第65話 新宿サクヤ
看護師姿の女性が大きなハサミを持って子どもと戦っている。
看護師がぐっと姿勢を低くしてハサミを前にかまえて突進すると子どもは両手に持った鉄の棒で受けようとする。
だがハサミは鉄棒ごと子どもを両断した。
上半身と下半身が分かたれた子どもは地面に倒れる。
血は出ない。それどころか子どもは「なんだこれ! なんだこれ!」と叫びながら元気に足をバタつかせる自分の下半身を見ている。
看護師は『式』の戦闘員の片桐サーヤ。
「あー私は物理的に切ってるわけじゃないんでー。私より強い卑妖術じゃなきゃ受けられませんよー」
サーヤは倒した子どもを気に留めず別の子どもとの戦いに備える。
だがそのとき周囲の自動車や建物が爆発するように粉々に吹き飛んだ。何が起こったか理解する前にサーヤもサーヤと戦っていた子どもも倒れる。
しばらくしてその場に派手なスーツの男性が歩いてやってきた。靴からネクタイまで高級品に身を包んだ若い男性。
「まずは1人。『式』の戦闘員って今動けるの何人だ? まあ何人でも俺の敵じゃないが。あのおっかねえねーちゃん以外は」
男性は新宿サクヤ。七凶天の1人。
サクヤはここに来る前のことを思い返す。
☆☆
「サクヤ。次の戦いは大規模なものになる」
六文ヌルがサクヤに言った。
「お前には『式』の足止めを頼みたい」
サクヤは露骨に顔をしかめた。
「足止めって要するに捨て駒じゃねーか。俺は『逢魔』じゃねえ。そこまでする義理はねえぞ」
家族に過去の所業をバラすと脅迫されているから従っているだけだ。危険を冒すのは割に合わない。
ヌルはなだめるように言う。
「『式』の注意を引くだけでいい。ただの時間稼ぎ、本気で戦えと言ってるわけじゃない」
サクヤはそれでも不満が消えない。
「俺はもう社会人なんだ。失うものが何もないお前らとは違うんだよ。ヤバくなったら降りるからな。特にあのねーちゃんとは絶対戦わねえ」
「霜月フユヒか。奴はヲロチの残妖との戦いで負傷している。ガキどもを上手く使えば足止めできる」
「ぜってーやらねーからなそんなこと。やりたきゃ自分でやれ」
「あいにく俺は他にやるべきことがある。フユヒの足止めはお前にしかできない」
結局サクヤは了承せざるをえなかった。まあいざとなれば逃げればいいし降伏してもいい。どうせ『逢魔』が負けようが自分には関係ない。
自分さえ良ければそれでいい。
12年前だって暴れたいから暴れてただけだ。
☆☆
さらにサクヤは2人目の『式』の戦闘員を倒す。所詮サクヤの敵ではない。
サクヤの卑妖術は振動を操るものだ。物質に振動を与えることで破壊できる。それに脳を直接揺さぶってやれば残妖でもあっという間に意識を失う。絶大な破壊力と攻撃範囲、回避や防御の難しさから攻撃力においては最強とも言われた残妖だ。
サクヤを両手を振って振動波を起こし周囲のビルを粉砕する。
大惨事になった周辺を見回しひとり言を言う。
「もう充分時間稼いだだろ。そろそろ帰らせてもらうぞ」
これだけ暴れれば『式』の霜月フユヒ隊長もここへ来るだろう。フユヒと戦うつもりはさらさら無い。
だが返ってこないはずの返事がきた。
「これだけのことをして何食わぬ顔で帰る気ですか?」
サクヤが声のほうを見ると少女がひとりいる。
オレンジ色の髪に灰色の迷彩服。左手に刀。
「見覚えあるな。誰だっけ」
「鬼城リンネ」
鬼城リンネ。『式』の管理下にない野良の残妖(厳密には残妖ではないが)。リンネは独自の正義に基づき活動している。
「箒星キララを殺したのはあなたですか?」
「あのババアのとこにいたガキか。俺じゃねえよ。ありゃ狂少女だぜ? 家が溶けてたからな」
「狂少女……」
「あいつのことはよく知らねえからなんで殺したのか俺は知らん。それにしてもヌルも狂少女もあのババアも昔と変わってねえ。12年も経つんだからいい加減大人になれよな。いつまで闘争ごっこしてやがるのか」
「まるで自分は関係ないみたいな言いようですね。たった今も街を破壊していたのに」
「みたいじゃなくて関係ねえんだよ! 俺はヌルに言われて仕方なくやってるだけだ。文句はヌルに言え」
「あなたが殺した人たちの前で同じことが言えますか?」
「死人に何を言うんだよくだらない」
リンネは右手を刀の柄に添えた。
「あなたは自分が踏みにじった人のことをなんとも思ってないんですね」
「なんなんだよお前。俺がお前になにかしたか? どいつもこいつも俺を逆恨みしやがって。てめーらが不幸なのは自己責任だろ」
サクヤは右手を無造作に振った。強烈な震動波が周囲の物質を破砕しながらリンネを襲う。リンネは素早く移動し躱した。過去に1度見ていなければ躱せなかっただろう。
リンネは刀で自らの手首を切り多量の血を流す。血は重力を無視して自在に動き空中に血だまりを作った。
リンネの卑妖術は血液を操るものだ。また、その血液は物質を破壊する能力を持つ。
血だまりに波紋が浮かぶ。血が振動波を受ける盾になっている。
「ぐ」
リンネは頭を押さえて移動する。
血液が振動波を吸収しきれていない。減衰はしているものの振動波が血液の盾を貫通してリンネの脳を揺さぶっている。
(防戦は不利だ……!)
リンネは手首からさらに血を流す。血液は空中を飛んでサクヤへと襲いかかる。サクヤは振動波で血液を吹き飛ばし血煙に変えるが、すぐに寄り集まってサクヤに降り注ぐ。
「くっそ。なんだこりゃ」
悶え苦しむサクヤ。血に染まったスーツがぼろぼろと崩れる。
だがサクヤは攻撃の手を休めなかった。振動波がリンネを襲い、攻撃に集中していたリンネは腹部に振動波を受けてしまった。
鈍器で殴られたような、その場にうずくまりたいほどの痛みだがここで足を止めると一巻の終わりだ。
新宿サクヤは七凶天のひとりだ。防御能力は大したことはないがその弱点は充分自覚している。攻撃されたくらいで手を休めることは無い。
それにリンネの血液は威力が低い。どうにかして接近し妖刀サンサーラで決着をつける必要がある。
リンネは自分よりも大きな瓦礫を拾っては投げて振動波の盾としながら走って直撃を受けないよう逃げる。投げた瓦礫は一瞬で粉々に砕かれていく。サクヤの周囲を回るだけで一向に近づけない。
一周して同じ場所に戻ってきたところでリンネは足を止めた。
当然振動波がリンネを襲う。
リンネは出血したままの左手を上げた。血が空中で盾になって振動波を受け波紋が浮かぶ。
そしてサクヤの周囲、今リンネが走った場所に垂れていた血が空中へ浮かんでサクヤを包むドームとなった。ドームに波紋が何重にも浮かぶ。
「振動には物に当たると反射する性質があります。血で周囲を覆うことで振動が反響しあなたにダメージを返します」
血のドームが振動波に耐えきれず割れた。サクヤが苦しそうにうつむいている。
リンネは妖刀サンサーラを握り一直線にサクヤへ進む。
リンネがサクヤを袈裟斬りにしようとしたとき、サクヤが体の後ろに隠していた右手を振って妖刀サンサーラをはじいた。
リンネは驚愕した。
振動波なら相討ち覚悟でサクヤを斬り伏せればいい。だがサクヤは隠し持っていた金属の薄く細長い板でサンサーラをはじいたのだ。
おそらく瓦礫の中から拾ったもの。だがそんなものでサンサーラをはじくことなどできるはずがない。
「ふんっ。振動だ。高振動を与えることでただの金属の板でも名刀になる。近づけば俺に勝てると思ったのか? なめやがって」
リンネは内心焦りつつも2撃目を打ち込む。だがそれもサクヤの振動剣に触れるとはじかれてしまう。振動剣と打ちあうたびに大きくはじかれ体勢を崩してしまい攻め込めない。
夜叉の剣術を受け継いだリンネだがサクヤの力と卑妖術にだんだんと追い込まれていく。
ついにサクヤの振動剣がリンネの胴を浅く薙いだ。両膝をつき倒れそうになるリンネ。だがそれでも刀を握ってかまえを解かない。まだ……。
サクヤが振動剣を振りかぶった姿勢で止まった。
あとは振り下ろすだけなのに動かない。
その手から振動剣が落ちた。振動剣は砕ける。リンネの返り血で破壊されて脆くなっていたから。
それに気づいたから剣を捨てたのだとリンネは思っていたが、サクヤはいまだ動かなかった。
リンネも異変に気づいた。
そっとサクヤの視線を追う。
そこには若い女性と幼い少女、場違いなほど普通の家族がいた。
少し離れた場所に般若の面をかぶった男性もいる。
「なんでしょう、あれは」
リンネには分からなかったが2人はサクヤの妻と娘だった。
「なんでここにいる。今日は県外の遊園地に行ったんじゃなかったのか」
母親は蒼白な顔でサクヤを見ている。
「あなたなの? 今のこれ。12年前のあれも……」
「違う……」
サクヤは絶望を隠せない。
「俺じゃない。俺は何もしてない。俺がするわけないだろ? 俺がお前に嘘をついたことがあるか?」
「嘘つき」
娘を抱えて逃げる母親を見てサクヤは追おうとした。
だができなかった。
リンネも驚く。
全く気配がなく般若の面の男性が前から刃でサクヤの心臓を貫いていた。
「任務完了」
般若の面の男性はそれだけ言った。
「卑劣だとは思わないのですか?」
リンネが般若の面の男性に食ってかかった瞬間、視界が真っ暗になって般若の面の男性は姿を消した。
見失ったのはダメージのせいで立ちくらんだとかではない。
「姿を隠す卑妖術……」
サクヤに気づかれず刺突したのもこれだろう。もっと言えばリンネたちに気づかれずサクヤの家族をここまで連れてきたのも。
「これが『式』のやり方ですか」
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名前:新宿 朔夜
所属:七凶天
種族:大ナマズの残妖
年齢:29
性別:♂
卑妖術:《天震地動》
振動を支配する。




