Mission.1「予告状 満月の夜に」
満月の夜。
頬を叩かれ、赤く腫らした黒髪の少年――イフリートは、重い鉄で出来た窓をゆっくりと開けた。
この部屋はホテルのように、ふかふかのベッドで、高価そうなカーテン、磨き上げられた家具がある。
だが、扉には外側から鍵がかけられていた。
内側からは、決して開けることが出来ない。
ここは、イフリートの部屋であり――檻だった。
それでも彼は、毎晩この時間になると窓を開ける。
唯一、自由を感じられる時間だからだ。
窓の縁に肘をつき、夜空を見上げる。
丸い月が、静かに輝いていた。
「……今日も綺麗だね」
ぽつりと呟く。
月だけは、いつも変わらずそこにいる。
その時、隣の窓が勢いよく開き、黒い影が部屋の中へと飛び込んでくる。
イフリートは目を見開いた。
そこに立っていたのは、見たことのない男だった。
黒い燕尾服に、右耳には蝶のピアス。
顔には黒い蝶のマスカレード仮面をしている。
その男は、肩から血が流れていた。
男はイフリートを見ると、少しだけ驚いたように笑った。
「おや」
優しい声だった。
「見張りかと思ったけど……違うみたいだね」
イフリートは小さく首を振る。
「違います。叫んでも、誰も来ませんから」
男は一瞬だけ黙り、ふっと肩をすくめる。
「なるほど」
その時、イフリートの視線が男の腕に向いた。
ここも、血が滴っている。
「……怪我」
男はちらりと傷を見たが、
「かすっただけさ」
血は止まっていなかった。
イフリートは棚から救急箱を開け、包帯を取り出すと、そっと差し出した。
「これ……使って」
男は少しだけ目を細める。
「優しいね、君」
包帯を受け取り、傷口をあっという間に隠すと、部屋を見回した。
部屋の扉には、こちらから開ける鍵がない。
男はすぐに理解した。
「……閉じ込められてるのか」
イフリートは何も答えなかった。
ただもう一度、月を見上げる。
その横顔を見て、男は小さく笑ったのだ。
「不思議な子だ」
その時、外から声が聞こえた。
「こっちだ!怪盗が逃げたぞ!」
「屋敷の中を探せ!」
男はため息をつく。
「……困ったな」
窓の外をちらりと見てから、イフリートへ視線を戻した。
「どうやら迎えが来たみたいだ」
イフリートは思わず聞いた。
「あなた……誰?」
男はくすっと笑う。
月明かりが蝶の仮面を照らしていた。
「知らないのかい?」
少しキザに肩をすくめると、
「世間を騒がせている怪盗だよ」
と、指を軽く鳴らした。
次の瞬間、何もなかったはずの手の中に、一輪の赤い薔薇が現れた。
まるで魔法のようだった。
男はそれを、イフリートへ差し出す。
「君にあげるよ。お礼さ」
イフリートは驚きながらも、薔薇を受け取った。
男は窓枠に足をかけると、イフリートへ振り返る。
「……また会いましょう」
黒い蝶の仮面の奥で、優しく微笑んだ。
「怪盗エスポワールは、約束を忘れない主義なんだ」
すると、黒い影は夜の中へと消えていってしまった。
部屋には、再び静けさが戻り、イフリートはしばらく窓を見つめていた。
そして、手の中の薔薇を見る。
真っ赤な薔薇。
こんなものを貰ったのは、初めてだった。
そっと胸に抱く。
「……怪盗、エスポワール」
胸が少しだけ苦しい。
でも、嫌じゃなかった。
満月が、静かに二人を照らしていた。




