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血色の花嫁は雨夜に囁く  作者: 篠崎依月
曙光

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27/31

 多分、夢を見ていたのだと思う。


 闇と煙で満たされた世界の中で天女と過ごす、などという、荒唐無稽な夢を。


「何でリーファは、俺に良くしてくれるの?」


 夢だと思ったのは、その場に出てきた天女が、今の(リー)(ファ)とまったく同じ姿をしていたからだった。『随分自分も入れ上げちまってるもんだなぁ』と、夢の中にいる自分とは別の自分が、妙に冷静な声を上げていたことを覚えている。


「……それが僕の、仕事だからね」


 夢の中の(れん)の問いに、麗華(リーファ)は素っ気なく答えた。その素っ気なさが戸惑いから来ているように思えたのは、蓮の勘違いだったのだろうか。


「痛い。痛い、苦しい、もう嫌だ。も、もうイヤだよ、リーファ」

(レン)

「今日はあいつが殺された。次は俺かもしれない。……ねぇリーファ、どうして俺はこんなところにいるの? 何で、こんな、こんな……」


 またある時の蓮は、痛みと恐怖に震えていた。そんな蓮の傍らには、甘ったるい煙を吐き出す香炉が置かれている。


 煙に巻かれて、蓮は徐々に意識を混濁させていく。やがてズルズルとくずおれていった蓮の傍には、痛ましげに顔を歪めた麗華(リーファ)がいつまでも寄り添っていた。


 次に見た夢では、すでに蓮は正気を失っていた。それでも濁った瞳は麗華(リーファ)を探してさまよい、伸ばされた手は麗華(リーファ)の手に重ねられる。


「リーファ」

「うん」

「リーファは、いたく、ない?」

「……うん」

「そう、よかった」


 たったそれだけの言葉を交わすのがやっとで、蓮の意識は煙の中に溶けていく。


(レン)、逃げてっ!!」


 その(もや)を次に晴らしたのは、切り裂くように鋭い(リー)(ファ)の声だった。


「今なら逃げられるっ!! 行ってっ!!」


 真ん丸な月と、注がれる月光をキラキラと弾く雨。久しぶりに吸い込んだ煙が混じっていない空気は、冷たく蓮の肺腑を満たしてくれた。


 その冷たさでわずかに意識が冴えた瞬間、蓮はそれまで自分が乗せられていた輿から突き落とされていた。ハッと振り返った時には、リーファはすでに大人達に囲まれていたと思う。


「リーファッ!!」

「行ってっ!! ここは僕が食い止めるっ!!」

「リーファも一緒に逃げようっ!!」


 何人かが自分へも手を伸ばしてきたが、その全てを蓮は刃の一振りで薙ぎ払った。その時になって初めて、自分がここまで強くなっていたのだと知った。


「あんなに痛い場所にいちゃダメだよっ!!」

「必ず後から僕も行く」


 手を伸ばせば、届くような気がした。


 だけど現実にあった距離は、蓮の認識よりもずっと遠かったのだろう。全力で腕を伸ばしたはずなのに、あの日の空にあった月と同じくらい、蓮の手は(リー)(ファ)には届かなかった。


(レン)が残ってたら邪魔だっ!! 先に行けっ!!」


 さらに言葉でも打ち据えられた蓮は、(リー)(ファ)の言葉に従って闇の中へ駆け出した。


 駆けて、駆けて、駆け続けて。


 何もかもが記憶から溶け落ちて消えてしまっても。自身が着せられていた紅の婚礼装束が、泥にまみれて元が何なのか分からなくなっても。


 それでも走り続けた末に力尽きた蓮は、微かな問いかけの言葉を聞いた。


「ねぇ、君さ。……まだ、生きていたい?」


『あぁ、自分は無意識のうちに、同じ言葉で問いかけていたのだな』と、淡く消えていく夢を見て、ようやく思い出した。


「生き続ければきっと、今死ぬ以上の地獄を見る」


 それでも生きたいと言うならば、君の名前を教えてくれる?


 そう問いかける声に、自分は。


 雨が降りしきる路地裏で、水溜りに半ば溺れながら。泥と血で台無しにした婚礼衣装に埋もれるように倒れ込んだ自分は。


「……レン」


 己から、その名を名乗ったのだ。


「あいたい、ひとが、いるから……しね、ない」


 ──あぁ、本当に。


 呆れるほどに、何もかもが一緒だったんだな。


 そう思ったのを最後に、蓮の意識は闇の中に溶けて消えた。




 ※  ※  ※




「カッ……はっ!!」


 息を吹き返すように咳き込んだ瞬間、全身を強烈な痛みが駆け抜けていった。


「蓮っ!!」

「蓮さんっ!」


 己の名を呼ばれている。かなり切羽詰まった、複数人の声で。


 意識が朦朧としていても、それだけのことは分かった。


 だから蓮はその声に答えるために、うっすらと開いた目で視線を巡らせる。意識と同様に視界もかなりぼやけていたが、それでも自身を覗き込む(ゆう)(じん)芙蓉(ふよう)の顔は判別ができた。


 同時に、新たな痛みが蓮の意識を襲う。


「聞こえますか、蓮さん。意識を取り戻したなら、そのままで」


 一瞬、そのまま意識が遠のきかけた。だが容赦のない声が蓮の意識を叩き起こす。


「次に意識を飛ばしたら、目覚められる保証はありませんよ。意地でも起きててください」

梅煙(ばいえん)、さ……!」

「こんな状況のあなたに麻酔なんてブチ込んだら、そのままあの世に旅立ちそうですからね」


『貴方、麻酔効きにくいんですよ。知ってますよね?』と(のたま)いながら、梅煙は蓮の体をうつ伏せにひっくり返す。


 その時になってやっと、自分が寝台の上で傷口を縫われている真っ最中なのだということを理解した。先程の激痛は、麻酔なしで腹の刺し傷を縫われていた痛みだ。


 同時に蓮は、なぜ自分がこんな状況に(おち)いるハメになったのか、その経緯も完全に思い出す。


 その上で真っ先に思ったのは、こんな状況の己に容赦なく新たな呵責を課している梅煙への文句だった。


 ──ガラが(ワリ)ぃぞ梅煙(ダー)(レン)


 普段は『(バイ)』の(ダー)(レン)……商会の表の顔の筆頭として『穏やかな老紳士』という仮面を崩さない梅煙だが、本来の性格はかなり辛辣だ。


 特に幼少期から守役として見守ってきた游稔や、游稔が懐刀として拾ってきた蓮に対しては容赦がない。


 蓮は生傷を負って医師としての梅煙に世話になるたびに、游稔は商会長としての不手際が発覚するたびに、毎度毎度床に直に正座させられて梅煙の皮肉をチクチク拝聴することになる。互いにいい大人に成長した今でもだ。拾われた当初など、礼儀作法から読み書き計算まで、それはもう梅煙に絞られた蓮である。


麗華(リーファ)少主(シャオジュ)にやられたのですか?」


 背中の傷を縫合するために肉に針を刺しながら、梅煙は静かに問いを落とした。


 その言葉に歯を食いしばっている場合ではないと思い直した蓮は、麻酔なしで体を縫われる激痛に舌を噛まないように気を付けながらも必死に口を開く。


「腹のっ、……刺し傷は、麗華(リーファ)でっ、背中の切り傷はっ、……(ホン)(ファ)の手勢、だ!」


 何とかそれだけの言葉を吐き出した蓮は、視線を巡らせると游稔を探した。そんな蓮の仕草に気付いたのか、游稔は自ら床へ膝をつき、蓮の枕元へ顔を寄せる。


金櫻(きんよう)が、紅華(ホンファ)のネズミだ」


 こうなった以上、あの場での麗華(リーファ)の発言は全て真実だったと判断するべきだろう。その確信とともに要点だけを口にすると、游稔は色硝子(ガラス)がはめられた眼鏡の奥でツイッと瞳を狭めた。


麗華(リーファ)は『新娘(シンニャン)』。かなりの手勢が入り込んでる。麗華(リーファ)(まつ)()()を嗅がされて、回収された」


 蓮の発言に浅く頷いて答えた游稔は、サッと片手を上げて芙蓉に合図を送った。それだけで指示の全てを理解したのか、芙蓉が素早く身を翻す。


「待て、芙蓉」


 そんな芙蓉を、蓮が止めた。ピタリと動きを止めた芙蓉は、視線だけで蓮に問いを投げる。


紅華(ホンファ)の頭目、娘娘(ニャンニャン)自身が、この(いん)(ねい)にいる」


 その言葉に、游稔が鋭く息を呑んだ。芙蓉は目を見開いたまま固まり、梅煙の手がわずかに震えて止まる。


「……直接、会ったの?」

「ああ」


 囁くような游稔からの問いに、蓮は短く答えた。その短くも力強い返答に、游稔はわずかに視線を伏せて何事かを思案するような表情を見せる。


「蓮。君が回収されてから、まだ一刻も経っていない。殺しの現場の鑑識は一通り終わった。(リー)(ファ)の行方は分かっていない」


 その表情を崩さないまま、游稔は手短に状況を説明し始めた。


「金櫻はあの場から『(ヘイ)』によって黒城まで護送されて、そのまま自室に軟禁された。君を探し出して連れ帰ってくれたのは禅譲(ぜんじょう)だ。金櫻の話を聞いた『(ヘイ)』のみんなが方々を探し回った末に、禅譲が当たりを引いた形だね」


 禅譲は単身で蓮を黒城まで連れ帰った。屋敷に入る時も人目を避け、秘密裏に裏口から入ってきたという。


 蓮は霜天商会の守護と武力の要だ。蓮が落とされたところで実際の戦力に陰りはないはずだが、それでも蓮が倒れた、死んだとなれば、商会の敵対勢力はそれを『好機』と見なす。


 蓮が弱っている姿を人目にさわすわけにはいかない。禅譲の行動はその辺りを踏まえた、とても適切なものであったという。


 蓮が重傷を負った状態で回収されたという情報は、この場にいる人間と、蓮を回収してきた禅譲しか把握していない。


 蓮は無事に黒城に帰還した。会長と三幇主が揃って表に姿を見せないのは、今後の対策について人払いをして協議中だからだ、ということにされているらしい。


「蓮。娘娘(ニャンニャン)の目的は?」

「分からない。口にしていなかった」


 意識が落ちる直前の記憶ははっきりとしている。


 強烈な悪寒を蓮に与えたあの女の発言も、……意識が途切れる間際までずっと聞こえ続けていた(リー)(ファ)の悲痛な叫びも、しっかりと蓮の記憶に刻まれていた。


 それは同時に、游稔に告解すべき事実が蓮の中にあるということでもある。


「『新娘シンニャン』の標的(マト)は俺だった。……俺は多分、元々、(ホン)(ファ)の」

「知ってる」


 だが游稔は、蓮が絞り出すように口にした言葉を途中で遮った。蓮がいつの間にか伏せてしまっていた視線を気力で上げると、游稔はどこまでも静かな、それでいて温もりもある瞳を蓮に向けている。


「最初からそうかもしれないって、覚悟の上で君を拾った」

「……なんで」


 確証がなかったから蓮に伝えていなかっただけで、游稔の中では最初から蓮の出自の最有力候補に(ホン)(ファ)(ニャン)(ニャン)の名前があったのだろう。


 游稔のまなざしと言葉尻からそのことを察した蓮は、思わず目を見開いて游稔を見つめる。


 游稔にとって、(ホン)(ファ)(ニャン)(ニャン)は憎き(かたき)であるはずだ。蓮を拾った当初ならば、今よりも恨みは激しく、熱かっただろう。


 両親を、親族を、商会を目の前で潰され、自身は奴隷に落とされた。そのうえで忘れ茉莉花漬けにされ、記憶も思考力も奪われた。


 その屈辱がいかほどのものだったのか。どれだけの夜を悪夢にうなされながら越えてきたか。


 ともに(しゅ)(あん)の道を進み、幾千もの夜を越えてきた蓮は、游稔が抱える地獄の一端を知っている。游稔が地獄を越えるために己を奮い立たせてきた怒りの深さを知っている。


 だからこそ、游稔が蓮を(ホン)ファの関係者だと知りながら傍に置いてきた、という事実が理解できなかった。


「茉莉花畑を焼き払う相方に、君が相応しいと直感したから」


 だというのに游稔は、蓮に向かってあっけらかんと笑ってみせた。『僕の直感って、外れないんだよね』と(のたま)う游稔は、どこか自慢げでもある。


「僕に対して思うところがあるならば、僕の直感を真実にしてよ」


 軽く言い放った游稔は、再度片手を上げて合図を出した。その合図に今度こそ芙蓉は部屋から退出し、梅煙は傷の縫合を再開する。


「梅煙さん、その傷、どれくらいで塞がりそう?」

「回復力が桁違いの蓮さんです。三日もあれば、多少動く程度ならば出血しないようにはなるでしょう」

「じゃあ、決行は四日目の夕方で」


 何を、という部分を、游稔は口にしなかった。


 口にされずとも、己が何を成すべきかくらい分かっている。


「必要な情報は芙蓉が殺すつもりで絞り上げてくるだろうし、必要な策は僕が死ぬ気で考える。だから蓮はぶっ潰すつもりでその傷を治して」


 商会は戦争を吹っ掛けられた。その親玉が姻寧の中にいる。


 北都の女帝が(おん)(みずか)らわざわざ姻寧に乗り込んできたのだ。これでおしまいということは絶対にない。


 必ず(ホン)(ファ)は何かを仕掛けてくる。そこが最後の潰しどころだ。


 その場にはきっと、麗華(リーファ)もいるだろう。(リー)(ファ)の相手は、蓮にしかできない。


「……游稔」


 そのことを思った瞬間、蓮はもうひとつ游稔に告解すべきことがあることに思い至った。


「『君の運命が商会(僕達)に微笑みかけてくれるものであることを祈るだけ』って、僕はあの時言ったけどさ」


 改まって呼びかければ、游稔はこれも察していたかのように先んじて口を開く。


 游稔がわずかに居住まいを正した上で口にした言葉に、蓮は思わず身構える。現実は寝台に転がされて傷の縫合中だったから、できたことと言えば奥歯を噛み締めることだけではあったが。


「訂正するよ。僕達に微笑みかけてくれない運命だったら、君が無理やり運命をへし折って、僕達に愛想笑いくらいさせるようにして」


 だが真剣な口調で続けられた言葉は、蓮の予想に反して、……というよりも、蓮が予想できない形で、と言うべきか、……とにかくかなりかっ飛んだ代物だった。


「は?」

「長年の相棒をポッと出のヤツにかっさらわれるのって、案外面白くないもんなんだねぇ」


『何をふざけているのか』と目を(しばたた)かせたが、游稔は至極真剣な顔を蓮に向けている。わずかに渋みを含ませた表情は、並べられた言葉がいたって本心であることを示していた。


「君が麗華(リーファ)を選ぶなら、一緒に連れて帰ってきてよ」


 今まで生きてきた中で、一、二を争うほどの真剣さで切り出したつもりだったのに、返された言葉がこれだ。一周回ってもうどんな反応をすればいいのかも分からない。


 だが一方で、それが游稔の偽らざる本心なのだということも理解できた。その事実に、蓮の目元にはジワリと熱が(にじ)む。


「その条件で、僕は君の運命を許容するから」


 だから、踏ん張ってよね。


 そう言って笑った游稔に、蓮は軽く握った拳を差し伸べた。その意味をすぐに理解してくれた游稔は、同じように拳を差し出すとコツリと蓮の拳にぶつける。


「お前こそ。大願果たして、腑抜けになるなよ」

「それだけ言えれば大丈夫だね」


 その会話を区切りに、游稔はその場を離れ、以降蓮は梅煙の手を借りながら療養に専念することになったのだった。


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