女神のお告げはドアマット
「いい加減、決めないといけないな」
執務室のデスクに積み上げられた釣り書きにため息を堪えつつ、私は本意ではない言葉を発した。
「左様でございますね」
私付きの執事が、感情のこもらない声で相槌を打つ。
その時だった。
『コルラード、急いでガリーニ伯爵家からドアマットをもらってきなさい!
今すぐよ、早く!』
ふと気が遠くなったと思ったら、夢うつつに女神様が現れてお告げをよこした。女神のお告げは絶対だ。すべては国に必要なことなのだから。
ハッと目覚めた私は、執事に命じた。
「ガリーニ伯爵家のドアマットをもらって来てくれ。急ぎだ!」
「……かしこまりました」
執事は大きな疑問を抑え込みつつ、恭しく礼をして退室した。
「しかし、女神様のお告げとはいえ、ドアマット?
しかも、他家のドアマットをもらえとは、どういうことなのだ?」
とりあえずドアマットの回収を丸投げした私は一人考え込んだ。
私は、とある王国の公爵家の次期当主、コルラードである。
そして女神様とは、この王国で深く信仰される神だ。
王家は、女神様の血を引いている。
そこから分かれた我がアルマニーニ公爵家もしかり。
そして公にはされていないが、アルマニーニ公爵家は代々、お告げを授かる者が後継者に据えられてきたのである。
「若様、ドアマットをお持ちいたしました」
伯爵家に向かった騎士たちが、恭しくドアマットを運んできた。
ドアマット、とは言うもののなかなか贅沢な造りで大きさもかなりある。
小さめの絨毯といった感じで、端から丸めてロープで縛ってあった。
「伯爵家は、なかなかの贅沢品を使っているのだな」
いくら大きくても所詮はドアマット。
それにしてはえらく太巻きだ。
「どれだけフカフカなんだ」
じっと眺めていると、巻かれたドアマットがモゾモゾと動き出した。
「な、なんだ!?」
「あ、あのー」
更には喋り出したではないか。
「喋るドアマット!? なわけないか。
中に人間がいるじゃないか、早く解いて助けてやれ」
騎士が手早く解く。
おそらく、私が急ぎと言ったので、そのまま持って来たのだろう。
公爵家で雇っている騎士の中に、わざわざ人間をマットで簀巻きにするような愚か者がいるはずもない。ということは。このドアマットは、最初から人間入りで巻かれていたのだ。
広げられたドアマットから出てきたのは、つんつるてんのメイド服に身を包んだ少女だった。
「助かりましたー。ありがとうございますー」
「よく窒息しなかったな」
「慣れてますから。
うまく顔の方向をずらして息が出来るようにするんですよー」
「慣れて?」
ドアマットでメイドの少女を巻くのは、異常に思える。
だが、彼女は平然と話している。
「いろいろ訊きたいことはあるが、とりあえず、君の名前は?」
「……」
「これは失礼した。私から名乗るべきだな。
私はアルマニーニ公爵家嫡男のコルラードだ。
とある理由によって、ガリーニ伯爵家のドアマットを所望したのだが、手違いで君のことを拉致してしまったようだ。
申し訳なかった」
「これは、ご丁寧にありがとうございます。
わたしは、ガリーニ伯爵家の長女、ヴィオラです」
「伯爵家のご令嬢だと?」
「ああ、こんな格好では嘘だとお思いかもしれませんが、本当です」
「そ、そうか。
で、そのご令嬢の君がなぜ、着古したメイド服を着てドアマットで簀巻きにされていたのだろうか?」
「義妹と義弟の悪ふざけです。何が楽しいんだか、わたしに下働きをさせたり、困らせるような悪戯をしかけたりするんです」
「いわゆる、虐待されていると?」
「どうなのでしょうか。
下働きの仕事は、別に苦ではありませんし、簀巻きにされて水にでも沈められたら大変ですけど、巻いたら満足して放っておかれるだけですから」
「失礼だが、君たち兄弟は何歳なんだ?」
「わたしが十五で、義妹が十四、義弟が十二です」
「貴族としては十分大人な対応をすべき年齢だな。
捨て置けん。このままエスカレートしたら命にかかわるかもしれないだろう」
「父と義母は、わたしに遊び相手をさせてるつもりなんでしょう」
いやそれ、絶対ダメなやつ。
「それで、弟妹の遊び相手をずっとするつもりか?」
「いえ、出来れば遠慮したいですね。使用人も対処に困っているし」
ここは、引き離すべきだろうな。
「ならば、こうしよう」
「?」
「メイドの仕事が苦にならないのなら、公爵家で働けばいい」
「はあ」
「とりあえず、伯爵家の令嬢らしい行儀から身に付けた方が良さそうだな」
「ええー」
私は執事に、彼女の世話を丸投げした。
一人になった直後、再びのお告げタイム。
「で、彼女をどうしろと?」
『え? あ、言ってなかったわね。ヴィオラがあなたのお嫁さんよ。
彼女のバイタリティは、お告げを受ける血筋に役立つでしょう。
あなたの欠点を、何かと補ってくれるはずよ』
丸投げ癖は自覚しているが、他にも欠点があるらしい。
「…………それはご苦労をおかけして申し訳ありません」
『礼には及ばなくてよ』
女神に嫌味は通じない。
夢から覚めた私は、真面目に考えてみた。
女神のお告げは絶対だが、それはあくまでも国のためになる場合だ。
私のお嫁さんについては、逆らっても大丈夫なのではないだろうか。
虐待されていたらしき彼女を手厚く保護するのは人道的にも賛成だが、あのメイドを公爵家夫人にまで磨き上げるのは至難の業だろう。
考えに耽っていると、執事が来た。
「コルラード様、ガリーニ伯爵家から使いが参りまして」
「内容は?」
「ドアマットは差し上げるが、手違いで一緒に連れて行ったメイドは返して欲しいそうです」
「メイド、と言ったんだな?」
「はい、確かに」
「そんな者は知らない、と追い返せ」
「畏まりました」
しばらく後、慌てた様子でガリーニ伯爵夫妻がやって来た。
「突然に押しかけて申し訳ございません」
仕方ないので応接室で会うと、伯爵は冷や汗をかいている。
「なぜ、当家のメイドをお返しいただけないのでしょうか?」
夫人は尊大な態度だ。
「メイドを預かった覚えが無いからです。
そもそも、貴家ではドアマットでメイドを簀巻きにする習慣でもあるのですか?」
「嫌ですわ。子供のちょっとした悪ふざけです。
子守りのメイドが付き合わされるのは当然ですもの」
「伯爵夫人、最近、この国でも使用人の人権を守る動きがあるのはご存じですか?」
「使用人の人権?」
夫人はきょとんとする。
「そうです。たとえ使用人でも、命にかかわるような扱いは許されません。
子供の悪ふざけを放置した場合、親に責任があるのですよ」
「そんな、大仰な」
「大仰ではありません。あなたは自分の子を人殺しにするつもりですか?」
「相手は、たかがメイドですよ?」
あくまでも白を切る夫人。伯爵は黙ったまま。
埒が明かない。
「コルラード様」
その時、執事が耳打ちしてきた。
「ご令嬢の身支度が済みましてございます」
ドアマットから出てきて数時間。
両親は領地に戻っているので、現在、我が公爵家の王都屋敷にいるのは私一人。
つまりは使用人が手持無沙汰気味だったのだ。
特に、女性の世話に長けたメイド隊はここぞとばかりに、彼女に手をかけたのではなかろうか。
「ここへ通してくれ」
「畏まりました」
執事に誘われ、現れたのは……ちょっと待ってくれ!?
なんてことだ、こんな自分好みの女性が存在したなんて。
「か、可愛い!」
思わず口に出た。
さっきの、ぞんざいな態度のメイドと同一人物とは思えん。
確かに顔は同じようだが、風呂・マッサージ・化粧の流れでこうも変わるのか。
我が家のメイド隊は優秀だな。
どうやって調達したのか、ドレスもジュエリーも、よく似合っている。
いやほんと、すごい変身ぶりだ。
「失礼いたします」
淑やかな口調の後、見事なカーテシーを決めた彼女。
メイド長が一瞬だけニンマリと笑うと、すぐに厳粛な表情を繕った。
なるほど。メイド働きが苦にならないと言った通り、体幹がしっかりしているようだ。付け焼刃のカーテシーもどんと来い、といったところか。
「……ヴィオラ!」
父親に名を呼ばれても、令嬢は微笑むばかり。
そうだ、親の愛情に未練が無いなら、ここで返事をするべきじゃない。
「伯爵家のドアマットに巻かれていたのは、こちらのご令嬢だったのですが。
夫人はメイドだと仰る。どんな手違いがあったのでしょう?」
「手違いも何も、この娘は子守りのメイドです。着飾ったって変わりやしません。
さっさと返してください」
「ふむ。あくまでもメイドと仰るのでしたら、どうでしょう、ドアマットとメイド、まとめて代金を払いますので、譲っていただけませんか?」
「そんな娘に、公爵家から代金を払っていただくほどの価値はございません」
「……止めないか」
ここで、とうとう伯爵が観念したようだ。
「代金は要りません。全て、お譲りしますので、良いようにお取り計らいください」
「あなた!」
「これ以上、事態を悪くするのは止めてくれ」
「でも」
「帰るぞ」
夫人は全く理解していないが、伯爵はさすがにこれ以上弱みを晒すべきではないと思ったようだ。
まあ、手遅れだが。
私は執事を呼んだ。
「叔父上にヴィオラ嬢を養女にしてくれるよう、連絡してほしい」
「畏まりました」
父の弟である叔父上は侯爵家に婿入りしている。
彼女を、そこの養女にしてから嫁に貰えば万事うまく行くはずだ。
「あーのー」
「おっと、大事なことを忘れていた」
私は彼女の前に跪いた。
「ヴィオラ嬢、私の妻になって欲しい」
「えー」
「嫌なのか?」
「わたしに何かメリットはありますか?」
確かに。
ドアマットで簀巻きにされても、なんとか凌いできた彼女。
気楽なメイド働きを望んでいる娘に、ご褒美になるようなことが公爵夫人にあるだろうか。
「うーん、そうだな。
私は君の姿かたちが好みだから、妻として側にいてくれたら幸福だ。
しかし、私の幸福のために、君が望まぬ淑女教育を受けるいわれはないな」
「……あの、今、わたしの姿かたちが好みだと仰いました?」
「ああ、言った。先ほどのメイド姿の時は、簀巻きの衝撃で見誤ったようだ。
こんなに好みの女性を見たのは初めてだ」
本当のことだ。私の縁談が進まない理由もそれだったのだ。
「そんなふうに言っていただいたのは初めてなので、とても嬉しいです」
なんと、彼女は頬を染めてもじもじしている。
可愛さが五倍ぐらい増したぞ。
こうなっては、彼女を諦めるわけにはいかない。
「では、こうしないか?
いきなり公爵夫人にならざるを得ない求婚は、いったん引っ込める。
その代わり、しばらく私とお付き合いしてもらえないだろうか。
それでも君の気持ちが私に向かなければ諦めよう」
「……わ、わかりました」
もちろん大嘘だ。執事、メイド隊始め、公爵家のあらゆる英知を集結して、彼女を落とす! 決定だ。
女神様、素敵なお告げをありがとうございました!