第2話
なんで忘れてたんだろう。
わたしもこの回復薬を試飲したとき、あまりの苦さに噴き出したんだった。これ、鼻の奥を刺激する強い薬臭さに加えて、舌の横がぎゅっとなるくらいの苦みがあるんだよね。
あまりにもひどい味だから、飲む前に必ず忠告しないといけなかったのに。
わたしは苦しそうにむせるマックス様を見ながら、さあっと青ざめる。
むせすぎたせいか、少しかすれた声でマックス様がぽつりとつぶやいた。
「これは確かに、衝撃的な味……」
「あ……ごめんなさい」
わたしは青ざめたまま、震える声で謝罪するしかない。
がくりとうつむく姿勢になったマックス様の表情は、どんよりと暗かった。眉間のシワはこれまでにないほど深く刻まれ、とんでもなく渋い表情になっている。
ああ、険しい顔がもっと険しく……!
わたしは身を縮こまらせて、ぎゅっと目をつむる。
いつもわたしはこうだ。
不器用で、トロくて、自分が嫌になる。
こんなに恐い顔のお兄さんが運命の相手だなんて信じられないと思っていたけれど。
それでも、彼に嫌われたかも……と思うと悲しくて、涙が出そうになった。
「……ん?」
マックス様の不思議そうな声が聞こえ、わたしはおそるおそる目を開けた。マックス様はというと、左手のばんそうこうをはがして、驚いたように目を丸くしている。
「味はともかく効果は抜群だな。昨日の訓練でできた傷が一瞬で治ってる。最近の回復薬は飲みやすい味だが、効き目が弱いものが多くて困ってたから助かった」
ばんそうこうの下から出てきた皮膚はきれいなもので、傷があったなんて全くわからない。というか、男性らしい大きな手に目が引きつけられて、なんだかドキドキしてしまう。
マックス様は両手をぎゅっと握ったり開いたりした後、うんとひとつ頷くと、おもむろに立ち上がった。そうしてわたしのそばまで来ると、その大きな手をぽんとわたしの頭に乗せる。
「優秀な錬金術師なんだな、君は」
……え?
突然のことに、わたしは目をぱちぱちと瞬かせた。
てっきり怒られるものとばかり思っていたのに、一体なにが起こったんだろう?
マックス様の顔をちらりと見上げると、あいかわらず恐い顔のままだったけれど、怒ってはいなさそうだった。
ベレー帽ごしに、マックス様の大きな手の感触が伝わってくる。
軽くぽんぽんと頭をなでられて、なんだか頬が熱くなってきた。
……ほめられちゃった。えへへ。
嬉しくて、ゆるゆると頬が緩んでしまう。
ふと足元に目をやると、愛の神獣様が踊っていた。二本足で立ち上がって、両前足をふりふりしながら、ピンク色のしっぽをぶんぶん振っている。
いや、本当になんで踊るし。
でも、ご機嫌で踊っているこの愛の神獣様が、わたしの運命の相手を見つけてくれたんだよね。
顔は恐いけど、わたしが失敗しても怒らない、すごく優しいお兄さん。この人が運命の相手でよかったのかもしれない。
次はもっと飲みやすい回復薬を作りたいな、と思う。もちろん効き目はそのままで。
マックス様が言ってくれたとおり、「優秀な錬金術師」だと胸をはって名乗れるようになりたいから。
*
次の日。
わたしは新しい回復薬を調合するため、錬金術の道具をそろえてある工房にいた。
工房と言ってもそんなに広くはない。おばあちゃんと二人暮らしをしている家の一室を改装して作った場所だから。
工房には錬金術に欠かせない錬金釜はもちろん、ランプ、乳鉢、ガラス器具、ふいご、トンカチ、ルーペなどの器具がいろいろ並べられている。錬金術師として働いてきたおばあちゃんが大切に使ってきたものばかりだ。
工房の中は錬金術の匂いであふれているから、ここに来るといつもワクワクする。
薬を作っているときは薬草の匂い、お酒を作っているときはアルコールの匂い。錬金術に失敗したときには灰の匂いがして、気分が落ち込むこともあるけれど。
「さて、回復薬のレシピは……と」
マックス様に飲ませてしまった回復薬のレシピを書いたメモを取り出す。
エキナセアが大さじ1。
カレンデュラが大さじ1。
猛牛ミルクが大さじ3。
満月湖の水が大さじ2。
エキナセアは自己治癒力を高めてくれるハーブで、抗菌作用や傷を癒す作用がある。香りはくせがないんだけど、味は苦みと渋みが強い。
カレンデュラは皮膚や粘膜の修復が期待できるハーブ。消炎作用もある。少しくせのある香りで、これもまた苦みと渋みが強い。
猛牛ミルクは普通の牛乳よりも栄養価が高いミルクで、疲労回復に効果的。濃い乳の香りがして、味はほんのりと渋い。
満月湖の水は魔力が豊富に含まれた水。ハーブなど、一緒に調合する材料の効果を高めてくれる。この水自体は香りも味もほとんどないけど、材料の香りと味を増幅する。
「うーん、これはひどい味になるのも当たり前だよね……」
苦みと渋みのある材料がどう考えても多い。
「ハーブを変えると回復薬としての効果が落ちちゃう……ということは、分量の多い猛牛ミルクを別のものにした方がいいかも。疲労回復に効果的な材料、ひととおり試してみようかな?」
錬金術で回復薬を作るには、どんなに急いでも二日はかかる。錬金釜に入れた材料をぐるぐるかきまぜて馴染ませるのに一日半、その馴染ませた材料をろ過器でこすのに半日。
のんびりしている暇はない。ハーブの瓶、満月湖の水が入ったフラスコを手に、錬金釜の前へと急ぐ。
と、そこへおばあちゃんがやってきて、わたしに声をかけてきた。
「あら、ルナ。今日はずいぶんはりきった顔をしているわね」
「おばあちゃん!」
おばあちゃんはこのところずっと難易度の高いアイテム作りで忙しかったから、こうして話ができるのは数日ぶりだ。えへへ、嬉しいな。
「そういえば、ルナが運命のお相手さんと会ったのは昨日だったのよね? どんな人だったの?」
「あのね、すっごく優しい人だったよ! わたしのこと、優秀な錬金術師だってほめてくれたの!」
「ふふ、あの結婚相談所を選んで正解だったわね。成婚まで手厚いサポートがあるっていうし、安心だわ」
成婚……!
それはその、つまり、マックス様とわたしが結婚するということだよね……!
ぶわっと頬に熱が集まってくる。
どうしよう、なんだかマックス様の顔を思い出すだけでドキドキしてきちゃった。
頬の熱を冷まそうと両手でぱたぱたと顔をあおぐわたし。おばあちゃんはそんなわたしを見てくすくすと笑いつつ、工房に届いた手紙の整理を始めた。
「あらまあ、結婚相談所から手紙が来てるわ」
「結婚相談所から? なんで?」
「開けるわね。……えーと、『昨日の運命のお相手、手違いで紹介してしまいました。あなたの運命のお相手は別にいらっしゃいます』ですって」
…………え?
「手違い……?」
どくん、と嫌な感じに心臓が鳴った。頬の熱がすっと引いていく。
おばあちゃんが差し出してくる手紙を、わたしは震える手で受け取った。手紙の文面を自分自身の目で確かめる。
そこには、マックス様とわたしは運命の相手ではない、とはっきりと書かれていた。
《参考文献》
監修 エンハーブ 『エンハーブ式 ハーブティー Perfect Book』 株式会社 河出書房新社 2018年