第66話 暗殺を阻止せよ
ドーシャは戦闘命令が来てからのち、街を走り回っていた。
停電が続いているため街はやや混乱している。自動車などのライトがいつも以上にまぶしい。
一部の公共施設は予備電源で動いている。病院や、政府施設。他の建物の明かりが消えている分いつもより目立つ。
残妖でない人間たちはかなり困っている一方、残妖であるドーシャは夜目が利くので昼日中と同じように活動できる。
つまりそれが『逢魔』が停電を起こした理由なのだ。残妖を有利にするため。『逢魔』が狙っているのは残妖でない普通の人間ということだ。
ドーシャは『逢魔』の狙いを推察できるほど頭が良くなかったが『逢魔』を見つけることはそれほど難しくはない。
夜の闇でライトの明かりを頼りにしない者は目立つ。
道路にたむろする10人ほどの集団。ドーシャはその背後に立った。
中心にいた男性が振り返る。
長身長髪、青い唇。
「六文ヌル!」
ドーシャは思わず叫んだ。敵の大将がここにいる。
ヌルはドーシャの顔をじっと見る。
「お前は……前にも見たことがあるな。俺につっかかってきた『式』の戦闘員。確か九条アキラの娘だったか」
「深山ドーシャだ!」
ドーシャが名乗りながら殴りかかると横から少年が割って入って止めた。
民芸品のような面をかぶり蓑をまとっている。
「シシュン!」
ドーシャはいったん距離を取る。
ヌルが薄笑いを浮かべて訊いた。
「ひとりか? 随分早く俺たちのところにたどりついたな。お前のような子どもでもここが狙いと分かったか」
「ここ?」
ドーシャは視線を動かして周囲を見るが分からない。
「ははっ。何も分かってないのにここに来たのか」
ヌルは後ろの建物を指さした。
「あそこにこの国の総理大臣がいる。俺の狙いは勿論そいつだ」
ヌルが左手を後ろに向けると地中の水道管が破裂して地上に水が噴き出る。噴水はちょうど建物を囲むように一周する。ヌルが指をはじくと噴水から水の粒が建物にマシンガンのように撃ち込まれる。たちまち窓が全部割れ中から悲鳴が上がった。
「やめろ!」
「そう怒るな。こんなやり方でうまく総理の心臓を貫ける確率がどれほどある? こんなものはただの挨拶、見ろ」
建物の入り口からぞろぞろと人が出てきた。みな両手を上げさせられている。その中に見覚えのある人物がいた。
「お父さん!」
ドーシャの父、『式』の長官九条アキラが反応した。
「ドーシャ? なぜここに」
「騒ぐな」
ヌルがそう言うと人々のひとりが突然倒れた。ヌルは人間の体内の水分まで操作できる。残妖ならある程度耐えられるが普通の人間は即死だ。
「お前の父親もいつでも殺せるんだ」
「く……」
ドーシャは動けない。ドーシャが何かするよりヌルが卑妖術を使うほうがどうやっても早い。
「よ、要求はなんだ」
大臣のひとりが質問する。
「要求など無い。俺はお前たちを皆殺しにするために来た。もしもお前たちが俺に権力の座をおとなしく譲るというならそれでもいいが、どうせそんなこと死んでもしないだろう?」
「ではなぜ今すぐ殺さないのです?」
総理が訊いた。
「その質問は12年遅いな」
「どういう意味です?」
「さあな。だがお前の言うとおりもう生かしている意味も無い」
ヌルは右手を総理たちへ向けた。
だが直後ヌルは大きくよろめいた。倒れそうになり踏みとどまる。数秒後、『逢魔』の戦闘員の何人かが頭から血を流して倒れた。
ドーシャもチャンスと思い動こうとしたが肩に衝撃を受けてよろける。仕方なく身を低くして防御姿勢を取る。
ヌルが頭を押さえる。手に血がべっとりついた。
「狙撃か……。『逢魔』の戦闘員を殺せるとは随分威力の高い銃を用意したな」
「形勢逆転です」
総理が言った。
「このときのために用意した対残妖の狙撃銃、たっぷり味わってください」
九条アキラが小さくつぶやく。
「ほう……。『疾』以外にも残妖対策を用意していたとは。抜け目ない」
ヌルは無言で両手を動かすと地下の水道管から噴き出す水がヌルの周囲に集まる。
「姿を隠すつもりですか!」
総理が叫ぶ。
「まさか。反撃するんだよ。人間にやられたままでは沽券にかかわる」
ヌルが弓を引きしぼるようなかまえをすると大量の水が一瞬静止し、撃ち出される。はるか空のかなたへ撃ち込まれた水を見送ってヌルは言った。
「片づいた。俺の普段の戦闘から攻撃の限界距離を把握していたつもりだったんだろうが、それは残妖同士で戦う場合だ。人間を殺す程度はもっと遠くてもできる。さすがにこの距離では殺すに至らなかったが……しばらくは動けんだろう」
「九条さん……」
長官秘書のハニが囁く。
アキラは考える。
(このままではまずいな……)
ヌルが横目でアキラのほうを見た。
そのときヌルの足元に何かが投げ込まれた。それが何かすぐに分かった。煙を噴き出したからだ。
「発煙筒……!」
煙の中から男性が現れる。オレンジの隊服にサングラス。煙の中へ瞬間移動する卑妖術を持つ迫水シンジ、国家残妖特殊部隊『疾』の隊長だ。
シンジは不意打ちでヌルに拳を食らわせる。さらに近くの建物の陰から他の『疾』隊員たちが現れ戦闘を開始する。
「『疾』……! なぜここに」
総理が驚きの声を上げる。
「俺っちの独断だ!」
迫水シンジが叫んで答える。
混乱に乗じて大臣たちが逃げ始めた。
「ドーシャ、総理を守れ!」
九条アキラが秘書ハニの手を引いて逃げながら叫ぶ。
「分かってる!」
ドーシャはすでに走りだしている。ヌルの脇を抜ける。ヌルはドーシャを一瞥したが止める余裕は無い。
本当は父のほうを助けに行きたかったが……。
逃げる九条アキラは横目で総理の驚愕の表情を観察する。
(分かるぞ。総理が『疾』を動かさなかった理由……。いやむしろ動かすつもりが無いのに『疾』を作った理由と言うべきか)
ヌルが右手を逃げる集団へ向ける。
「逃がすか」
数人がバタリと倒れる。しかし総理は殺せていない。迫水シンジと戦いながらでは狙いが定まらなかったらしい。
ドーシャは総理のもとへ追いついたが『逢魔』の戦闘員も1人追いついてきた。
「戦ってたら他の奴にも追いつかれる!」
相手の剛腕をかいくぐって飛び込んで体当たりで弾き飛ばす。
そのまま総理に近づいてつかむ。
「な、なにをするんです」
「うるさい黙ってろ」
ドーシャは総理を両手で抱きかかえた。
「あっちだ、追え!」
『逢魔』の戦闘員がドーシャを追う。
両手がふさがった状態で戦うのは難しい。
「ほいほーい!」
背後から甲高い男性の声。後ろを見ると『逢魔』の戦闘員が左右に避ける。その後ろにいたピエロの恰好をした男性がなにか投げつけてきた。
「そんなもん当たるか」
ドーシャは難なく躱す。しかしドーシャの前に落ちたそれが爆発した。
慌てて総理をかばい身を低くする。
1人なら爆発を突っ切っていけたが普通の人間を抱えていてはそうはいかない。
爆風が収まるとドーシャは3人に囲まれていた。
ドーシャは総理を抱いたまま敵を睨む。
「時間をかけてたら他の奴らも追いついてくる。さっさとかかってこい」
抱きかかえた総理を降ろすか迷ったがドーシャは抱えたままにした。
「降ろしなさい」
総理が文句を言う。
「死にたいなら降ろすけど」
ドーシャを囲む3人の敵のひとり、ピエロ風の男性が口からサッカーボールくらいの大きさの鉄球を吐いた。
よだれにまみれた鉄球にドーシャは顔をしかめる。
「うえ、私と同じ体内に収納する卑妖術だ」
吐き出した鉄球を仲間の2人、ボクシンググローブをつけた女性たちに投げる。2人はグローブで鉄球をドーシャのほうへ打ち返す。
「!」
予想しないことに跳ね返された鉄球の速度が2倍になったためにドーシャは避けることができなかった。
真っすぐ総理の体に向かってくる鉄球をとっさに肩で受ける。もう1つの鉄球はドーシャの背中に直撃した。
「そんな強く打ち返したようには見えなかったけど……」
ドーシャは痛みをこらえる。
ピエロは次々鉄球を吐き出しては仲間の2人にパスし2人がドーシャへ打ち込んでくる。
左右から迫る高速の鉄球の1つをドーシャは頭で下へ打ち落とし、もう1つを右足でボクシングガールへ蹴り返した。
「1回見れば対応できるっての」
するとボクシングガールはそれをさらに打ち返して来た。倍の速度になった鉄球がさらに倍速で返ってくる。
だがドーシャは左足でさらに蹴り返す。4倍速の鉄球がボクシングガールの頭を直撃した。
「対応できるって言ったろ」
下に打ち落とした鉄球をもう1人へ蹴り飛ばして倒す。
最後に残ったピエロが慌てて拳銃を取り出すのを見て単体の戦闘力は無いと判断しドーシャは再び走りだす。
「なぜ人の少ないほうへ逃げるんです」
総理が訊く。
「人ごみに紛れ込んだほうがいいでしょう?」
「『逢魔』は一般人を巻き込むことなんかなんとも思ってないよ」
ドーシャは答えた。
「完全に振り切るまでこのまま走る」
狭い道へと入り込むドーシャの背中を何かが追う。それはドーシャよりずっと速い。
追いつかれる瞬間ドーシャは高く跳んでかわした。そいつが通り過ぎたあと宙返りして着地する。
通り越した敵が振り返った。
蓑をまとった残妖。
高山シシュン。右手に鉈。仮面はつけていない。
路地にいた人たちがいきなり飛び込んできたドーシャたちに驚いて少し騒いでいる。
「ここ思ったより人が多い……」
シシュンは野次馬を気にせず言った。
「ドーシャ、そいつを渡せ」
「渡すわけないって分かってるよね?」
「……そうだな」
シシュンは鉈をかまえた。




