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一番の真実と詩の結末

久留米の街に深く根差す「大人社会の無関心」と「過去の過ちの隠蔽」が、悠人の心を重く締め付けていた。犯人が「壊れたおもちゃ」と「詩の断片」で暴こうとしている「真実」が、単なる復讐ではなく、この街の忘れられた歴史に横たわっていると確信した矢先、その「真実」が、最も多くの人々の目に触れる場所で、再び血を流すことになった。

その知らせは、いつも穏やかな久留米の午後を、一瞬にして凍てつかせた。

第三の事件現場は、久留米市の中央に位置する「中央公園」だった。広々とした芝生が広がり、子供たちの笑い声が絶えない市民の憩いの場。色とりどりの花壇が整備され、噴水が「サラサラ」と音を立てるその公園は、まさに久留米市の象徴と言える場所だった。その一角、噴水の水音が届かない、古びた楠の木の下で、第三の犠牲者が発見されたのだ。

現場に到着した悠人の目に飛び込んできたのは、既にブルーシートで覆われた痛々しい光景と、それを遠巻きに見つめる、不安と好奇心に満ちた群衆だった。人々のざわめきと、遠くで聞こえるパトカーのサイレンが、普段の公園ののどかな雰囲気とは裏腹に、不協和音のように「キンキン」と響き渡る。

松永刑事の顔は、かつてないほど険しかった。彼は、里中刑事と鑑識班に矢継ぎ早に指示を出しながら、悠人の方に目を向けた。

「神崎さん、まただ。今度は、市議会議員の大山誠がやられた」

大山誠。その名前を聞いた瞬間、悠人の脳裏に、先日里中刑事が語った「久留米ダム建設問題」の記憶が「フラッシュバック」した。大山は、あのダム建設を強力に推進した市議の一人だったはずだ。そして、その推進派の急先鋒として、住民の立ち退き交渉にも深く関わっていたと聞く。

「大山議員が…なぜ、こんな場所で…」里中刑事の声は、動揺を隠せないでいた。

今回の被害者は、これまでの二人とは異なり、久留米の過去と複雑な繋がりを持つ人物だった。村上泰造は、久留米絣の伝統を継承しようとしていた杜氏。月桂太郎は、酒造りの伝統を重んじる職人。そして、大山誠は、街の近代化を推し進め、その過程で多くの人々の生活を犠牲にしてきた政治家。

彼らは皆、それぞれの形で、久留米の歴史に深く根差した存在だった。

鑑識班が、被害者の手元から、またしても詩の断片を発見した。「石の道が割れる時、声は空に消える」「忘れられた花が咲き、真実は土に還る」。

悠人の心臓が「ドクン、ドクン」と大きく鳴った。石の道、声、忘れられた花、土。それら全てが、久留米の過去、特に「久留米ダム建設問題」とそれに伴う地域社会の変容を暗示しているように思えた。そして、「真実は土に還る」という言葉は、かつて埋もれさせられた「真実」が、今、再び表に出てこようとしていることを示唆していた。

犯人が狙っているのは、単なる個人への復讐ではない。それは、過去にこの街で起きた「過去の過ち」、あるいは「隠蔽された真実」を、この街の象徴的な場所で、最も人々の記憶に残る形で「暴露」しようとしているのだ。

中央公園の噴水は、変わらず「サラサラ」と水を噴き上げている。しかし、その水音が、悠人には、まるでこの街の深い悲しみが「ヒューヒュー」と嘆いているかのように聞こえた。そして、そこに集まった人々の中に、誰にも見えない「影」が潜んでいるような、不気味な感覚に襲われた。

この事件は、久留米の歴史の深い闇に、再び光を当てようとしている。そして、その光は、この街の過去の傷跡を、容赦なく炙り出すだろう。悠人の心に、新たな決意が「ギュッ」と固まった。律の言葉と、この街の歴史の断片を繋ぎ合わせ、真実を暴き出す。それが、彼に課せられた、探偵としての使命なのだ。

中央公園での第三の事件は、久留米の街に深い動揺と恐怖を「ザワザワ」と広げていた。市議会議員・大山誠の死は、これまで水面下で燻っていた街の闇を、白日の下に晒す引き金となった。人々の間では、事件の犠牲者が久留米の過去と深く関わる人物ばかりであることに、不穏な憶測が「ヒソヒソ」と囁かれ始めていた。

現場検証が進む中、悠人の心臓は、これまで感じたことのない異様な重さに「ドクン、ドクン」と打ちつけられていた。大山誠の遺体の傍らで発見された詩の断片は、これまでのどれよりも難解で、そして、感情が剥き出しになったような、生々しい言葉で綴られていたのだ。

鑑識班員が慎重に回収したその紙片には、歪んだ筆跡でこう記されていた。

「透明な涙が乾いた時、嘘つきの空が割れる」 「忘れられた花が咲く時、僕の物語が終わる」

悠人の脳裏に、その言葉が「ズン」と響いた。「透明な涙」。それは、誰にも見られずに流された、隠された悲しみを意味するのか? そして、「嘘つきの空が割れる」。それは、欺瞞に満ちた社会の真実が暴かれる瞬間を指し示しているのだろうか。

「忘れられた花が咲く時」。それは、久留米の歴史の中で忘れ去られた「真実」が、再び日の目を見る時を暗示しているに違いない。そして、「僕の物語が終わる」。この「僕」とは、一体誰なのか? 犯人自身の物語なのか、それとも、この事件の犠牲者たちの物語なのか。あるいは、この街の過去の物語そのものが、「終わる」という意味なのか。

悠人は、その詩を読みながら、これまで感じていた犯人の冷静さとは異なる、激しい感情の奔流を「ヒシヒシ」と感じ取っていた。これは、単なるメッセージではない。犯人の、深い悲しみと、そして、全てを終わらせようとする強い意志が、その言葉の奥底に「ドロリ」と渦巻いているようだった。

事件後、松永刑事は珍しく憔悴した表情で、捜査会議室のホワイトボードを睨んでいた。彼は、大山誠の過去の行動、特に「久留米ダム建設問題」における彼の役割について、再び徹底的に洗い直すよう指示を出した。

「大山は、あの問題で多くの恨みを買っていた。我々が見過ごしていた、過去の事件と今回の事件を繋ぐ手がかりが、必ずそこにあるはずだ」

松永の言葉は、まるで自分自身に言い聞かせているかのようだった。彼の脳裏には、かつて解決できなかった未解決事件の影が「チラチラ」と揺れていた。彼自身もまた、「嘘つきの空」の下で、真実を見過ごしてきた過去があるのかもしれない。

里中刑事は、悠人の隣で、静かに呟いた。

「神崎さん、この詩…『僕の物語が終わる』って…これって、犯人が次にもう一度、何かをしようとしているってことでしょうか? それとも、これで最後だと…」

彼女の声には、不安と同時に、どこか切羽詰まったような焦りが「フワリ」と漂っていた。

悠人は、詩の言葉と、久留米の街の風景を脳内で重ね合わせた。

「忘れられた花が咲く…律が言っていた『壊れたおもちゃ』は、過去に壊されたものの象徴だ。そして、『忘れられた花』は、その壊されたものが、再び姿を現すということかもしれない」

悠人は、目を閉じ、集中した。律の言葉を思い出す。「大人はすぐモノを壊す人のこと、悪者って言うけど、これ、もしかしたら、そうじゃないのかも」。犯人は、壊されたものを通して、真実を暴こうとしている。それは、この久留米という街で、次に何をしようとしているのかを、この詩が告げているのだ。

「奴は、この『物語』を、この久留米で、完全に終わらせようとしている。…そして、その結末は、俺たちが思っている以上に、悲しいものになるかもしれない」

悠人の声は、重く、しかし確信に満ちていた。最後の詩は、犯人の次なる行動を示唆すると同時に、彼らの物語の最終章が、間もなく幕を開けることを告げていた。久留米の街に、新たな「物語の終わり」が迫っている。

中央公園での第三の事件は、律の小さな心にも、これまでとは異なる「波紋」を広げていた。市議会議員・大山誠の死、そして現場に残された、剥き出しの感情を秘めた最後の詩。それは、律が普段の「遊び」と称する出来事とは一線を画す、生々しい悲しみを伴っていた。

悠人は、詩の解読に没頭していた。彼の目の前には、これまで発見された全ての詩の断片と、最後に残されたあの難解な言葉が並べられている。

「透明な涙が乾いた時、嘘つきの空が割れる」 「忘れられた花が咲く時、僕の物語が終わる」

悠人が思考の渦に沈んでいると、リビングの隅でブロック遊びをしていた律が、静かに悠人の隣にやってきた。律は、これまでのような生意気な笑みを浮かべることなく、ただ、悠人の手元にある詩の紙片をじっと見つめている。その瞳には、いつもの冷たい光ではなく、何か複雑な感情が「ゆらゆら」と揺らいでいるように見えた。

「ねえ、ゆう兄ちゃん。この詩…」

律が、小さな声で呟いた。悠人は、顔を上げ、律の顔を見た。彼の表情は、普段の「一番」を誇るような自信に満ちたものではなく、どこか物憂げで、そして、一抹の寂しさが「フワリ」と漂っていた。

「この詩、すごく悲しい味がするね」

律は、紙片を指でなぞりながら、そう言った。彼の言葉は、まるで舌の上でその「味」を確かめるかのように、ゆっくりと紡ぎ出された。

「ねえ、ゆう兄ちゃん。大人にはわからないだろうけど」

その言葉には、いつもの大人への軽蔑の響きが確かにあった。しかし、その裏側には、これまでとは違う、感情の余韻が込められているように感じられた。それは、「わからないだろうけど、本当はわかってほしい」という、彼の心の奥底からの微かな願望の表れではないかと、悠人は直感した。

律の内的描写が増える。

(この味…チクチクする。胸の奥が、痛い。ゆう兄ちゃんも、里中刑事も、松永刑事も…みんな、この味を感じているのかな? 僕には、どうしてこんな味がするのか、まだわからない。でも、これが『悲しい』ってことなのかな? 僕は『一番』だから、悲しいなんて、感じないはずなのに。なのに、どうして…)

律の小さな胸には、これまで感じたことのない、得体の知れない感情が「モヤモヤ」と渦巻いていた。彼は、これまで「一番」であることにこだわり、大人たちの感情や論理を「ちっぽけなもの」と見下してきた。大人たちは、すぐに嘘をつくし、すぐに泣くし、すぐに諦める。だから、彼らの感情は「一番」じゃない。そう信じて疑わなかった。しかし、今回の事件で流された血、そしてこの詩が放つ「悲しい味」は、彼の揺るぎない「一番」の認識を、少しずつ「ガタガタ」と揺るがし始めていた。

律は、知らず知らずのうちに、人の「心」や「感情」に触れる経験をしていたのだ。それは、悠人が律の言葉を理解するために「子供の視点に立つ」試みをしているのと同様に、律自身もまた、大人たちの「感情の世界」に足を踏み入れている証拠だった。

彼は、これまでのような「大人は馬鹿だ」という冷たい軽蔑だけでなく、少しだけ「理解したい」という感情を抱き始めていた。この「悲しい味」とは何か。なぜ大人はそれに苦しむのか。そして、この「僕の物語」とは、一体誰の物語なのか。

律は、再び詩の紙片を見つめた。その文字が、まるで生き物のように「ウネウネ」と動いているように感じられた。それは、単なる言葉の羅列ではない。そこには、誰かの心、誰かの悲しみ、誰かの物語が、確かに宿っている。

「この花…どんな色をしてるのかな」

律は、詩に書かれた「忘れられた花」に触れるように、そっと指を伸ばした。彼の瞳の奥に、「一番」であることの誇りとは異なる、新しい感情の光が「キラリ」と宿った。それは、まだ幼い、しかし確かな「共感」の萌芽だった。彼の「物語」もまた、この事件を通して、大きく変化しようとしていた。

律の心に芽生えた「悲しい味」と、最後の詩が放つ「僕の物語が終わる」という不穏な言葉は、悠人の脳裏に強烈な楔を打ち込んだ。もはや猶予はない。犯人が、この久留米の地で、彼自身の「物語」を完結させようとしている。その前に、彼らの意図を、そしてその「真実」を暴き出さなければならない。

久留米中央警察署の捜査本部。ホワイトボードには、これまで発生した三つの事件の概要、被害者たちの情報、そして律が語った言葉の断片と、発見された全ての詩が、まるで巨大なパズルのピースのように貼り出されていた。松永刑事、里中刑事、そして悠人は、各々が持つ情報を持ち寄り、犯人の正体と動機、そして巧妙なトリックを解明しようと試みた。それは、それぞれの「常識」や「経験」、そして「直感」を総動員する、まさに思考の過程そのものだった。

「律が『悲しい味がする』と言った最後の詩…『透明な涙が乾いた時、嘘つきの空が割れる』『忘れられた花が咲く時、僕の物語が終わる』」悠人が、ホワイトボードの詩を指差した。

「『嘘つきの空』…これは、この街の過去の過ち、隠蔽された真実のことかもしれない」里中刑事が、これまで集めた「久留米ダム建設問題」に関する資料の束から顔を上げた。彼女の資料には、当時の市議会議事録や、住民の陳情書、そして地方紙の切り抜きがびっしりとファイリングされている。

「『忘れられた花』…」悠人は、律が詩の言葉に触れるように指を伸ばした光景を思い出す。「それは、忘れ去られた過去の出来事そのものを指している。あるいは、その出来事の犠牲になった人々を…」

松永刑事は、黙って彼らの議論を聞いていたが、やがて重い口を開いた。彼の瞳には、どこか諦めにも似た影が差している。

「『赤い靴が笑い、影は森の奥へ隠れる』『壊れたおもちゃが踊る時、真実は悲しみを呼ぶ』…そして最初の詩、『空の魚が夜に泳ぎ、星は砂になる』『古い時計が止まった時、真実は眠りについた』…」

松永は、指で詩の言葉をなぞりながら、ふと顔を上げた。

「これだ。この詩の比喩表現が、久留米市内の特定の場所や、隠された意味を持つ言葉に当てはまることを突き止めればいい」

松永の言葉は、まるで「カチリ」とギアが入ったかのように、悠人と里中の思考を加速させた。彼らは、それぞれの詩の断片に隠された、久留米特有の風土や歴史、伝説、地域特有の風習との繋がりを必死に探し始めた。

悠人は、律の言葉を思い出す。「空の魚はね、『泳ぐ場所』が違うんだよ」「星が砂になったのはね、『見方』を変えないと見えないの」「時計はね、止まってるんじゃなくて、『動かないもの』なんだよ」。律の純粋な、しかし常識を打ち破る「見方」が、彼らに新たなヒントを与えていく。

「『空の魚』…まさか、これは、久留米市役所の屋上にある、あの大きな鯉のぼりのモニュメントのことじゃないですか?」里中刑事がハッと顔を上げた。久留米市では、毎年5月に鯉のぼりならぬ「鯉のぼりならぬ、空を泳ぐ『魚』」を飾るというユニークな風習がある。市民の間では親しまれているが、市外の人間には知られていない風習だ。

「そして、『夜に泳ぎ』…夜にモニュメントがライトアップされる時間と重なる。そこで何かが起きた…最初の事件のヒントだった?」悠人の頭の中で、点と点が「パチリ」と繋がり始めた。

「『古い時計が止まった時、真実は眠りについた』…久留米市役所の時計台は、数年前に大規模な改修工事が行われました。その間、ずっと時計は止まったままだった」里中刑事がさらに情報を加える。それは、あのダム建設問題で、真実が隠蔽された時期と重なるのではないか。

「『赤い靴が笑い』…律はデパートの赤いハイヒールと言っていた。そして、『影は森の奥へ隠れる』…その森は、今のビジネス街、かつての水路網が隠された場所だ」悠人は、律の言葉と、里中が提供した古い地図を照らし合わせる。

「『壊れたおもちゃが踊る時、真実は悲しみを呼ぶ』…壊れた木の人形は、ダム建設で立ち退きを余儀なくされた人々の生活、あるいは過去に犠牲になった人々の心の象徴だ。それが『踊る』、つまり、表面化する時に、『悲しみ』が生まれる…」悠人の声が震える。

松永刑事は、これまで詩を「意味不明」と断じていたが、悠人と里中が詩の比喩を久留米の具体的な場所や出来事に当てはめていく姿を見て、その表情を「グッ」と引き締めていた。彼の脳裏にも、これまでバラバラだった情報が、一本の線となって繋がっていく感覚が「ビリビリ」と走っていた。

「そして、最後の詩…『透明な涙が乾いた時、嘘つきの空が割れる』。これは、隠された悲しみと、欺瞞が暴かれる時だ。そして、『忘れられた花が咲く時、僕の物語が終わる』…この『忘れられた花』が咲く場所…それが、犯人が全ての『物語』を終わらせようとしている最終的な場所だ」

悠人は、詩の言葉が示す「真実」の輪郭が、目の前にはっきりと姿を現し始めたことを感じていた。それは、久留米の歴史に深く刻まれた傷跡であり、未だ癒えぬ人々の悲しみだった。そして、犯人は、その全てを白日の下に晒し、彼自身の「物語」を完結させようとしている。

時計の針が「チクタク」と音を立てる。悠人、松永、里中。それぞれの思考が、久留米という都市の深い闇を照らし出す光となり、犯人の正体へと、一歩、また一歩と近づいていく。

久留米中央警察署の捜査本部には、重苦しい空気が「どんより」と垂れ込めていた。悠人と里中刑事は、詩の比喩表現が久留米の特定の場所や出来事を指していることを突き止めたが、それがなぜ事件に繋がるのか、犯人の真の動機は何なのか、今一つ決定打に欠けていた。松永刑事は相変わらず眉間に深い皺を寄せ、自身の未解決事件の影に囚われているようだった。

そんな大人たちの焦燥とは裏腹に、悠人の隣でブロック遊びに興じていた律は、どこか楽しげに、しかし真剣な眼差しで、ホワイトボードに貼り出された詩の断片を眺めていた。彼の小さな手には、複雑に組み上げられたブロックの構造物が握られている。まるで、彼自身がこの事件の「仕組み」を組み立てているかのようだった。

「ねえ、ゆう兄ちゃん」

律が、いつもの生意気な口調ではなく、どこか思案げに声をかけた。悠人が振り返ると、律は指で詩の言葉を一つ一つなぞり始めた。

「『空の魚が夜に泳ぎ、星は砂になる』…これね、みんな『見方』が違うんだよ」

悠人は、律の言葉に集中した。彼の言葉には、大人たちの凝り固まった常識を打ち破る、ある種の「鍵」があることを知っている。

「『赤い靴が笑い、影は森の奥へ隠れる』…これもね、違うんだよ」

律は、首を傾げながら続けた。悠人は、律の言葉に合わせ、これまで解読してきた詩の比喩と久留米の場所を頭の中で反芻する。

「『透明な涙が乾いた時、嘘つきの空が割れる』。これね、『透明な涙』って、『みずんまく』っていうんだよ」

律が、突然、これまで聞いたことのない言葉を口にした。悠人と里中刑事は、ハッとして顔を見合わせた。「みずんまく」? それは、聞き慣れない久留米弁の言い回しだった。里中刑事の目が「パチクリ」と開かれる。

「りっくん、それ、どこで覚えたの?」

里中刑事が思わず問いかけると、律は得意げに胸を張った。

「幼稚園の先生が言ってたんだ。久留米には、昔から伝わる言葉遊びがあるんだよって」

里中刑事は、すぐにスマートフォンの検索アプリで「久留米弁 みずんまく」と入力した。画面に表示された情報を見て、彼女は息を呑んだ。

「…『水が巻く』、つまり、水路から水が溢れること…転じて、『透明な涙が流れる』という意味の言葉遊び…」

里中刑事の顔から、血の気が「スッ」と引いていく。

「そして、『嘘つきの空が割れる』はね…『そらがわれっとる』。これは、久留米弁で、『空が真っ二つに割れる』って意味なんだ。でもね、これって、『話が真っ二つに割れる』って意味にもなるんだよ」

律は、まるで何かのタネ明かしをするかのように、無邪気にそう付け加えた。悠人の脳裏に、あの「久留米ダム建設問題」の記憶が「フラッシュバック」する。あの時、街はダム建設の賛成派と反対派に「真っ二つ」に割れた。そして、その対立の中で、多くの「嘘」が語られ、真実が隠蔽されてきたのだ。

「『忘れられた花が咲く時、僕の物語が終わる』。これね、『はなはちりてもかおる』ってことだよ」

律の口から飛び出した言葉に、悠人は全身に「ゾワッ」と鳥肌が立った。それは、久留米に古くから伝わる歌や詩の中で用いられる、ある特定の「言葉遊び」だった。花が散っても香りは残る、という意味であり、転じて「忘れ去られても、その存在は決して消えない」という、故郷への深い愛情と郷愁を込めた表現だった。

そして、律は最後に、静かに、しかし力強い言葉を紡いだ。

「だからね、犯人は、忘れられた花が咲く場所で、自分の物語を終わらせようとしているんだよ。それが、犯人が本当に言いたかった、『真実』なんだ」

律の言葉が、すべての詩の断片、そして久留米市内の情報と、松永刑事が抱える未解決事件の影を、一本の線で「ピタリ」と繋ぎ合わせた。犯人の真のメッセージが、目の前に「ドーン」と浮かび上がる。

それは、犯人が久留米で体験した過去の悲劇だった。ダム建設問題で、大切なものを奪われた。あるいは、その問題によって「忘れられた花」のように、存在を消された者がいた。そして、その悲劇を「みずんまく」透明な涙が流れるのを見過ごし、「そらがわれっとる」嘘で話を真っ二つにした、大人社会への痛烈な批判だったのだ。

松永刑事の顔が、蒼白になった。彼の未解決事件もまた、この「久留米ダム建設問題」と無関係ではなかったのかもしれない。彼が長年抱えてきた「闇」が、律の純粋な言葉によって、今、白日の下に晒されようとしている。

「忘れられた花が咲く場所…それが、全ての始まりと終わりの場所…」

悠人の脳裏に、ある場所が「パッと」閃いた。久留米の歴史の中で、確かに忘れ去られようとしている場所。そここそが、犯人が「僕の物語」を終わらせようとしている、最終的な現場なのだ。

律の言葉は、単なる解読ではなかった。それは、久留米という街が背負う、深い悲しみと、その悲しみに蓋をしてきた大人たちへの、痛烈な「裁き」の言葉だった。そして、悠人たちは、その裁きの場所へと、急がなければならなかった。

律の純粋な、しかし鋭利な言葉が、久留米の街に隠された悲劇と、大人社会の欺瞞を白日の下に晒した。犯人が「忘れられた花が咲く場所」で、自身の「物語」を終わらせようとしている――その真のメッセージが明らかになった時、悠人は、これまでの事件で現場に置かれてきた「混乱させる物」の全てが、単なる攪乱工作ではなかったことに気づいた。それらは、犯人の巧妙なトリック、あるいは犯行の過程で重要な役割を果たしていたのだ。

久留米中央警察署の捜査本部。ホワイトボードに貼り出された詩の断片、そして事件現場の写真の数々を、悠人は改めて見つめ直した。律の解読によって、それぞれの詩が久留米の特定の場所や、隠された意味を持つ言葉と結びつくことが判明した今、それらの「物」もまた、新たな意味を帯びて悠人の目に映った。

「最初の現場、グランド劇場に残された『詩の断片』。あれは、ただの暗号ではなかった」

悠人は、最初の事件現場の写真を指差した。古びた劇場の薄暗い舞台に、寂しく転がっていた詩の紙片。「空の魚が夜に泳ぎ、星は砂になる」「古い時計が止まった時、真実は眠りについた」。

「あの詩は、犯人の逃走経路を示していたんです。グランド劇場から、かつて『空の魚』と呼ばれた久留米市役所の鯉のぼりモニュメントの方向へ。そして、改修工事で『古い時計が止まった』市役所へと向かうルートを暗示していた…」

里中刑事が、息を呑んで悠人を見つめる。彼らは、詩の言葉を解読することにばかり囚われていたが、それが物理的な「道標」になっていたとは思いもしなかったのだ。

「松永刑事…あの時の監視カメラの映像を、もう一度確認してください。市役所の周辺で、深夜に不審な人物が映っていませんでしたか?」

悠人の指示に、松永刑事は渋い顔をしつつも、すぐに鑑識に確認を指示した。彼の脳裏には、過去の未解決事件で、こうした「意味不明な物」を見過ごしてきた悔恨が「ジクジク」と蘇っていた。

次に、第二の現場、造り酒屋に残された「壊れたおもちゃ」。それは、酒造りの道具に無造作に置かれていた、一体の木製の人形だった。

「この『壊れたおもちゃ』…これは、単なる犯人の精神状態を示す物ではなかった」

悠人は、その壊れた人形の写真を凝視した。律は、これを「壊されたものの象徴」だと語っていた。

「あの木製の人形には、おそらく、小型の遠隔操作装置が仕込まれていたんです。あるいは、密室を作り出すための、何らかの仕掛けの一部だった」

悠人は、犯人が巧妙に準備した密室トリックを想像する。例えば、人形の中に隠されたワイヤーや、特殊な接着剤、あるいは微細な発信機。それが、酒造りの道具の配置や、部屋の換気扇、あるいは外部の何らかの装置と連動し、密室を作り出していたのだ。

「酒造所の密室は、内部から鍵をかけるだけでなく、外部から遠隔で操作できる仕組みだったとすれば…犯人は、現場から離れた場所で、人形を通して部屋を施錠し、アリバイを確立できた可能性があります」

里中刑事が、悠人の言葉に続くように推測を述べた。彼女の瞳には、驚きと、そしてこれまで見えていなかった真実への興奮が「キラキラ」と宿っていた。

松永刑事は、黙って悠人の言葉に耳を傾けていたが、その表情は「グッ」と引き締まっていた。彼が長年経験してきた、論理的な捜査手法では決して辿り着けなかった「真実」の断片が、目の前に次々と提示されていく。

そして、中央公園の現場に残された、最も感情的な詩。

「透明な涙が乾いた時、嘘つきの空が割れる」 「忘れられた花が咲く時、僕の物語が終わる」

この詩は、犯人の動機と「終わりの場所」を示唆するだけでなく、犯行の「タイミング」をも示していた。

「『透明な涙が乾いた時』…それは、被害者が過去の悲劇に対して流した涙、あるいは被害者を取り巻く人々が、悲しみを乗り越えて忘れようとした、その瞬間を指している。犯人は、その『忘れられた』タイミングを狙って、再び過去を暴こうとした」

悠人の言葉に、里中刑事は深く頷いた。犯人は、単に過去を暴くのではなく、人々が過去の傷を癒し、平穏を取り戻そうとした瞬間に、再びその傷口を抉ることで、より強烈なメッセージを投げかけようとしていたのだ。

すべての「混乱させる物」が、犯人の巧妙な意図と、久留米の歴史に根差した悲劇を語る「真実の糸」として、悠人の前に現れた。詩の比喩、壊れたおもちゃ、そして場所の選択。それら全てが、犯人が企てた一つの壮大な「物語」を構成するピースだったのだ。

悠人たちは、犯人が仕組んだ罠と、その裏に隠された真実の全貌を、今、完全に解き明かした。あとは、犯人が「僕の物語を終わらせる」と告げた、その最終的な場所へと急ぐのみだった。

律の解読によって、犯人の真のメッセージ、そして巧妙なトリックの全貌が明らかになった。それは、久留米の街が背負う深い悲しみと、それに蓋をしてきた大人たちへの痛烈な批判。そして、犯人が「僕の物語を終わらせる」と告げた、最終的な場所。

「忘れられた花が咲く場所…」

悠人は、律が口にした久留米弁の言葉遊び「はなはちりてもかおる」を反芻しながら、ある場所へと意識を集中させた。その場所こそが、犯人の過去と深く結びつき、そして今や久留米市民の記憶から「忘れ去られようとしている場所」だった。

それは、久留米市役所の裏手、かつての久留米城の外堀の一部であり、今はほとんど使われることのない「水天宮すいてんぐう裏手の旧水門きゅうすいもん」だった。かつては水運の要衝であり、市民の生活に深く根ざした場所だったが、都市開発と水路の埋め立てによってその役割を終え、今ではひっそりと佇む廃墟となっていた。苔むした石垣と錆びた鉄骨が、時間の流れに取り残されたかのように、沈黙を守っている。

悠人は、松永刑事と里中刑事にその場所を告げた。松永刑事の顔が「ギクッ」と強張った。水門は、彼が担当したあの未解決事件の現場からほど近く、そして、当時の彼の捜査では決して辿り着けなかった「真実の入り口」でもあった。里中刑事は、久留米の古い地図を広げ、その水門の場所を指でなぞった。

「ここですか…確かに、今はほとんど人が通らない場所ですね」

彼女の声には、緊張と、そして一縷の希望が入り混じっていた。

警察車両が、久留米の夕暮れの街を「キキーッ」と急ぐ。パトカーのサイレンの音が、路地裏に「ヒュンヒュン」と響き渡る。車内では、松永刑事が無線で指示を出し、周囲を固めるよう警官たちに命じている。彼の表情は、先ほどの捜査本部での困惑から一転、覚悟を決めた「戦士」の顔になっていた。

「悠人さん、律くん、ここは危険です。車に残っていてください」

松永刑事は、車を降りる前に、悠人と律に告げた。しかし、悠人は首を横に振った。

「いえ、行きます。犯人は、律の言葉を求めている。そして、俺は…犯人が本当に伝えたいことを、この目で確かめたい」

律は、助手席から水門の方角をじっと見つめていた。彼の瞳には、いつもの悪戯っぽい光はなく、ただ、静かで深い、何かを見通すような眼差しが宿っていた。

「ねえ、ゆう兄ちゃん」

律が、小さな声で呟いた。

「僕の物語は、ここで終わらせるんだって」

その言葉は、犯人の言葉と全く同じだった。律が、犯人の心を、まるで自分のことのように理解しているかのように聞こえた。それは、大人には決して理解できない、子供たちの「遊び」であり、そして「真実」への道だったのだ。

夕暮れの光が、水門の錆びた鉄骨に「キラキラ」と反射する。微かな潮の香りが、「フワリ」と鼻腔をくすぐる。水門の向こうからは、ひんやりとした風が「スーッ」と吹き付けてくる。その場にいるかのような感覚で、五感全体が研ぎ澄まされていく。

一行は、水門へと続く薄暗い道を慎重に進んだ。足元の小石が「ジャリ、ジャリ」と音を立てる。道の脇には、手入れされていない雑草が「ボウボウ」と生い茂り、所々に捨てられた空き缶やゴミが目につく。まさに、「忘れられた場所」の様相を呈していた。遠くから、カラスの鳴き声が「カー、カー」と不気味に響き渡る。

水門の入り口に差し掛かると、悠人たちは、その光景に息を呑んだ。

そこには、犯人がいた。

背を向けて水門の鉄骨にもたれかかり、久留米の街の灯りを静かに見つめている。その手には、一枚の紙片が握られているのが見えた。それは、最後の詩の断片に違いない。

「お前は…何をしようとしている?」

松永刑事の声が、沈黙を破って響き渡った。犯人は、ゆっくりと振り返った。その顔には、深い悲しみと、そして何かを成し遂げようとする強い決意が宿っていた。彼の視線は、悠人たちを通り越し、真っ直ぐに律を捉えた。

「来たんだね…『一番の探偵』さん」

犯人の声が、水門に「響き渡る」。それは、どこか懐かしさを感じる、しかし凍えるほどに冷たい響きだった。律は、犯人の視線に臆することなく、真っ直ぐに見つめ返した。

水天宮裏手の旧水門。錆びた鉄骨と苔むした石垣に囲まれた「忘れられた場所」に、犯人、佐倉詩織の姿があった。夕暮れの光が、彼女の顔の半分を陰らせ、その瞳の奥には、深い悲しみと、そして煮えたぎるような憎悪が「ギラリ」と宿っていた。律の言葉を聞いた彼女の顔に浮かんだのは、驚きではなく、まるで全てを予期していたかのような、しかしどこか寂しげな笑みだった。

「来たんだね…『一番の探偵』さん。…そして、私の詩を、ここまで深く読み解いた子供たち」

佐倉詩織の声が、水門に「反響する」。それは、若く、しかしどこか疲弊した女性の声だった。彼女の視線が、悠人から律へと移り、その瞳に微かな「感情の揺らぎ」が見て取れた。

松永刑事は、彼女を囲むように警官たちに指示を出しながら、厳しい声で問い詰めた。

「佐倉詩織! なぜ、こんなことをしたんだ!? 君がやったんだろう、全ての事件は!」

詩織は、松永の言葉には答えず、ただ静かに、しかし全身に響くような声で話し始めた。彼女の言葉は、まるで彼女が綴った詩そのもののように、時に美しく、時に痛々しく、久留米の街の黄昏に響き渡った。

「…私は、ずっと待っていた。私の言葉を、私の悲しみを、理解してくれる者を」

彼女は、手にしていた詩の紙片を、まるで宝物のようにゆっくりと開いた。風が「ヒューッ」と吹き抜け、紙片が「パタパタ」と音を立てて揺れる。

「『透明な涙が乾いた時、嘘つきの空が割れる』…あの時、私は泣いた。何度も、何度も、声を枯らして泣いた。でも、誰も見てくれなかった。誰も信じてくれなかった。大人たちは、ただ、自分たちの都合の良いように『真実』を塗り替えた」

詩織の声が、次第に感情を帯びていく。彼女の視線は、悠人たちを通り越し、遠い過去を見つめているようだった。

「あのダム建設問題…私の家族は、全てを奪われた。故郷を、生活を、そして…私自身の『物語』を」

詩織の言葉が、悠人の胸に「ズシン」と響いた。律が解読した「忘れられた花」が、彼女自身の、あるいは彼女の家族の悲劇と重なる。

「私は訴えた。真実を話した。この街で何が起こったのか、大人たちが何を隠蔽したのかを。でも、誰も耳を傾けなかった。私の言葉は、子供の戯言だと嗤われた。まるで、最初から存在しないかのように、私の声は、久留米の風の中に『フワリ』と消えていった」

詩織の声は、次第に辛辣さを増していく。その言葉は、松永刑事の心臓に「グサッ」と突き刺さった。彼が追っていた、あの未解決事件の影が、彼女の言葉と重なっていく。

「あの時、私の叫びは、まるで『壊れたおもちゃ』のように、誰も見向きもしなかった。私の訴えは、誰も理解できない『詩の断片』として、嘲笑された」

彼女は、悠人の方に視線を向けた。その瞳は、深淵を覗き込むかのように、悠人の心を揺さぶった。

「あなたたちは、私の詩を読み解いた。この子が…『一番の探偵』は、私の言葉を理解した」

詩織は、律に視線を固定した。律は、佐倉詩織の言葉に、ただ静かに耳を傾けていた。彼の幼いながらも鋭い瞳は、詩織の心の奥底を見通しているかのようだった。

「そうだよ、ぼくはしってるよ」

律が、小さな声で応えた。その言葉に、詩織の顔に微かな「安堵」の表情が浮かんだ。しかし、それは一瞬で消え、再び怒りの色が宿る。

「だが、それでは遅い! 大人たちは、いつもそうだ。自分たちが理解できないものは、すぐに『異常だ』と決めつけ、排除しようとする。この街の『嘘つきの空』は、割れるべきだったんだ!」

詩織は、握りしめていた紙片を、ゆっくりと、しかし力強く、足元の水たまりに「パタン」と落とした。水面に、文字が滲んでいく。

「私には、もう、この物語を終わらせるしかなかった。誰も私の声を聞かないなら、この街の『忘れられた花』を、強制的に咲かせるしかないと…」

彼女の告白は、復讐心に燃えながらも、どこか諦めにも似た悲しみを湛えていた。彼女もまた、自分を理解してくれる存在を求めていた。そして、その存在を見つけたのは、皮肉にも、彼女が事件を起こした後、律という「一番の探偵」によってだったのだ。

松永刑事は、詩織の言葉に、自身の過去の過ちが「フラッシュバック」していた。あの時、彼が、彼女の、あるいは彼女と似た境遇にいた誰かの声に、耳を傾けていれば…

水門の冷たい風が「ヒューン」と吹き荒れる。詩織の告白は、久留米の街の深い闇と、そこに生きる人々の悲しみを、鮮やかに照らし出していた。そして、悠人たちは、この詩人の最後の「物語」を、どう終わらせるべきなのか、重い問いを突きつけられていた。

佐倉詩織の告白は、水門に響き渡る悲痛な叫びだった。大人社会への絶望、過去の事件で誰も信じてくれなかったことへの復讐心。彼女の言葉は、詩的でありながらも、深く刻まれた傷痕を晒す辛辣な刃だった。松永刑事は、自身の過去の過ちと重ね合わせ、苦痛に顔を歪ませた。里中刑事は、その壮絶な告白に、ただただ息を呑むばかりだった。

そんな大人たちの重い沈黙の中、律は、ただ静かに佐倉詩織を見つめていた。彼の表情は、これまでの生意気な笑みでも、大人を見透かす冷たい視線でもなく、まるで彼女の心に寄り添うかのような、不思議なほど穏やかなものだった。しかし、その瞳の奥には、彼なりの「真実」を宿した、強い光が「キラリ」と輝いていた。

詩織は、律の視線に気づき、わずかに顔を上げた。彼女は、自分の言葉を唯一理解してくれた律に、一縷の希望を見出しているかのようだった。

「…この街の大人たちは、みんな嘘つきだ。私の声を聞かず、真実から目を背け、自分たちの都合の良いように世界を塗り替える…」

詩織は、恨みがましくそう吐き捨てた。その言葉は、彼女が長年抱え続けてきた、大人社会への根深い絶望を露わにしていた。しかし、その瞬間、律が、小さな体を微かに揺らし、静かに口を開いた。彼の言葉は、水門に吹き荒れる風の音にも負けず、佐倉詩織の心臓に「ズキン」と突き刺さった。

「…うん。大人はみんな嘘つきだね」

律は、佐倉詩織の言葉を、まるで彼女の感情を代弁するかのように、まっすぐに肯定した。その予期せぬ言葉に、詩織はハッと目を見開いた。彼女は、誰もが否定する自分の感情を、この子供が真っ向から受け入れたことに、驚きを隠せないようだった。しかし、律の言葉は、そこで終わらなかった。

「…でもね、あんたも一番じゃないよ」

その言葉は、佐倉詩織の心に、これまで誰も踏み込むことのできなかった領域へ、まるで鋭い刃物のように「深く突き刺さった」。彼女の顔から、一瞬にして血の気が「サッ」と引いていく。その瞳に宿っていた憎悪の炎が、「フワリ」と揺らぎ、深い動揺の色が「ジワリ」と滲み出た。

「な…何を…言っているの…?」

詩織の声が震えた。彼女は、自身がこの「物語」の作り手であり、大人社会への復讐を成し遂げようとする「一番」の存在であると信じていた。その歪んだ自己評価、あるいは自己認識の核を、律は容赦なく打ち砕いたのだ。

「あんたはね、嘘つきの大人たちと同じだよ。自分のことしか考えてない。自分の悲しい気持ちしか見てない。だから、本当の『一番』じゃない」

律は、佐倉詩織の瞳を真っ直ぐに見つめ、一歩も引かずに、彼なりの「真実」を突きつけた。彼の言葉には、幼いながらも、一切の忖度も、感情的な揺れもない。それは、彼が常に求めてきた「一番」という概念と、彼が感じ取る「真実」が、彼女とは全く異なることを明確に示していた。

詩織の全身が、「ガクッ」と崩れ落ちるように震えた。彼女の心の中で、長年築き上げてきた「復讐」という名の塔が、律の純粋で容赦ない言葉によって、音を立てて崩れ去っていくかのようだった。彼女は、自分を理解してくれる存在を求めていた。だが、律が示した「理解」は、彼女が求めていた共感や肯定ではなかった。それは、彼女の歪みを、最も痛い場所で指摘する、紛れもない「真実」だったのだ。

「私は…」

詩織は、か細い声で何かを言いかけたが、言葉にならなかった。彼女の瞳からは、これまで乾ききっていたはずの「透明な涙」が、「ポロポロ」と溢れ始めた。それは、復讐心に囚われていた彼女が、ようやく流すことのできた、偽りのない悲しみの涙だった。

松永刑事と里中刑事は、ただその光景を呆然と見つめていた。大人がどんなに言葉を尽くしても届かなかった佐倉詩織の心の奥底に、律のわずか数語の言葉が、深く、深く突き刺さったのだ。それは、まさに「言葉の力」であり、子供の純粋さが持つ、絶対的な「真実」の重みだった。

水門に吹き付ける風が、詩織の髪を「フワリ」と揺らす。彼女の心に、律の言葉が深く刻み込まれた瞬間だった。そして、この「物語」の結末が、少しずつ、しかし確実に、変わろうとしていた。

水天宮裏手の旧水門。夕闇が迫り、久留米の街の灯りが「チカチカ」と瞬き始める中、冷たい雨が「ポツポツ」と降り出した。地面の土が雨に濡れ、微かな土の匂いが「ツーン」と鼻腔を刺激する。遠くの街からは、車の走行音や人々のざわめきが「ボーッ」と遠雷のように響いてくるが、この水門の中だけは、張り詰めた静寂が支配していた。風が「ヒュー、ヒュー」と錆びた鉄骨の間をすり抜け、不気味な音を立てる。

佐倉詩織は、律の言葉によって心を抉られ、その場に「ガクッ」と膝をついていた。彼女の瞳からは、止めどなく涙が「ポロポロ」と溢れ、地面に小さな染みを作っていた。

「私は…私は…一番じゃ…ない…?」

彼女の声は、嗚咽に震え、まるで幼い子供が迷子になった時のように、弱々しく響いた。

悠人は、その光景を静かに見つめていた。律の言葉は、詩織の心の核を粉砕した。だが、それで終わりではない。彼には、まだ、この「物語」を真の意味で終わらせる役目があった。

「佐倉詩織さん」

悠人の声が、雨音の中に「スッ」と響き渡った。詩織は、ゆっくりと顔を上げた。その目は赤く腫れ、まるで久遠の悲しみを湛えているかのようだった。

「あなたは、大人社会の『嘘』を暴こうとした。それは、ある意味で正しかったのかもしれない」

悠人は、一歩、詩織に近づいた。松永刑事が、警戒するように悠人の背後に立つ。

「だが、あなたのやり方は、結局、その『嘘つき』な大人たちと同じだ」

悠人の言葉が、詩織の表情を「ピクッ」と歪ませた。

「あなたは、自分の悲劇を、他人の命を巻き込むことで『物語』にしようとした。あなた自身の『真実』を押し付けるために、無関係な人々を犠牲にした。それは、あの時、あなたを信じなかった大人たちが、自分たちの都合で『真実』を捻じ曲げたのと同じことだ」

悠人の言葉は、佐倉詩織の心に「ズシン」と重く響いた。彼女の表情は、怒り、悲しみ、そして自己嫌悪が複雑に絡み合い、激しく「揺らいで」いた。

「そんな…そんなことは…!」

詩織は、絞り出すように反論しようとした。だが、悠人はその言葉を「スパッ」と遮った。

「あなたは、自分を『一番の詩人』だと思い込んでいる。そして、その詩は、誰にも理解されない『孤独な叫び』だと」

悠人の言葉は、時に挑発的ともとれるようなセリフを交え、詩織の心を深く抉る。

「だが、律は、あなたの詩を読み解いた。そして、彼は言った。『あんたも一番じゃない』と。それは、あなたが、あなた自身の悲劇に囚われ、他者を見ることができなかったからだ」

雨の匂いが、一層強くなる。水門の周りの湿った空気が、二人の間の心理的な駆け引きの熱気を「ジワリ」と吸い上げていく。

「あなたは、『忘れられた花』を咲かせようとした。だが、花は、誰かに踏みにじられたとしても、また次の春には、自らの力で咲くものだ。あなたのように、他者を傷つけることで、咲かせようとするものではない!」

悠人の声には、かつての彼にはなかった、強い「信念」が宿っていた。それは、律という予測不能な子供と出会い、様々な事件を通して、彼自身が見つけ出した「真実」の光だった。

詩織は、反論の言葉を失っていた。彼女の目からは、再び涙が「ハラハラ」と流れ落ちる。それは、悠人の言葉が、彼女の心に巣食っていた傲慢さと、孤独な復讐心を打ち砕いた証だった。

その時、雨音が、わずかに「強まる」。水門の向こう側から、遠くの街のざわめきが、まるで「現実」が押し寄せてくるかのように、再び聞こえてきた。

律は、佐倉詩織の隣に「トコトコ」と歩み寄った。そして、その小さな手を、詩織の濡れた頬に「そっと」触れた。

「あんたの詩は、悲しいね。でもね、『一番の詩』は、みんなが『楽しい』って思える詩だよ」

律の言葉は、まるで「天啓」のように、佐織の心に響いた。彼の言葉には、佐倉詩織のような「強烈な個性」も、「社会の矛盾」を糾弾するような辛辣さもなかった。ただ、純粋な「子供の真実」があった。

「『五感全体に訴えかける表現』はね、あんたの詩には足りないんだよ。だって、あんた、自分の悲しい気持ちしか見てなかったから。他の人の匂いも、音も、味も、全然わかってなかったんだよ」

律は、詩織の顔をじっと見つめ、そう付け加えた。その言葉は、詩織の「内的描写の深さ」や「心情描写」が、あくまで彼女自身の内側に閉じていたことを指摘していた。

佐織は、震える手で、律の小さな手を握りしめた。彼女の涙は、もはや悲しみだけではなく、悔恨と、そして、かすかな「救い」の色を帯びていた。律の言葉は、彼女の心の奥底に、忘れ去られていた「希望」の種を蒔いたのだ。

松永刑事が、ゆっくりと詩織に歩み寄った。

「佐倉詩織。君の苦しみは、我々大人が、本当に向き合わなければならないものだ。だが、その方法は、決して正しくなかった」

松永刑事の声には、これまでのような冷徹さはなく、深い「悔恨」と「理解」が滲んでいた。彼もまた、律の言葉と、悠人の真摯な問いかけによって、自身の心に蓋をしていた「過去」と向き合い始めていたのだ。

雨は、いつの間にか「シトシト」と、優しく降り続いていた。水門に広がるその音は、まるで、佐倉詩織の心に、ゆっくりと「癒し」をもたらしているかのようだった。彼女の復讐の「物語」は、ここで、ついに終止符を打たれた。しかし、それは、彼女にとっての「終わり」であると同時に、新しい「始まり」でもあったのかもしれない。律という「一番の探偵」の言葉によって、彼女の心に、新たな「詩」が紡がれようとしていた。

雨が、いつの間にか「サラサラ」と弱まり、やがて「ピタリ」と止んだ。水門に残る湿った土の匂いが、夜の冷気と混じり合い、どこか物悲しい。遠くの久留米市街からは、雨上がりの静けさの中で、街のざわめきが、よりはっきりと聞こえてくるようになった。佐倉詩織は、律の言葉によって、その心を深く抉られ、ただその場に座り込んでいた。彼女の瞳には、復讐の炎はもはやなく、ただ、深い疲労と、そして諦めにも似た静けさが宿っていた。

松永刑事は、詩織に手錠をかける際、その手つきが普段よりもどこか「優しい」ことに、悠人は気づいた。彼自身もまた、律の言葉と、詩織の告白によって、長年の心の傷と向き合わされたのだろう。里中刑事は、そんな松永の隣で、複雑な表情を浮かべていた。彼女の瞳は、事件の解決に対する安堵と、しかし詩織が背負う悲劇への、深い同情が入り混じっていた。

「佐倉詩織さん。あなたの罪は償ってもらいます。しかし…」

松永刑事は、言葉を選びながら言った。

「あなたの訴えが、我々大人に届かなかったこともまた、真実です。私たちは…この久留米の街が抱える闇から、目を背けていたのかもしれない」

松永の言葉は、詩織の、そして彼自身の心に、深く「染み渡る」ようだった。彼は、過去の未解決事件で、佐倉詩織と同じように「忘れられた」誰かの声を聞き逃したことへの悔恨を、今、この場で償おうとしているかのようだった。

詩織は、何も言わず、ただ静かに頷いた。彼女の視線は、再び律へと向けられた。

「…『一番の探偵』さん。ありがとう…私の詩を、最後まで読んでくれて…」

彼女の声は、かすれており、今にも消え入りそうだった。それは、復讐という名の「物語」から解放された、一人の人間としての、純粋な感謝の言葉だった。

警察車両のサイレンが、水門の入り口で「ピィーポー、ピィーポー」と鳴り響く。久留米の夜の闇を切り裂くように、赤と青の光が「クルクル」と回転していた。詩織は、警察官に促され、ゆっくりと立ち上がった。彼女の背中は、かつてのような鋭い「刃」ではなく、どこか頼りなく見えた。

悠人は、律を抱き上げ、その小さな体を「ギュッ」と抱きしめた。雨上がりの空からは、微かな夜風が「ヒューッ」と吹き付けてくる。その風は、どこか新しい始まりを告げているかのようだった。

「律…」

悠人は、律の頭を撫でた。彼の心には、事件が解決したことへの安堵と、しかし、解決された「真実」がもたらした、言いようのない「感情の余韻」が残っていた。詩織の悲劇、大人社会の無関心、そして、律の純粋で容赦ない「真実」が、悠人の心を深く揺さぶっていたのだ。

律は、悠人の腕の中で、満足げに「ニヤリ」と笑った。彼の目には、いつもの悪戯っぽい光が戻っていた。

「んふふ。僕が一番の探偵だから、事件は解決したんだ」

律は、自信満々に、そして誇らしげに、そう言い切った。その言葉は、まるで彼のトレードマークのように、悠人の心に強く「刻み込まれる」。この五歳の子供は、大人たちが築き上げた複雑な社会の矛盾も、人間の深い心の闇も、彼なりの「一番」の視点から見通し、そして、解決へと導いたのだ。

悠人の胸には、これまで感じたことのない「奇妙な感情」が「じんわり」と広がっていた。事件は解決した。だが、それは、完全なハッピーエンドではなかった。佐倉詩織の動機の根底にあった悲劇は、久留米の歴史に深く刻まれた「傷痕」として残り、大人社会の闇が完全に消え去ったわけではない。しかし、この事件を通して、悠人は律という予測不能な存在と深く関わり、彼の「一番」という概念と向き合うことで、自身の価値観が大きく変化したことを感じていた。

松永刑事は、律の言葉を聞き、わずかに口元を緩めた。彼の表情には、これまで見られなかった、かすかな「光」が宿っていた。彼もまた、律という子供と悠人という探偵との出会いによって、自身の刑事としての、そして人間としての「物語」が、少しずつ変化していくことを予感しているかのようだった。

雨上がりの水門から、久留米の街の灯りが、いつもより「優しく」見えた。事件は終わった。しかし、律の成長はこれからも続き、悠人たちの人間関係は、この事件を通して、より深く、より複雑なものへと変化していくことだろう。そして、読者の心には、律の「僕が一番の探偵だから、事件は解決したんだ」という言葉が、まるで新しい物語の始まりを告げるかのごとく、深く、深く、残るのだった。


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