表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/37

第11話『天使の羽がもげる音』


 ザザザッ、ザザッ――ブツンッ。


 耳障りなノイズが唐突に途切れ、ステージ背面の巨大LEDスクリーンに、鮮明な「地獄」が映し出された。


 それは週刊誌に掲載された写真ではない。

 私が匿名で送りつけつつも、編集部の自主規制によって掲載が見送られた、言わば「ディレクターズ・カット版」のアウトテイクだ。


 4K画質の大画面いっぱいに広がるのは、乱れに乱れたキングサイズのベッド。

 シーツには情事の激しさを物語るような皺が刻まれ、その上には無造作に散らばった一万円札の束。

 そして、画面の中央には――私、天宮アイの顔がアップで映っていた。


 事後の気だるげな表情。

 汗に濡れて額に張り付いた前髪。

 少しだけ開いた唇と、どこか虚ろで、それでいて欲に満ちた瞳。

 首筋にはキスマークに見えるような赤い痕(リップで付けた)。


 逃げ場のない、言い逃れのできない、あまりにも生々しい「雄の匂い」が染み付いた一枚。


「――――」


 一瞬、時が止まった。

 三千人の脳が、視覚情報を処理しきれずにフリーズする。

 その静寂はコンマ数秒で破られた。


「キャアアアアアアアアアアッ!!」


 女性ファンの悲鳴が、ホールの空気を切り裂いた。

 それは恐怖映画のスクリームに近い、生理的な拒絶の叫びだった。


「う、嘘だろ⋯⋯!?」

「なんだよこれ⋯⋯見たくない! こんなのアイちゃんじゃない!」

「消せよ! 誰か早く消せよオオオッ!!」


 会場中がパニックに陥る。

 私はステージの中央で、スクリーンを背にして立ち尽くしていた。

 ゆっくりと振り返り、その映像を見た(フリをする)瞬間、私は短く悲鳴を上げてその場にしゃがみ込んだ。


「い、いやぁっ⋯⋯! 見ないで⋯⋯! お願い、見ないでぇっ!」


 両手で頭を抱え、錯乱したように叫ぶ。

 だがその声はマイクを通して会場の隅々まで響き渡り、かえって映像のリアリティを補強するBGMとなってしまう。


(ふふっ⋯⋯いい画質だ。ホテルの間接照明が、私の肌の艶めかしさを最高に引き立てている。私の全財産をばら撒いた万札の演出も、下品で素晴らしい!)


 私は顔を伏せながら、内なる喝采を送っていた。

 この映像が流れた時点で「コラ画像説」や「陰謀説」は消し飛ぶ。

 これは「流出」だ。天宮アイという聖女が、裏では汚れた金と肉欲に塗れていたという、決定的な「解剖映像」なのだ。


 ◇


 ステージの最前列。

 そこにはいつも私のイベントに駆けつけてくれる最古参、軍曹さんの姿があった。

 彼は呆然と口を開け、スクリーンを見上げていた。

 その目から、ボロボロと大粒の涙がこぼれ落ちている。

 手には私のメンバーカラーである純白のサイリウム(高輝度タイプ)が握りしめられていた。


 彼はゆっくりと視線を下ろし、ステージ上でうずくまる私を見た。

 目が合う。以前のような、慈愛に満ちた目ではない。

 裏切られた絶望。信仰が崩れ去った虚無。そして、それが反転した瞬間の――漆黒の殺意。


 バキンッ!!


 乾いた破砕音が響いた。

 軍曹さんが手にしたサイリウムを両手でへし折ったのだ。

 中の液体が漏れ出し、彼のゴツい手を汚していく。

 

 その音が、処刑開始のゴングだった。


「ふざけんなよ⋯⋯!」


 軍曹さんが、獣のような低い唸り声を上げた。


「俺たちが⋯⋯どれだけ応援したと思ってんだ!! どれだけ金を使ったと思ってんだ!! 全部、男に貢ぐためだったのかよオオオッ!!」


 彼が折れたサイリウムをステージに投げつける。

 カラン、とプラスチックが転がる音が虚しく響く。

 それを皮切りに、堰を切ったように罵声の嵐が巻き起こった。


「裏切り者!!」

「金返せ! 詐欺師!」

「最低だ! 消えろ!」

「汚らわしい! その顔を二度と見せるな!」


 愛の反対は無関心だと言う人がいるが、それは嘘だ。

 愛の反対は、もっと熱量の高い「憎悪」だ。

 さっきまで私を「天使」と崇めていたエネルギーが、そのまま反転して私を焼き尽くす業火となって襲いかかってくる。


 サイリウムが、ペットボトルが、タオルが次々とステージに投げ込まれる。

 私は飛来物から身を守るように、さらに小さく丸まる。


「ごめんなさい⋯⋯ごめんなさい⋯⋯っ!」


 謝罪の言葉など、怒号にかき消されて届かない。

 ふと、横を見るとそこには私の破滅を望んでいたはずのリカとミナがいたが、彼女たちの表情も凍りついていた。


「な、なによこれ⋯⋯こんなの聞いてない⋯⋯」

「やばいって⋯⋯これ、暴動になるじゃん⋯⋯」


 想定していた「ちょっとした炎上」レベルではない。

 暴徒と化したファンの熱気に、彼女たちは本能的な恐怖を感じていた。

 そして、何よりも彼女たちを戦慄させたのは、スクリーンに映る私の「淫乱さ」だったのだろう。

 同じ女として、生理的な嫌悪感を催している顔だ。


「⋯⋯こっち来ないでよ」


 リカが汚物を見る目で私を睨み、後ずさった。


「あんたのせいで、ウチらまで汚れるじゃない! 近寄らないで!」

「最低⋯⋯ホント無理。生理的に無理」


 ミナも吐き捨てるように言い、私のそばから離れていく。

 二人はステージの袖へと逃げようとするが、田所も頭を抱えて座り込んでおり、誰も助け舟を出さない。


 ステージの中央。

 降り注ぐスポットライト。

 そこに残されたのは、ゴミのようにうずくまる私一人だけ。


 白いドレスは床の埃と、誰かが投げたドリンクの飛沫で汚れ始めている。

 その姿は、かつて「天使」と呼ばれた少女の成れの果て。


 バキリ。

 ミシミシ。


 私の背中で、見えない翼がもぎ取られる音が聞こえた気がした。

 清廉潔白な天使の羽が、ファンの呪詛と軽蔑によって、無惨に引きちぎられていく音。


 痛い?

 辛い?

 悲しい?


 ――いいや。


(あぁ⋯⋯あぁぁぁぁっ⋯⋯!!)


 私は顔を覆った両手の隙間から、その光景を貪るように見つめていた。


 数千の瞳が、私を憎んでいる。

 数千の口が、私を罵っている。

 世界中が私を「敵」認定し、石を投げつけている。


 ゾクゾクするような電流が、背骨を駆け上がり、脳髄を痺れさせた。


(気持ちいい⋯⋯! なんて心地いい絶望なんだ!)


 涙で濡れた手のひらの下で、私の口角は限界まで吊り上がっていた。


 清純派アイドル、天宮アイは死んだ。

 今ここでファンの手によって殺された。

 そして生まれたのは泥と欲望にまみれた、価値のない「メス」。

 誰からも愛されず、誰からも守られず、ただ消費され、唾を吐きかけられるだけの存在。


 これだ。これこそが、私が求めていた「素材」だ!


(見ていますか、レイコ様! 貴女が毛嫌いしていた「完成された商品」は、今こうして無惨なスクラップになりました!)


 私は投げ込まれたサイリウムの一つを、震える手で拾い上げた。

 もう光っていない、ただのプラスチックの棒。

 それを宝物のように抱きしめる。


(この視線! この罵声! この殺意こそが、貴女への最高の手土産だ!)


 私は立ち上がろうとしたが、腰が抜けたように力が入らない。

 それは演技ではない。興奮のあまり、脳内麻薬の過剰分泌で体が麻痺しているのだ。


 ゴトン。


 握りしめていたマイクが、手から滑り落ちた。

 重い音が、スピーカーを通して会場に響く。


 それは、私のアイドル人生の「ゲームオーバー」を告げる音。

 あるいは――私の本当の人生(ゲーム)の「スタート」を告げる音。


「あ⋯⋯ぁ⋯⋯」


 私は虚ろな目で天井を見上げた。

 眩しすぎるライトが、私の網膜を焼き尽くす。

 視界が白く染まっていく中で、私は幻聴を聞いた。


 カツ、カツ、カツ⋯⋯。

 あの日の廊下で聞いた、冷徹で美しいヒールの音を。


(早く⋯⋯早く私を拾ってください。この汚れた残骸を、貴女のコレクションに加えてください⋯⋯!)


 罵声の嵐の中で、私は心の中で狂喜のダンスを踊り続けていた。

 天使の羽がもげた背中から、どす黒く艶やかな悪魔の翼が生えてくるのを感じながら。


 私の社会的な死。それはこの上なく甘美なエクスタシーだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ