第79話 世界最強VS史上最強
2人の女性を連れた青髭の男性は、横断中の道路の真ん中で足を止めた。
3人は『世界人間連盟』F国本部の戦闘員だった。派手な女性がダユー、緑の目がオーレリー、そして男性が世界最強の残妖と称されるアレクサンドル。
立ち止まったアレクサンドルは横断歩道の向こう、信号機のすぐそばにいる少女を見ていた。
その少女は白い髪に夜空のような黒い瞳を持っていた。
「深山ドーシャ……ではないようだが」
アレクサンドルの問いに少女は薄く笑った。
「よく分かったな。そうだ。私は深山ドーシャではない」
「何者だ?」
「これから死ぬのに知る必要がある?」
「なるほど。九条アキラの差し金といったところか」
アレクサンドルたちは本部を裏切った九条アキラへの制裁のためにこの国を訪れていた。
信号が変わった。自動車がクラクションを鳴らす。
アレクサンドルは謎の少女に言う。
「場所を変えよう」
少女は少し考え、納得したように頷いた。
「ああ、見られることを気にしてるんだ? 世界最強と言われる残妖が、そんなことを気にするなんて」
「力ある者こそ秩序を守らねばならぬ」
「くだらない。けどいいよ。誰も見てないようにしてあげる」
少女は両手を地についた。
「まずい!」
アレクサンドルは仲間のふたりをつかまえて跳んだ。
アレクサンドルの卑妖術は距離を支配する。ゆえに一足でどこまでも遠くへ移動できる。
ほぼ同時に地面が溶けた。沼となった世界で周囲の自動車が沈んでいく。少女のまわりから泥があふれ、人間を、自動車を、建物を飲み込んでいく。全てが泥に飲まれ、何もかもが沈んで消えた。
ひとつの都市が一瞬にして消えるのをアレクサンドルたちは遠く離れた場所で見ていた。
ダユーが呆然としている。
「なんだあれ……」
オーレリーがはっとした。
「あれはまさか」
アレクサンドルが言葉を継いだ。
「狂少女。史上最強最悪の残妖」
オーレリーが解説する。
「12年前、1万人を殺戮して逃走。以後存在を確認されていません。なぜそれがここに……」
「九条アキラが飼っていた……ということになるんだろうな」
アレクサンドルはマントを脱ぎ捨てた。
「お前たちはここで見ていろ。もし俺が負けたならF国本部へ帰ってこのことを報告するんだ」
「負けたらって、お前が負けるはずないだろ? アレクサンドル」
ダユーは縋るように問う。アレクサンドルは答えない。
「言えるのは、狂少女を放置はできないということ。そしてあいつと戦えるのは俺しかいないということだ」
アレクサンドルは右手をポケットにつっこみ、小さな塵のようなものを空中に放り投げた。
それは一瞬にして剣となる。
距離を支配する、つまり大きさを変えられる能力で小さくしてポケットに収めていたのだ。
紅き巨剣グレンブラッド。
かつて地上を支配した巨人族の剣。あまりの巨大さゆえに人間には扱えない神器……なのだが、アレクサンドルの握るそれは普通の大きさだ。
大きさを支配する能力を持つアレクサンドルゆえに普通の剣として使うことができる。
アレクサンドルは1歩前に進んだ。するとさっきまでいた場所、いまや泥の海となった場所に戻った。
「戻ってきてよかった。逃げたかと思った」
狂少女はこともなげに言った。
「どう? 誰もいない場所を作った」
狂少女の頭が突然はじけとんだ。
アレクサンドルが剣を振り抜いていた。
距離を支配するアレクサンドルは離れた場所から攻撃することができる。そしてその威力は非常に高い。
これがアレクサンドルの返事だった。
狂少女の砕けた頭が泥と溶けた。首から泥があふれて新たな頭を形作る。
「頭を狙うのはやめてほしいなあ。脳を破壊されると直前の記憶がなくなる」
「脳を破壊されて死なない化け物のほうがやめてほしいのだが」
「ええっと、何だっけ? まあ、とりあえず殺してから考えよう」
狂少女が手を振り、泥を投げつけてきた。しかし泥は空中ではりつけられたように静止する。
アレクサンドルが距離を無限に引き延ばしたことで泥は進んでも進んでも場所が変わらないように見えるのだ。
アレクサンドルが走る。泥の海でも沈むことは無い。正確には泥と靴の間の距離を無限に引き延ばして沈む速度を無限に遅くしている。
遠くから剣を振るうと狂少女の体が切り裂かれる。どれだけ離れていてもアレクサンドルには関係ない。あっという間に狂少女の体はズタズタになる。
だが狂少女はまるで平気だった。
狂少女の卑妖術はあらゆるものを泥と作り変える。自分の体すら泥に変えて作り直せる。
物理攻撃では殺せない。
狂少女は体を流動的に変化させながらアレクサンドルを追う。距離を自在に操るアレクサンドルの速度はほとんど瞬間移動だ。狂少女が泥の波で攻撃してもその瞬間にはもうそこにいない。
お互いに打つ手が無いかに思われた。
狂少女が言った。
「どれだけ速くとも空間座標を無視してるわけじゃない。お前は自分の足で移動している」
あたり全ての泥がうごめき始めた。まるで地震。世界全てが揺れているかのようだ。
そして泥が盛り上がり、沈む前の都市が戻ってきた。ビル、街路樹、自動車、信号機、人間……。ただしそれは全て泥でできていた。
足元がビルに変わりアレクサンドルは遥か高くにいた。
「これだけ障害物があれば真っすぐ走れないだろう?」
狂少女が笑い、泥のビルが崩れながら変形してアレクサンドルを飲み込もうとする。アレクサンドルは1歩で食人ビルから空中に逃れた。さらに一瞬後には数十メートル下の地上に下りている。地上との距離を縮めて重力による自然落下で移動したのだ。
「行け」
狂少女の言葉とともに地上を飾る不気味な泥の人形たちが一斉にアレクサンドル目掛けて殺到する。
人形のいくつかを斬り崩し、アレクサンドルは短い距離での移動を繰り返す。狂少女との直線上には無数の泥の障害物が作られている。それらをすり抜け近づこうとするアレクサンドルの動きが突然止まった。
「むっ」
アレクサンドルの剣と体が泥に絡めとられていた。
破壊された泥人形が泥を飛ばして付着させていたらしい。最初からこれが目的か。
周囲の泥が盛り上がりアレクサンドルを飲み込もうとする。
「ふんっ!」
アレクサンドルが力をこめると周囲の泥が静止した。さらに力をこめる。アレクサンドルの姿が歪み細くなる。そして自らを絡めとる泥の触手から手を引き抜いた。
距離を変える能力で自分の大きさを変え、脱出したのだ。
短距離移動を繰り返し、ついに狂少女を目視できる位置に移動した。
狂少女が驚く。
次の瞬間にはアレクサンドルは狂少女の目前にいた。左手で狂少女の胸に触れる。
狂少女は迷った。
自分にはあらゆるものを泥に変える能力がある。だから敵に触れられた場合、そのまま敵を泥に変えられる。
つまり、狂少女の勝利だ。
だが、本当にそうだろうか?
世界最強と言われる残妖がこんなあっけなく、愚かで迂闊な死に方をするだろうか?
何かある。
それでも、何かされる前に泥に変えてしまえば勝ちだ。
どちらが速いかの勝負だ。
そういう勝負を挑まれた。
狂少女は迷い、そして、逃げた。
後ろに退く。
その動きを、アレクサンドルは無限に引き延ばし、加速させた。
狂少女は自ら後ろに吹き飛び、無数の泥の障害物を突き破り、泥に沈んでいない隣の都市まで飛んで建物の壁にぶつかり人の形をした泥の痕となった。
アレクサンドルの左手が泥と溶ける。狂少女は逃げることを選択しつつも触れた手を泥に変えたのだ。
「やつは物理攻撃では死なん」
そう言うとアレクサンドルは狂少女の成れの果ての前に立っていた。
右手で泥の痕に触れる。
「狂少女、お前を永劫に封印する」
アレクサンドルは泥の痕の周囲に無限に引き延ばした空間を作り出す。
この術は同じ空間系の能力を持っていなければ脱出できない。元々は危険な呪いのアイテムを封印するのに使っていた術だ。
こんな場所に封印を作るのはあまり良くはないが、相手が相手な以上いたしかたない。あとで『世界人間連盟』がこの建物を買い取ることになるだろう。
周囲の泥を念入りに封印する。周りの人たちが奇異の目で見ている。そもそも人が多い。この者たちは隣町が突然消えたことで集まってきた野次馬とそれを抑える警察官だと気づいた。
(はぐらかして逃げるか……)
どうせ本気で逃げるアレクサンドルを追うことなどできない。
思考が中断された。
アレクサンドルは激痛と違和感に吐く。それは胃液ではなく、血でもなく、泥だった。
アレクサンドルは胸を貫かれ、血の代わりに泥を流していた。
振り返る。
狂少女がいた。体の半分以上が泥と崩れている。だが紛れも無い狂少女だ。その手を槍に変えて貫いている。
「いつの間に……」
「お前に吹き飛ばされ、泥の街にぶつかったとき、体の一部を切り離した。それが私だ」
アレクサンドルは泥となって崩れた。周囲の人々から悲鳴が上がる。
卑妖術が消え、封印の解かれた泥の痕と半分以下の狂少女は融合し、元に戻る。
それから自分を撮影する人々を眺めまわす。
「ついで」
この日、2つの都市が消えた。




