第34話『亡霊の末路(ザマァ・イズ・オーバー)』
現代社会において、人の人生が終わる瞬間というのは、心電図の波形がフラットになる時ではない。
検索エンジンのサジェストに「犯罪」「引退」「炎上」という単語が並び、SNSのトレンド欄で全世界から石を投げられた時こそが、社会的な死の瞬間だ。
私は社長室の奥の倉庫で、キャラメルポップコーンを頬張りながら、その「処刑」の様子を高みの見物と洒落込んでいた。
「おーおー、燃えてる燃えてる。キャンプファイヤーかな?」
タブレットの画面には、ニュースサイトのトップ記事が表示されている。
『芸能事務所ギャラクシー、組織的な枕営業強要と脱税の疑い 東条サキ社長を任意聴取へ』
ネットの特定班(名探偵)たちの仕事は迅速かつ冷酷だった。私が会見で流した涙を燃料に彼らは連日連夜、東条サキの過去を掘り返した。
そうしたら出るわ出るわ、埃の山が。過去に所属していたタレントへのパワハラ音声、裏帳簿のリーク画像、そして有力者への「肉弾接待」の斡旋リスト。
それらが元スタッフや被害者たちの告発によって次々と白日の下に晒されたのだ。
週刊誌も今までサキに媚びていたのが嘘のように掌を返した。
『ギャラクシー・急成長の裏側』『天宮アイを罠に嵌めた黒幕の正体』という見出しが踊り、彼女を徹底的に叩き始めている。
「アリスちゃんも可哀想に。事務所の悪事が露見して引退発表かぁ」
サキの秘蔵っ子だった『アリス・イン・マッドネス』の公式サイトは、現在『メンテナンス中』の文字が表示されているだけだ。
実質的な解散と引退、まああの程度のペラペラなコンセプトでは遅かれ早かれ消えていただろうが、巻き添えを食った形だ。同情はしない。彼女もまた私を嘲笑っていた側なのだから。
「さてと。そろそろメインイベントの時間かな」
私は最後の一粒のポップコーンを口に放り込み立ち上がった。今日はレイコ様からお出かけのお誘いを受けている。
行き先は崩壊の最中にある『ギャラクシー』のオフィス、名目は「被害者として謝罪を受け入れに行く」というものだが、実態は「敗者の末路を特等席で眺めに行く」という、レイコ様なりの悪趣味な凱旋パレードだ。
私は鏡の前で表情筋をほぐし、いつもの「怯える小動物」の仮面を装着した。
内側では、ドス黒い歓喜がマグマのように煮えたぎっているけれど。
◇
『ギャラクシー』のビル前は地獄絵図と化していた。詰めかけたマスコミ、抗議デモを行う元ファンたち、そして給料の未払いを訴える元スタッフたちが入り乱れ、怒号が飛び交っている。
ビルの壁には「金返せ」「恥知らず」といったスプレーの落書きが殴り書きされていた。
その混沌を切り裂くように、漆黒のリムジンが滑り込む。
エンパイアの紋章が入ったその車体を見るや群衆がざわめき、道を開ける。
ドアが開き降り立ったのは、喪服のような黒いスーツに身を包んだ西園寺レイコ様。
そして、その背中に隠れるようにして震える私。
「⋯⋯酷い有様ね」
レイコ様はサングラス越しに荒れ果てたビルを見上げ、冷ややかに呟いた。
「掃除も行き届いていないとは。⋯⋯終わったわね」
私たちはSP(エンパイアが雇った屈強な男たちだ)に守られながら、ビルの中へと足を踏み入れた。
オフィス内はもぬけの殻だった。電話線は引き抜かれ書類が床に散乱している。
かつて飛ぶ鳥を落とす勢いだった新興事務所の見る影もない。まるで嵐が過ぎ去った後の廃墟だ。
私たちは一番奥にある社長室へと向かった。
ドアは半開きになっていて中からガラスが割れる音と、女のヒステリックな叫び声が聞こえてくる。
「どうしてよ! どいつもこいつも⋯⋯!」
レイコ様は、ノックもせずにドアを蹴り開けた。
バンッ!!
部屋の中央、そこにいたのはかつての「美魔女」東条サキの成れの果てだった。
自慢の巻き髪はボサボサに乱れ、高級スーツには酒のシミがついている。
デスクの上には空になったブランデーのボトルと散乱した週刊誌。
彼女のメイクは涙と汗でドロドロに溶け、まるでホラー映画の怪物のようだ。
「⋯⋯誰よ」
サキが充血した目でこちらを睨む。レイコ様の姿を認めるとその顔が憎悪で歪んだ。
「レイコ⋯⋯! あんた、私を笑いに来たのね!?」
「ええ、笑いに来てあげたわ」
レイコ様は優雅に歩みを進め、汚れたカーペットを踏みしめた。
その態度は敗者を慰める慈悲など微塵もなく、ただただ圧倒的な勝者の余裕に満ちていた。
「元相棒として、最後の顔くらい見てやろうと思ってね。⋯⋯随分と落ちぶれたものね、サキ」
「うるさいッ!!」
サキは手近にあった灰皿を投げつけた。それはレイコ様の遥か手前で床に落ち、虚しい音を立てて転がった。
「私が⋯⋯私が負けるはずがない! あんたより上手くやっていたはずよ! 枕営業だって、裏金だって、この業界なら誰もがやっていることじゃない! なんで私だけがこんな目に遭わなきゃいけないのよ!」
彼女は髪をかきむしり、狂乱したように叫んだ。
「あんたみたいな、人形遊びしかできない女に⋯⋯! あんな精神異常のガキを囲ってるだけの変態に、なんで私が負けるのよぉッ!!」
サキの指がビシッと私に向けられる。私は「ひっ」と短く悲鳴を上げレイコ様の後ろに縮こまった。
「⋯⋯そこが、貴女の限界よ」
レイコ様は、ため息をつくように首を振ると冷徹に告げた。
「貴女は、タレントをただの『金を生む道具』としてしか見ていなかった。消費し、使い捨て、壊れたら捨てる。⋯⋯だから、いざという時に誰も守ろうとしなかったのよ」
「はぁ!? あんただって同じでしょうが! そのガキを『所有物』だなんて呼んで!」
「一緒にするな」
レイコ様の声圧が、ビリビリと空気を震わせた。
「私は、彼女を『作品』として愛している」
――ッ!!
私はレイコ様の背中越しにその言葉を聞いた。
心臓が早鐘を打つ、作品として愛している――それは彼女なりの最大限の愛情表現。
「磨き上げ、価値を高め、その魂の形すらもプロデュースする。⋯⋯そこには覚悟がある。貴女のような、安っぽい金儲けとは次元が違うのよ」
レイコ様は一歩踏み出し、サキを見下ろした。
「貴様の作った『アリス』とやらが、なぜアイに勝てなかったか分かるかしら? ⋯⋯そこに『狂気』がなかったからよ」
サキは言葉を失い、パクパクと口を開閉させた。
反論できない。結果がすべてを物語っているからだ。
その時――サキの視線がレイコ様の背後にいる私と合った。
私は怯えたフリをしてレイコ様のジャケットを握りしめていたがサキの目には、私が「怯えていない」ことが分かったのだろう。女の勘か、あるいは極限状態の直感か。
「⋯⋯あんた!」
サキがよろめきながら立ち上がり、私を指差した。
「この嘘つきアマが⋯⋯! 全部あんたの狂言でしょう!? あの会見も、涙も、全部嘘っぱち! あんたが私を嵌めたのね!?」
図星だ。
大正解。
でも、もう遅い。
私はレイコ様の影から顔を出し、大げさに身を震わせた。
「いやぁっ⋯⋯! こ、怖い⋯⋯! 社長、助けて⋯⋯あの人、怖い目をしてる⋯⋯!」
「アイ、下がりなさい。汚いものを見る必要はないわ」
レイコ様が私を庇うように前に出る。サキからは私の顔しか見えずレイコ様から私の表情は見えない。
絶好のポジション――私はサキにだけ見える角度で、ゆっくりと顔を上げ⋯⋯涙目の演技を維持したまま口元だけを三日月のように歪めた。
ニヤリ。
嘲笑。蔑み。そして完全なる勝利宣言。
サキが目を見開く。
「なっ⋯⋯!?」
私は声を出さずに唇の動きだけで彼女に伝えた。
『バ ー カ』
『お 前 の 負 け だ』
その瞬間、サキの中の何かが完全にプッツンと切れた。
「あああああああああっ!! 殺してやる! そのふざけた面を剥いでやるぅぅぅっ!!」
サキは獣のような咆哮を上げ、デスクにあったペーパーナイフを掴んで突進してきた。
完全に錯乱している。
「キャアアアアアッ!!」
私は悲鳴を上げてしゃがみ込む。もちろん、計算済みだ。
ガシッ!!
サキが私たちに届く前に、背後から飛び込んできた警備員たちが彼女を取り押さえた。
手首を捻り上げられ、サキは床に組み伏せられる。
「離せ! 離しなさいよ! あの女は悪魔よ! 騙されてるのよみんな!!」
サキは床に顔を押し付けられながら、口から泡を飛ばして絶叫した。その姿はもはや「悪事が露見して錯乱した犯罪者」にしか見えない。彼女が何を叫ぼうと、それは負け犬の戯言として処理されるだけだ。
レイコ様は足元で喚くかつての相棒を氷点下の瞳で見下ろした。
「⋯⋯見苦しいわよ、サキ。最期くらい、潔く散りなさい」
そして警備員に顎で合図を送る。
「警察に引き渡しなさい。⋯⋯産業廃棄物の処理は、行政の仕事だからね」
「いやぁぁぁぁ! レイコぉぉぉぉ! 覚えてなさいよぉぉぉ!」
サキの断末魔のような叫び声が遠ざかっていく。警備員に引きずられていく彼女の姿は、あまりにも惨めで滑稽だったが、私は心の中で拍手を送った。
(お疲れ様でした。最高のヒール役でしたよ東条社長。貴女のおかげで私たちの絆はより強固なものになりました! ありがとう!)
◇
数十分後、私たちは再びリムジンの後部座席に座っていた。
窓の外ではパトカーの赤色灯が『ギャラクシー』のビルを照らし出し、そのライトを浴びながら東条サキが連行されていくのが見えた。
カメラのフラッシュが一斉に焚かれ、彼女の社会的な死を記録していく。
レイコ様はサイドテーブルのシャンパンを開け、グラスに注いだ。
「⋯⋯終わったわね」
彼女はグラスを揺らしながら独り言のように呟いた。
「これで、目障りな邪魔者はいなくなったわ」
「はい」
私もグラスを受け取り(中身はノンアルコールのスパークリングだ)深く頷いた。
「レイコ様に取り付く亡霊は退治されました。これで心置きなく⋯⋯世界を獲りにいけますね」
私たちの行く手を阻むものは、もう何もいない。古巣のピュア・パレットは自滅し、厄介オタクのハヤトは追放され、宿敵のサキは逮捕された。更地になった芸能界という荒野に、私たちはこれから巨大な城を築くのだ。
レイコ様はグラスを掲げた。
「祝杯よ。⋯⋯これからの『エンパイア』の覇道に」
「そして、貴女様の最高傑作『Ai』の栄光に」
チン、と澄んだ音を立ててグラスを合わせる。
「運転手、出しなさい」
レイコ様が命じる。
「どちらへ向かわれますか?」
「東京ドームよ」
レイコ様は不敵に笑った。
「誰もが一度は夢見る、あの巨大な箱⋯⋯。あそこを、次の『散歩コース』にしてやるわ」
東京ドーム――収容人数五万五千人、国内アーティストの到達点であり夢の舞台。
そこを「散歩コース」と言い放つ、この傲慢さ。
(あぁ⋯⋯痺れる)
私は震える手でグラスを口に運んだ。この人と一緒ならどこまでも行ける。
地獄の底から始まった私の物語は、ついに頂点へと手をかけようとしている。
リムジンが静かに走り出す。背後のパトカーのサイレンは私たちの新しい時代の幕開けを告げるファンファーレのように聞こえた。
ザマァ・イズ・オーバー復讐劇は終わった。
ここからはラストスパートだ。




