あの桜
エピローグ
ようやく、私に希望が見えた。誰かが臓器を提供してくれたんだ。私の家族は歓喜の笑みを浮かべた。歓声も殆んど悲鳴に近かった。この時だけは大きなガッツポーズをした。看護師が作った、内気な文学少女というイメージも崩れてくれたみたい。
ドナーについてこちらから知ることは難しいみたいだけれども、噂好きの看護師により耳に入った。
これでいいのかなぁ、この病院は?
日本の医療に疑問を感じる今日この頃である。
聞くところによると、提供者は感染症の患者で、亡くなる直前にドナー登録の意向を示してくれたらしい。
感染のルートは、恋人からだそうだけど、不思議なことにその恋人も提供者と同日にドナー登録の意向を示してから亡くなったという。もっとも、恋人の方は正規の手続きを踏んだらしい。二人とも結構桜に愛着があるらしく、桜の木が二人を繋ぎ逢わせたらしい。
合格とか潔い最期の象徴である桜は、毎年マスメディアを通じて多くの人を巻き込み、散っていく…。
桜の花びらが一枚、私の頬を撫でた。何処から舞ってきたのだろうかと、開け放しの窓から顔を覗かせると、雲一つない青空の下、この大学病院と同名の校舎からも歓声が聞こえる。ここから近いのでくっきりと桜が見えた。桜が盛大に散ってゆくのを背景に、校舎に掲示されている合格発表を、真剣な眼差しで見詰める男子学生がいた。
少し硬直した後、学生は胴上げをされていた。
頬を赤らめホッと胸を撫で下ろす自分に気付いた。
う〜ん。どうやら一目惚れしたらしい…。
後日、この男性を誘って花見に行った。不思議なことに、初めて訪れたはずの場所なのに、一度行った経験があるかのように感じた。既視感とか[でじゃびゅ]と云うやつである。記憶をたどってみると、手術中に見た夢にそっくりだと、思い出した。年上の青年とお姉さんと一緒に、この場所でお話しした覚えがある。
困ったことに彼は、十数年間片時もインスリン注射を肌身離さず携帯してきた、未成年の私にお酒を勧めたのである。全く、デリカシーのない人だなぁと思った。彼女の方は、淑やかで全くもって性格が逆であったが、彼と似た何かを感じた。
話をしていて、心が洗われるように感じた。もっとも、話の内容は、あまりたいした事ではなかったと思うが…。
そんなことを思い出しているうちに、あの桜の下にたどり着いた。青いベンチに腰をかけて、あの桜を見上げると、あまりの迫力と繊細さに圧倒された。
「この桜だ。」私は驚いた。ベンチはなかったものの、確かに覚えがある。今更ながら、実はあれは夢ではなかったとたまに感じるときがある。それを肯定する資料が、また1つ増えた。
地面を見下ろすと、一冊の本とドナー・カードがあった。誰かが落としたのだろうか?
私は本の保存状態の良さに驚く。何故なら、これは本ではなく日記であるからだ。つまり、日付が書き込んであり、落とした日付が容易に推測できるからである。
これは文庫本のようなサイズで、日記をストーリー風に完成させれば自分史、つまり本として楽しめるだろう。
興味深い物を頂いた。私は、それを持ち帰る事にした。
しかし驚くべきは、晩年を病院で寝たきりで過ごしたと書いてある事である。それでは何故、この物語がここに存在するのか、という疑問が生ずる。
今更ながら、それ以前に何故、落とした事が記されているのだろうか?
翌日も日記が続いているのだろうか?
命日に召されたの事までも記されているのだろうか?
「まさか、この桜が…?」
多少の疑問は残るが、私はこの物語を完成させることを決心した。
青空と桜という二つの風光明媚を背景に、晴れて大学生となった彼が、嬉しそうに軽快な足取りで、こちらに向かって歩いてくる。
今日も桜は綺麗に咲いている。
今回の物語は、楽しんで頂けましたか?
ご評価、ご感想を頂けると嬉しいです。
最後に、感染症について1日も早く良識が普及しますように願っております。