第75話 憶えていること、憶えてないこと
午後3時。まだ日の高い頃。
ドーシャはある都市に入った。
ライジュはこの街にいる。ドーシャはそう考えていた。
ここはかつて夢幻山という山があった場所。ドーシャとライジュの母、山姥ユメの住んでいた場所だ。
ライジュとお父さんにだけ分かる場所といえばここしかない。
山に行ったのは2、3歳の頃。ドーシャにとっては朧気な記憶だ。
いまやどこにも面影は無い。
集合住宅が立ち並び、舗装された道路を自動車が通る。
喫茶店を通り過ぎ、駅前へと足を進める。広い空間に地元の有名人の石像が目立つように置かれている。
その石像の前にそれはいた。
老婆のように白い髪、夜空のように黒い瞳。
ドーシャに瓜二つの少女は歴史の参考書を読んでいた。
ドーシャの姉、ライジュだ。
ドーシャはあまりのことにげんなりした。
「隠れる気ゼロ?」
声をかけるとライジュが視線を上げた。そしてドーシャを見ると、視線を参考書に戻した。
「おい! 無視すんな!」
ライジュはこれ見よがしにため息をついて参考書を地面に置いていたカバンにしまった。
そして冷たく言う。
「何しに来た」
ドーシャはライジュに詰め寄る。
「あの動画は何? お父さんはなんであんなことしてる? いつから知ってた? なんで私に言わない?」
「答える必要が無い。けど、ひとつだけ答えてやる。ドーシャに言わなかったのは、言っても無駄だからだ。分かったら帰れ」
「なんでそんなこと言うの? 私だって家族じゃんか!」
「血のつながりに縋るな。それは絆なんかじゃない。鎖だ」
ドーシャは狼狽えた。
「どうしてそんなひどいことを言うの?」
「人は生まれたときから他人だ。だが愚かにもそれに気づかず自らを鎖につなぐ。家族という鎖を切り離さなければ人は自由にはなれない。だから私は家族を捨てた。私があの男に宣戦布告したのは家族だからじゃない。私しか止められないからだ」
握った拳が震える。ドーシャは掠れる声で言った。
「お母さんが死んだとき、私は4歳だった。お母さんは決して山から下りなかったから会ったのは2、3回だ。写真も無いし、今はもう顔もはっきりと憶えてない。お父さんはお母さんが死んで無口になった。ライジュはずっと前から家族に見切りをつけていた。だから、私の家族は最初からずっと壊れてた」
息を吸う。
「だけど、認めたくなかった! だからお母さんの仇を討てば元に戻るって信じるしか無かった! ライジュはずるい。自分はお母さんの顔を憶えてるくせに。お父さんと遊んでもらったことも、お母さんに髪を梳いてもらったことも憶えてる」
大声を出したので周囲の人の視線が集まる。ライジュはそれを嫌ったのか顔をしかめた。
「それがなんだ。ドーシャだって憶えてないだけで同じことはしてもらってる」
「全然違う! ライジュは憶えてるから思い出にしまって忘れられるんだ。私には何も無い。諦めて忘れることすらできないんだ」
ライジュは苛立った。
「憶えてるだけ不幸じゃないみたいに言ってくれる。全部憶えてるから私は幸せな過去に縋れないんだ。家族が元に戻るとか、夢を見ることすらできないんだ!」
「……何を見たの?」
「思い出したところで幸せにはならない」
「もうとっくに手遅れだよ。だから教えて。知らなきゃ前に進めないんだ」
「家族という鎖に引きずられ、ともに地獄に落ちる覚悟があるなら、私に勝ってみろ。今ここで」
ドーシャは怯んだ。
「こんなところで……?」
それほど人の多い街ではないが駅周辺には人がまばらにいる。
「『白締』の理念はドーシャも知ってるはず。残妖の存在の公表。一番簡単なのは白昼堂々力を使うことだ。タイガたちが人目を避けて戦っていたのは単に無関係な人間を巻き込まないようにしていただけ」
「ライジュは人を巻き込んでもいいの?」
「私がここで九条アキラを待っていた理由に気づかない? あれはまだ国民を敵に回したくないはず。だから私は一般人を盾にして戦うつもりだった。そうしなければ勝てないなら、私はそうする」
「だからって、私とここで戦う必要はないでしょ!」
「ある。人気の無い場所に移動して九条アキラがやってきたら不利になる。私はここを移動する気が無い。とはいえ、無意味に他人を巻き込む趣味も無いから、軽く人払いだけはしておくか」
ライジュの周囲に土煙が巻き起こった。
「茫漠山の砂塵」
周囲の視界を悪化させるとライジュは右手を偉人の石像に置いた。
「天誅山の雷!」
閃光が視界を塗りつぶし、雷が迸った。轟音とともに地元の偉人の石像が砕け散る。
何事が起きたのかと人々の注意がこちらに向いたところで、さらにライジュは石像の破片で駅前の看板を撃ち落して叫んだ。
「爆弾だ!」
同時に激しく帯電したライジュが周囲の金属に近づくと放電し雷が落ちたような爆音がとどろく。
ライジュは爆弾テロが起きたように装った。
さらに火炎で周囲の街路樹を焼く。
周囲の人々はパニックを起こして逃げ惑う。
携帯を取り出して撮影を始める者もなかにはいたが、破壊範囲が広いので撮影する場所を絞れなかった。ライジュはこちら側に向いている近くの携帯を小石を投げて撃ち抜いた。撮影者が腕を押さえてへたり込む。
「今さら見られることを恐れはしないけど面倒は減らしておいたほうがいい。遠くのカメラに映るくらいはかまわないだろう。じゃあドーシャ、やろうか」




