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栗次郎は普通の子どもではなかった。
一週間で一つ年を取るように、ぐんぐんと大きくなった。
おじいが栗の山で見つけて三週間も経てば、話すことができるようになった。
「ばあさんや。はらがへったのう」
おじいの話す言葉をまねして、栗次郎はしゃべる。年の割には、立派な物言いだった。
「はいはい。もうすぐできますよ。栗次郎、おじいさんを呼んできておくれ」
「ん」
栗次郎は外へ出る。もう歩くこともできた。
「おじいさん! ごはんができますよう!」
今度はおばあの、ものまねだ。
おじいは家の前の小さな田んぼで、稲刈りをしていた。かがめていた腰をまっすぐにして、栗次郎に振り向く。
「あいよ」
この年も収穫はまずまずだった。決して多いとは言えない量で、さらに栗次郎はたくさん食べるので、少し不安なおじいである。と言っても、
「うまいのう!」
笑顔でごはんを食べる栗次郎を見ていると、おじいの不安など、すっかり消え去るのだった。
それから、一ヶ月ほど経った。すっかり大きくなった栗次郎は、歳で言うと八歳くらいになる。おじいの仕事やおばあの家事を手伝って、素直で器用な子に育った。教えたら何でもできたのだ。
そんな栗次郎の唯一の遊び相手が、猫のごんだった。栗次郎は大きくなるにつれて、ごんと言葉を交わせるようになっていた。
ある日のこと。よく晴れた空の下で、栗次郎とごんはいつものように一緒にいた。
「何してるんだにゃ? 栗次郎やい」
「こうやって木の先っちょを削って、鋭くしているのじゃ」
栗次郎は小さな刃物をうまく使って、小枝を尖らせていた。
「何に使うんだにゃ?」
ごんは削ってできた木のくずを、ちょいちょいといじる。
「こんなもんじゃろ。まあ見ておれ」
そう言って栗次郎は、今度は木の板を持ってきた。こういった木材はおじいが毎日拾ってくる。そして栗次郎の遊び道具として使われる。
栗次郎は板を家の壁に立てかけると、数歩下がって、先の尖った小枝を投げる構えをした。
「ほっ」
と投げる。すると見事立てかけた板に小枝が突き刺さる……はずだったが、投げた小枝は板に跳ね返って、地面に落ちた。
「つまらんにゃあ」
ごんはあくびした。
「あれ? おかしいのう。失敗じゃ……」
栗次郎は小枝を拾い上げると、尖った先を指でつんつんと触ってみた。
「いたっ」
強く触りすぎて、指から血が出た。とっさに指をなめる。
「ふむ。木に木は刺さらんが、指には刺さる」
栗次郎は小枝の先を見ながら、つぶやいた。
ごんはまたあくびをした。
またある日のこと。朝から空は厚い雲に覆われて、今にも雨が降りそうだった。
栗次郎と猫のごんは、そんな雲の動きを眺めていた。
ごんが栗次郎に言った。
「桃太郎を知ってるかにゃ?」
「桃太郎? 知らん」
「桃から生まれた桃太郎。かしこくて、力持ちで、とてもやさしい男の子だにゃ」
「ほうほう」
栗次郎は興味津々でごんの話を聴いた。
「それで桃太郎は、人を困らせる悪い鬼を退治したんだにゃ」
「ほほー、あっぱれじゃ!」
栗次郎は興奮して、大喜び。ごんが話し終わると、立ち上がって拍手をした。拍手を浴びるごんは、満足げに座りながらしっぽを振っている。
すると、栗次郎はこんなことを言い出した。
「会ってみたいのう! その桃太郎に!」
「んにゃ?」
ごんはぽかんと口を開けて、栗次郎を見た。
実は、ごんが話した桃太郎は、作り話なのだ。しかし栗次郎はその話を信じて、桃太郎という男の子が本当にいると思っている。そして、
「会いたいのう」
と空を見上げて、つぶやくのだ。するとごんは何かを思いついたように、目を見開いた。
「会えるかもしれにゃいにゃ」
「ほ?」
ごんと栗次郎の目が合った。
「桃太郎がいる場所を知ってるにゃ」
「ほ、本当かの!? ごんやい! どこじゃ!? どこで会えるのじゃ!?」
栗次郎はごんを勢いよく持ち上げて、宙でぶんぶんと横に振る。
「にゃー! にゃー! 離すにゃー!! 目、目があ……おえ」
「あ、すまん」
ぐるぐる回ったごんの目が、元に戻るまでの数秒で、栗次郎の興奮は落ち着いた。
「死ぬかと思ったにゃ」
「すまんかった」
お座りするごんに、土下座する栗次郎。二人は座ったまま話を続ける。先に訊いたのは栗次郎だった。
「桃太郎とはどこで会えるのじゃ?」
「……鬼ヶ島だにゃ」
栗次郎が両手を地面について、身を寄せる。
「鬼ヶ島とな!? さっきの話の、鬼が住む島のことかの?」
「そ、そうだにゃ」
ごんはこくりとうなずく。しかし栗次郎は首をかしげる。
「なぜじゃ? なぜ人間の桃太郎が鬼ヶ島にいるのじゃ?」
「う。そ、それはにゃあ……知らにゃい」
ごんは嘘がばれるのではないかと心配した。心では嫌な汗をかいている。
「そうか。なら直接訊いてみたいのう!」
「そ、そうだにゃあ! それがいいにゃ!」
ばれなかった。栗次郎は素直に信じて、疑わなかった。
「よし! さっそく出発の準備じゃ! 明日の朝には出るとしよう」
栗次郎はまだ見ぬ世界に、心を躍らせた。
その夜、少しだけ雨が降った。
次の日の朝。栗次郎の旅の準備は整った。あとはまさに出発するだけとなったとき、栗次郎の肩に手を置いたのはおじいだった。
「本当に行くのかのう」
「ん。わしは行くぞ、おじいさん」
おじいは複雑な気持ちだった。栗次郎が旅へ出たいのはわかった。しかし、どこへ行くのかを教えてもらっていなかった。それだけが気がかりだった。
栗次郎はごんに口止めされていたのだ。おじいとおばあに、鬼ヶ島へ行くと言ったら、心配して行かせてもらえなくなるから、行く先は黙っておくのにゃ、と。
栗次郎はごんに言われた通り、目的地を告げなかった。どうしても桃太郎に会いたかったのだ。
「では、行ってくるからの」
栗次郎はりりしかった。おじいはもう何も言えず、ただ「ん」と小さく言った。
「栗次郎や! これを持ってお行き」
おばあは、前日おじいが取ってきた栗を手渡した。
季節は冬になろうとしている。栗が取れるのも最後かもしれないと、おばあは思うのであった。
「ん」
栗次郎はもらった栗を、自分で作った木の皮の袋に入れて、旅の荷物と一緒にした。
おじいとおばあを交互に見る。
何かを言いたいが、言葉に詰まる栗次郎。口をぱくぱくさせていると、足もとにごんが寄ってきた。
栗次郎がごんの目を見ると、
「こういう時は、『ありがとう』と『行ってきます』だにゃあ」
おじいとおばあには通じないごんの言葉は、栗次郎の心を暖かくした。
「ん。おじいさん、ばあさんや。ありがとう。行ってきます!」
栗次郎は笑顔で言った。それでおじいとおばあの心配も吹き飛んだ。
「ん」
「いってらっしゃい。身体に気をつけて」
おじいもおばあも笑顔だった。
栗次郎はごんをひょいと持ち上げると、山を下る道を歩き始めた。
「にゃ?」
「どうしたんじゃ? ごんやい」
ごんは頭が混乱していた。相変わらず栗次郎は笑顔だが。
「にゃあも行くのかにゃ?」
「当然じゃ。わしは鬼ヶ島までの道を知らんからな」
「にゃんと!」
二人は顔を見合わせた。黙ってじっと見つめあうこと五秒ほど。
「ごんが知っておるのじゃろ? 鬼ヶ島の場所を」
さらに三秒の間。
「も、もちろんだにゃ! にゃあが案内するにゃ!」
ごんは引くに引けなくなった。何とかするしかなくなった。
この二人で踏み出した一歩が、旅の始まりであった。




