第32話『涙の記者会見(嘘つきな堕天使)』
フラッシュの閃光が視界を白く焼き尽くす。
シャッター音の奔流が鼓膜を物理的に叩き潰すような轟音となって降り注ぐ。
都内某所のホテルに設けられた会見場は数百人の報道陣ですし詰め状態になっていた。彼らの目は血走り、獲物を食い殺そうとするハイエナのように飢えている。
今日、ここで狩られる獲物は世紀の悪女・西園寺レイコ、或いはその犠牲者である私、天宮アイだ。
「西園寺社長! あの動画は事実なんですか!?」
「人間をペット扱いして楽しんでいたというのは本当ですか!」
「天宮さんにまともな部屋も与えていないとも言われていますが!」
「天宮さん! 脅されているんですよね!? カメラに向かって真実を言ってください!」
「謝罪の言葉はないんですか!」
怒号に罵声、正義という名の暴力が壇上の私たちに向けられる。
私は喪服を思わせるシンプルな黒のワンピースに身を包み、化粧っ気のない顔でうつむいていた。隣には、いつもと変わらぬ黒のスーツ姿で背筋を伸ばして座るレイコ様。
彼女は一言も発さず、冷徹な仮面を貼り付けているがテーブルの下で組まれた指先が微かに強張っているのを、私は知っている。
(⋯⋯大丈夫。レイコ様は私が守る)
私は小さく深呼吸をした。肺の奥まで酸素を取り込み、脳内のスイッチを切り替える。
これから演じるのはアイドル人生――いや、私の全人生を賭けた一世一代の大芝居だ。
失敗すればレイコ様は社会的に抹殺され、私はただの哀れな被害者として消費されて終わる。
でも成功すれば⋯⋯世界は反転する。
私は震える手でマイクを握り、ゆっくりと顔を上げた。
計算し尽くされた角度。照明を受けて涙が最も美しく光る角度だ。
「⋯⋯動画は、事実です」
私の第一声に、会場が一瞬静まり返り、直後に爆発的なフラッシュが焚かれた。
「やっぱり!」
「認めたぞ!」
記者たちが色めき立つ――私はその喧騒を手で制するように、か細く、しかしよく通る声で続けた。
「ですが⋯⋯真実は違います」
◇
私は虚空を見つめ独白を始めた。
事前に用意した台本はない。今この瞬間に紡ぎ出す完璧な「悲劇のヒロイン」の過去(設定)だ。
「私の過去について⋯⋯少し、お話しさせてください」
私は言葉を詰まらせながらゆっくりと語り出した。
「私は⋯⋯児童養護施設で育ちました。両親の顔も知りません」
ピリッとした会場の空気が変わる。最初に「天涯孤独」という触れがたいカードを切ることで、同情の土台を作る。
「⋯⋯コネもお金もなく、地下アイドルから必死に這い上がってきました。夢だけを信じて⋯⋯。でも、大人の世界は汚かった」
私はギュッとスカートの裾を握りしめた。
「以前、週刊誌に掲載された『パパ活疑惑』の写真⋯⋯覚えていますか?」
記者たちが頷く。あの私が自演でリークした写真だ。
「あれは⋯⋯私個人の意思ではありませんでした。前の事務所の関係者に『偉い人との食事会があるから』と連れて行かれたんです。断ればテレビの出演やライブを取り消すと言われて⋯⋯」
「それは⋯⋯接待強要ということですか?」
記者が息を呑んで問う。私は肯定も否定もせず、涙を流した。
「指定されたホテルに行き、出された食事を頂きました。⋯⋯でも乾杯のお酒を飲んだ後から記憶がないんです」
ざわりと会場が揺れる。――睡眠薬、強制性交――具体的な言葉は避ける。想像させる方がより効果的だからだ。
「⋯⋯目が覚めたとき、私はホテルのベッドにいて⋯⋯隣には知らない男性が寝ていて⋯⋯。私の身体には、あの写真のような痕が残っていました」
私は両手で顔を覆い嗚咽を漏らした。肩を激しく震わせる、これは演技ではない。
「自分の作った嘘設定があまりにも悲劇的すぎて震えている」のだ。
「怖くて、汚くて、どうすればいいか分からなかった⋯⋯。私は事務所に相談しようとしました。でもスマホに電話がかかってきたんです。『余計なことを喋ったら、もっと酷い目に遭わせる』『お前の居場所なんてなくしてやる』って⋯⋯」
私は顔を上げ、充血した目でカメラを見据えた。
「気づいたら私はスキャンダルを理由に事務所を解雇され、本当に居場所を失いました。⋯⋯雨の降る路上で、もう死んでしまおうと思っていたんです」
会場は水を打ったように静まり返っていた。カメラの砲列は光を失い記者たちのペンは止まっている。
彼らはもう私を「スキャンダルアイドル」として見ていない。「巨大な芸能界の闇に蹂躙された、可哀想な少女」として見ている。
盤面は整った。ここからが逆転劇だ。
◇
「そんな私を拾ってくれたのが⋯⋯西園寺社長でした」
私は隣に座るレイコ様に視線を向けた。レイコ様は微動だにせず前を見ているが、その瞳孔が僅かに開いているのが分かる。驚いているのだ。打ち合わせになかった捏造話を始めた私に。
「事情を知った社長は雨の中で震える私にこう言いました。『私の所有物になれ』と」
会場がざわつく。「所有物」という言葉の強さに反応したのだ。
私はすぐに言葉を継いだ。
「一般の方には酷い言葉に聞こえるかもしれません。でも⋯⋯私には、それが救いの言葉だったんです」
私は胸に手を当て熱っぽく語る。
「それは『私が全責任を持ってお前を守る』という宣言でした。言い換えれば『もう誰にも、指一本触れさせない』という、鉄壁の誓いだったんです」
論理のすり替え。支配を保護へ、束縛を安全へ。
「社長は私を『エンパイア』という城に匿い、名前を変え、以前の汚れた人間関係を全て断ち切ってくれました。⋯⋯私が『物』であれば所有者である社長の許可なく、誰も私を傷つけることはできない。⋯⋯そう思うことで私は初めて安心して眠れるようになったんです」
涙ながらの訴えに記者たちの表情が困惑から理解へと変わっていく。
「つまり会社に部屋があるというのはそういう⋯⋯」「なるほど、所有物にそんな意味があったなんて」「極限状態の少女にとっては、自由よりも管理されることが救いだったのか⋯⋯」という納得の空気が広がる。
だがまだ足りない。最大の争点、あの「犬の散歩」動画の説明が必要だ。
「あの動画について⋯⋯。あれは、社長の趣味ではありません」
私は断言した。
「あれは⋯⋯私の希望です」
「は?」「えっ?」
記者たちが素っ頓狂な声を上げる。
「あの日の夜、私はパニック発作を起こしていました。過去のトラウマが突然蘇り、自分がまたどこかへ連れ去られるんじゃないかという恐怖で、錯乱していたんです」
私は首元のスカーフを少し緩め、隠していたチョーカーをチラリと見せた。
「だから、私は社長にお願いしました。そういうときは『私を繋いでください』と。『どこにも行けないように、物理的に縛ってください』と、そうしている間は嫌なことが忘れられるから⋯⋯」
私は涙に濡れた瞳でレイコ様を見つめた。レイコ様は何か言いたげに唇を動かしたが、すぐにその意図を汲み取り、黙って私の視線を受け止めた。
さすが私の主人だ。察しがいい。
「社長は最初は拒否しました。でも、私が暴れて自傷しそうになるのを見て⋯⋯仕方なく、私の精神安定のために、あえてあの役を演じてくれたんです」
私は再び会場に向き直り、声を張り上げた。
「この首輪は拘束具じゃありません! 私にとっては命綱なんです! リードは社長と私を繋ぐ絆そのものなんです! ⋯⋯社長は、狂いそうになる私の心に合わせて、深夜の廊下を一緒に歩いてくれただけなんです!」
嘘だ。全部嘘だ。あれはただの変態的なプレイだし、レイコ様はノリノリだった。(何しろ最初の契約時に靴をなめさせられている)
しかし、今この場において真実など何の意味も持たない。人々が信じたい「美しい物語」こそが真実になるのだ。
◇
「そんな⋯⋯」
「じゃあ、我々は誤解していたのか⋯⋯?」
記者たちの空気が完全に反転した。
「悪の女帝」を見る目は消え「傷ついた少女を不器用に守るダークヒーロー」を見る目へと変わっていく。
私は畳み掛けるように立ち上がり叫んだ。
「社長は私の命の恩人です! 私に生きる場所を、歌う意味をもう一度与えてくれた、唯一の人なんです! それを虐待だなんて⋯⋯洗脳だなんて⋯⋯!」
私は両手でテーブルを叩き、激昂してみせた。
「何も知らないくせに!! 勝手な正義感で、私たちの絆を奪おうとしないでください!!」
悲痛な絶叫、それはマイクを通して電波に乗って日本中のリビングへ届いただろう。
ネットの反応は目に見えるようだ。
『泣いた』『そうだったのか⋯⋯』『レイコ社長、誤解してごめん』『アイちゃんを守れるのはレイコしかいない』『むしろ首輪はアイちゃんの精神安定剤だったのか、深いな⋯⋯』
すべての「異常な支配」が「究極の愛と保護」へと意味を変えた瞬間だった。
私は力が抜けたように椅子に座り込み、顔を覆って泣き崩れた。会場中が、しんとした静寂に包まれる。もはやレイコ様を責める者は誰もいなかった。
そこにあるのは過酷な運命を背負った女性への深い憐憫と敬意だけだった。
レイコ様が、そっとテーブルの下で私の手を握る、強く痛いほどに。
彼女は前を向いたまま、表情ひとつ変えずに、しかし確かに私の勝利を称えていた。
◇
会見終了後――控室に戻りドアが閉まった瞬間。
張り詰めていた緊張の糸が切れ、私はソファに雪崩れ込んだ。
「ふぅー⋯⋯。終わった⋯⋯」
私はハンカチで涙(目薬ではない、自家発電の涙だ)を拭い、大きく息を吐いた。
メイクは崩れていない。完璧だ。
カツ、カツ。
レイコ様が私の前に立ち、見下ろしている。その視線は鋭く、そしてどこか呆れたような色が混じっていた。
「⋯⋯とんだ嘘つきね」
彼女はフッと鼻で笑った。
「記憶がない? パニック発作? ⋯⋯よくもまあ、あんなスラスラと三文小説のような嘘話が口をついて出るわね」
「設定ですよ、設定」
私はケロリとして顔を上げ、ニカっと笑った。
「あいつらが欲しいのは如何にして『世間にウケる記事が書けるか』だけ。こちらがソレに沿った感動的なストーリーを提供してやればご覧の通り⋯⋯これでレイコ様は今世紀最大の悪女から傷ついた少女を泥を被ってでも守る『聖女』に昇格しましたよ」
私はVサインを作ってみせた。
「どうですか? 私のシナリオライターとしての才能は」
レイコ様はため息をつき、ソファの隣に腰を下ろした。
そして私の頭に手を乗せる。
「⋯⋯呆れたわ。自分の過去まで捏造して、私を庇うなんてね」
彼女の手が優しく私の髪を撫でる。先ほどの会見場での緊張感とは違う、温かな空気。
「でも⋯⋯悪くない気分よ。聖女なんて柄じゃないけど、お前に守られるのもたまにはいいわね」
レイコ様の口元が柔らかく綻んだ。それはこれまで見たどの笑顔よりも美しく、そして愛おしいものだった。
「よくやったわ。⋯⋯褒めてあげる」
彼女は私の頭を引き寄せ、その唇を私のおでこに落とした。
チュッ。
熱い感触――私の思考回路がショートする。
(ひ、ひょえええええええっ!?)
さっきの会見の比ではないほど心臓が早鐘を打つ。
ご褒美がすぎる。致死量だ。
「さあ、帰るわよ。⋯⋯今日は特別に本物の『散歩』をさせてあげるわ」
レイコ様は悪戯っぽく微笑み、立ち上がった。
「えっ、本物の⋯⋯?」
「ええ。世間が公認したんだもの。堂々とリードを付けて、私の家の中を歩き回りなさい」
彼女は控室を出て行く。私は真っ赤な顔でその後ろ姿を見送った。
世界中を騙し過去を捏造し私たちは共犯者となった。
この絆はもう誰にも断ち切れない。世間という巨大な敵を欺いて手に入れた二人だけの王国。
私は幸せを噛み締めながら跳ねるような足取りで主人の後を追った。
嘘つきな堕天使と共犯者の悪女。
私たちの物語は、ここからが本当のハッピーエンドだ。




