第20話『復活の宴(契約更新)』
数万人の熱気が渦巻く巨大スタジアム。
年に一度の音楽の祭典、生放送の大型特番『ミュージック・フェス』の会場は、本来なら極彩色のサイリウムと歓声で埋め尽くされているはずだった。
しかし今、ステージに向けられているのは、針のむしろのような冷ややかな視線と、居心地の悪そうな沈黙だけ。
「あ⋯⋯ぅ⋯⋯」
巨大なモニタースピーカーから、音程の外れた情けない歌声が響く。
ステージ中央でスポットライトを浴びているのは『ピュア・パレット』のリカとミナ。
かつて私が所属していたグループの残された二人が⋯⋯ひどい。誰の目から見ても素人のカラオケ以下だ。
リカは顔面蒼白でマイクを持つ手が小刻みに震えている。高音パートで声が裏返り、それを誤魔化そうとしてリズムが走る。
ミナに至っては、ダンスの振りを完全に飛ばしている。棒立ちになり、泳いだ視線でキョロキョロと周囲を確認する姿が、4K画質の大画面にアップで映し出されていた。
客席の反応は残酷だ。
「帰れ」という野次すら飛ばない。ただ冷めた目でスマホをいじり「早く終わらないかな」という空気を醸し出している。
ネットの実況掲示板はもっと地獄だろう。『放送事故』『公開処刑』『アイちゃんがいなくなった途端これかよ』というコメントで埋め尽くされているに違いない。
私は、舞台袖の暗がりにあるモニターでその惨状を眺めていた。
「ふっ⋯⋯」
思わず吹き出しそうになるのを、黒いレースの手袋で押さえる。
(顔面土砂崩れじゃん。どうしたのリカちゃん、自慢の歌唱力は? ミナちゃん、得意のダンスは? 私という「調整役」がいなくなっただけで、ここまで崩壊するなんてね)
以前のライブでは私が彼女たちのミスをカバーし、MCでフォローし、観客を煽って盛り上げていた。彼女たちは自分たちの実力だと勘違いしていたようだが、補助輪を外された自転車がどうなるか、身をもって知ったことだろう。
(それにしても完全に落ち目の『ピュア・パレット』が出演出来るなんて⋯⋯これもレイコ社長のお膳立てかな)
だとしたら私はそれを最大限活かさなくてはいけない。
「⋯⋯ありがとうございましたぁ⋯⋯」
逃げるように曲を終え、蚊の鳴くような声で挨拶をして、二人が袖に引っ込んでくる。
汗だくで、涙目で、その顔には絶望の色が張り付いていた。彼女達はすれ違いざまに闇の中で佇む私に気づくと息を呑む。
「あっ⋯⋯」「アイ⋯⋯?」
私は彼女たちに視線をくれることすらしなかった。
今の私にとって彼女たちはもう「敵」ですらない。私の復活劇を盛り上げるための、最高の「前座」でしかないのだから。
(今までご苦労さま。100点の引き立て役だったよ。⋯⋯さて)
私は漆黒のドレスの裾を翻し、ステージへの階段を一歩踏み出した。
◇
ピュア・パレットが退場した後、会場の照明が一斉に落とされた。
完全な暗闇。ざわつき始めた観客の声を、突如として響き渡った重低音が圧殺した。
ズゥゥゥゥゥン⋯⋯。
地響きのようなバスドラムの振動が、スタジアムの床を揺らす。不協和音ギリギリの不気味で美しいストリングスの旋律。ステージの床から大量のスモークが噴き出し、白い霧が闇を侵食していく。
冷たい空気が会場を支配する。何かが来る⋯⋯ただならぬ何かが。
シュバッ!!
鋭い音と共に、一本のスポットライトがステージ中央を射抜いた。
その光の中に、私は立っていた。
漆黒のゴシックドレス。幾重にも重なったレースとフリルは葬列の花のように不吉で美しい。
関節には球体関節人形のようなペイントがあしらわれ、顔色は蝋人形のように白く目元には赤いシャドウ。そして首元には――黒革の首輪が誇らしげに鎮座している。
「⋯⋯ッ!」
数万人の観客が、一斉に息を呑む音が聞こえた。
「あれ⋯⋯アイちゃん?」
「嘘だろ⋯⋯雰囲気変わりすぎ⋯⋯」
「怖い⋯⋯でも、なんて綺麗なんだ⋯⋯」
困惑。恐怖。そして、抗えない魅了⋯⋯そこにかつての「清純派天使」の面影はない。
いるのは地獄の底から這い上がってきた美しき歌姫、いや魔王に魂を売り払った哀れで幸福な人形。
イントロが終わり静寂が訪れる。
私はゆっくりと瞼を開く――その瞳に光はない。あるのは虚無という名の深い闇だけ。
『愛なんていらない⋯⋯』
第一声マイクを通したウィスパーボイスが、冷たい風のように会場を吹き抜けた。
『ただ糸を引いて⋯⋯貴方の指先で踊らせて⋯⋯』
私はカクカクと、糸に釣られたマリオネットのような動きで踊り始めた。
関節をあえて不自然に曲げ、重力に逆らうように手足を動かす。そこに見えない糸が見えるような、パントマイムを取り入れた振り付け。
『壊れるまで⋯⋯』
その歌詞を歌った瞬間、私はガクッと膝を折り、床に崩れ落ちた。
悲痛な演技、観客は私が「芸能界の闇に潰され、自我を壊された悲劇の少女」を演じていると思っているだろう。
事実、客席のあちこちですすり泣く声が聞こえて出している。
(あぁ、聞こえますかレイコ様! 届いていますかマイ・マスター! これは私から貴女への、魂のラブソング!)
私は床を這いずりながら見えない糸(レイコ様の支配)を感じていた。
貴女の指先ひとつで私は踊る。貴女が右と言えば右へ、死ねと言えば地獄へ。
その絶対的な隷属関係が、今の私を支える唯一の背骨。
曲がBメロに入り、ビートが激しくなる。
私は糸に引き上げられるように立ち上がった。
『意思など蛇足⋯⋯痛みだけが真実・《リアル》』
『首輪の跡が⋯⋯私の存在証明・《イキルアカシ》』
私は自分の首輪を掴み、強く引き絞った。
グッと食い込む革の感触――息が詰まる。
だが、それがいい。この苦しみこそが私がレイコ様の所有物であるという証なのだから。
(見て! 見てくださいこの首輪を! これはファッションじゃない、契約書なんです! 誰にも外させない、私だけの勲章!)
私の心の叫びとは裏腹に、その姿は「首輪に繋がれ、逃げられない少女の苦しみ」として観客の胸を打つ。なんて皮肉で、なんて美味しい誤解だろう。
そして、サビ。
私はステージの先端へ走り出し、天に向かって両手を広げた。
『――操って!!』
絶叫。
喉が裂けるほどの、渾身のベルティングボイス。
スタジアムの空気をビリビリと震わせる衝撃波。
『汚して! その靴で踏み砕いて!!』
私はスカートを翻し、激しく回転する。黒い花が咲き乱れるような美しさ。
汗が飛び散り、照明を受けてダイヤモンドのように輝く。
観客たちは棒立ちになり、その圧倒的なエネルギーに飲み込まれていた。
サイリウムを振ることさえ忘れ、ただただ、この「悲劇」に見入っている。
(もっとだ⋯⋯! もっと強く引いてくれ! 首がちぎれるくらいに! 私は貴女の玩具! 貴女のためだけに壊れる、使い捨ての人形!)
脳内麻薬がドバドバと溢れ出す。視界がチカチカするほどのアクターズ・ハイ。
私は自分が歌っているのか、泣いているのか、笑っているのかさえ分からなくなっていた。
ただ確かなのは今この瞬間、私は世界で一番「自由」だということだ。
レイコ様に縛られることで得た逆説的な自由。
『私は空っぽなPuppet⋯⋯』
曲の終わり。
『⋯⋯貴方の色が⋯⋯欲しいだけ⋯⋯』
私はステージ中央で糸が切れた人形のように崩れ落ちた。
スポットライトが絞られ私の姿が闇に溶けていく、最後の一音が消えるまで私は指一本動かさなかった。
◇
静まり返る会場。数秒間、数万人が呼吸を忘れたかのような、完全な無音。
そして。
ワアアアアアアアアアアアアッ!!!!
爆発――スタジアムが揺れるほどの地鳴りのような歓声と拍手が巻き起こった。
悲鳴にも似た称賛の声の嵐。
「すごい⋯⋯」「ほんとに天宮アイなの?」「なんだあれ⋯⋯」「やばすぎる」「アイちゃん⋯⋯!」
大成功だ。
私は荒い息を整えながらゆっくりと顔を上げた。汗で濡れた前髪の隙間から舞台袖を見る。
そこには腰を抜かしてへたり込んでいるリカとミナの姿があった。
彼女たちの顔には、もう嫉妬や侮蔑の色はない。あるのは圧倒的な「実力差」を見せつけられた絶望と理解不能な存在への恐怖だけ。
「勝てない⋯⋯」
彼女たちの唇がそう動いたのが見えた気がした。
本物と偽物。覚悟の量が違う。背負っている「主(神)」の格が違う。
私は彼女たちを一瞥し、フッと冷ややかに鼻で笑った。
そして私は視線を上げた。客席の遥か上方、ガラス張りのVIPルームへ。
そこに彼女はいた。西園寺レイコ様。
ワイングラスを片手に脚を組み、悠然と私を見下ろしている。
距離は離れているが私にはわかる。彼女が満足げに口角を上げているのが。
『よくやったわ、私の犬』
そう言っている声が幻聴として聞こえてくるようだ。私はステージの上でゆっくりと膝をついた。
観客への感謝のお辞儀ではない。遥か高みにいる、たった一人の主人へ捧げる忠誠のポーズ。
右手を左胸に当て、深く頭を垂れる。
(一生ついていきます、ご主人様! この命、レイコ様の野望の礎として、骨の髄までしゃぶり尽くしてください!)
ライトが照らしカメラがその姿をアップで抜く。世間はこれを「ファンへの深い感謝と謝罪」と受け取り、涙するだろう。
「健気だ」「応援しなきゃ」と勝手に物語を補完して、私を再び神輿に担ぎ上げるだろう。
真実は違う。これは私とレイコ様の間だけで交わされる公開契約更新の儀式なのだ。
私は顔を上げ、カメラに向かって――いいや、VIP席の彼女に向かって、妖艶に微笑んでみせた。
汗と涙で濡れた瞳を、ギラリと光らせて。
その瞬間、スタジアムの熱気は最高潮に達した。
堕天の歌姫アイがここに完全復活、いや闇の歌姫『Ai』として再誕した日。
さあ、復活の宴は終わった。
ここからはレイコ様と共に世界を塗り替える覇道の始まりだ。私の首輪は誰にも解かせない。




