第73話 黄昏は終わり日は沈む
六文ヌルは暗い部屋で猫のキャラクターのぬいぐるみを撫でていた。
「『世界人間連盟』日本支部が叛乱し、政府と組んで残妖狩りか。大して驚きもしない。元々残妖を狩るための組織だ。『式』もそのために作られた。堂々とやるかこそこそやるかの違いでしかない」
ぬいぐるみの顔を見て話しかける。
「狩りの標的として俺を逃がしたようだ。分かりやすい敵がいたほうが盛り上がるからな。どうやら片手間で俺を倒せると思われているらしい。これから先、『世界人間連盟』本部による制裁が始まる。他の残妖たちも火をつけられたように暴れ出す。それでも俺を逃がして平気だと。よほど自信があるらしい」
「とはいえ全面戦争は分が悪い。もう少し待って『連盟』本部と争っている中に割り込むのがいいだろう」
ヌルは視線を正面に向けた。
部屋の扉が開く。
ゾロゾロと10人以上が入ってきた。
『逢魔』の戦闘員たちだ。
「六文ヌル。今までよく働いた。『逢魔』は俺たちがもらう」
不遜な言葉を吐いたのは中学生くらいの少年。羽々斬ヨミ。12年前に討たれた『逢魔』最高幹部の息子だ。
「理由。今まで汝が『逢魔』の首領だったのは我が幼かったからだ。ゆりかごの時代は終わった。在るべき所へ返せ」
ヌルはヨミには答えなかった。
後ろに立って携帯をいじっている少女に呼びかける。
「ナズナ。より扱いやすいものに首を挿げ替えようというわけか。いや、どっちが勝とうがお前はいいのか。『逢魔』が弱くなりさえすれば。六文ヌルが捕まって戦いが終わった空気になるのは困るが仲間割れで弱体化するのは構わないと」
ナズナが答えることはない。ヨミが答えた。
「傲慢。まだ自分が『逢魔』に必要だと思っているのか? 六文ヌル、汝は敗者だ。なぜ以前のようにのうのうと首領の座に座っていられると考える? 『逢魔』は汝がいなくなったほうが強くなる。昔の栄光に縋る老人は舞台を降りていい」
ヌルは笑った。くつくつと声に出して。
「なるほど……。つまり、ヨミも、ナズナも、九条アキラも、俺が敗残兵だと思っているということか」
ヌルは立ち上がった。
「舐められたものだなっ!」
周囲の壁に亀裂が入って水が噴き出す。ヌルの隠れ家はいつも周囲に水が満ちている。
建物が崩壊し大量の水とともに『逢魔』の戦闘員たちが流れ出た。
だが何事も無かったように元の場所に立っている人物が2人。ヌルとヨミ。
洪水が竜巻のように荒れ狂い瓦礫を押し流す。だがその中心にあってヨミは微動だにしない。
水がヨミの体をすり抜けている。
「影か」
ヌルは吐き捨てた。
「知っているぞ。お前の卑妖術、自分を影と変える」
ヨミは笑った。
「無意味。影にいくら攻撃しようと痛くも痒くもない。知っていようとどうすることもできない」
「くだらん。そんな無敵の能力ならなぜこの国を滅ぼさない? お前の能力には弱点がある」
ヨミは歩き出す。だんだんと速く、そして走り出す。
ヌルは水の弾丸をいくつも作ってはヨミに撃ち込む。それらはすべてヨミの体をすり抜けて地面を穿つ。ヌルは冷静に撃ち続ける。
「影とはものが光を遮ってできるもの。影だけの存在などありえない。では影となった残妖の本体はどこにある? それは影の性質を知っていれば分かる」
ヨミが近づいてきたので水を噴射してその反動でヌルは飛びのく。ヨミが追い、ヌルは逃げる。鬼ごっこだ。
「そもそも三次元空間に写る影とはなんだ? 影は二次元に写るもの。それは三次元空間上において光が遮られるからだ。同じように三次元の影は四次元空間にて作られる。つまりお前の本体は今、四次元上に存在する」
「浅慮。ならばどうする? 四次元まで追いかけてくるか?」
ヨミがヌルに追いつき、触れられそうになったとき、ヌルは最初に吹き飛ばした戦闘員を水で自分の手元に流し、つかんでヨミにぶつけた。
ヨミの手が戦闘員に触れる。すり抜けなかった。
戦闘員の姿が黒く変わる。それは黒い影となった。
その瞬間、四方八方から水の弾丸が撃ち込まれる。ヨミは戦闘員を盾にして左へ逃れた。盾にされた戦闘員の影が薄れていく。戦闘員はすぐに消えていなくなった。
ヌルも気にせず続ける。
「かつてお前と同じ能力を持つ残妖がいた。自分の能力を過信し、影となって戦い続けた。そして黄昏が終わり日は沈んだ。その残妖は夜とともに消えていった。二度と戻ってこなかった」
沈黙するヨミ。ヌルは続ける。
「どれほど秀でた力を持とうと神にはなれん。低次元の生き物は高次元空間でずっと生きられるようにはできていないのだ。お前が四次元にいられる時間には限界がある。一定時間ごとに必ず三次元に戻ってくる。『死の息継ぎ』だ」
「悠長。それは汝を有利にはしない。結局のところ、ほとんどの時間汝は攻撃できないという泣き言を口にしただけに過ぎない」
「所詮子どもだな。俺には見えているぞ、貴様の死ぬところが!」
強気な言葉を口にするが、ヨミの言う通りヌルは逃げ続けるしかない。
一切の攻撃を受けつけないヨミにはいかなる足止めも通用しない。
ジェット噴射のごとき水流で高速移動しなければとっくに追いつかれているだろう。
だが、焦りの色を浮かべたのはヨミのほうだ。
限界が近づいているのだ。
今までしなかった、ヨミの足音が聞こえた。
「ここだ!」
周囲の水が全て鋭い弾丸となってヨミに降り注ぐ。水しぶきが撒き散らされ、霧になる。
霧が晴れたとき、全身から血を流すヨミがいた。
「想定外。まさか汝がここまでやるとは……」
ヨミはかすれた声でそう言った。
言い終わらないうちにさらなる水の弾丸が撃ち込まれる。
だがそれらはもうヨミに当たらない。
ヌルは苦々しげな表情を浮かべていた。
周囲にキラキラ光る水の盾があった。
ヨミの実体が現れ、ヌルが攻撃をしかけたとき、ヨミは大きな影を投げた。ヌルはそれが何か分からずとっさに水の盾で受けた。水の盾は影を受け止め、影はただの岩になった。
それゆえにヌルの攻撃の手は弱まり、ヨミは死ななかった。
「不覚。岩を影として隠しておいてよかった。もしそれがなにか分かっていれば汝は無視して全力の攻撃ができただろう」
「今は貴様の勝ちとしておこう」
ヌルは水しぶきの霧を作りながら背を向けて逃げた。
もはやこれ以上戦う気は無い。もう一度『息継ぎ』まで耐えるのはリスクが大きいと判断したのだ。
ヨミも追わない。凌いだとはいえ傷が深い。お互いにこれ以上の戦いを望んでいない。
「これで『逢魔』は分裂する……」
ナズナは携帯から目を離さぬままつぶやいた。




