第12話『沈黙のアクターズ・ハイ』
バシャシャシャシャシャシャッ!!
会場に入った瞬間、視界のすべてが真っ白な光に塗りつぶされた。
無数のストロボが、マシンガンの掃射のように私を撃ち抜く。
シャッター音が、鼓膜を物理的に叩くほどの轟音となって降り注ぐ。
東京都内某所のホテル、その宴会場で行われる「緊急謝罪会見」。
現代における公開処刑台に私は、たった一人で登壇した。
衣装は、あえてブランドものではなく、量販店で買ったようなシンプルな白のコットンワンピース。
アクセサリーは一切なし。ネイルも落とし、爪は短く切り揃えてある。
髪は後ろで一本に束ね、後れ毛を少し出すことで「身なりを構う余裕すらなかった」生活感を演出。
そしてメイク。これが今日の勝負服だ。
ファンデーションは塗らない。日焼け止めと青みの強いコントロールカラーだけで肌の血管を透けさせ、病的なまでの蒼白さを作る。
リップはコンシーラーで色味を消し、さらにマットなパウダーを重ねて乾燥した質感を出す。
目元には、赤みのシャドウを下瞼の粘膜ギリギリに入れ、常に泣き腫らしているような錯覚を与える。
完成したのは「数日で体重が五キロ落ちた、精神崩壊寸前の少女」。
(よし。コンディションは最高だ。アドレナリンが脳髄を駆け巡っているのがわかる)
私は怯えたように小さく背中を丸め、フラッシュの光から逃げるように顔を伏せながら、中央の席へと歩を進めた。
その一挙手一投足すべてが、計算されたパフォーマンスだ。
パイプ椅子に座る。
目の前には、飢えた獣のような目をした数百人の記者たち。
彼らは「真実」を求めているのではない。「生贄」が血を流す瞬間を求めているのだ。
「それでは、天宮アイさんによる謝罪会見を始めます」
司会者が事務的に告げた瞬間、怒号のような質問が飛んできた。
「週刊真実の報道は事実ですか!」
「あの写真はあなた本人で間違いないですね!?」
「お相手の男性は誰なんですか! パパ活という認識でいいんですか!」
「ファンに対してどう説明するつもりですか!」
容赦ない言葉の暴力。
普通ならここで泣き出して逃げ出すか、あるいは弁護士の用意した原稿を棒読みするのが関の山だ。
私はマイクの前に座り、じっと膝の上で握りしめた拳を見つめていた。
白くなるほど強く、震える拳を。
(喋るな。まだだ。沈黙こそが、最も雄弁な言葉になる)
私は口を開こうとして、パクパクと金魚のように動かし、また閉じる。
何かを言おうとして、言葉が喉に張り付いて出てこない――そんな演技をする。
「天宮さん! 答えてください!」
記者が苛立ちを募らせる。
私はビクリと肩を跳ねさせ、ゆっくりと顔を上げた。
その瞳は虚ろで、焦点が合っていない。
「⋯⋯あの⋯⋯」
蚊の鳴くような声。
マイクがギリギリ拾うかどうかの音量。会場が一瞬で静まり返る。
「⋯⋯写真は⋯⋯」
ゴクリ、と誰かが唾を飲み込む音が聞こえた。
私は唇を噛み締め、血が滲むほど強く噛んでから、再び視線を落とした。
「⋯⋯⋯⋯」
沈黙。
十秒、二十秒。
永遠にも感じる空白の時間。
私はただ、首を横に振った。「違う」という意味なのか「言えない」という意味なのか、判別がつかない絶妙な角度で。
(ここだ。ここで視線誘導を使う)
私は、ふと視線を泳がせ、会場の隅――誰もいない虚空の一点――を、怯えたように一瞬だけ凝視した。
まるで、そこに「怖い人」がいて、監視されているかのように。
そしてすぐに目を逸らし、さらに小さく身を縮める。
この「不自然な視線の動き」を見逃すほど、プロの記者は節穴ではない。
「⋯⋯おい、見たか今の」
「ああ。何かを気にしてるな」
「もしかして、言えない事情があるのか?」
記者たちの間に、さざ波のような動揺が広がる。
「淫乱なパパ活アイドル」という前提が、少しずつ揺らぎ始める。
「言いたくても言えない、何らかの圧力があるのではないか」という疑念の種が蒔かれたのだ。
さらに私は、震える手でマイクを握り直し、過呼吸気味に息を吸った。
ヒューッ、ヒューッ、という浅い呼吸音がスピーカーに乗る。
「⋯⋯ごめんなさい⋯⋯私が⋯⋯全部、私が悪いですから⋯⋯」
「全部、私が悪い」。
この言葉の魔力は凄まじい。
具体的に何が悪いのかは言わず、全ての罪を一人で被ろうとする姿勢。それは逆に「誰かを庇っている」という印象を強烈に植え付ける。
「天宮さん! 『全部』とはどういう意味ですか?」
「誰かに指示されたんですか!?」
「事務所の関与は!?」
質問の質が変わった。攻撃的な糾弾から真相を暴こうとする探究心へ。
獲物を狙う獣の目が、少しずつ「同情」の色を帯びていく。
(いいぞ。フロアが温まってきた。私の支配領域だ)
私は「アクターズ・ハイ」の状態に入っていた。
脳内が冷徹なまでにクリアだ。
心拍数はコントロールされ、涙腺は蛇口のように自在に開閉できる。
三百六十度、どのカメラからどう撮られているか、空間認識能力が完全に把握している。
今の私は世界一不幸で、世界一美しい生贄だ。
その時。最前列にいたベテランの芸能記者が核心を突く質問を投げかけた。
「天宮さん。⋯⋯単刀直入に聞きます。あの写真は、誰かに『強要』されたものではありませんか?」
――ビンゴ。
待っていた。その言葉を、お前の口から引き出すのを待っていたんだ!
私は、その質問を聞いた瞬間、反射的に――
ガタッ!!
椅子を鳴らして、大きく体を仰け反らせた。
目を見開き、呼吸を止め、まるで銃口を突きつけられたような反応を示す。
図星を突かれた人間の、隠しきれない動揺。
そして、三秒カウント。
いち、に、さん。
ツーッ。
左目から一筋だけ、雫がこぼれ落ちた。
両目ではない。片目だけだ。ボロボロと泣くのは子供の嘘泣きだ。大人の、本当の絶望は、静かに、一筋だけ流れる。
その涙は、頬を伝い、顎先で光り、白のワンピースに小さな染みを作った。
その一滴が、決定打だった。
バシャシャシャシャシャシャッ!!
先ほどとは比べ物にならないほどの、爆発的なフラッシュの嵐。
記者たちが息を呑み、会場の空気が完全に反転する。
「⋯⋯っ!」
私は慌てて手で口元を覆い、嗚咽を漏らさないように必死で耐える演技をする。
震える肩。白磁のような首筋。
誰がどう見ても、これは「イエス」だ。
彼女は強要されたのだ。巨大な闇の力によって、枕営業を強いられ、汚れ役を押し付けられた被害者なのだ――と、この場の全員が確信した瞬間だった。
「ごめんなさい⋯⋯もう、許してください⋯⋯」
私はマイクに向かって、懇願するように呟いた。
それは記者への言葉のようでいて、見えない「黒幕(という設定の架空の存在)」への恐怖の告白に聞こえたはずだ。
もう、質問は飛ばない。
会場を支配しているのは、痛ましい沈黙と、いたいけな少女を追い詰めてしまった大人たちの罪悪感だけだ。
司会者が、気まずそうに割って入る。
「天宮さんの体調が優れませんので、会見は以上とさせていただきます」
私はフラフラと立ち上がった。
一礼する。九十度、五秒間静止。
顔を上げるともう一度だけ儚く微笑んでみせた。
『それでも私は、アイドルとして気丈に振る舞います』という、けなげな聖女の笑み。
その表情が明日の朝刊の一面を飾ることは確定事項だ。
出口へと向かう私の背中に、記者の一人が優しく声をかけた。
「天宮ちゃん、無理しないで!」
その言葉を背中で受け止めながら、私は会場を出た。
◇
控室に戻り、ドアが閉まった瞬間。
遮音された静寂の中で、私は大きく息を吐き出した。
「ふぅー⋯⋯」
首をコキリと鳴らし鏡を見る。そこには、やつれきった可哀想な少女が映っているが、その瞳の奥には獰猛な獣の光が宿っていた。
(見たか、マスコミ。見たか、世間。これが『情報操作』だ)
私はテーブルに置いてあったペットボトルの水を一気に煽った。
喉が渇いた。演技というのはカロリーを使う。
今回の会見で、私のスキャンダルの質は180度変わった。
『ファンを裏切って男と遊んでいた尻軽女』から、
『芸能界の闇に飲み込まれ、大人の事情で身体を売らされた悲劇の聖女』へ。
どちらにせよ「清純派アイドル」としての生命は絶たれた。
事務所には居られないし、テレビにも出られない。社会的には「終わった」存在だ。
だがその「終わり方」には天と地ほどの差がある。
ただのビッチとして消えるのは三流だ。
私は世間の同情と解明されない謎、悲劇性を背負ったまま伝説として消える。
そう、まるで折れた翼を引きずりながら、それでも美しくあろうとする堕天使のように。
私はスマホを取り出し、ニュースサイトをチェックした。
速報記事のタイトルが躍っている。
『天宮アイ、涙の会見 強要疑惑に無言の肯定』
『芸能界の闇か? 17歳の少女が背負わされた十字架』
コメント欄は、昨日までの罵倒から一転し、同情と運営批判の嵐となっていた。
『アイちゃんを救え』『許せない』『俺たちが守らなきゃ』。
(チョロい。本当にチョロいな、人間ってやつは)
私は口の端を歪めて笑ったが本命は、ネットの有象無象ではない。
(見ていましたか、レイコ様! これが私が貴女に捧げる『悲劇のヒロイン』です!)
西園寺レイコ。
彼女はきっと、この茶番劇の裏にある「作為」に気づくだろうか?
いや、気づかなくてもいい。
重要なのは、私が「誰の手にも負えないほど美しく壊れた」という事実だ。
行き場を失い、業界のタブーとなり、腫れ物扱いされる私。
そんな「曰く付きの物件」を拾って面白がるのは、この世界でただ一人。
あの狂った女帝だけだ。
「さあ、お膳立ては済みましたよ」
私は鏡の中の自分に向かって、とびきりの変顔をして見せた。
そしてすぐに、また「悲劇のヒロイン」の顔に戻る。
次のステージは、いよいよ『エンパイア・プロモーション』。
魔王城への扉は、もうすぐ開く。




