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第4話:心理戦

テーブルが用意され、ポーカーの勝負が始まりました。


狼は、胃の中に仕掛けられた爆弾のカウントダウンが頭の中で響くのを感じ、絶対の勝利を渇望していました。そのプレッシャーに、冷や汗がにじむのを覚えます。しかし、彼は既に手を打っていました。テーブルに着席する前に、猟師と赤ずきんの目を盗み、赤ずきんの背後にある木に、小さな鏡を巧妙に仕込んでいたのです。これで赤ずきんの手札が、鏡越しに丸見えになるはずでした。狼は内心、これで盤石だとニヤリと口角を上げました。


狼は鏡をちらりと見て、赤ずきんの手札を確認しました。最初の数枚は平凡なものでした。よし、と狼は確信しました。彼は赤ずきんの次の動きに目を凝らしました。赤ずきんは、何食わぬ顔でカードを交換し、再び手札を揃えます。狼は再度鏡を盗み見ました。映し出されたカードは、どう見ても役なし、あるいは弱い役。狼の顔に、隠しきれない優越感が浮かびました。


第一ラウンド。狼は自信満々にチップを積み上げ、赤ずきんは静かにそれに応じました。結果は狼の勝利。赤ずきんの持ち金がわずかに減ります。猟師は眉をひそめました。少女は何か策があるのか、それとも本当に見破られているのか。


第二ラウンド。再び狼が優位に立ち、赤ずきんはまたもチップを失いました。狼は勝ち誇ったようにニヤリと笑います。猟師の心には、かすかな不安がよぎりました。このままでは、少女は危ないのではないか。彼は公平な立場を崩すまいと努めましたが、内心では赤ずきんの次の手を固唾を飲んで見守っていました。


第三ラウンド。赤ずきんは冷静さを保ったまま、しかし劣勢は変わりません。狼は確信を深め、勝利への渇望を露わにします。


最終ラウンド。狼は鏡に映る手札を信じ込み、ここぞとばかりに全財産を賭けてきました。


ですが、赤ずきんは顔色一つ変えませんでした。狼が視線をちらりと鏡に向けるたびに、彼女の手つきは滑らかに、しかし読めないままカードを交換していきました。狼は自身の仕掛けた罠が万全だと信じ込み、赤ずきんがその掌で踊らされていると確信していました。


赤ずきんは顔色一つ変えず、静かにコールしました。


「勝った気でいるみたいだけど...あら、残念。あなたが見ているのは、私ではなくて、あなた自身の影よ。」


狼は絶句しました。鏡に映っていたのは、どう見ても役なし、あるいは弱い手札だったはずです。混乱と恐怖に顔を引きつらせる狼に、赤ずきんは静かに手札を広げました。そこには、完璧なロイヤルストレートフラッシュが完成しています。狼は自分の目を疑い、もう一度鏡を見ましたが、やはりそこには、彼が信じた手札が映し出されているように見えました。狼は、自身が仕掛けた罠が完璧に裏目に出たことに気づき、その事実を口にすることすらできませんでした。 顔から血の気が完全に失せ、彼の瞳からは光が消え、まるで時間が止まったかのように、その場に縫い付けられました。


狼のいかさまは、赤ずきんの冷静な観察眼と、それを逆手に取った心理戦によって、完全に裏目に出ていたのです。狼が鏡を使って赤ずきんを欺こうとしたその策略が、文字通り「鏡返し」となり、狼自身の破滅を招いた瞬間でした。 狼は完敗を認めざるを得ませんでした。


赤ずきんは、勝利を収めた冷静な眼差しで狼を見据えました。そして、ゆっくりと狼に近づくと、その耳元に口を寄せ、わずかな囁き声で敗者への要求を告げました。


狼は、赤ずきんが耳元で告げた恐ろしい要求に、身体の芯まで凍りつくような戦慄を覚えました。それは単なる脅しではなかった。自身の知略が完全に裏目に出た絶望と、赤ずきんという少女の底知れない冷酷さが、彼の精神を深く抉ったのです。 冷たい眼差しに怯え、胃の中の爆弾のことなど頭から吹き飛びました。もはや、この場に一秒たりとも留まりたくない。心に刻みつけられた赤ずきんの恐怖から、一刻も早く遠ざかることだけを願い、狼は絶叫と共に森の奥へと逃げ去っていきました。


狼の胃の中で、物理的な爆弾が爆発することはありませんでした。なぜなら、赤ずきんが仕掛けたのは、彼の心を永遠に支配する「恐怖」という名の爆弾だったからです。この鮮烈な経験は、狡猾な狼の魂に深い傷跡を残し、彼は二度と村に姿を現すことはありませんでした。


狼を追う必要がなくなった猟師は、赤ずきんの賢さに深く感銘を受けました。しかし、同時に一つの疑問が浮かびました。


「赤ずきんよ」と猟師は尋ねました。「お前は、あの狼を恐怖に陥れるだけの『爆弾』を仕掛けていた。あのままポーカー勝負を挑まずとも、狼は逃げ出し、お前の勝ちだったのではないのか?」


赤ずきんは、その問いに不敵な笑みを浮かべました。


「ええ、その通りですわ、おじさま」と、彼女は答えました。「でも、私が本当に求めていたのは、ただあの狼を追い払うことではなかったんです。命がかかっていると信じ込ませた相手と、魂を賭けた勝負のゲームをすること。そして、その中で狼が見せる狡猾さ、悪あがき、そして最後に打ち砕かれる様を、この目でしかと見届けることでした。」


彼女の瞳は、まるでポーカーのチップを積み重ねるかのように、冷静な光を宿していました。


「ただの勝利では、つまらないでしょう?」


赤ずきんはそう言い残し、陽光が差し込む森の道を歩き始めました。その背中に、猟師はもう一つの、心の奥底に沈んだ疑問を投げかけました。


「なあ、赤ずきん……お前はあの狼の耳元で、一体何を囁いたんだ? 奴があれほど怯えて逃げ出すとは……」


赤ずきんは振り返り、猟師の目をまっすぐに見つめました。その澄んだ瞳は、以前のかわいらしい少女にもどっていました。


「おじさん。本当に、それを知りたい?」


村に語り継がれるのは、勇敢な少女と狡猾な狼の物語。しかし、その物語の裏には、無邪気な少女の仮面をかぶった、冷徹な淑女がいたこと。その完璧な「ポーカーフェイス」の奥に、知的な遊戯を楽しむ本性が隠されていたこと。そして、彼女が狼の耳元で囁いた、誰も知らない「真の要求」があったことを、知る者はごくわずかなのでしたとさ。


ー完ー

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