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血色の花嫁は雨夜に囁く  作者: 篠崎依月


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25/31

※※

 かつてないほどに人の気配が薄い黒城(こくじょう)の中を、(きん)(よう)は足早に歩いていた。


 ──(れん)(ダー)(レン)が死んだ。


 無断外出の(とが)で自室にて蟄居処分とされた金櫻だったが、さすがにその一報は聞いていた。


 蓮の死因は明らかにされていない。この数日ひたすら壁の外を飛び交う言葉に耳を澄ましていたが、何ひとつ役に立つ情報は拾えなかった。恐らく三幇主とそれぞれの側近までで箝口令が敷かれているのだろう。


 だが金櫻には逆に、『それだけ厳重な情報統制が敷かれている』という事実だけで分かることがあった。


 ──きっと下手人は少主(シャオジュ)ね。


 蓮を殺せるほどの実力者など、この(いん)(ねい)に限らずともそう多くはいない。さらに状況が状況だった。蓮はほぼ確実に錯乱した麗華(リーファ)に殺されている。蓮が死んだというのに麗華(リーファ)が姿を現さないというのがその証拠だ。


 恐らく麗華(リーファ)は精神に異常をきたした状態で(ホン)(ファ)の手勢に回収されたのだろう。他に目立った死体が発見された気配もないし、余程うまく事を運べたに違いない。


 ──ま、私にとっては、とっても都合が良かったけれど。


 死人に口なし、とはよく言ったものだ。


 金櫻の正体を見抜いた麗華(リーファ)も、あのやり取りを聞いていた蓮も、商会から消えた。


 あの後、『(ヘイ)』の人間に保護され、黒城まで連れ戻された金櫻は、自分に都合のいい展開をこれでもかと言わんばかりに展開した。


 体を細かく震わせ、涙ながらに『事情』を打ち明けた金櫻に同情する者はあれども、疑いの目を向けるような人間はいなかった。現に『(ホン)』にとっては御法度であるはずの無断外出を常態化させていたにもかかわらず、金櫻に課されたのは自室蟄居という比較的軽いものである。


 金櫻に疑いの目を向ける人間はもういない。ましてや(ホン)(ファ)のネズミなどと罵る人間など、ここにはいやしない。


 ──哀れなこと。


 あの雑草(リーファ)は真実にたどり着いていたというのに、誰もあれの言葉に耳を貸そうとはしなかった。あれだけ甘やかして傍に置いていた蓮でさえもだ。


 その判断基準が『身内か否か』だけなのだから、笑えてしまう。


 ──さてさて。


 先程、出棺を知らせる鐘が鳴っていた。ほとんどの人間が義荘までの葬列に加わる今ならば、誰にも見咎められずに黒城の中を出歩くことができる。金櫻は葬儀への出席も許されなかったから、金櫻の姿がどこにもなくても誰も気にしない。


 ──ほんと、ありがたい判断だこと。


 霜天商会を抜け出すならば今だ。繋ぎを失い、その後に蟄居処分も受けていたから(ホン)(ファ)との連絡はしばらく取れていないが、どこへ向かえば合流できるかは分かっている。


 そろそろ(ニャン)(ニャン)自身が姻寧に入る頃合いだ。ようやく合流できるかと思うと、今から胸が高鳴って仕方がない。


 ──でも、その前に。


 最後に、今この瞬間にしか得られないであろう情報が欲しい。


 あれがあれば商会なんて一瞬にして瓦解させられるであろう、とっておきの情報が。


 その目当ての情報が置かれているであろう部屋の前で、金櫻は足を止めた。


 部屋の扉には鍵がかけられているが、『(ホン)』として仕込まれた金櫻には鍵など意味はない。髪飾りの中に紛れ込ませていた鉄線を鍵穴の中に潜り込ませれば、扉の鍵は数秒でスラリと開いた。


 静かに笑みを浮かべながら、金櫻は部屋の中へ体を滑り込ませる。


 鍵がかかっていた時点で明白だったが、中に人の気配はなかった。停滞した空気は沈黙の(とばり)よりも重くこの部屋を支配している。


 ──さて。


 目当ての情報が保管されているとしたら、机の引き出しだろうか。あるいは金庫の中か、書棚の書類の中に紛れ込ませているのか。


『あまり時間はない。どこから探したものか』と胸中だけで呟きながら部屋の奥へと踏み込んだ、その瞬間だった。


「随分とはしたない真似をするのですね」


 沈黙の帷を揺らすことなく、しっとりと溶け込んでいくかのような。


 そうでありながら聞く者の肉欲を内側から深く掻き立てる深みのある声が、金櫻の背後から静かに上がる。


梅煙(ばいえん)老板(ダーレン)が不在にしている執務室に、一体何の用があるのですか? 金櫻」


 ヒュッと勝手に喉が音を立てる。同時に体は身構えながら、声が聞こえてきた方へ振り返っていた。


芙蓉(ふよう)姐様(ねえさま)


 干上がった声が、己の喉からこぼれ落ちていく。


 そんな金櫻の呼びかけに、黒城きっての美姫は、無言のままわずかに目をすがめた。




  ※  ※  ※




「ど、どうして……。蓮(ダー)(レン)の、葬儀は……」

「あまりの衝撃の大きさに耐えきれず、途中で席を外した。……今日はそういう理由で()()()()()()()(ホン)』が、それなりの数いるのですよ」


 扉が開くと死角になる壁に背中を預けて立っていた芙蓉は、金櫻が外から開けた鍵を改めて閉めながらゆっくりと部屋の中へ踏み込んでくる。


 その体は今日も今日とて男物の黒衣に包まれていて飾り気のひとつもない。だというのに『歩く』という仕草ひとつを取っても目を奪われるほどの色香がそこにはあった。


木蘭(もくらん)は書庫に、()(けん)は医務室に」


 淡々と並べられる言葉に、金櫻は思わず一歩後ろへ下がる。


 芙蓉の発言はまだ終わっていない。だがその言葉の並びで、己の目論見が全て見抜かれ、対策までされていたことが分かってしまった。


竜胆(りんどう)会長(ホアンシャン)の執務室に。……私の執務室には、(すい)(せん)が控えています」


 足を止めた芙蓉は、焦りを隠しきれていない金櫻を冷たく見据える。いつだって芙蓉が周囲に向ける瞳はひんやりとしていたが、今は見たもの全てを凍てつかせるような圧までもがその瞳に宿っていた。


「あなたの狙いは、会長(ホアンシャン)の診察記録でしたか? それとも、あの薫香の調合書でしたか?」


 ──やっぱりバレてる……!


 梅煙は游稔(ゆうじん)の主治医を兼ねている。游稔が常に吸っているあの煙草(タバコ)の調合をしているのも梅煙だ。


 そしてあの煙草が煙草ではなく、忘れ(まつ)()()の後遺症軽減のために用いられる治療薬だということも、商会に長く潜入したおかげで掴むことができた。


 つまり游稔は今なお、あの煙に常に包まれていなければならないほどの後遺症を引きずっている。その詳細を、……目障りな(そう)(てん)商会の長の絶対的な弱点を知りたいと渇望する人間は、(はん)()国内のみに留まらず、近隣諸国に広く、多く存在していた。


 霜天商会と三幇主が全ての力を使って隠し通してきた游稔の弱点。あるいはその弱点を覆い隠すための煙の調合法。


 それらが世に公表された瞬間、霜天商会と()游稔は破滅する。


 ──何でも書いて残しておく組織だから、絶対にその辺りの書き置きもあるはずなのに……!


 忘れ茉莉花の重依存患者の寄せ集めである霜天商会は、極秘事項を口伝だけで保持できない組織だ。金櫻にしてみれば極秘事項が丸裸にされている体制にも等しかった。今までどれだけの情報を抜いてやったかも分からない。


 その情報があったからこそ、忘れ茉莉花を乗せた荷馬車に検問を突破させ、火矢を撃ち込んでやることができた。


 商会の保管庫から()を持ち出すことも、使い終わった弩を誰にも気付かれずに戻すことも。あの混乱の中をすり抜けて、その後逃げおおせることも。花嫁行列の祝儀に己の計画をねじ込むことも、警備の隙をついて(ホン)(ファ)の手引きをすることだって、いつだって簡単にできたのだ。


 だから今回だって、自分は上手くやれると思っていた。


「いいことを教えてあげましょう、金櫻」


 この場をどう乗り切るべきかと、金櫻は必死に頭を巡らせる。


 そんな金櫻に向かって、芙蓉は何かを投げて寄越した。芙蓉の体の影に隠されていた物が何だったのかとっさに判断できなかった金櫻は、ちょうど己の腹辺りに向かって緩く山なりに放られた()()へ、反射的に手を差し伸べる。


 ()()を受け取ることが、()()()()()()()だとも理解できないまま。


「あ、ガッ!?」


 まるで一輪の花を投げ渡すような軽やかな仕草だった。山なりに描かれた軌跡は、フワリと柔らかかった。


 だというのにその()()()は金櫻の両手に受け止められた瞬間、あまりの重さに金櫻の両肩の関節を一気に抜く。さらに両腕で支えきれなかった柳葉刀は足元に落下し、足の甲の骨を押し潰しながら金櫻をその場に固定した。


「アアアアアアッ!!」


 一気に襲いかかってきた痛みに、金櫻は思わず取り繕う余裕のない悲鳴を上げていた。痛みを逃がそうと前に、後ろに揺らめいた体は、すぐに重心を崩してドスリと尻からくずおれる。


「ヒッ、ヒィッ……ヒァッ! アァッ……!?」

「梅煙さんは、我々の中で唯一、煙の災禍を逃れられた御方です。紙に書き記すべきではない商会の極秘事項は、あの方の記憶に保管されています」


 もはや芙蓉が何を言っているのかを理解できる余裕さえない。駆け巡る痛みに、涙なのか鼻水なのか(よだれ)なのかも分からない液体が顔面から吹き出している。


 何が起きたのか分からない。なぜ自分が一瞬でこんな状況に追い込まれたのかも分からない。


「金櫻、私はお前をそれなりに買っていたつもりなのですが」


 そんな状況でも、己の前に膝をつき、至近距離から顔を覗き込む女が、この世の者とは思えないほどに美しいことだけは分かる。


「まさか私の()()にさえ、お前が気付けていないとは。とんだ見込み違いでしたね」


 拷問を行う際、必ず芙蓉の傍らにあった柳葉刀。


 金櫻の足と両腕を一撃で潰した鈍器にフワリと指を這わせた芙蓉は、しなやかな指先で()()柳葉刀を摘んで浮き上がらせると、パッと指を離してまた金櫻の足の上に柳葉刀を落とす。


「〜〜〜〜〜っ!!」

「閨の技量と愛嬌があっても、おつむが軽くては黒城の花は務まらない。私はお前にも、そう教え込んだはずだったのですがね」


 その仕草は、どう見たってこんな鈍器を取り扱っているようには見えなかった。まるで取り落とした箸を摘み上げ、また気まぐれに落とすような軽やかさで、芙蓉は柳葉刀を(もてあそ)ぶ。


「なっ、なん……っ!?」


 悪夢としか思えない光景だった。


 それこそ箸か煙管(キセル)か、それくらいの物しか持ち上げたことがなさそうな繊手が、大の男が二人がかりでも持ち上げるのがやっとというような重量の柳葉刀を、花と(たわむ)れるがごとき手つきでいじっている。


 それを一晩で国を傾けてしまいそうな美女が、表情のないまま淡々とこなしているのだ。


 ──芙蓉姐様の拷問にかけられて、口を割らなかった人間はいない。


 金櫻は今まで、芙蓉が拷問を執り行う場に同席したことはなかった。


 だから、ずっと納得ができなかった。なぜあんな細腕の、いかにも傾城めいた女が、老若男女、あまねく人間の口を全て割ることができるのかと。


 その理由を、金櫻は今更になって、我が身を(もっ)て思い知る。


 美しいものは恐ろしい。自分の理解を超えた存在は恐ろしい。


 この女は、ただ目の前にあるだけで、恐ろしい。


 この恐怖に耐えるには、問われたことも、問われていないことも、全て洗いざらいぶちまけるしか(すべ)がないのだ。


「忘れ茉莉花の後遺症です。私は、(りょ)(りょく)(たが)が弾け飛んだまま、戻ることがありませんでした」


 金櫻の言葉にならない悲鳴だけで、何を問われているのか理解したのだろう。


 淡々と答えた芙蓉は、不意にその(かんばせ)に笑みを広げた。同性で、色事に長けた金櫻でさえ魂を吸い寄せられずにはいられない、傾国この上ない、極上な笑みを。


「男を軽く抱きしめただけで絞め殺せてしまう女を、閨事に出すわけにはいきませんからね」


 その笑みに金櫻が魂を抜かれている間に、芙蓉の両腕は金櫻の体を抱き包んでいた。


 女であっても思わず(とろ)けてしまいそうなほど、(やわ)く肉感的な温もり。フワリとその肌から立ち上る香は、甘くも上品だ。


 その全てに、感覚が蕩けさせられる。


 ミシリという嫌な音が体の中から上がる、その瞬間まで。


「アッ、ガ……ッ!?」


 柔い肉の感触を与えられたまま、グシャリと体が潰される。それを()しているのは、己の体に回された芙蓉の腕だった。他にどんな拷問器具も、金櫻の体には触れていない。だというのに金櫻の体は左右から押し潰され、上半身の骨という骨が次々にへし折られていく。


「ウェッ、ウォッ、ガッ!?」

「……鎖骨と肋骨は折りました。しかし脊椎と肺は無事なはずです」


 死の抱擁を緩めないまま、芙蓉は金櫻の耳元で囁いた。


 芙蓉の表情は、金櫻からは見えない。だが芙蓉の声音には、淡く笑みが宿っている。


「知りたいことは、ひとつだけ」


 こんな状況で芙蓉が笑っているはずがないのに、金櫻は芙蓉が纏う空気からも、声音からも、笑み以外の感情を拾い上げることができなかった。


紅華(ホンファ)娘娘(ニャンニャン)頭目、(ズー)椿(チェン)(ヂェン)。彼女は今、どちらにご滞在されていますか?」


 深く笑みを宿したままの声が、聞き流すことのできない名前を口にする。唇を引き結んで、何も言わずにいるのが一番の対策だと分かっているのに、それでも傾城の声は巧みに金櫻の唇をくすぐって口を開かせる。


「なに、その、名前……」

「ああ、お前は知らないんでしたね? あの女の閨で、何度も(オモ)(チャ)になっていたというのに」


 なぜそんなことまで、この女は知っているのか。


 新たに叩き付けられた恐怖に、金櫻は震える唇から、吐き捨てるように呟いた。


「この、バケモノ……っ!」

「バケモノで結構」


 游稔様と蓮さんは、私がバケモノであったからこそ『欲しい』と言ってくださったのですから。


 そう囁かれた瞬間、金櫻を抱きしめる腕の力がまた上がる。


 ゴキンッと、また体の中から、聞こえてはならない音が聞こえた。


「さて。人としての原型を留めている間に、自ら話した方が賢明だと思い出すよ?」


『さすがにそれくらいは、お前も理解できているでしょう?』と続けられた言葉に、金櫻は二度とは這い上がれない絶望の中に己がいるのだということを、今更ながらに理解した。


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