第81話 脱獄
残っている囚人を探して歩いていると、突然扉が開いて誰かが飛びついてきた。
ドーシャは防ぐことができずひやりとしたが、飛びついてきたのは知っている相手だった。
「ドーシャ!」
8歳の女の子。
雨漏レインだ。遊び感覚で人を殺す一方、非常に従順な性格で今はドーシャがご主人様をやっている。
「会いに来ないからさみしかった!」
レインとは時間に余裕がある限り頻繁に会いに行っていたが、ここ1か月は捕まっていたので会っていない。
「ごめんね。どうしても来れない理由があって。これからはちゃんと来るから」
クシーニ(分身)とレインを連れて『治療所』を探索する。勝手についてくるからしょうがない。クシーニなんてどうせ分身だから牢に入れとく意味も無い。
「職員誰もいないっスね」
クシーニが言った。
「確かに。どこに行ったんだろ。逃げた?」
「トラブルで囚人逃がして真っ先に全員逃げる職員は最悪っスよ」
「それもそうだ」
ドーシャは苦笑いする。
そしてドーシャはまたひとり残っている囚人を見つけた。
その少年は静かに座っていた。
深緑の髪。栗色の瞳。
「シシュン!」
ドーシャの声に少年は驚いた目を向ける。
高山シシュン。『逢魔』の戦闘員。
敵でありながらドーシャの友人でもあった。
「なんでいるの? 『逢魔』の連中、みんな出て行ったよ」
「脱獄したってしょうがないだろ。もう『逢魔』につき合う気は無い。ドーシャこそ逃げた連中を追いかけないのか?」
言いながら気づく。
「隣にいるのはクシーニか? そいつも囚人だろ? 一緒にいていいのか?」
「いやそれがいろいろあって……」
と言って説明しようとしたが、ドーシャ自身も何が起こってるのかよく分かっていなかった。
『式』の凍結、ドーシャが『治療所』に入れられたこと。お父さんのことは言わなかったが、『式』の長官だ、言わなくても関わりは分かってしまうだろう。
横からクシーニが言った。
「ドーシャ先輩、あたし聞いてないっスよ」
「ごめん、説明する暇が無くて」
シシュンが立った。
「どうも変なことになってるみたいだな。分かった。俺も出る。俺の力が必要だろ?」
「いいの?」
「今さら後悔することなんか無いさ」
ドーシャは笑った。
「ありがとう」
その後も探索を続けたが、これ以上は誰も見つからなかった。
ライジュはいなかった。
「先に出たのかも」
そうつぶやいたが、最初からここにいなかった可能性が高い。
結局、ドーシャとクシーニ(分身)、レイン、シシュンの4人で外に出る。
外は太陽が明るく照らす。
ドーシャは目を疑った。
そこは戦場だった。
家々が破壊され、無関係の住民が襲われている。
『逢魔』の連中が大量に外に出たのだから、そうなる可能性はあった。
「あいつら!」
ドーシャは思わず飛び出そうとした。しかし、それをクシーニが引き留めた。
「待つっス」
「なんで!」
「本体からの情報っス。ここは危険だからすぐに離れたほうがいいっス」
「危険はいつものことだ」
「そうじゃないっス。町を破壊してるのは『逢魔』じゃないっス」
「『逢魔』じゃない? じゃあ誰?」
「話はあとっス。とにかく今はここを離れないと……」
言いかけて、遮られた。
突然、さっきまでいた『治療所』が粉々に吹き飛んだ。衝撃波にドーシャたちは倒れないよう踏ん張る。
「何が起きたの?」
「爆撃されてるっス! 近くに軍隊が来てるっス!」
粉塵で何も見えない。
「野分山の暴風!」
ドーシャは風を起こして粉塵を払った。
『治療所』は木っ端みじんだ。
物理的に破壊できない素材が使われているのは囚人の部屋の壁だけだし、その素材は高温に弱かった。ただそれでも普通の素材よりずっと強靭なため構造は結構形を残している。
「『治療所』にはまだ艮ウララが……」
ウララは唯一『治療所』に残った。まさかこんなことになるとは思いもしなかった。
「もう手遅れだ。それより俺たちも逃げないと」
シシュンが叫ぶ。
「でもまだ助かるかも。それに町の人たちだって助けないと!」
「ドーシャ先輩、お願いだから言う通りにしてほしいっス! 今は説明してる時間が無いっス! 町はあたしの本体がいるから任せてほしいっス」
言い争っていると、瓦礫を押しのけて鮮血のごとき赤い髪の少女が姿を見せた。全身ボロボロだが意外と平気そうだ。
「さすがの頑丈さ」
ドーシャも苦戦した相手だ。
ドーシャは急いでウララの手をつかもうとしたが、ウララはかわした。
ウララは精神不安定だ。爆撃の影響で興奮している。
しかし迷っている暇は無い。ドーシャは再びウララの手をつかむ。
「大丈夫だから。一緒に行こう」
今度はウララは抵抗しなかった。
ウララを連れてみんなのもとに戻る。少し考え、レインの手も握って走る。
ウララやレインをここに放置もできない。クシーニを信じよう。
クシーニが先導し、シシュンが後方をついてくる。
追撃は無かった。ドーシャたちを特別狙っているわけではないらしい。
すぐに人通りの多い都市まで逃げてきた。
クシーニが振り返って言う。
「ここまで来ればたぶん大丈夫っス。あいつらも人の多いところで暴れるつもりは無いはずっス。けど念のためもっと遠くに逃げたほうがいいとは思うっス」
ドーシャは頷いた。
「じゃあ、うちに帰ろう。お婆ちゃんが心配してるし、ウララとレインをずっと連れて行動できないし」
みんなを連れて、ドーシャは自分の家に戻った。
約1か月ぶりだ。
特に変わった様子は無い。
玄関をくぐろうとして、クシーニが突然言った。
「あ、本体がヤバい」
そう言い残して、クシーニ(分身)は煙となって消えた。ころころとビー玉が転がる。
「おいクシーニ消えたぞどうすんだ?」
シシュンが訊く。
クシーニから状況説明を受けようと思っていたのにいなくなってしまった。
「そ、そのうち本体が帰ってくるでしょ……。うちの場所は分身が見てたわけだし」
とにかくウララとレインを家に上がらせる。
物音に気づいたのか、中から誰か出てきた。
恐る恐るこちらの様子を窺っている。
20歳くらいの女性。雀色の髪、朝顔の柄の着物。
下桐チュチュだ。
入ってきたのが誰かを知ってチュチュは駆けだした。
「ドーシャさま! よくぞご無事で……」
「おおげさ。とも言えないか。1か月いなかったし」
「そちらの方々は?」
「あー、友達? しばらくうちで厄介になると思う」
黙ったまま動かないウララ。逆にきょろきょろして家の中の探索を始めたレイン。玄関の外で待っているシシュン。
とりあえずレインをつかまえてみんなを居間に進ませる。
「ドーシャ!」
お婆ちゃんが目に涙を浮かべゆっくり歩いてくる。
「もう帰ってこないんじゃないかって心配したんだから」
「ごめん」
素直に謝る。
それから訊いた。
「ライジュ、帰ってこなかった?」
「ライジュとも連絡が取れないの。ライジュはどうしたの?」
ライジュはこっそりお婆ちゃんと連絡を取り合っていた。おそらくあれから音信不通になっているのだろう。
「分からない。ライジュを探さなきゃ」
しかしお婆ちゃんはドーシャにしがみついて言った。
「ドーシャ、そんなことしなくていいから。もう何もしなくていいから」
そんなこと言われると思ってなかったのでドーシャは驚いた。
「お婆ちゃん」
「私は最初から『式』に入るのも反対だったのよ。あなたたちには危ないことはしてほしくなかった」
「そうだっけ? ことあるごとにうちは退魔の家系だからとか言ってなかったっけ?」
なんか微妙に記憶と違う気がする。都合の悪いことを忘れるのは老人の特技だ。
「あなたたちは九条の退魔の術は受け継いでない! 退魔師は式神を使うものよ。式神になって使われるのは退魔師じゃない」
『式』は式神から名前を取られている。
おばあちゃんの言うことは間違いではない。だが、ただの我がままなのも気づいてしまった。
ドーシャは言った。その声は金属のように冷えてしまった。
「お婆ちゃん、私が『式』に入った一番最初の最初から、私は自分の意志で戦い始めた。誰かに使われてるわけじゃない。今度の戦いはお父さんが始めたんだ。私は逃げる気は無い」




