第22話『お邪魔虫な「白馬の王子様」』
テレビ局の廊下を私は小走りで進んでいた。
両手にはハイブランドのロゴが入った重たいバッグが二つに肩からは衣装ケースを下げている。
額には汗が滲み、腕の筋肉が悲鳴を上げている様は端から見れば、かつての清純派アイドルが雑用係として酷使されている涙を誘う光景かもしれない。
一方、私の心の中はピンク色の花畑だった。
(重い⋯⋯! この重みこそが、レイコ様の私物であるという実感! 右手のバッグにはレイコ様の私服、左手には予備のパンプス、そして衣装ケースには私の拘束着⋯⋯! ああ、幸せすぎて足がもつれそうだ!)
レイコ様は今、ゆっくりとこちらに向かってきているだろう。
彼女が立ち止まることなく進めるよう、私が先回りしてエレベーターのボタンを押す。
完璧な従者ムーブ。この「お供している感」だけでいくらでも動ける。
今日の収録は音楽番組のゲスト出演だった。
新生『Ai』としてのパフォーマンスは完璧で、スタジオの観覧客を恐怖と感動の渦に叩き込み、レイコ様からも「悪くないわ」というお褒めの言葉(ご褒美)を頂いたばかりだ。
すべてが順調で私の奴隷ライフは誰にも邪魔されることなく、輝かしい闇の中へと突き進んでいるはずだった。
――そう、あの男が現れるまでは。
「天宮さん!」
不意に私の名を呼ぶ声が響いた。爽やかで張りがあって無駄に通りが良い声。
私は反射的に立ち止まり、声の主を探した。
廊下の曲がり角から現れたのは発光体――いや、人間なのだが物理的にキラキラと輝いて見えるほどのオーラを纏った男。
整えられた茶髪、甘いマスク、そして曇りのない直球の瞳。
神崎ハヤト、今をときめく若手俳優にして「国民の彼氏」と称される歩く好感度モンスターだ。
(げっ⋯⋯光属性の勇者⋯⋯!)
私は心の中で舌打ちをした。先日ブログで余計な「救済宣言」をしてくれたご本人様のご登場だ。
今ここで押し問答になればレイコ様のお時間を削ってしまうことになりかねない。私は小さく会釈をして立ち去りようとした。
「急いでますので、失礼しま――」
ガシッ――通り過ぎようとした私の二の腕を、強い力が掴んだ。
「待ってくれ! 探したんだよ、ずっと!」
ハヤトは私の腕を引き止め、強引に自分の正面に向き直らせた。
(近い、近い、顔が近い! そして二の腕が痛い! 普通、女の子の腕を急に掴むか!? イケメンだからって何しても許されると思うなよクソ勇者ァ!)
「⋯⋯離してください。社長が待っています」
私は怯えたように声を震わせ、抵抗するフリをした。だがハヤトは手を離さないどころか、さらに強く握りしめてきた。だから痛いって⋯⋯これ普通に暴行罪だぞ。
「なんて顔色だ⋯⋯」
彼は私の顔を覗き込み、悲痛な表情で眉を寄せた。
「真っ白じゃないか。それに、こんなに痩せて⋯⋯。目の下のクマも酷い。⋯⋯君は、一体どんな酷い扱いを受けているんだ?」
(あー、うっさいな! この顔色は「病みメイク」の最高傑作だし、痩せて見えるのは黒スーツの着痩せ効果とシェーディングのおかげだ! 健康診断の結果はオールAだよ! セルフブランディングって知ってる!?)
私は内心で毒づきながら表面上は「過労で倒れそうな少女」を維持する。
「だ、大丈夫です⋯⋯。これが私の仕事ですから⋯⋯」
「仕事? こんなのが仕事なもんか!」
ハヤトは声を荒げた。廊下にいるスタッフたちが驚いて振り返る。
⋯⋯やめてくれ、目立ってしまう。レイコ様がやってきてしまうじゃないか。
「君の新曲⋯⋯『Puppet』聴いたよ」
ハヤトの瞳が熱っぽく潤む。彼は私の肩に手を置き、真剣な眼差しで語り始めた。
「最初は耳を疑ったよ。あんな⋯⋯絶望に満ちた歌を君が歌うなんて。でも、何度も聴くうちに分かったんだ。あれは君からのSOSなんだろ?」
は?
「歌詞に隠されたメッセージ、僕は受け取ったよ。『愛なんていらない』⋯⋯それは『本当の愛に飢えている』という裏返し。『糸を引いて』⋯⋯それは『この鎖を断ち切って』という悲鳴。そうだろ?」
(読解力Fランクかよ!!)
私は心の中で絶叫した。
(お前、国語のテスト赤点だったろ!? 「愛なんていらない」は「レイコ様の支配があればそれでいい」っていう純愛宣言だし「糸を引いて」は「もっと強く縛って」っていうマゾヒズムのメタファーだ! 180度解釈が逆なんだよ!)
自分の妄想で勝手に物語を補完し、勝手に感動しているナルシスト⋯⋯一番厄介でたちの悪いタイプだ。私は必死に首を振った。
「ち、違います⋯⋯! あれは私の歌いたい歌で⋯⋯」
「そんな無理しなくていい!」
ハヤトは私の言葉を遮った。おい、人の話を聞けよ。
「事務所に言わされてるんだろ? 『そう言わないと酷い目に遭わせる』って脅されてるんだろ? ⋯⋯可哀想に君の瞳を見れば分かるよ。光を失って助けを求めている」
(ブブー! この「虚ろな目」は、今朝30分かけて作った「死んだ魚の目」ですー! 演技力を褒められるのは嬉しいけど、ここでも方向性が違う!)
ハヤトの「善意」という名の暴力が私を窒息させそうだった。彼は自分が「物語の主人公」であると信じて疑っておらず、囚われの姫(私)を魔王から救い出す勇者、その脚本に酔いしれている。
「⋯⋯離してっ!」
私は本気で嫌がり腕を振りほどこうとしたが、大量の荷物が邪魔で力が入らない。
するとハヤトは「怖がらなくていい」と優しく囁き、あろうことか私を廊下の壁際へと追い詰めた。
ドンッ!
(またか⋯⋯。この世界は壁ドンが挨拶代わりなのか)
しかしレイコ様の壁ドンが「ご褒美」だったのに対し、この男の壁ドンはただの「監禁」でしかない。
ハヤトの右腕が私の逃げ場を塞ぎ爽やかなシトラスの香水の匂いが鼻についた。
違う、私が嗅ぎたいのは冷たいメンソールとチュベローズの香りなのだ。
「僕が君を救い出す」
ハヤトは、トレンディドラマの決め台詞のように言った。
「僕の事務所に移籍できるように手配するよ。弁護士も用意する。あんな悪徳女社長の言いなりになんて、君はなるべきじゃない。⋯⋯君はもっと、太陽の下で笑っているべきなんだ」
吐き気がした。大きなお世話すぎる。太陽の下? そんな紫外線と凡庸さにまみれた世界なんて、頼まれたって願い下げだ。
私はあの湿った資料室で、レイコ様の靴音を聞きながらカビ臭い空気を吸っていたいのだ。
(シンプルに恐怖! 純粋すぎる善意が怖い! 私の完璧な「奴隷ライフ」を勝手に壊そうとしないでくれ! 誰か警察呼んで! 不審者がいます!)
私はガタガタと震え出した。これは演技ではない。私の安息の場を土足で踏み荒らされそうになっていることへの、本能的な拒絶反応だ。
しかしハヤトは、それを「洗脳が深くて怯えている」とポジティブ(?)に解釈したらしい。
「大丈夫。僕が守るから」
何を思ったか彼は私の頬に手を伸ばそうとしてくる。
(おいおいおい、やめろ、マジでやめてくれ、触るな。私に触れていいのはレイコ様だけなんだ)
私は荷物を盾にして身を縮めた。
「や、やめて⋯⋯私には、社長しか⋯⋯社長しかいないんです⋯⋯!」
「それが洗脳なんだよ、アイちゃん! 君は騙されているんだ!」
⋯⋯話が通じない。日本語なのに言語プロトコルが違いすぎる。
このままでは強引に連れ去られかねない。
助けて、レイコ様! 私の飼い主様――!
その時。
「⋯⋯私の所有物に、許可なく触らないでくれるかしら?」
廊下の温度が絶対零度まで急降下した。
ハヤトの動きが止まる。私も息を呑む。
その声はハヤトの背中側から聞こえた。低く、冷たく、そして圧倒的な「圧」を含んだ女帝の声。
ハヤトがゆっくりと振り返る。
そこには腕を組み、不機嫌を隠そうともしない西園寺レイコ様が立っていた。
黒いジャケットを肩にかけ、鋭いピンヒールで床を踏みしめている。その背後にはまるで黒いオーラが見えるよう、彼女の視線はハヤトを人間として認識していない完全に「私の所有物に群がる害虫」を見ている目だった。
「さ、西園寺社長⋯⋯」
ハヤトが怯んだ。無理もない。実物のレイコ様の威圧感は写真や画面越しとは次元が違う。
「アイ、こんなところで油を売っていると思ったら、くだらない三文芝居に付き合わされていたわけ?」
レイコ様はハヤトを無視し、私に向かって冷淡に言った。
「申し訳ありません⋯⋯! すぐに、すぐに行きます⋯⋯!」
私はスっとハヤトの腕の下をくぐり抜け、逃げるようにレイコ様の元へ駆け寄った。
ハヤトが「あっ」と手を伸ばすが、レイコ様の眼光に射抜かれて動きを止める。
「神崎ハヤト君、だったかしら?」
レイコ様はゴミを見るような目で彼を見下ろした。
「正義の味方ごっこはドラマの中だけになさい。現実は、貴方のようなお遊戯レベルの人間が足を踏み入れていい場所じゃないわ」
「なっ⋯⋯!」
ハヤトの顔が屈辱で赤くなる。彼は拳を握りしめ精一杯の虚勢を張って反論した。
「僕は本気です! 西園寺社長のやっていることは間違っている! 彼女を⋯⋯アイさんを、あんな風に壊して⋯⋯! 彼女はモノじゃない、人間だ!」
「人間? 彼女は自ら望んで私の『モノ』になったのよ。貴方のその薄っぺらい価値観で、私たちの契約を測らないでちょうだい」
私たちの絆――その言葉に私は昇天しそうになった。
契約と書いて「きずな」と読む。レイコ様語録の最新版だ。メモしなきゃ。
レイコ様はそれ以上ハヤトに取り合わず、私の二の腕を掴んで引き寄せた。
「行くわよ」
グイッ、と乱暴に引かれる。ハヤトに掴まれた時とは違う。痛いけれど、そこには所有者としての確かな「意志」がある。私は嬉々として従った。
「消毒が必要ね」
レイコ様は歩き出しながら、独り言のように呟いた。
「他人の手垢がついたなんて不潔だわ」
(うひょーーーっ!! 消毒!? それってお風呂場でレイコ様にゴシゴシされるってことですか!? ハヤトよ、でかした! お前のウザ絡みのおかげで、特大のイベントが発生したぞ! 感謝する!)
私は内心でハヤトに合掌しつつ、レイコ様の後ろをついて行った。
背後からハヤトの叫び声が聞こえてくる。
「待ってくれ! 僕は諦めないぞ!」
彼はドラマのクライマックスシーンのように、廊下の真ん中で叫んだ。
「今はまだ、恐怖で動けないだけなんだろ!? 必ず、僕が助け出す! 君を、その鎖から解き放ってみせるからなーーっ!!」
熱い。
本当に熱苦しい。
私はレイコ様の背中に隠れながら、心の中で全力の拒絶を叫び返した。
(頼むから諦めてくれ!! 私の鎖を解こうとしなくていい! この鎖はオーダーメイドの特注品なんだよ! お前の「救済」なんてのは「営業妨害」以外の何物でもないんだッ!)
角を曲がり、ハヤトの姿が見えなくなると私は安堵のため息をついた。
やつは、これで終わるような男ではないだろう。光属性の勇者は、障害があればあるほど燃え上がる面倒な生き物と決まっている。
私の平穏な(そして変態的な)奴隷生活に、厄介な波乱の種が蒔かれてしまった。
まあいい。これから待っている「消毒」の喜びに比べれば、あんな男のことなど些細な問題だ。
私は抱えた荷物の重みを噛み締めながら、レイコ様のヒールの音に合わせて、軽やかな足取りで地獄への帰路についた。




