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第2話『メイクアップ・マジック』


 週末のショッピングモールの一角に設けられた特設イベントスペース。

 吹き抜けの天井からは人工的な照明が降り注ぎ、休日の家族連れやカップルが行き交う平和な空間に、異質な一角が存在していた。

 そこだけ熱密度が違う。空気が澱み、男たちの野太い声と熱気が渦を巻いている。


 私たち『ピュア・パレット』の握手会会場だ。


「はい、お時間でーす。進んでくださーい」


 無機質なアナウンスと共に、剥がしスタッフの手がファンの肩を掴み、乱暴に押し流していく。

 まるでベルトコンベアに乗せられた荷物のような扱いだ。

 アイドルの握手会において、ファン一人に与えられた時間は数秒。その一瞬に、彼らは人生のすべてを賭けて想いを伝えようとしてくる。


「ア、アイちゃんっ! 今日のライブも最高だったよ! 俺、アイちゃんがいるから仕事頑張れるよっ!」


 汗ばんだ手で私の小さな手を握り締め、必死の形相でまくし立てる男性ファン。

 眼鏡の奥の瞳は充血し、着ているTシャツは私のメンバーカラーである「純白」だが、洗濯を繰り返して少し黄ばんでいる。

 剥がしのスタッフが彼の肩を掴み、強引に引き剥がそうとする。


「ああっ、まだ! まだ言いたいことが!」

「はい終了でーす。次の方どうぞー」


 スタッフの腕に力が入り、男性の体がよろめく。

 普通ならここで次のファンに目を向けるのが効率的な対応だ。リカやミナなんて、もう隠そうともせずに「チッ、汗くせーな」という顔をしている。


 私は引き剥がされそうになる彼の手を、ギリギリまで離さない。

 そして、まるで織姫と彦星の別れのように名残惜しげな表情を作り、スタッフにも聞こえるような通る声で言った。


「ありがとう⋯⋯! リュートさんの応援、ちゃんと届いてますから! 来週のお仕事も、私が魔法をかけておきますね!」


 ウィンクを一発。

 その瞬間、男性ファンは感電したように硬直し、剥がされる勢いのまま恍惚の表情で去っていった。

 スタッフが舌打ちをして私を睨む。「天宮、粘るな。進行が遅れる」と言いたげな視線だ。

 私はすかさず、スタッフにも小さく頭を下げる。


「すみません、手間をかけさせてしまって。いつもありがとうございます」


 上目遣いで微笑む。乱暴な剥がしスタッフですら、一瞬だけ毒気を抜かれたように顔を赤らめ「⋯⋯ちっ、早くしろよ」と顔を背ける。


(ふぅ。チョロいもんだ)


 私は心の中で冷ややかな吐息を漏らす。

 表面上は聖母のような微笑みを貼り付けたまま、内心では冷静にタイムマネジメントとファンの選別を行っていた。


(今のファンは認知済み。名前を呼ぶだけで効果は倍増。スタッフへの謝罪もセットで行うことで「健気な良い子」アピール完了。一石二鳥、いや三鳥だ。私の好感度パラメータは今日も天井知らずだな)


 私の列だけ、長蛇の列ができている。

 隣のレーンでは、リカとミナが暇そうに爪をいじりながら、私の列を憎々しげに睨んでいた。

 その視線すら心地よい。

 彼女たちの嫉妬が深ければ深いほど、私が『エンパイア・プロモーション』に移籍したとき、あるいはレイコ様に拾われたときの「悲劇性」が際立つのだ。


「次の方、どうぞー」


 次に現れたのは、私のデビュー当時から通い詰めている最古参のファン、通称「軍曹」。

 彼はいつものように軍用ジャケットを着込み、厳しい表情で私の前に立った。

 握手の手は優しく、しかし視線は鋭い。まるで戦場で部下の健康状態をチェックするかのような眼光だ。


「⋯⋯アイちゃん」


「あ、軍曹さん! 来てくれて嬉しいです!」


 私は花が咲くような笑顔で迎えるが、軍曹の表情は曇ったままで私の顔をじっと覗き込み、低い声で言った。


「目の下⋯⋯クマができてるぞ。コンシーラーで隠してるけど、俺の目は誤魔化せない」


 ドキリ、としたフリをする。

 私は慌てて手で頬を隠し、視線を泳がせる。


「え、そ、そんなこと⋯⋯」


「それに顔色も青白い。肌のツヤもいつもの7割程度だ。⋯⋯また、事務所に無茶なスケジュールを入れられてるんじゃないか? あの無能マネージャー、アイちゃんばかり働かせて⋯⋯」


 軍曹の声に怒りが滲む。

 周囲のファンたちもざわつき始めた。

「え、アイちゃん体調悪いの?」「そういえば痩せたかも⋯⋯」「マジかよ運営許せねえ」という声がさざ波のように広がる。


 ここだ。ここが勝負所だ。

 私はゆっくりと首を振り、震える人差し指を自分の唇に当てた。


「しーっ。⋯⋯そんなことないよ、軍曹さん」


 か細く、しかし芯のある声。


「私ね、みんなに会えるのが楽しみすぎて、昨日は全然眠れなかったの。遠足の前の日の子供みたいにドキドキしちゃって⋯⋯。だから、これは『幸せな寝不足』なんです。心配しないで?」


 潤んだ瞳で、まっすぐにファンを見つめる。

 その言葉を聞いた瞬間、軍曹の目から涙がにじんだ。


「アイちゃん⋯⋯っ! なんて健気なんだ⋯⋯! 自分の体調よりも、俺たちファンのことを⋯⋯!」


「ああ、なんて聖女なんだ!」

「運営は鬼か! こんな良い子を酷使しやがって!」

「俺たちがアイちゃんを守るんだ!」


 会場のボルテージが一気に上がる。

 剥がしスタッフが「騒ぐな!」と制止に入るが、ファンの熱気は収まらない。

 私は申し訳なさそうに眉を下げ、「ごめんなさい、私のせいで⋯⋯」と小さく呟く。


 ――完璧だ。


(くっくっく⋯⋯。軍曹、あんた鋭いようでいて、致命的に見当違いだぜ)


 私は内心でほくそ笑む。

 ファンの手を握り返しながら、脳内で勝利のファンファーレを鳴らした。


(このクマ? ああ、確かに寝不足だよ。昨日の夜中、今期覇権と言われる深夜アニメ『異世界転生したらストロングゼロだった件』の第2期を一気見してたからな! 連続視聴はキツかったけど、あの作画クオリティを見逃すわけにはいかなかった!)


 そう。

 私の目の下にあるクマは、過労によるものではない。

 単なる夜更かし、オタ活の代償だ。


(そして、この顔色の悪さ。これが今日の自信作『午前4時のメイクアップ・マジック』だ!)


 私は前世、男だった頃から美容には無縁だったが、転生して「天宮アイ」というSSRボディを手に入れてからは研究に研究を重ねた。

 すべては「儚げな薄幸の美少女」を演出するために。


 今朝、私は午前4時に起きて仕込みを行った。

 まず、ベースメイクには通常のファンデーションを使わない。


 舞台用のドーランに近い、青みがかったコントロールカラーを薄く塗り重ねる。これにより、血色を意図的に殺し、血管が透けて見えそうな透明感を演出する。

 チークは入れない。あるいは、ごく薄いラベンダー色を頬骨の高い位置に入れることで、顔色をさらに悪く、かつ神秘的に見せる。


 そして極めつけは、目元のメイクだ。

 赤みのあるアイシャドウを、下まぶたのキワに滲むように入れる。これは「地雷系メイク」の応用だが、やりすぎるとメンヘラになる。


 私が目指すのは「泣きはらした後のような赤み」と「疲労による色素沈着」の中間点。

 綿棒を使ってミリ単位でボカし、さらにその上に微細なシルバーラメを乗せることで、常に涙ぐんでいるようなウルウル感を捏造する。


 完成したのは「過労で倒れる寸前だが、気丈に振る舞う天使」の顔。


(軍曹、あんたが見ているのは『真実』じゃない。私が作り上げた『作品』だ!)


 それに体調不良? 痩せた? 笑わせないでほしい。


(私のステータス画面があったら見せてやりたいくらいだ。『体力:A+』『健康状態:極めて良好』毎朝プロテインを飲み、自重トレーニングとヨガでインナーマッスルを鍛え上げている私が、そう簡単に弱るわけがないだろう!)


 私の華奢な体つきは栄養失調ではなく徹底的な食事管理と、しなやかな筋肉によって作られた機能美だ。

 ライブで1時間踊り続けても息が切れない心肺機能を持っているが、あえて肩で息をして「頑張ってる感」を出しているに過ぎない。


 なぜそこまでするのか? 理由はたった一つ。


 単に健康的で元気なアイドルなんて、西園寺レイコ様は見向きもしないからだ!


 脳裏に敬愛する推しの姿が浮かぶ。

 レイコ様の好みのタイプ(オモチャ)は一貫している(私調べ)。

 『美しく、脆く、誰かに依存しなければ生きていけない硝子細工』あるいは『泥の中で必死に足掻く、折れかけた花』。


 健康的で、自己肯定感が高く、太陽のように笑うアイドル?

 そんなものは『エンパイア・プロモーション』には不要、レイコ様はそういう手合いを一番嫌う。

 「見ていて退屈なのよ。完成された商品は、あとは劣化するだけでしょう?」と言い放ち、契約を切る姿がニュースになっていたのを覚えている。


(だから私は演じる。今にも壊れそうな、触れたら崩れ落ちてしまいそうな硝子細工を! レイコ様が「あぁ、この手で粉々に砕いてしまいたい」とゾクゾクするような、極上の被虐対象を!)


 私の目的は、ファンに愛されることではない。

 レイコ様に「発見」され「捕食」されることだ。

 そのための撒き餌として、この「過労でボロボロの天宮アイ」というキャラ設定は必須なのである。


「ありがとう⋯⋯ありがとう⋯⋯」


 次々と流れていくファン一人一人に、私は深々と頭を下げる。

 長時間の中腰姿勢。普通なら腰に来るところだが鍛え抜かれた背筋と腹筋が天然のコルセットとなり、美しい姿勢をキープし続けている。


 そして、そろそろ仕上げの時間だ。


 握手会の列が途切れ、小休憩のアナウンスが入りそうになった瞬間。

 私は計算通りに、ふっ、と膝の力を抜いた。


「あっ⋯⋯」


 小さな声を漏らし、よろめく、足がもつれ、パイプ椅子に手をつく。

 ガタッ、と椅子が大きな音を立てた。


「アイちゃん!?」

「おい、大丈夫か!?」

「救護班! 誰か!」


 会場がどよめき、悲鳴に近い声が上がる。

 すぐさまスタッフが駆け寄ってくるが、私はそれを制するように手を上げた。


「だ、大丈夫です⋯⋯ちょっと、立ちくらみがしただけで⋯⋯」


 荒い息遣いで乱れた前髪の隙間から覗く、虚ろで美しい瞳。

 蒼白な肌に、じっとりと浮かぶ汗(これは直前に水を少し顔に吹きかけておいた)。


 ファンたちは息を呑み、その光景に見入っていた。

 痛々しい。可哀想だ。

 でも――どうしようもなく、美しい。


 滅びの美学。倒れる寸前の白鳥のような刹那的な輝き。

 これこそが私が目指した究極のアイドル像。


(見たか、この臨場感! 心配と興奮が入り混じったこの空気! これだよこれ! 私が本当に倒れたら興ざめだが、ギリギリで踏みとどまって笑顔を見せることで、カタルシスは最大化する!)


 私はスタッフに支えられながら、ファンに向かって弱々しく微笑んでみせた。


「ご心配おかけしてごめんなさい。⋯⋯少し休憩したら、すぐに戻りますから。待っていて⋯⋯くれますか?」


「待ってるー!!」

「無理しないでー!!」

「一生待つよおおお!!」


 怒号のような声援を背に私は裏の控室へと運ばれていく。

 スタッフの肩に寄りかかり、ぐったりと脱力しながら、私は前髪の下でニヤリと笑った。


(勝った。今日のイベントのMVPは間違いなく私だ。SNSで『天宮アイ、過労で倒れる寸前』がトレンド入り出来るかもしれない。そして上手くいけばそのニュースがレイコ様の目にも止まるはず⋯⋯!)


 控室のドアが閉まる。

 雑多な荷物が置かれた薄暗い部屋に入った瞬間、私はスタッフの手をパッと離し、猫のようにしなやかに着地した。


「ふぅ。お疲れ様でしたー」


 ケロリとした顔で言い放ち、私は机の上に置いてあった自分のプロテインシェイカー(中身はストロベリー味)を手に取った。


 スタッフが呆気にとられた顔をしているが、気にする必要はない。こいつらも「天宮アイはプロ意識が高いから、裏では気丈に振る舞っている」と勝手に脳内変換してくれるからだ。


 私はシェイカーを振りながら、鏡の中の自分にウィンクを送る。


 メイク崩れなし、クマの演出も完璧。さあ、レイコ様。

 あなたのための極上の「壊れ物」いつでも準備万端ですよ?

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