第77話 ガラスに映るもの
「今から11年前……」
11年前、『逢魔』の大規模テロが鎮圧され、ドーシャとライジュの母が死んで1年近く経った頃。
ライジュは6歳、ドーシャは5歳だった。
ライジュはドーシャとお人形遊びをしていた。
もともと母は人里に下りることが無かったため、ライジュとドーシャの生活に変化は無かった。だからドーシャなんかは母が死んだことを実感として受け止めていなかった。
ライジュは悲しくて、何度もドーシャに言い聞かせたが、理解されることは無く姉妹の間に悲しみを広げただけだった。ライジュもまだ幼かったのだ。
それでもドーシャと一緒にいたかった。母の面影を残す者は世界でふたりだけだから。
ドーシャがお姫様のお人形で王子様をやっつけてしまったので仕方なく怪獣のお人形で相手をする。
そうしていると、ライジュは庭に誰かいるのに気づいた。
それはライジュよりも少し年上の、8歳くらいの女の子だった。
女の子は砂利を踏んでライジュとドーシャの前にやってきた。
ライジュは疑問をそのまま口にした。
「だあれ?」
女の子は答えた。
「分からない。私に名前は無い」
「名前が、無いの?」
不思議で仕方ないといったライジュに、女の子は困ったように身をよじった。
「あなたたちは?」
「深山ライジュ」「ドーシャです」
ドーシャは知らない人に少し人見知りしておとなしい。
女の子は遠慮せずライジュの隣に座った。
「お人形?」
「一緒に遊ぶ?」
ライジュは気を遣った。
「うん」
女の子は人形に興味を示した。
だがライジュがお人形をいくつか女の子に見せようとするより早く、女の子はその手から人形を見せた。
確かにさっきまで人形など持っていなかったはずだ。それになにより……。
その人形は、白い髪に夜空のような黒い目をしていた。
ライジュだった。
ライジュが不気味さに怯えていると、女の子はもうひとつ同じ人形を取り出した。ドーシャだ。
まだまだどんどん人形が出てくる。
今度はくすんだ赤い髪のお人形。これはその女の子だった。
そして、黒髪黒い目の男性の人形。
「お父さん……」
ライジュはびっくりした。女の子はここにいない人間の人形も出すことができる。
しかしそこで人形の増殖は終わった。そして女の子は人形を出しはしたが、それで遊ぶことはしなかった。
ただじっと、自分の人形を握りしめてライジュを見ていた。
ライジュは自分の人形を使って話しかけたが、女の子は「うん……うん……」としか言わなかった。
ライジュは思った。このお姉さんは遊び方を知らないのだと。ドーシャなら自分の好きなように人形を動かす。けどこのお姉さんは自分が好きなことも知らないし、人間が普段何をしてるのかも知らない。だから人形をどう動かしていいのか分からない。
長い時間そうしていた。
普通ならお婆ちゃんがときどきふたりの様子を見に来るはずだが、この日はなぜか現れなかった。
夕日が眩しく感じるようになってきた。
「何をしている」
低い声がした。
ライジュはそちらを見ると、お父さんが帰ってきていた。
けどライジュより先に女の子が立った。
「九条アキラ……」
女の子は嬉しそうにしていた。
だが父は冷淡に質問した。
「なぜここにいる」
「気になったから」
「気になった?」
「九条アキラの家、九条アキラの家族……。私決めた。私もここに住む」
ライジュは驚いた。お姉さんは勝手にここに住むと言っている。
「それはできない」
父は即答した。
「なぜ? このふたりはここに住んでるのに?」
ライジュは女の子が強い怒りをこちらに向けているのを感じ取った。
この女の子は否定されることに慣れていない。
それは非常に強い嫉妬だった。
父は女の子の怒りを気に留めなかった。
「破滅につながるからだ。ここに住めば気づかれる。別の家をくれてやろう」
「いやだ」
大気が震えた。
父が持っていたカバンを落とした。
衝撃でカバンが開き、中の書類が風に舞う。
落としたというより、手を自由にするために捨てたというほうが近いかもしれない。
「顔と名前を変えろ」
「いやだ。私、変える名前、持ってない」
大地が震えた。
ライジュはドーシャを連れてそっと庭に下りて落ちた書類を拾った。女の子から離れる口実が欲しかったのだ。
何メートルか離れはしたが、恐怖は一向に収まらない。
強烈な威圧感。あのお姉さんは人間の形をしているが、虎だ。普段は猫のように愛くるしいが気まぐれに人を殺す天性の殺戮者。
それでも父は女の子を恐れていなかった。
「だったら俺が名前をつけよう」
突然震えがやんだ。女の子は急に態度を変え、はずんだ声になった。
「本当? だったら我慢する」
女の子はうきうきとスキップしながら出ていった。
ライジュは唖然とした。
ライジュはドーシャを見たが、ドーシャは何も気づいていないようだった。女の子の猛獣のようなあの脅威を。
「大丈夫か?」
お父さんがライジュに話しかけた。
「うん……」
ライジュは拾った書類を渡した。
お父さんはそれを受け取った。
「アキラ? 帰ってきたの?」
お婆ちゃんの声がした。
「ああ」
お父さんは家に上がった。
ライジュは泥のかたまりがぶちまけられているのに気づいた。
なんでこんなところに泥があるんだろうと考え、それがお姉さんの置いていったお人形のあった場所と気づいた。お姉さんのお人形たちはなくなっていた。
それ以来、そのお姉さんは二度と現れなかった。
☆☆☆
「全然覚えてない」
ドーシャはライジュの話にそう返した。
「でもそれがなんなの? 全然分かんないんだけど」
「私もあれが何だったのか、ずっと分からなかった。そのまま記憶の奥底に封印し眠らせていた」
ライジュは目を閉じて、少しづつ思い出すように言った。
「ドーシャは知ってるよね? 七凶天。そいつらを倒すって息巻いてたんだから。私も『式』にいた頃、そいつらについて調べたことはある。戦うことになる可能性はゼロじゃなかったから。その中のひとり、史上最悪と言われる残妖、狂少女は写真がほとんど無い。近づく者は殺されたからだ。けど写真が無いわけじゃない。『式』の資料の中からそれを見つけたとき、なぜか初めて見た気がしなかった」
「まさか……」
「それをどこで見たのか、思い出すのに時間がかかった。そして思い出したとき、私は『式』を抜けた」
「そんなはずない……」
「だから言ったでしょ。復讐なんてくだらないからやめろって」
ライジュは嘲笑した。自嘲だったのかもしれない。
「奴は、狂少女は、11年前からお父さんとつながってる。テロ鎮圧直後だ。テロの時点で仲間だった可能性が高い。そしてあのときお父さんが持っていた書類、一瞬見ただけだったし、当時私は半分も読めなかった。だからお父さんも気にしなかったんだろう。私を甘く見過ぎだ。お父さんの裏切りを知ったとき、私は記憶の奥底からあの書類を引っぱり出した。読めなかった半分も今なら推測できる。あれこそ今、推し進められている残妖絶滅の計画書だ」
「そんな大事なこと、言ってよ……」
「私が見たときから11年経ってる。計画があったからといって実行されるとは限らない。だったら、何も知らせないほうがいいじゃない。何事も無く終わればそれでいい。ただ、『式』にはいられなかった。何かあったとき『式』は真っ先に制圧される。なんでかドーシャはぴんぴんしてるけど」
ドーシャは深呼吸して、考えた。
考えて、言った。
「私、全然覚えてなかった。でもやっぱりお父さんがそんな人だって思えない。だってお父さんはお母さんのことが好きだったんだよ? 妖怪を嫌いなわけない」
「どうかな……。もともと九条アキラは退魔師だった。妖怪を殺すのが仕事だった。お母さんといた時期のほうが例外ともいえる。そしておそらく、その時期にすでに計画は存在した」
「ねえライジュ。一緒にお父さんに会おう。お父さんと話をしよう」
ライジュは目をつむってため息をついた。
「まあ……そうするしかないか。ひとりで会うつもりだったけど、色々な意味で手遅れだし。下手したらもうここにやってくるかも」
「先に警察が来そうだよ。いったん移動しよ」
ドーシャがライジュを起こそうと近づくと、ライジュは近くに落ちていたガラスの破片を拾ってドーシャに見せるように向けた。
「なに?」
ドーシャは警戒する。だがライジュは気にもせず言った。
「憶えてるのがズルいって言ったじゃん。私は憶えていたくないことを教えた。だからドーシャが憶えていたかったことも見せてあげる」
憶えていたかったこと。ドーシャは忘れてしまった、母の記憶。
ライジュは言った。
「似てるよ」
ガラスには、ドーシャの顔が映っていた。




