第85話 死鬼
ドーシャはひとりで家を出た。
父に会うためだ。
これだけは仲間を連れていけなかった。
居場所は分からない。『式』の本部はもうとっくにもぬけの殻だろう。
だからドーシャは携帯でメッセージを送った。『これから行く』と。
返事は無い。だが見ているはずだ。会う気があるなら待っているはずだ。
ドーシャは来た。
父が裏切るまでの『式』の本部。
一見普通のビルだ。
扉を開けようとして気づく。
鍵が開いている。
「誰かいる……」
中には人の気配は無い。
ドーシャは音を立てないようそっと進む。
電源の抜かれたパソコン。重要書類の無くなった保管室。
そしてドーシャはいつも父のいた執務室の扉を開ける。
「よく来た」
そこにはひとりだけ、いた。
聞き覚えのある声。
老婆のような白い髪となった少女。
かつてドーシャが捕まえた残妖、枯山ツクヨだった。
机に腰かけている。
「なんであんたがここにいるの」
「『治療所』が開放されたとき、私も外に出た」
「そうじゃない。なんでここで待ってる? おかしいでしょ」
「深山ドーシャに復讐する機会を待ってたのさ」
「はあ。はぐらかしてばっかり。もういい。ぶっ倒してから聞く」
ツクヨは机の上に立って包丁をかまえる。
ドーシャは気づいた。
「あ、それ、私の包丁じゃん」
まさかツクヨが持っているとは思わなかった。
「くっくっくっ。武器が無いと戦えないか?」
「武器はある」
ドーシャはライジュの包丁を出した。
お互い近づかない。
ドーシャは近くのイスをひとつ、ツクヨの頭へと蹴り飛ばした。ツクヨは左手をかざす。するとイスは左手のほうへ吸い寄せられる。そのまま左手を横に向けるとイスの軌道も左に逸れて外れた。
ツクヨの卑妖術は指定した物体を引き寄せる引力。だが以前より使い方が慣れている。
「前とは逆だな、深山ドーシャ」
ツクヨが言った。
「逆?」
「前は私が犯罪者で、お前は『式』だった。今はお前が犯罪者で、私が『式』だ」
「あなたが『式』? 嘘でしょ? 思想テストは?」
「そんなもの無い。今の『式』は『式』であって『式』でない。死んだ鬼と書いて、『死鬼』だ」
ツクヨが父の命令でここにいるのはうすうす分かっていた。
そうでなければいるはずがない。
それにしても『死鬼』とは。
ツクヨの左手に放置されていたボールペンが吸い寄せられ、その手に握られる。
それを手裏剣のごとく投げてきた。
同時にツクヨが駆けだす。
ボールペンごときは全くダメージにならない。片手で払いのけ、ドーシャも真っすぐ立ち向かう。
お互いの包丁がぶつかる。
ツクヨが左手を引く。ドーシャの体が浮いた。とどまろうにも足が地に着かない。ツクヨの蹴りをもろに受けてドーシャは吹っ飛ばされた。机の上を跳ねる。
体勢を立て直すより早く再び引力に引っぱられる。慌ててドーシャは机のはしをつかんだ。ツクヨが机の上を走ってくる。
「礫石山の砂塵!」
ドーシャは砂嵐を巻き起こした。引力に従ってそれらはツクヨの左手に集まる。
「野分山の暴風!」
さらに風をぶつけた。引力に引かれて速度のあった砂が風に押されて加速し、引力をふりきってツクヨの顔にぶつかった。目に砂の入ったツクヨの足が止まり、引力も止んだ。
ドーシャはようやく地に足を着け、ツクヨの右手を蹴り飛ばした。握っていた包丁が宙を舞う。
そこにドーシャはライジュの包丁で薙ぐ。ツクヨはかわせない。
だがガキンと音がして、包丁が受け止められた。ツクヨは歯で受け止めたのだ。
しかしドーシャは冷静に力をこめずに包丁を引いた。ツクヨの唇が切れ、ぼたぼたと血が流れる。ツクヨは口を押さえてうずくまった。
「本物の山姥の包丁だ。お前には受け止められないよ」
落ちてきたツクヨの包丁、ドーシャの本来の包丁を拾う。
ドーシャは問う。
「で、なんのためにここにいた? お父さんに何を言われた?」
ツクヨは口から血を流しながら嘲笑した。
「はっ。ごほ、ごほ。お前の父親は、お前を殺していいとしか言わなかったよ」
ドーシャは悲しくなった。
しかしここでじっとしていてもしょうがない。
「どうにかしてお父さんに会わなきゃ」
ドーシャはなにか手掛かりが無いか、部屋の中を探し始めた。そして父の使っていた机の引き出しを開けて、すぐに数枚の書類を見つけた。
章題を読み上げる。
「『Z2計画(仮)』……?」
すぐに気づいた。
ライジュが言っていた、残妖絶滅の計画書だ。
「けどおかしいな。こんなところに残してあるはずない」
そこで問うた。
「おい、枯山ツクヨ。これはなんだ」
ツクヨは不機嫌そうに言った。
「ふん。お前の父親が、お前に渡すように言った」
「さっき何も言ってないって言わなかった?」
「なぜ私がそれを素直に伝える必要がある」
ドーシャは呆れた。しかしこれ以上はツクヨにかまっていられない。
「『式』の凍結、『情報局』の制圧、F国本部への対応案、政府との交渉、犯罪組織を利用した社会不安の煽り方……。だいたい今起きてることが書いてある。あと残ってるのは最終プラン。残妖を根絶やしにするために、残妖を一斉蜂起させる。そのために『逢魔』、および『治療所』の残妖を利用する」
ツクヨが言う。
「私らが『治療所』を出たのは最初のテストだ。最後の日には、全ての『治療所』が開放される。バカらしい計画だ。まったくくだらない」
ドーシャは否定できなかった。
「確かにずさんな計画だ。『逢魔』だって倒せてないのに全部の残妖を相手にするなんて。残妖のことを何も知らない人間が考えたみたいな……。どういうこと?」
もうひとつ分からないことがある。
「お父さんはこれを私に見せてどうしたいんだろう?」
考えても分からなかった。
ふと最後のページの裏を見た。手書きで地区の名前が8つ、そして日付が書き込んであった。
「明日?」
ツクヨが馬鹿にしたように言った。
「分からないのか? 計画の最後のページが明日。つまり明日には全て終わる」




