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第1話『私の推しはラスボス女帝』


「――本日は、本当にありがとうございましたぁっ!」


 地下アイドルの聖地と呼ばれる、薄暗くカビ臭いライブハウスの舞台裏。

 私は、腰が直角になるほどの角度で深々と頭を下げていた。


 視界に入るのは、スタッフたちが雑に張り巡らせた黒いガムテープと無数の靴。

 激しいダンスで乱れた呼吸を整えることもせず、滴り落ちる汗が床のシミを作るのも厭わず、私はただひたすらに感謝と謝罪のポーズを維持する。


 華奢な肩を小刻みに震わせ、いまにも倒れそうな儚さを演出するのは、もはや呼吸と同じくらい自然な私の処世術だ。


天宮(あまみや)さん、もういいってば。顔上げなよ」

「そーそー。スタッフさんたちも撤収作業あるんだし、邪魔だって」


 頭上から降ってくるのは、気だるげで刺々しい声。

 私が所属するアイドルグループ『ピュア・パレット』のメンバー、リカとミナだ。


 私は「はっ」としたように顔を上げる。

 計算し尽くされた角度で潤ませた瞳、少しだけ乱れた前髪、そして白磁のように透き通る肌に上気した赤み。

 鏡を見なくても分かる。今の私は誰もが守りたくなる「完璧な可憐少女」だ。


「ご、ごめんなさいリカちゃん、ミナちゃん⋯⋯! 私、つい気持ちが高ぶってしまって⋯⋯。スタッフの皆さんが照明を当ててくれなければ、私たちはただの女の子ですから」


 鈴を転がすような声で、私は健気に言った。

 パイプ椅子にドカッと座り込み、スマホをいじりながらチューハイ(もちろんノンアルコールだ、表向きは)の缶を開けている二人とは、あまりに残酷なコントラストを描いているだろう。


 リカが鼻で笑い、つけまつげを指で直しながら吐き捨てる。

 

「アンタってさぁ、ホント優等生ぶるよね。照明なんて金払ってんだから当たり前じゃん?」

「つーか今日の客、またアイのファンばっか。ウチらの色のサイリウム、全体の二割もなかったし。マジやってらんねー」


 ミナが貧乏ゆすりをしながら同意する。

 狭い楽屋には制汗スプレーの安っぽいフローラルの香りと、澱んだ嫉妬の空気が充満していた。


「それは⋯⋯私が、もっと二人を引き立てるようなパフォーマンスができればよかったんだけど⋯⋯ごめんなさい、私の実力不足で⋯⋯」


 私は胸の前で小さく手を組み、申し訳なさそうに眉を下げる。

 その時、楽屋のドアが乱暴に開かれた。


「おい、天宮! ちょっとツラ貸せ」


 入ってきたのは三十代半ばの小太りな男。この弱小事務所のマネージャー、田所だ。

 脂ぎった額に汗を浮かべ、彼は苛立ちを隠そうともせずに私を睨みつけた。


「は、はい⋯⋯!」


 私は怯えた小動物のように体を強張らせる。

 田所は私のすぐ目の前まで歩み寄ると、誰もが振り返る美少女である私の顔を指差し、怒鳴りつけた。


「お前さぁ、今日のMC、なんだあれ?」


「え⋯⋯? あの、ファンの皆様への感謝を⋯⋯」


「それがダメなんだよ! お前一人で喋りすぎだっつってんの! リカとミナが空気になってただろ! グループなんだからバランス考えろよ、バランスを! 自分だけ目立っていい気になってんじゃねえぞ!」


 理不尽極まりない説教だった。

 今日のMCで、私は二人に話を振ろうと何度も試みた。しかし、彼女たちが不貞腐れて生返事しかしなかったため、放送事故を防ぐために私が必死で場を繋いだのだ。

 それを「目立ちたがり」と断罪される。

 あまりの理不尽さに、私の大きな瞳からポロリと涙がこぼれ落ちた。


「ごめんな⋯⋯さい⋯⋯。私、そんなつもりじゃ⋯⋯ただ、みんなに楽しんでもらいたくて⋯⋯」


「泣けば済むと思ってんのがムカつくんだよ! お前みたいなのが一番扱いづらいんだ。あーあ、俺だって『エンパイア』みたいな大手で仕事してえよ。こんなガキのお守りじゃなくてな!」


 田所は捨て台詞を吐くと、舌打ちをして楽屋を出て行った。

 残されたのはすすり泣く私と、それを見て「ざまーみろ」と薄ら笑いを浮かべるメンバーたち。


「うぅ⋯⋯ぐすっ⋯⋯ごめんなさい⋯⋯」


 私は顔を覆い、しゃくりあげる。

 その弱々しい背中は、誰が見ても「理不尽な環境に耐える悲劇の聖女」そのものだっただろう。


 ――だが。


(っしゃああああああああっ!! キタコレええええええええッ!!)


 覆った手のひらの下で、私の口元は三日月のように吊り上がっていた。


(ナイスだ田所ォ! その理不尽なパワハラ! 無能な采配! そしてメンバーからの陰湿なイジメ! 完璧だ⋯⋯完璧な「泥沼」が出来上がりつつある⋯⋯!)


 私は、嗚咽を漏らすフリをしながら、脳内でガッツポーズを連打していた。


 そう。私の正体は、かつて芸能界育成シミュレーションゲーム『スターライト・ウォー』を、寝食を忘れてやり込んだ廃課金ゲーマーである。


 不慮の事故でこの世界に転生し、鏡を見た瞬間にガッツポーズした。

 天宮アイ――華奢な骨格、色素の薄い髪、守護欲を掻き立てる大きな瞳。

 これはいわゆる「SSR級」の素体だ。前世の私が何百回ガチャを回しても出なかった、幻の清純派アイドルそのもの。


 しかし私の狙いは「トップアイドル」になることではない。


(ゲームでいうところの田所の管理能力(マネジメント)はGランク。リカとミナのアイドル適正はFランク。こんな掃き溜めのような環境で、私だけがSランクの輝きを放つ⋯⋯。この「落差」こそが、最高のスパイスなんだよ!)


 涙を拭う仕草をしながら私は冷静に周囲を観察する。

 リカとミナは私が泣いているのを見て優越感に浸り、化粧直しを始めている。

 田所の怒号は、廊下まで響いているだろう。


(いいぞ、もっと私を追い詰めろ。もっと私を孤独にしろ。私が「美しくも哀れな被害者」であればあるほど⋯⋯あのお方の目に留まった時の価値が跳ね上がる!)


 一通り泣き真似を終えた私は、震える声で「ごめんね、ちょっと顔洗ってくる⋯⋯」と言い残し、逃げるように楽屋を飛び出した。


 ◇


 トイレの個室に入り、鍵をかけた瞬間、私は憑き物が落ちたように表情を消した。

 手鏡で自分をチェックする。涙で濡れたまつ毛、赤くなった鼻先。完璧な「泣き顔」だ。我ながらプロ意識の高さに惚れ惚れしてしまう。


 私はスカートのポケットからスマホを取り出すと手慣れた指つきでニュースアプリを起動した。

 検索履歴の一番上にある名前をタップする。


 『西園寺レイコ』


 画面に表示されたのは業界最大手の一角『エンパイア・プロモーション』の若き女社長の姿だ。

 黒髪のロングヘアをなびかせ、氷のように冷徹な瞳でカメラを見下ろす美女。

 その唇は、情け容赦のない言葉を紡ぐために紅く彩られている。


 最新のニュース記事の見出しが、私の鼓動を跳ねさせた。


 『エンパイア・プロモーション、老舗事務所を買収。所属タレントの半数を即日解雇』

 『冷血の女帝・西園寺レイコ。「売れないアイドルは産業廃棄物と同じ」と発言し炎上』


「あぁ⋯⋯レイコ様⋯⋯」


 スマホの画面を指でなぞる。

 その冷たい感触に背筋がゾクゾクと震えた。


 記事には、レイコによって夢を絶たれたアイドルたちの悲痛な叫びが綴られている。

 世間では彼女を「人の心を持たない悪魔」「業界の癌」と罵っているが、私にとっては違う。


(最高だ。そのブレない冷酷さ。効率のみを追求し、無能を容赦なく切り捨てる絶対的な支配力⋯⋯! あぁ、たまらない!)


 私はトイレの蓋に座り込み、恍惚とした表情で画面を見つめる。

 前世のゲームプレイ時、私はこの「西園寺レイコ」というラスボスに心を奪われた。

 プレイヤーの立ち上げるアイドル事務所を何度も潰しにかかり、卑劣な手段で妨害し、最後には敗北してもなお高笑いを上げて去っていく彼女。


 その誇り高き悪役ぶりに、私は歪んだ憧れを抱いたのだ。

 そして転生した今、その想いはさらに歪んだ形で開花している。


「解雇されたアイドルたちの涙⋯⋯それを踏みつけにして歩くハイヒール。その靴底になりたい⋯⋯」


 口から漏れたのは、清純派アイドルの口からは絶対に出てはいけない変態的な願望だった。


 私が今、必死で「健気な天使」を演じている理由、それはひとえにただのファンのままではレイコ様に近づけないからだ。

 かといって、普通にオーディションを受けて『エンパイア』に入っても、その他大勢の「商品」として扱われるだけで終わってしまう。


 それでは足りない。私が求めているのは、もっと深い絶望と、歪な愛だ。


(このゴミ溜めのような『ピュア・パレット』で、泥の中でも咲き誇る白百合のように振る舞い続ける。そして、限界まで輝き、周囲の無能どもに足を引っ張られ、ボロボロに傷ついたその瞬間に――)


 脳裏にシミュレーションが走る。

 雨の降る路地裏。事務所をクビになり、行き場を失った私。

 そこに現れる黒塗りのリムジン。

 窓が開き、西園寺レイコが冷ややかな目で見下ろしてくる。


 『あら、綺麗な顔をしているのに、随分と汚れているのね』

 『拾ってあげるわ。ただし――私の言うことは絶対よ。心も体も、全て私が管理する』


(くぅぅぅっ! 想像しただけでご飯三杯いけるわ!)


 私は身悶えし、自分の細い二の腕を抱きしめた。

 

(金なんていらない。あなたの欲望の掃き溜めにしてほしい。道具として使い潰されたい。その美しい手で、私の尊厳を粉々にしてほしい⋯⋯!)


 トイレの個室で清純派美少女が独り、邪悪な笑みを浮かべている。

 この光景をファンが見たら即座に卒倒するだろうが、知ったことではない。


 私の人生(ゲーム)の勝利条件は、トップアイドルになることではない。

 最推しである西園寺レイコの「所有物(ペット)」になり、彼女の破滅的な野望の道具として消費されること。

 

 そのために私は今日も明日も、このクソみたいな芸能界で「天使」を演じ続けるのだ。


「さてと」


 コン、コン、と個室のドアをノックする音が聞こえた。

 女性スタッフの声だ。「天宮さん? 大丈夫ですか?」


 私はスマホをしまい、表情筋をリセットする。

 数秒後、鍵を開けて出て行った私の顔は、涙で少し腫らした、可憐で脆い少女のものに戻っていた。


「はい⋯⋯すみません、もう大丈夫です。ご心配おかけしました」


 待っててくださいね、レイコ様。

 私が最高の素材(オモチャ)に仕上がったら、必ずあなたの元へ這って行きますから。


 泥にまみれる準備は、もう万端だ。

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