花の家
雨の匂いがする廊下を、私は静かに拭いていた。
屋敷の中はいつも花の香りが漂っている。
けれど、それは決して窓から入る風ではなく、
お嬢さまが一輪ずつ
「祈りながら摘んだ」
花の香りだった。
「ねえ、ミナ。外の子たちは元気かしら?」
「ええ、とても。今日も遊び場で歌っていましたよ」
そう答えると、お嬢さまは微笑んだ。
まるで、その景色が見えているみたいに。
「そう……よかった。なら、祈りは届いているのね」
白い手が、窓辺で光を受ける。
その仕草は聖母のように美しいのに、
その後ろで、錠のかかった扉が鈍く鳴った。
―――
夕食の支度をしていると、奥様――
お嬢さまの母上が呼んだ。
「ミナ、今夜は誰も近づけないようにしてちょうだい」
「……何か、あるのですか?」
「あの子が祈るの」
「ええ、それは結構な――」
「外の子のために、よ」
奥様の瞳は、泣いているようで、笑っていた。
何も言えなかった。
―――
深夜。
屋敷の奥の部屋から、低い歌声が聞こえてくる。
お嬢さまの声。
祈りの言葉を繰り返しながら、
何かに語りかけているようだった。
翌朝、その外の子が亡くなったと村で聞いた。
病が長引いていたらしい。
人々は言った。
「お嬢さまの祈りが届いたんだ」
「もう苦しまずに済んだ」
私は台所で手を止めた。
お嬢さまの部屋から漂う花の香りが、
昨日とまったく同じだった。
―――
奥様は、そっと私にだけ言った。
「誰にも話してはいけませんよ、ミナ。
あの子の祈りは、神の試練のようなものだから」
それ以来、屋敷では毎晩花を供えるようになった。
摘むのは、いつもお嬢さま。
咲き誇る花が減っていっても、誰も止めようとはしなかった。
―――
私は今日も廊下を拭く。
花の香りが満ちるこの家は、
いつだって静かで、穏やかで、美しい。
ただ、夜になると。
遠くの扉の向こうで、誰かが祈る声がする。
それが救いなのか、別の何かなのか。
私はもう、確かめる勇気を持たない。




