第72話 荒れ模様
動画のせいで空気が凍った。
チュチュは困ったような笑顔を浮かべている。
おばあちゃんはおろおろと言う。
「ライジュ危ないことするつもりなのかしら」
ドーシャはおばあちゃんを見て、まだライジュが戦おうとしている相手が誰なのか気づいていないようだと安堵した。
(って、私はもう敵がお父さんだと決めつけてる)
ドーシャは内省する。
「ドーシャさま……」
チュチュが心配そうにみつめている。
「だ、大丈夫。私がライジュを止めるよ」
ドーシャはそう言った。
だが本当に止めるべきはライジュだろうか。
思考がまとまらない。
そのとき。
「ピンポーン」
呼び鈴が鳴った。
「ま、まさかライジュ!?」
ライジュは宣戦布告したがその場所と時間を指定しなかった。ならば戦いの場にここを選ぶ可能性もある。
ドーシャは慌てて玄関を開ける。
意外な人物にドーシャは停止した。
青ひげの目立つ軍服の男性。
以前会ったことがある。
『世界人間連盟』F国本部戦闘部隊隊長、世界最強と言われる残妖、アレクサンドル・レイ。
両隣に真っ赤な服の派手な女性と緑の目の大人しそうな女性がいる。このふたりも戦闘員だ。
「い、いらっしゃい……」
「深山ドーシャか。久しぶりだな」
「どなたなのです?」
チュチュが訊く。
「アレクサンドル。F国だったかB国だったか……。本部の人」
3人は遠慮なくドーシャを押しのけて上がり込んできた。
「ちょ、ちょ、ちょっと! なんの用?」
アレクサンドルと赤い服のダユーは既にあぐらをかいてちゃぶ台を囲んでいる。緑の目のオーレリーは勝手にお茶を入れている。
「あ、チュチュがやるのです。どうぞお座りになってください」
チュチュがお茶を代わる。
「ドーシャのお友達が来るなんて珍しいねえ」
おばあちゃんは感心している。
「いやお友達っていうか、いや、なんだろ?」
「この国のお菓子おいしいよね」
ダユーがどら焼きを食べている。
ドーシャはアレクサンドルの首を指でつついて耳打ちする。
「だから、何の用?」
アレクサンドルは静かに答える。
「九条アキラはここにはいないのか?」
(またお父さんの話だ)
ドーシャは胸が痛んだ。
「お父さんは滅多に帰ってこないけど」
「ふむ、そうか。どうしたものかな」
「お父さんがどうかしたの?」
「それは……」
アレクサンドルは言葉に困った。
そのとき、再び呼び鈴が鳴った。
アレクサンドルたちが強い緊張を持って立ち上がる。まるで戦闘準備。
特にダユーがドーシャとチュチュの頭上に手を置いている。これではドーシャは動けない。
アレクサンドルとオーレリーのふたりが玄関へ行こうとしたが、先に扉が開いた。
「なんだ。開いてるのヨ」
入ってきた。
藍色の服に帽子。額にお札。いわゆるキョンシーの恰好。肌の露出した部分には多くの生傷がある。
そいつは居間に上がってきて言った。
「おや。先客がいるのヨ」
アレクサンドルが呆れ気味に問うた。
「虎バイファ。なぜここにいる?」
虎バイファ。このキョンシーの名前。
C国秘密残妖軍団『怪力乱神』の四将軍のひとり。不死の卑妖術を持つと言われている。
「なぜって、荒れてる国にちょっかいかけるのは当然なのヨ。この国は近いうち残妖と戦争する。私はどさくさに紛れて神器や呪具をごっそりもらっていくつもりヨ。前回はヲロチの頭骨を持って帰れなくてほんと大変だったね。海を泳いで帰るはめになったし、途中でサメに襲われるし、体がふやけて生きたまま水死体になりそうだったし、帰ったら帰ったで責任取らされてお仕置きされるし、あいつら私が死なないからってどんどんお仕置きエスカレートするし、刑吏を返り討ちにしてやったら他の将軍が怒るし……おかげで」
アレクサンドルが遮った。
「そうじゃなくて、なぜこの家に来たかと訊いてる」
「だってここは『式』の長官の家ヨ? まーほとんど帰ってないらしいけど。でも」
バイファはドーシャを見た。
「娘がいる。それを確認できただけでも無意味じゃない。おまえらも同じだろ?」
アレクサンドルたちは睨むような視線で返す。
「どういう意味?」
ドーシャは訊いた。
バイファが口を開くより先にアレクサンドルが言う。
「余計なことは言うな!」
バイファはそれを聞いてにたりと笑う。
「半日前、九条アキラは『式』を凍結した。戦闘員はそのほとんどが軟禁あるいは拘束され、一部は九条アキラに服従した」
アレクサンドルが口をふさぐ前にバイファは言い切った。
「なっ……」
ドーシャは絶句した。
「そんなはずない。そんなことする理由は何?」
「ニュース見てない? この国は残妖と戦争するヨ? だから残妖の戦闘部隊を凍結した。だから私は火事場泥棒に来た。だからこいつらは九条アキラを処罰するためにやってきた」
バイファはアレクサンドルたちを顎で指した。
アレクサンドルたちは重々しく答える。
「『世界人間連盟』は各国政府より上に位置する。国家が我々の方針を無視した場合、我々は力尽くで矯正しなければならない。我々よりも祖国に忠誠を尽くすのならば裏切り者だ。ともに処罰されなければならない」
おばあちゃんが震えながら何か言おうとしたが声にならない。
「九条アキラは周到に計画を練ったはずヨ。しかしここに家族が残っている。とっくに姿をくらましていてもおかしくないのに。家族を協力者にするつもりが無かったにしても、他の隊員と同じように拘束軟禁してもよかったヨ。これじゃ家族を人質に取り放題ヨ」
ドーシャは身構える。
「我々はそんなことはしない」
アレクサンドルは渋い顔だ。
「古臭い騎士道が命取りにならないといいヨ。といっても家族を放置してるならおそらく人質の意味は無いだろうが。かわいそうなドーシャ。親に捨てられた。どうせならうちに来ないか? 『怪力乱神』はいつだって人手不足ヨ。C国人じゃなくても私の紹介なら平気平気ね。どうせこの国に未来はない。残妖絶滅計画なんてC国が昔やろうとしてできなかったことヨ。全ての人間を絶滅させるくらい不可能。愚か者は歴史に学ばない」
ドーシャは苦しげに呼吸を整えて、答えた。
「私、お父さんに会いに行く。会って話をしないと、何も決められない。何もできないよ」
「申し訳ないがそれは許可できない」
アレクサンドルが言う。
「すでに九条アキラの処罰は決定している。我々の動きを九条アキラに伝えられては困る」
「というか、九条アキラと合流して敵になられても困るじゃん?」
ダユーがつけ足した。
「いっそここで始末したほうが早い」
「まだ敵でない者を倒しはしない」
アレクサンドルは否定した。
「そうですよ。泳がせて九条アキラの居場所を探る手段にしたほうがいいです」
オーレリーがそう言った。
「無関係の者を巻き込む気は無い。我々が動くだけでも九条アキラはなんらかの反応を返してくる。必要無い」
「お優しいねえ」
ダユーは呆れた。
バイファは言った。
「お父さんとのお話、うまくいかないことを祈ってるヨ。そしたらうちに来な。こき使ってあげる」
しかしドーシャの悲しげな表情を見て言い直した。
「悪かったヨ。うまくいくことを祈ってる」
バイファはゆっくり歩いて家を出た。
アレクサンドルたちはバイファがいなくなったのを確認して、同様に出ていった。
チュチュが立ち上がった。
「ドーシャさま。チュチュは一旦天狗の山に戻るのです。おじいさまと相談したいのです。すぐに戻って参りますのでどうかそれまで無茶はなさらないよう」
ドーシャとおばあちゃんだけが残った。
ドーシャはそっとおばあちゃんの手を握る。
「大丈夫。きっと何かの間違いだから」




