最終話『永遠の共犯者(ハッピーエンド)』
時は流れ、あれから五年。
かつての『エンパイア・プロモーション』は今や港区の一等地に聳え立つ超高層ビル『エンパイア・タワー』へと姿を変えていた。
その最上階付近にあるスカイ・スタジオで、私は海外の有名ドキュメンタリー番組の取材を受けていた。
カメラのレンズが私の一挙手一投足を逃さず捉えている。今の私は、かつての「地下アイドル」でも「パパ活疑惑の少女」でもない。ワールドツアーを成功させ、タイムズ誌の表紙を飾り、グラミー賞にもノミネートされた世界的なダークヒロイン『Ai』だ。
漆黒のオートクチュールドレスに身を包み、私は優雅に脚を組んで座っていた。
表情は神秘的でどこか近寄りがたい孤高の空気を纏っている(という設定だ)。
「――素晴らしい活躍ですね、Ai。貴女の音楽とファッションは、世界中の若者に影響を与えています」
インタビュアーが感嘆の声を漏らす。
「貴女のその⋯⋯底知れぬ表現力の源は何なのですか? その小さな体で、どうしてそこまで強くあれるのですか?」
私はゆっくりと瞬きをし、計算された角度で微笑んだ。
「強さ、ですか。⋯⋯いいえ、私は弱いです」
儚げに視線を落とす。
「私は空っぽな人形に過ぎません。⋯⋯ただ、そんな私に『魂』を吹き込んでくれる存在がいるだけ」
「それは⋯⋯西園寺社長のことですね?」
「ええ」
私はカメラを真っ直ぐに見つめた。
その瞳には、演技を超えた熱が宿っていたはずだ。
「成功の秘訣があるとすれば、たった一つ。⋯⋯ある人への、絶対的な『愛』です」
カメラマンが息を呑む。私のこの言葉は、明日には世界中のネットニュースで拡散され「AiとReikoの絆は永遠だ」と称賛されることだろう。
⋯⋯まあ、その「愛」の中身が、一般人が想像するような美しいものではなく、ドロドロに煮詰まった執着と依存の塊だということは、墓場まで持っていく秘密だけれど。
◇
「カット! オッケーです! ありがとうございました!」
ディレクターの声で収録が終わった。私はスタッフたちに優雅に会釈をし、SPに囲まれてスタジオを出た。
専用エレベーターに乗り込み行き先のボタンは最上階『社長室』へ。カードキーをかざし、虹彩認証をパスしなければ入れない、このタワーの心臓部だ。
上昇するエレベーターの中で私は深呼吸をした。重厚なメイクの下で、頬が緩みそうになるのを必死で抑える。
チン。
扉が開く。長い廊下をヒールを鳴らして歩く。
突き当たりのマホガニー製の巨大なドア。
そのノブに手をかけ、押し開けた瞬間――。
「ただいま戻りましたぁぁっ!! レイコ様ぁぁぁ!!」
私はドレスの裾も気にせず全力疾走で部屋に飛び込んだ。
「孤高の歌姫」の仮面? そんなものは廊下のゴミ箱に捨ててきた。
「酸素! 酸素不足で死ぬかと思いました! 早くレイコ様成分を補給させてください!」
広い社長室の奥、東京の絶景を背にした巨大なデスク。
そこに座っていた西園寺レイコ様は、書類から顔を上げ、呆れたように眉をひそめた。
「⋯⋯騒がしいわね。外では女神のような顔をしているくせに、ドア一枚隔てればこれか。中身はあの頃の駄犬のままね」
五年という月日は彼女を老いさせるどころか、さらに美しく研ぎ澄ませていた。
洗練されたオーラに鋭さを増した眼光、そして⋯⋯変わらないチュベローズの香り。
「わんっ! ご褒美のナデナデを要求します!」
私はデスクの前に駆け寄り、行儀悪く身を乗り出した。
レイコ様は「フン」と鼻で笑いながらも、持っていた万年筆を置き、私の頭に手を伸ばした。
ワシャワシャワシャッ!
「よくやったわ。⋯⋯取材、観ていたわよ『絶対的な愛』ですって? 歯の浮くような台詞をよくもまあ言えるものね」
「へへっ、本音ですよ本音!」
私は目を細めて、その感触を堪能した。
この手だ。私を泥の中から拾い上げ、洗い、磨き、ここまで連れてきてくれた魔法の手。
世界的スターになろうが、ビルが何階建てになろうが、私の居場所はこの手のひらの下だけだ。
◇
「さて、今日はパーティーだったわね」
レイコ様は椅子から立ち上がり、私をソファへと誘った。
今夜は政財界のVIPが集まるレセプションパーティーがある。私もレイコ様の「装飾品」として同伴する予定だ。
「髪を直してあげる。座りなさい」
「は、はい! ありがとうございます!」
私はソファに座り、背中を向けた。
専属のヘアメイクがいるのに重要な場面では必ずレイコ様自身が私の仕上げを行う。これも彼女の独占欲の表れだ。
彼女の指が私の髪を掬い上げアップにしていく。
うなじが露わになりそこに刻まれた、黒いバーコードのタトゥー。
『REIKO'S PROPERTY』の文字。
レイコ様の指先が、そのインクの上をゆっくりとなぞった。
「⋯⋯少し、色が薄くなってきたわね」
耳元で囁かれる声に、背筋がゾクリと跳ねる。
「五年も経てば肌に馴染んでくるものか。⋯⋯入れ直しが必要かしら?」
「はい♡」
私は即答した。
「いつでもどうぞ。針の痛みと共にインクを新しくしてください。⋯⋯これがある限り、私は貴女のモノだと細胞レベルで実感できますから」
世間では「Aiの首筋には秘密の痣がある」「いや、あれは昔のイジメられた傷跡だ」などと都市伝説になっている。
その正体が「所有者コード」であることを知っているのは、世界でこの二人だけ(極々一部を除く!)
この秘密の共有こそが最高の背徳であり、私たちの絆の証だ。
「⋯⋯物好きな犬ね」
レイコ様はくすりと笑い、仕上げに私のうなじにキスを落とした。
チュッ。
熱い。五年経ってもこの瞬間のときめきは色褪せるどころか、年々致死量が増している気がする。
◇
準備が整い、レイコ様はワインセラーから年代物のヴィンテージを開けた。窓の外には宝石箱をひっくり返したような東京の夜景が広がっている。
かつて雨に濡れながら見上げた遠くて冷たかった光の海。今、私たちはその全てを見下ろす場所にいる。
レイコ様はグラスを傾け、夜景を見つめながらふと漏らした。
「⋯⋯すこし退屈ね」
その横顔には頂点に立った者特有の虚無感が漂っていた。
「東条サキは消え、競合他社はひれ伏し、マスコミも私の顔色を窺うばかり。⋯⋯まったく、敵がいなくなってしまったわ」
覇道を突き進んできた女帝にとって、平和すぎる王国は退屈な鳥かごなのかもしれない。
「ふふ、そうですね。誰も私たちに追いつけない」
私はグラス(中身はジンジャーエールだ)を揺らしながら同意した。ピュア・パレットのメンバーだったリカやミナは、今は地方で細々と活動していると聞く。神崎ハヤトは舞台俳優として出直しているらしいが、かつての勢いはない。
私たちは、勝ちすぎたのだ。
レイコ様はグラスを置き、私の顎を指で持ち上げた。その瞳に再びギラギラとした野心の炎が灯る。
「それでも⋯⋯貴女という『作品』作りには終わりがない」
彼女の視線が、私を貫く。
「世界は獲った。まだ足りない。⋯⋯人間の感情、欲望、絶望、歓喜。もっと深いところまで貴女を使って表現したい」
彼女は貪欲だ。そしてその貪欲さこそが私の生きる糧だ。
「死ぬまで私を楽しませなさい。⋯⋯飽きさせたら、即座に廃棄処分よ」
いつかもあった契約の言葉。でも今は「一生手放さない」という愛の言葉にしか聞こえない。
「仰せのままに」
私は彼女の足元に跪いた。世界一高い場所で世界一低い姿勢をとる。
これぞ私の至福。
「地獄の果てまで、いいえ、天国の先まで⋯⋯貴女の靴を舐めてついていきます。私の魂は、貴女のインクで染まっているのですから」
レイコ様は満足げに笑い、私を抱き起こすとその唇に自分の唇を重ねた。
長い、深い、口づけ。
ワインの香りと、ジンジャーエールの甘さが混ざり合う。
(⋯⋯前世の私へ)
キスをされながら私は心の奥底で、かつての自分に語りかけた。
(聞こえるか? 冴えなくて、夢見がちで、画面の向こうのアイドルに憧れるだけだった私へ。⋯⋯今の私は世界一幸せだ!)
推しに拾われ。
推しに自分だけの価値を与えられ。推しのために命を燃やして生きる。
これ以上のハッピーエンドが、この世のどこにあると言うんだ?
レイコ様が唇を離す――目の前には世界で一番美しく、残酷で、愛おしい私の神様がいる。
「行くわよ、アイ。⋯⋯世界が、私たちを待っている」
彼女が手を差し出す。私はその手を取り、立ち上がった。
「はい、レイコ様!」
私たちは手を繋ぎ、夜景を背にして歩き出した。
魔王とそのペット、私たちの歪んだ愛の物語はこれからも永遠に続いていく。
世界が滅びるその日まで、この手は決して離さない。




