参
「周囲の連中にケガをさせるとマズいから、飛び道具は基本禁止なんだが」
「問題ない」
『そうなるとお前には不利か?』という蓮の問いに、麗華はフルフルと頭を振った。
「その代わり、鉄糸」
「俺のでいいか? てかその服で装備できるのか?」
「ちょっと前に、芙蓉が改造してくれた」
丸く人が捌けた中庭の中心。
集った人間の視線が集中する中、向かい合って立った蓮と麗華は簡単に手合わせの確認をしていた。
──麗華が本気で来たら、俺も確実に勝てるとは言えない。
服の隠しに装備していた鉄糸を渡してやると、麗華は糸の強度と長さを確かめるように糸を引き出す。そんな麗華の様子を眺めながら、蓮はそっと目を眇めた。
──まぁ、俺としても、一度真正面からこいつの実力は計っておきたかったし。都合がいいと言えばいいんだが。
飛び道具禁止という条件の下でぶつかれば、体格的に蓮が圧倒的に有利に思える。だがすんなり麗華がその条件を呑み、あまつさえ『問題ない』と言い切った辺りから推察するに、麗華はその部分を不利とは考えていないのだろう。
──まぁ、正式にお手並み拝見と行かせてもらうか。
鉄糸の確認が終わった麗華は、ひとつ頷くとスルリと両手を外衣の中に滑り込ませた。それだけで鉄糸の行方は分からなくなる。
「じゃ、お手柔らかに」
「うん。蓮も」
互いに言葉は短かった。
その言葉を最後に、ともに背中を向けあい、それぞれ三歩前へ進む。進んだ先で振り返れば、対戦の準備は完了だ。
「それでは、第一戦は幇主対少主の特別試合と相成ります」
鼓条の声に、場に集った面々がゴクリと喉を鳴らす音が聞こえたような気がした。
そんな緊張感が張り詰めた中でも、蓮の視線の先に立つ麗華は視線を逸らした端から背景に溶けて消えてしまいそうなくらい静かに佇んでいる。
「構え」
号令が飛んでも、蓮も麗華も構えることはない。
ただ蓮は肘まで滑り落として羽織った外衣の下に隠れた両手の中に、隠しから抜いた匕首を構えた。恐らく麗華も被いた外衣で隠した両の手元で匕首を握ったはずだ。
「始めっ!!」
踏み込みは同時だった。
互いに正面へは踏み込まず、相手の死角を探るかのように斜め前へ踏み込む。さらに己の体に隠すように下から上へ振り抜かれた匕首がかち合い、キンッと高く澄んだ音が鳴り響いた。
──速い。
踏み込みの鋭さは麗華が上。しかし振るわれた刃の重さは蓮が勝ったらしい。
麗華は衝撃を使って体を後ろへ逃がすと見せかけて、横へ捌いた足を軸にクルリと体を回転させる。
舞うような体捌きで背後に回り込んだ麗華の狙いは、蓮の首筋だ。その動きを読んでいた蓮は、上半身を前へ逃がしながら地面に両手をつき、反動を使って右足の踵を勢い良く振り上げる。
だが顎を狙った下からの蹴りは麗華に読まれていたようだった。麗華が頭を引いて蹴りを避けたことを察した蓮は、そのまま地面を前へ転がりながら麗華からの追撃を避ける。
互いの外衣が手元の刃と動きを隠しているから、傍から見れば何が起きているのか分からない状況だったのだろう。目を見開いて攻防を見ていたはずである周囲が、あまりに素早い展開についていけずに戸惑いと驚愕の声を上げているのが分かる。
「幇主の初撃を凌ぎきった……」
「あの後ろ蹴り、来るって分かってても避けらんねぇのに。あれを初回で避けれた?」
「やっぱ少主の動き方って……」
──『幇主の動き方そのものだ』……ねぇ?
油断なく麗華を見据えながら、蓮は周囲の戸惑いの声に耳を澄ます。
一撃必殺を狙う動きは、暗殺者ならば誰もに共通するものであるはずだ。手元や体の動きを覚らせないよう、衣服や体で隠すのもまた同じく。
蓮の場合は動くと大きく翻るようにわざと着崩した外衣を目隠しにしているが、麗華は同じことを頭から被いた外衣で為している。確かに雰囲気は似ているが、それだけでここまで周囲が騒ぐほどの類似性は生まれないだろう。
──さて、一体何がそんなに似てるのやら。
「蓮、考え事?」
そんなことを思った瞬間。
五歩以上先の間合いにいたはずである麗華の声が、すぐ耳元で聞こえた。
フワリと、鼻先を甘やかな香りがかすめる。
「余裕だね」
「っ!」
反射的に逆手に握った右の匕首を首筋の横に立てる。その瞬間右腕に走った衝撃に、蓮の体が軽々と吹き飛ばされた。衝撃に逆らわず、逆に勢いを乗せて飛び退り、さらに地面を転がれば、先程まで己の体があったであろう場所を幾筋もの閃光が薙いでいく。
「僕以外に、目を奪われないで」
体勢を低く保ったまま地面を滑るようにして体を止め、反動を利用して進行方向を変える。その一瞬後を追うように、匕首を構えた麗華が体ごと突っ込んできた。
激しい動きに大きくはためく外衣の下で、苛烈な光を宿した瞳が蓮だけを見つめている。
「今、蓮の意識の中にいていいのは、僕だけ」
その視線に。言葉に。
殺意にさらされた時に感じる寒気以外の感情で、ゾクリと背筋が粟立ったような気がした。
同時に、頭の中でゴチャゴチャと考えていた『些事』が、麗華の視線にさらされた瞬間、焼き尽くされたように消えていく。
「……随分と熱烈じゃねぇか」
スッと背筋を伸ばし、逆手で構えた右手の匕首をあえて挑発するかのように外衣の外へさらす。蓮が構えた瞬間、麗華も鏡に映し出されたかのように同じ形で構えていた。
深く息を吸い込んで腹まで落とし込み、同じ速度でゆっくりと吐き出す。
その息を吐ききった瞬間、何かを思うよりも早く体は動き出していた。
「っ!」
陽動を交えてジグザグに進みながら刃を振り被る。麗華は足運びによる陽動を全て見抜いているのか、重心を低く保ったまま動こうとしない。
スルリと、蓮が繰り出す匕首に擦り合わせるように麗華の匕首が振るわれる。迷いのない静かな動きは、冷静に蓮の動きを読んでいた。
そんな麗華の動きを予測していた蓮は、斬撃をさらに陽動に化けさせ、重心を後ろにずらしながら左足で麗華の右足を絡めるように払う。
その動きまでは読めていなかったのか、麗華は片膝をつく形で体勢を崩した。それを視界で確かめるよりも早く、蓮は左の匕首を麗華の首へ滑らせる。
「っ……!」
だがその程度で麗華がすんなり王手を取らせてくれるはずもない。
届くはずであった刃先は、途中で不自然な弾力に止められた。その先にキラリと光る一条の線を見た蓮は、考えるよりも早く左腕を引く。
──鉄糸……!
いつどうやって仕込んだのか、麗華の左右の指先によって張られた鉄糸が蓮の匕首を止めていた。
その鉄糸が攻撃を阻むだけに留まらず、蛇のように身をたわませながら蓮の左腕を捕らえようと蠢く気配を察知した蓮は、絡めたままの足で麗華を地面へねじ伏せながら素早く左腕を引く。
だが麗華の攻撃は容赦がなかった。
「……っ」
──間に合わない……っ!
このままでは自分が腕を引き切るよりも鉄糸が蓮の手元を締め上げる方が早い。
本能的にそのことを察した蓮は左の匕首を手放した。そのまま両腕を地面に振り下ろす勢いと体を捻じる勢いを利用し、絡んだ足を起点に麗華の体を跳ね飛ばす。
カランッと顔のすぐ横を通過して己の匕首が地面を転がった瞬間、麗華は少し離れた場所に、体勢を崩しながらもしなやかに着地していた。
麗華としては、今の攻防で蓮の左腕を持っていけるつもりでいたのだろう。外衣の下から蓮を睨め付ける麗華の瞳には、先程まではなかった仄暗さが垣間見える。
──やぁっと本気になったってか?
対する己の瞳にも、似たような感情が横たわっているという自覚があった。
『怪我をするな、させるな』という言葉が己の唇から出たのが、はるか昔のことのように思えた。
今はただ、この相対している美しい獣をいかに処すか、そのことだけしか考えられない。
蓮は油断なく麗華に視線を据えたまま、地面に落ちた匕首へ指を伸ばした。
対する麗華は、あまりに本気になりすぎたせいで、暗殺者としての本能が働いたのだろう。
一瞬だけ、麗華の視線が蓮から逸らされる。それは己の技量で狩るには大きすぎるマトに相対した暗殺者が、逃げ道を探す時の仕草だった。
その一瞬の隙を、蓮は見逃さない。
今は見逃してやれない。
「よそ見か? 麗華」
踏み込めば一瞬。
瞬きよりも早く麗華を己の間合いに引き込んだ蓮は、構えた匕首を真っ直ぐに麗華の首筋へ向ける。
「今お前の意識の中にいていいのは、俺だけなんだろ?」
「っ!」
真っ直ぐすぎる攻撃を、麗華は半ば本能で防いだ。だがその時には蓮が操る鉄糸が麗華を包囲するように回り込んでいる。
麗華の逃げ場を潰した蓮は、首筋を防御させることで麗華の左の匕首を止め、己の左の匕首の柄頭を内から外へ払うことで麗華の右手から刃を叩き落とした。
さらに近距離で繰り出した左の膝蹴りが麗華の鳩尾に突き刺さり、細い体が前へ傾ぐ。
だがそれでも麗華の殺意は揺らがなかった。
「……っ!」
互いの動きが止まった瞬間、体をくの字に折った麗華の指先は蓮の喉元に突きつけられていた。対する蓮は麗華の右の匕首を叩き落とすために払った左の匕首の先を麗華の眉間に突き付けている。
その様に、周囲の人垣からザワリと動揺の声が上がった。
「これは……幇主の勝ちってことでいいのか?」
「でも、少主もやろうと思えば、幇主の喉を潰せる形……だよな?」
周囲のざわめきは、そのまま各班の頭の困惑でもあったのだろう。試合開始を告げた鼓条も、他の主な頭達も、判定の声を上げられないまま蓮と麗華を見つめている。
──今の状態だけを見れば、俺の方が一見有利にも見える。……が。
蓮は麗華の眉間に匕首の先を突き付けたまま、スッと視線を麗華の足元に流した。
重心が左足に預けられ、右足の先がわずかに上げられた形は、蹴り技の準備をしていた証だ。恐らく麗華は蓮が動きを止めなければ、蹴りで蓮の急所を突き、指と爪を突き立てて蓮の喉を潰していたことだろう。
その場合、蓮は麗華の額を軽く割るのと引き換えに命を失っていた可能性が高い。
それが分かるのは、蓮が逆の立場だったら、まったく同じ動きで迎え撃っただろうと直観したからだ。
「……」
蓮は無言のまま匕首を引くとゆっくりと膝を引いた。そのまま一歩後ろへ下がった瞬間、麗華も腕を引きながら一歩後ろへ下がる。
そんな両者の動きから、この一戦は『引き分け』であるという解釈がなされたのだろう。
少女と見まがう可憐な容貌の麗華が『大兄』である蓮と互角に渡り合うと思っていた人間は少なかったのだろう。どよめきとも歓声ともつかない声が周囲から上がる。
──なるほど。『同じ』……か。
そんな中、蓮と麗華、当の二人だけが、視線で胸中を語り合うかのように互いから視線を逸らさなかった。
今は自分達に絡みつくどんな視線よりも、互いに向け合う視線だけが絶対だった。