻った。
黙って聞いていた栗次郎とつんは、目を丸くしていた。
青八はうつむいている。身体が震えている。
「お前の……お前のせいでっ!」
青八は叫んだ。一気にごんに詰め寄り、拳を振り上げた。
青八の拳を目の前に、ごんは身動き一つせず、じっとしている。
「待つのじゃ! 青八やい!」
あわてて栗次郎が、青八の手首をつかんだ。ごんの顔に当たる寸前、拳は止められた。
青八は我に変える。
「すまないでやんす……」
怒りに任せて、キツネを殴ってしまっては、本当に鬼が悪となってしまう。せっかく鬼たちは悪くないことがわかったのに、青八はそれを無にするようなことはしたくなかった。
仲間たちは耐えたのだ。人間にどんなにひどいことをされても、裏切られたとしても。青八は鬼であることを、改めて誇りに思った。
「それにしても、鬼はどこへ行ったんだ?」
つんが聞いた。
「そうじゃのう。桃太郎もどこへ行ったのかのう?」
栗次郎も疑問に思った。
桃太郎に攻め込まれた鬼ヶ島。鬼はやられて、宝を持ち帰られた。鬼ヶ島に宝がなくなっていても、鬼たちはいるはずだった。しかし、誰もいない。
栗次郎は考えたが、答えは出そうになかった。
「とりあえず、戻るしかないかのう」
栗次郎は悩んだ末、鬼ヶ島から出ることを提案した。いつまでも鬼ヶ島にいても、何も変わらないのだ。他の三人は黙ってうなずいた。
海岸に戻ってきた栗次郎、ごん、つんと青八は疲れていた。
鬼ヶ島に行っても、何もできず骨折り損だった。
日は沈んだ。みな明日に備えて眠りについた。
栗次郎は夢を見た。
おじいとおばあとごんと。村の人たちと鬼たちと。そのみんなで暮らしている夢。
年寄りのできないことは、若者がやる。
若者がわからないことは、年寄りに聞く。
人間の力が及ばないところは、鬼が力を貸してくれる。
鬼の姿の醜さは、人間が受け入れてやる。
みなが動物を大切にして、植物を育てて、自然を愛する。
そこで生きる全員が笑顔で、楽しくて、幸せである。
しかし、その生活の中に栗次郎はいなかった。
栗次郎は人間ではない。鬼でもない。犬や猫や猿などの動物でもない。植物でもない。
栗次郎はただ見ているだけだった。自分以外の人、動植物、鬼が共に暮らす世界を。
自分の居場所はどこにもない。足場がなく、宙に浮いているような感覚で、ただ眺める。
どうすることもできない。
目を瞑ることも、耳をふさぐことも、逃げ出すことも、何もできない。
何なのだ、これは。彼は思った。
自分は何者なのだ? このまま世界を見守り続けるのか?
何の力も持たず、生まれたのか? 死んだのか?
この思いはどうなる? いつかは途切れてしまうのか?
そしたらせめて、消えてなくなってしまう前に、一つだけ叶えたいことがある。
それは――――。
目を覚ました栗次郎は、遠く海を見つめていた。
「どうかしたのかにゃ?」
ごんは、静かに海を見つめている栗次郎に聞いた。
栗次郎はごんのほうに向くと、
「もう自分に嘘をつくでない」
猫の姿をしたごんに言った。
ごんはうつむいて、目を瞑る。キツネの姿に戻った。
「猫であることが嘘だ、とは思いたくなかった。キツネの姿でいなかったのは、おじいとおばあを困らせないためだからな。わざわざ嫌われ者の姿でいる必要もないだろ」
「ごんは猫になりたかったのかの?」
「……そうじゃない。猫じゃなくてもよかった。とにかくおじいとおばあに寂しい思いをしてほしくなかったんだ。おれのせいで孫が死んで、あの二人は生きる希望をなくしたようだった。でもおれが猫の姿で会いに行ったら、笑ってくれるんだ。身体をなでてくれて、気持ちがよかった。初めてだったからな。人間に優しくしてもらったのは」
ごんは少し黙ったあと、気づく。
「ああ、結局は自分のためか。おれは誰かに優しくしてほしかったんだな。だからいたずらしてた。って、おかしいな。逆効果だ」
そこまで言うと、また口を閉ざした。栗次郎もそっと視線を海に戻す。
「わしはなぜ動物と話せるのじゃろう?」
栗次郎が突然言った。
「わしは人間とは違う……気がする。ごんとつんみたいな動物でもない。青八のような鬼でもない。じゃったら、わしはいったい何なのじゃ?」
ごんに訊いても、わかるわけない。
そう思いながらも栗次郎は問いかけた。
今度はごんが栗次郎のほうを見る。
「栗次郎は、栗次郎だ。人間でもないし、動物でもない。栗次郎として生まれてきたんだと思う」
ごんは自分で言ったが、意味がわからなかった。勝手に言葉が出たのだ。
「わしは、わし」
栗次郎は心の中で、自分の存在を確認する。今ここに座って、海を眺めているのは、栗次郎である。栗次郎は自分で、他の誰でもない。自分だけのものだ。
二人の沈黙。
やがてどちらも同時に口を開く。
「やっぱりわからんのう」
「やっぱりわからないな」
つんと青八も起きた。四人は顔を合わせた。栗次郎が口を開く。
「村に行こうと思うのじゃが」
その言葉を聞いたつんは顔をしかめた。
村の人間はイノシシを狩る。つんは本能で知っている。逃げることしか出来ないのに、自ら村に行くとは、考えたこともなかった。
青八は下を向いた。
鬼である青八も村には行ったことがない。父や仲間たちに、絶対に行ってはいけない、と注意されていたのだ。
鬼と人間が接触してはいけない。襲われるという誤解が互いに恐怖を生み、不安をもたらせて、そうなってしまった。
ごんの話を聞いた青八には、そのことが理解できた。青八も怖かったのだ。人間と会うことが。
つんと青八の表情を見て、栗次郎は察した。
「やはり、難しいかのう」
みな黙り込む。
栗次郎は決意を固めた。
「ここで……別れるとするかの」
「えっ」
他の三人が、思いもよらない言葉に、栗次郎を見た。
「冗談……だな?」
つんが控えめに聞いた。青八もうなずく。しかし、栗次郎は首を横に振る。
「つんと青八、ごんのことを考えれば、村に行くことはできん。じゃが、村には桃太郎が戻っておるかもしれん。じゃとしたら、わしは会いにいきたいのじゃ。つん、青八、ごんと別れることになっても」
はっきりと言った。これが栗次郎の本心だった。。
「おれは行く」
ごんが言った。三人の視線を集める。
「村への行き方は、おれしか知らないはずだ。栗次郎を案内する。そしておれも、人間の誤解を解けるように、手を尽くすつもりだ」
「ごんやい……」
栗次郎は感激した。ずっと一緒に過ごしてきた仲である。やはり嬉しかった。
「あっしは……」
青八も決断する。
「あっしも行くでやんす! 人間はどんなのかわからないでやんすが、そこであっしのおとうや仲間たちが、いるかもしれないなら、行きたいでやんす!」
目をきらきらさせた青八は「それに」と続ける。
「それに、栗次郎もごんもつんも一緒なら、大丈夫な気がするでやんす!」
張り切って言った。
つんは悩んでいる。しかし、それは一瞬のことだった。
「おらも行く。おらは栗次郎、ごん、青八とずっと一緒にいたいんだ!」
つんは、鼻をひくひくさせた。
四人みんなで行けば、きっと大丈夫。全員がそう思った。
ほんの少しの時間を共にしただけでも、こんなに安心できる。栗次郎は不思議に思っていた。
おじいとおばあの家での生活は楽しかった。でも今は、その時よりももっと楽しい思った。
栗次郎には初めての感覚だった。
自分の名前を呼んでくれる者がいる。それだけで、心が温かくなって、幸福な気分になる。
四人は笑った。そうすることで、不安や恐れを忘れようとした。