第88話 泥の狂気
夜の商店街を行くクシーニ。堂々とハンマーを引きずって歩く。
その背後から何者かが静かにつけてくる。だんだんと早足になって、そして後ろから思い切り頭を殴りつけた。
倒れるクシーニ。それはぽんと煙を上げてビー玉に戻った。
襲撃者、髪の毛の無い20代の女性は驚く。
その髪の無い頭部に、背後からハンマーが振り下ろされた。女性の頭は砕け、胸部までハンマーがめり込んだ。
クシーニにためらいは無い。
「こういうやつがいるってことは、やっぱりここに頭骨があるってことっスね」
が、胸まで裂けた体が勝手にどんどん裂けて、ふたつに分かれた。
そのふたつがぶくぶく膨らんで、どっちも元の女性になった。
「ぶ、分裂……!」
さすがに驚くクシーニ。
「お、お前、残妖だな。私の嫌いな、残妖……」
女性の片方の肩からさらに頭が生えて、さらに分裂した。3人になる。
クシーニは酷薄な笑みを浮かべる。
「へえ……。残妖嫌いっスか。気が合うっスね。あたしもっス」
クシーニはビー玉を何個か投げる。それはぽんっと音を立ててクシーニの分身となった。
☆☆
派手にライトアップされた橋の上で、鬼城リンネは刀をかまえて敵と向かいあっていた。
夜でも交通量が多い。たまにふたりに気づいた自動車がクラクションを鳴らす。
ぶつかるような位置ではないが、仮にぶつかってもケガをするのは自動車の運転手のほうだ。
敵は、不恰好な左右非対称の肉体を持っていた。
肥大化した右腕、小さな左腕、筋肉で膨れ上がったボディ、しかしそれに不釣り合いな幼い少年の顔。その右腕にバカでかい刀を持っている。
「その体はいったい?」
リンネの疑問に少年のようなものは答えた。
「お前と同じさ。俺も妖怪の心臓を手に入れた。けどお前と違って心臓以外もダメだったから、他の部分も自分で取り換えたんだ。いろんな人間から、奪って、くっつけて、でもすぐに腐っちゃうんだ。この体もあと数日しか持たない。お前の手足をくれよ」
「そうしなければ生きられないのは可哀そうに思います。ですが、私にあなたを救うことはできない」
静寂が続く。お互いに動かない。じっと待っている。
対向車のライトがリンネの視界を一瞬くらました。
少年のようなものが動いた。リンネも遅れて前に出る。ガキンと音を立て、刀が交差し、ふたりはすれ違った。リンネの頬が切れる。
ふたりは振り返った。
再び刀をかまえる。
☆☆
そびえるツインタワーの足下で、シシュンはふらふら彷徨っていた。
「ツインタワーって書いてあっても、どこにあるのか分かりゃしないって。ツインタワーの中か? 周辺か? それすら分からない」
ツインタワーを見上げ、シシュンは考える。
「やっぱ中か? 頭骨は外に置くには目立ち過ぎる」
ツインタワーの中に忍び込もうとしたとき、頭上から何か降ってきた。とっさに横に跳んでかわす。
落ちてきたそれは地面にぶつかってどうと横に倒れ、ぴちぴち跳ねている。
鮫だった。
鮫はしばらくして霞のように消えていく。
シシュンは上を見る。
まさかの大量のおさかな。イカやタコも空を泳いでいる。
まるで水族館だ。
それらのおさかなたちが、きっとシシュンを睨んだ。いや、睨んだように感じた。
おさかなたちが突撃してくる。
「酩酊山の猿!」
猿の力を得たシシュンは身軽におさかなをかわしていく。
「どう見ても卑妖術だ。どこかに敵がいる!」
そしているとするならば、ツインタワーの中だ。
シシュンは3階の窓を割って中に入る。
そして目が合った。
濃いヒゲの壮年の男性。
それはシシュンを一瞥し、すぐに上階へと移動した。
「逃げるな!」
シシュンはおさかなを鉈で払いながら追いかける。
☆☆
「風御門……ナセ……」
ナセは自分の名を呼ばれるのを聞いた。
「だあれ?」
季節外れの桜が狂い咲く並木道で、ナセは少女と出会った。
真っ黒なゴスロリ衣装の少女は、全身に細い針のようなものを突き刺して、紫色の唇から声を紡ぐ。
「私……吽倍ハレ……」
「ん? 久しぶりやね」
吽倍は九条や風御門と並ぶ、いやそれ以上の名門退魔師の家系だ。しかし最近はあまり名を聞かない。
「ねえ……ナセ……なんでここに……来たの……?」
「うちはちょっと探し物。あ、せっかくやから手伝うてくれん?」
「探してるのは……これ……?」
ハレは地面をつまんだ。そして引く。それは黒い布だった。布が取り払われ、ヲロチの頭骨が姿を現す。
目的のものを見つけて、ナセは喜ばなかった。
「あー、そういうこと」
「そういうこと……。私……雇われた……」
「一応訊くけど、それで何する気なん?」
「それは……職務上知りえた秘密……ってやつ……」
「やよね。ほな、腕比べといこか」
しかしハレはまだ話を続ける。
「ナセ……私……倍出す……こっち……来い……。私……ナセ……友達……」
「あいにく、うちの友達はドーシャだけよ」
☆☆
泥の海に浮かぶたったひとつの建物。それを目指してドーシャは歩く。
しかし建物を目前にして、急に目の前の泥が盛り上がって噴水のように噴き出す。
「な、なに?」
泥の勢いはだんだん弱まり、それは人の形をとった。
老婆のように白い髪、夜空のような黒い瞳。
それはまさにドーシャそのものだった。
「誰? ライジュなわけないし、なんで私の恰好をしてるの?」
しかし、誰かは分かっている。
全てを泥にして作り変える能力、11年以上前から父とつながりがあった史上最強最悪と呼ばれた残妖。狂少女。
狂少女は見た目を自由に変えられた。だから外見に意味など無い。だがなぜドーシャなのか。
謎の少女はそれには答えなかった。代わりに言う。
「お前に九条さんに会う資格はない」
ドーシャはその、『九条さん』という言い方にあまりにも聞き覚えがあった。
声は違えど、何度も何度も聞いた、間違いない。
「もしかして、國生さん?」
すると謎の少女は驚いたように目を瞠り、泥に溶けた。そして再び形を取る。
赤土色の髪、黄土色の瞳。長官秘書の國生ハニだった。
「國生さんが、狂少女?」
明るくて、やたらドーシャの世話をしたがり、お父さんにいつもくっついている國生ハニは、1万人を殺戮した狂少女のイメージとはかけ離れていた。
だが、狂少女は当時6、7歳。國生ハニは19歳。12年の時が経っているので年齢はつじつまが合う。
「そう。私は狂少女と呼ばれていた。私に名前は無かった。今の名前は九条さんがくれた」
ハニは肯定した。
ドーシャは愕然とした。
「私を騙してたの? 私が七凶天を倒すって言ってたこと、知ってたでしょ? お母さんはあの大規模テロの巻き添えで狩られたのに。なのに私の家に来て、一緒にご飯食べたり、テレビ見たり。なんで平気で笑ってたの?」
ハニは黄土色の瞳で睨んだ。
「それが? 私にはママはいない。九条さんだけが私の唯一の家族だ。だからあそこは私の居場所だ。それなのに、血がつながっているというだけであの人と一緒にいて。私のほうがあの人の家族に相応しい。私はドーシャちゃんの姿を完全に真似できる。だからもう九条さんにドーシャちゃんはいらないんだ」
それは狂気だった。
ドーシャが初めて見た、國生ハニが内に秘めていた狂気。
「私はお父さんのことなんにも分かってなかったけど。でも、昔からずっと思ってた。お父さんを國生さんにはあげたくない」
それがドーシャの理屈を超えた感情だった。




