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第24話『正義の暴走、そして公開処刑』


 金曜日のゴールデンタイム。

 全国ネットで生放送される高視聴率トーク番組『スター・トーク』のスタジオは爆発寸前の火薬庫のような緊張感に包まれていた。


 煌びやかなセットに無数の照明、そして固唾を呑んでステージを見つめる百人の観覧客。

 彼らの視線はひな壇に座る二人のゲストに集中していた。


 一人は今をときめく若手人気俳優、神崎ハヤト。

 純白のスーツに身を包み、正義感に燃える瞳でカメラを見据えている。

 

 もう一人は私、漆黒のゴシックドレスを纏い、感情を失った人形のように座る『Ai』。

 首には例の首輪チョーカーを巻き、顔色は白く目は虚ろだ。


(⋯⋯空気が重い。胃液が逆流しそうだ)


 私は膝の上で固く手を組み、内心で冷や汗を流していた。今日の番組のテーマは「話題の芸能人」だが、そんな建前を信じている人間はここにはいない。


 観客もスタッフも、そしてテレビの前の数千万人の視聴者も期待しているのはただ一つ。

 昨日、ハヤトが宣言した「公開救出劇」が実行されるかどうかだ。


 チラリと舞台袖を伺うと暗がりの中に、腕を組んで佇む西園寺レイコ様の姿があった。


 その目は笑っていない。『失敗したら、ただじゃおかないわよ』という無言の圧力が、十メートル離れたここまで届いてくる。


(うぅ⋯⋯レイコ様の視線が痛い⋯⋯! でも、それがいい!)


 私は恐怖と興奮がない交ぜになった震えを、演技力で「怯え」に変換して座っていた。


「さあ、続いてのゲストは話題沸騰中の歌姫、Aiさんです!」


 司会者が努めて明るい声で進行する。

 私は機械的に頭を下げた。言葉は発しない。今の私の設定は「心を閉ざした人形」だからだ。


「Aiさん、新曲『Puppet』衝撃的でしたね。あの歌詞にはどんな思いが込められているんでしょうか?」


 司会者がマイクを向ける。私はゆっくりと口を開きかけ――。


「答えなくていい!」


 バンッ!!


 向かいに座っていたハヤトが突然テーブルを叩いて立ち上がった。

 スタジオがどよめく。


 来た! 台本無視の暴走だ。


 ハヤトは司会者を睨みつけ、熱っぽい口調で捲し立てた。


「彼女に答えられるわけがない! あの歌詞は彼女の本心じゃない。無理やり言わされているだけだ! こんな茶番はもう終わりにしましょう!」


 彼はカメラに向かってドラマの主人公のような顔で訴えかけた。


「テレビを見ている皆さん、気づいてください! 彼女は今、支配されているんです。助けを求めているのに、声が出せないんです!」


 観客席から「おお⋯⋯」という感嘆の声が漏れる。


 ネットの実況も、きっと『ハヤト言ったー!』『かっこいい!』『アイちゃんを助けて!』というコメントで溢れかえっていることだろう。


 ハヤトは私の方に向き直った。その瞳は一点の曇りもない善意と自分への陶酔で輝いている。

 彼は立ち上がって私に向かってくると右手をゆっくり差し出した。


「アイちゃん。⋯⋯さあ、行こう」


 優しく、しかし力強い声。


「僕が事務所を用意した。弁護士も待機している。もう、あんな悪魔のような支配者に怯える必要はないんだ。僕が君を、光のある場所へ連れ戻す!」


 スタジオ中が静まり返る。


 カメラがハヤトの差し出された手と私の顔を交互にアップにする。

 誰もが私がその手を取り、涙を流して感謝する感動のフィナーレを予想していることだろう。


 ――馬鹿め。


 私は心の中で冷ややかに吐き捨てた。


(光のある場所? 余計なお世話だっつーの! 私は自分の意思で、この心地よい闇――レイコ様の支配下を選んだんだよ! お前のそのテカテカした正義感は、肌荒れの原因になる有害な紫外線でしかないの!)


 私は目の前に差し出された手を見つめた。⋯⋯手入れされた綺麗な手だが消毒されていない、レイコ様の許可もない。そんな不潔な手で私の体に触れようとするなど万死に値する。


 私はゆっくりと顔を上げた。

 その瞳にはハヤトが期待した「希望」ではなく――底知れぬ「恐怖」を浮かべて。


「⋯⋯ひっ⋯⋯!」


 短く、鋭い悲鳴。

 私は感電したように激しく体を震わせ、座席の後ろへと逃げるように飛び退いた。


 椅子がガタッと音を立てて倒れる。


「え⋯⋯?」


 ハヤトの手が空を切る。彼は驚いたように目を丸くした。


「ア、アイちゃん? どうして⋯⋯僕は君を助けに」


「いやぁっ⋯⋯! こ、怖い⋯⋯!」


 私は頭を抱え、ガタガタと震えながら叫んだ。マイクが私の過呼吸気味の荒い息遣いを拾う。


「近づかないで⋯⋯! 大きな声を出さないで⋯⋯! 乱暴しないで⋯⋯!」


 キーワードは「大きな声」と「乱暴」ハヤトの熱血漢ゆえの大声と強引な行動を逆手に取り、視聴者に「恫喝されている可愛そうな女の子」という印象を植え付ける。


「ちょ、ちょっと待って! 僕は乱暴なんて⋯⋯!」


 ハヤトが焦って一歩踏み出す。

 それがまずかった⋯⋯怯えて逃げる少女に長身の男が詰め寄る構図が決定的になる。

 

 スタジオの空気がピシリと音を立ててひび割れた。


「⋯⋯あれ?」

「アイちゃん、怖がってない?」

「ハヤト君、ちょっと強引すぎない⋯⋯?」


 観客席のさざ波が、疑念へと変わっていく。


 「助けに来た王子様」ではなく「嫌がる女性にしつこく迫るストーカー」に見え始めたのだ。


「ち、違うんだ! アイちゃん、思い出してくれ! 僕たちはかつて共演した仲間だろ!? 君は洗脳されているだけなんだ!」


 ハヤトは必死になって叫ぶ。必死になればなるほど、その形相は鬼気迫るものになり私の「恐怖」のリアリティを補強してしまう。


「やめて⋯⋯やめてぇっ⋯⋯!」


「君のためなんだ! わかってくれ!」


 ハヤトが私の腕を掴もうと無理やり手を伸ばした、その時だった。


「⋯⋯聞こえなかったの?」


 凜とした、氷の刃のような声が響き渡った。


「彼女は怖がっているじゃない」


 その声はマイクを通していないにも関わらず、スタジオの空気を一瞬で凍結させた。


 ハヤトの動きが止まる。


 司会者も、スタッフも、観客も、全員が視線を向けた先――舞台袖の暗がりから、一人の女性がゆっくりと姿を現した。


 カツ、カツ、カツ、カツ。


 静寂の中でヒールの音だけが正確なリズムで刻まれる。

 漆黒のパンツスーツ、波打つ黒髪、そしてその場にいる全員を見下ろすような圧倒的な女帝のオーラ。


 西園寺レイコ――魔王の降臨だ。


「さ、西園寺社長⋯⋯!?」


「なんでここに⋯⋯!」


 司会者が慌てふためく。予定にはない乱入者だ。


 レイコ様はカメラなど意に介さず悠然とステージの中央へ歩み寄り、私とハヤトの間に割って入った。それは背中で私を庇うように聳え立つ、圧倒的な守護神としての佇まい。


(⋯⋯ッ!!)


 私はレイコ様の背中を見上げて息を呑んだ。けして広い背中ではない、華奢でしなやかな女性の背中⋯⋯それが今の私にはどんな城壁よりも高く、どんな盾よりも頼もしく見えた。


(守られた⋯⋯! レイコ様が、私を守ってくれた⋯⋯!)


 私は無意識のうちに彼女のジャケットの裾をギュッと握りしめた。

 すがるように。依存するように。その感触にレイコ様は一瞬だけ口元を緩めた気がした。


「西園寺レイコ⋯⋯!」


 ハヤトが後退りながらも睨みつける。彼は怯みながら正義感を盾にして喰らいついた。


「よく出てこれましたね! 元凶はアナタだ! アナタが彼女をこんな風に壊して、支配しているんだ!」


「支配?」


 レイコ様は冷ややかに鼻で笑い、一蹴した。


「貴方のそれは正義じゃないわ。自分の英雄願望を満たすための『加害』よ」


「なっ⋯⋯!?」


「見なさい、彼女の震えを」


 レイコ様は顎で背後の私を指した。当意即妙、私はレイコ様の背中に顔を埋め、さらに小さく震えてみせる。誰がどう見てもハヤトに怯え、レイコ様に助けを求めている図だ。


「彼女は貴方の理不尽な暴力から逃げ惑っている。『助け出す』? 『連れ戻す』? 笑わせないで。それは貴方の独りよがりな物語(シナリオ)でしょう?」


「ち、違う! 僕は彼女のSOSを受け取って⋯⋯!」


「SOS? 彼女がいつ助けてと言ったのよ、いつ貴方に救済を求めたの?」


 レイコ様は一歩、前に出た。その気迫に押され、ハヤトがたじろぐ。


「貴方は彼女の言葉を聞こうともせず、自分の解釈を押し付け、公衆の面前で彼女の意思を踏みにじった。⋯⋯それは救済じゃない。レイプと同じよ」


 強烈な一言――スタジオ中が息を呑んだ⋯⋯「善意の押し売り」というハヤトの本質を最も残酷な言葉で抉り出したのだ。


「そ、そんな⋯⋯僕は⋯⋯」


 ハヤトの顔から血の気が引いていく、それは彼の拠り所だった「正義」が、足元から崩れ去っていく音が聞こえるようだった。


「⋯⋯私の大切な商品を公衆の面前で恫喝し、傷つけた罪」


 レイコ様はハヤトを見下ろし、死刑宣告のように告げた。


「芸能界から消える覚悟は、あるんでしょうね?」


 その言葉は脅しではない。『エンパイア・プロモーション』の総力を挙げて、神崎ハヤトという俳優を社会的に抹殺するという、確定した未来の通告だった。


「あ⋯⋯あぁ⋯⋯」


 ハヤトは膝から崩れ落ちそうになり、よろめいた。

 反論できない。誰も助けてくれない。

 観客席からは、もはや彼を応援する視線はなく「怖い」「やりすぎ」「勘違い野郎」という冷ややかな軽蔑だけが注がれている。


 世間の目はここに反転した。


 『囚われの姫を救う王子様』から『恐怖を感じさせる独善的なストーカー』へ。

 そして『冷酷な女社長』から『所属タレントを体を張って守る頼れるボス』へ。


 完璧だ。シナリオ通り、いや、それ以上の大逆転劇。


「CM入りまーす!!」


 耐えかねたディレクターが叫び、スタジオの照明が落ちた。


 ◇


 CM明けに神崎ハヤトの姿はなかった。

 「体調不良のため退席」というテロップが一瞬流れ、番組は何事もなかったかのように進行した。


 芸能界の闇と力学が一瞬で彼を排除したのだ。


 番組終了後の楽屋にて私はソファに深々と座り込むレイコ様の前に跪いていた。


「⋯⋯お疲れ様でした、レイコ様」


 レイコ様はワイングラス(スタッフが大慌てで用意した安物だが)を揺らしながら、ため息をついた。


「まったく、手間をかけさせるわね。どこの馬の骨とも知れない役者の相手をさせるなんて」


「申し訳ありません⋯⋯。私のせいで、あんな男につけ入る隙を与えてしまって⋯⋯」


 私は殊勝に頭を下げるが内心ではガッツポーズが止まらない。


(ざまぁみろハヤト! 見たか、あの無様な退場劇! そして見よ、このレイコ様の圧倒的なカリスマ! あの一喝で空気を変える支配力! 一生ついていきます!!)


 レイコ様はグラスをテーブルに置くと、私の頭に手を伸ばした。


 ポン、ポン。


 軽く、リズムよく叩かれる。


「⋯⋯まあ、いい演技だったわ」


 彼女の声色が少しだけ柔らかくなる。


「あの男に詰め寄られた時の怯え方、そして私に縋り付いてきた時の必死な形相。⋯⋯まるで本当の捨て犬みたいで、ゾクゾクしたわ」


 褒められた! あの大立ち回りの後でこんなデレ(?)を頂けるとは。


「はい⋯⋯! ありがとうございます⋯⋯!」


 私は頬を染めて顔を上げた。レイコ様の瞳が私の顔を映している。そこには所有物を愛でるような歪んだ愛着の色が見えた。


「ご主人様が守ってくださったので⋯⋯私は安心して、弱きを演じることができました」


 私は彼女の膝に手を置き、猫のように擦り寄った。


「ふふっ。調子のいいこと」


 レイコ様は私の髪を指で梳きながら、愉しげに笑った。


「あの男、今頃事務所で土下座させられているでしょうね。正義感なんて麻薬に溺れた代償よ」


 ハヤトの今後の人生は茨の道だろうが知ったことではない。彼は私の「奴隷ライフ」を脅かした罪人、舞台から消えてもらうのが筋というものだ。


(ハヤト君、君の犠牲は忘れないよ。君のおかげで私とレイコ様の「愛の絆」は、世界中に証明されたんだからね!)


 私はレイコ様の手に頬ずりしながら、心の中で高らかに勝利宣言をした。

 お前の入る隙間なんて1ミリもなかったんだよ。バーカ!


「さあ、帰るわよ。⋯⋯今日は特別に私の膝枕で帰らせてあげるわ」


 レイコ様の爆弾発言。

 

「えっ!? ひ、膝枕!? リムジンの中で!?」


「不服かしら?」


「いいえ! 死んでもやります! ありがとうございます!」


 私は歓喜のあまり鼻血が出そうになるのを堪え、レイコ様の後ろをついて楽屋を出た。

 正義の暴走は鎮圧され、悪の女帝と忠実な下僕は、さらなる愛(?)を深めて夜の闇へと消えていく。


 これにて私の市場価値は、もはや計測不能の領域へと突入したのだった。

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