第60話 青天のキララ
真っ昼間のスラム街。
鬼城リンネは酒場の上の階にある居住スペースで老婆と会っていた。
鬼城リンネは夜叉の心臓を移植した人間である。
リンネは『式』の管理を受けず独自に活動し残妖の保護や犯罪者の討伐を行っている。
「この間は残妖の孤児院を紹介いただきありがとうございました」
リンネは老婆に頭を下げた。
老婆はイスに座ったまま答える。
「かまやしないよ。残妖同士が助け合う。そのために『残妖互助会』はある。あんたは本当は残妖じゃないらしいけど」
老婆は『残妖互助会』会長、箒星キララ。
『残妖互助会』は人間社会で暮らす残妖たちが残妖特有の悩みを解決するためお互い助け合う集まりである。
参加者は普段正体を隠して生活しているためそのメンバーリストは極秘であり全員を知っているのは会長のキララだけであるとされている。
そしてキララは12年前『逢魔』の大規模テロに参加した七凶天の1人でもあった。
リンネは頭を上げた。
「また子どもを保護したらお世話になります。それでは」
「もう行くのかい。お茶くらい飲んでいきなよ」
リンネは少し困ったふうな顔をしたが結局従うことにした。
イスに座らずお茶を飲む。
「あんたを見てるとあたしの若い頃を思い出すねえ」
キララは語り始めた。老人の昔話は長い。
「あの頃は必死だった……」
結局1時間くらい立ったまま昔話を聞いていたがにわかに下の階が騒がしくなった。
「敵……?」
リンネは持ってきていた刀をつかむ。
「ほっときな。敵なら酒場の飲んだくれどもが片づけるよ。こういうときしか役に立たないけど腕は確かだ」
だが直後、爆弾でも落とされたかのような轟音と揺れが来てテーブルに置いたリンネのお茶のカップが落ちる。
建物が崩れかねない衝撃だ。
キララは真剣な顔になった。
しばらくしてキララたちのいる部屋の扉が開く。
長髪に青い唇の男性と明るい茶髪に染めた派手な白い服の男性の2人。
リンネは刀の柄を握って抜刀のかまえを取る。
「やめなリンネ。あんたの手に負える奴らじゃない。六文ヌルと新宿サクヤだ」
「七凶天の……」
リンネの背に緊張が走る。
かつてこの国を震撼させた七凶天が3人も集まっている。
「もう帰んな。こいつらが用があるのはあたしだけだ」
「ですが私だけ逃げるわけには……」
「あたしの能力は知ってるだろう。邪魔だ」
「めんどくせえから俺が人払いしてやるよ」
新宿サクヤが手のひらをリンネに向けた。
その瞬間リンネの周囲が激しく揺れ家具や陶器が砕け散る。リンネは外傷も無いのにふらついて両手を床についた。
「やめなサクヤ!」
キララが怒鳴る。
ヌルも言う。
「よせ。俺たちは戦いに来たわけじゃない」
サクヤが手を下ろす。揺れが収まった。だがまだリンネは立てない。極度の振動により内臓にダメージを受けた。また三半規管が狂い車酔いのような状態になっている。
「わかっただろう。あんたじゃ無理な相手だ」
キララはリンネのほうは見ない。目の前の2人から目を離せないでいる。
リンネはふらふらと立ち上がった。
「お力になれず申し訳ありません……」
そう言って窓から脱出する。
少し待ってキララは言った。
「さて、覚悟はできてるんだろうね」
「怒るなよ。さっきの娘も下の飲んだくれどもも殺しちゃいない」
ヌルは何でもないことのように言う。
「じゃあ何しにきた。12年前の裏切りをあたしが忘れたとでも思ったのか?」
「ただの人間の死体を政府に殺された残妖と偽ったことか? お前を仲間に引き入れるのに必要だった。それに政府を倒すことは残妖にとって必要なことなのだから結局はお前のためにもなる」
「ふざけんなよ!」
キララが怒鳴ると周囲にビリビリと電流が走る。テレビのモニターが電源が入っていないのに画面が明滅する。
ヌルとサクヤの髪の毛が逆立つ。サクヤは頭を抱えてうずくまった。ヌルは苦痛に顔を歪めながら動かない。
しばらくすると異常が収まった。うんざりしたようにサクヤが立ち上がる。
「いいかげんにしろよババア……」
まだ髪の毛が逆立ったままでヌルが言う。
「今度は嘘は言わん。次が最後の戦いだ。もう一度俺の仲間になれ。残妖たちのためというならそれしかないはずだ」
キララはため息をついた。
「12年前、あの戦いであたしも『互助会』の仲間たちも深く傷ついた。もう二度とあんなことはやらないよ」
「それが本当に仲間たちの望みなのか? 疲れているのはお前だけではないのか」
「『互助会』の連中はねえ、みんな他人に傷つけられて助けを求めてやってくるんだよ。あんたらが倒した下の飲んだくれどももそうさ。『逢魔』の残妖とは違う」
「俺が勝てばそもそも残妖が傷つけられない世界にしてやる」
「そんな世界ありはしないさ……。どこにもね」
「もう少し考える時間をやる。真の闇が訪れるときお前の覚悟を決めろ。正しい道を選べ」
ヌルとサクヤは帰っていく。
キララは2人の後ろ姿を見ながら迷っていた。
このまま2人を帰すのか。今自分がこの2人を倒すべきではないのか。2対1とはいえ勝機はある。能力には相性がある。キララの卑妖術はヌルのものに有利だった。サクヤを倒せれば勝てる。
だが最後までキララは手を出さなかった。
ため息をつく。
「あたしはダメだねえ。あの子らを放置すれば何が起きるか分かってるのに」
同情か、憐憫か、とにかくキララはヌルのことを憎み切ることができなかった。
「さて、下で気絶してる連中を起こしてくるかね」
キララはゆっくりと腰を上げた。
そこで奇妙なことに気づく。
部屋の中に少女がいる。知らない少女だ。さっきまではいなかった。
「お嬢ちゃんは誰だい?」
「久しぶり、とでも言うべきか。青天のキララ」
少女の答えにキララは相手が誰なのか悟った。
「狂少女か……。昔と姿が違ってるから分からなかったよ。それにしても今日は随分昔の知り合いがやってくるねえ」
狂少女。七凶天の1人にして史上最強最悪と呼ばれた残妖。
「さっき六文ヌルと新宿サクヤが来たでしょう。協力することにしたのか?」
「どうしてお嬢ちゃんがそれを気にする?」
「知りたかったらおかしいか?」
「いや……。ただ、昔のお嬢ちゃんなら気にしなかった」
狂少女は昔のことを少し思い出そうとしたがすぐやめた。
「私のことはいい。答えて。いや、答えなくていい。こうするほうが確実だ」
突然建物全体がぐにゃりと歪んだ。
キララは年齢に似つかぬ素早さで建物の壁を破って脱出する。
すぐに建物が溶けてべとべとのチョコレートみたいになった。崩れ落ちた建物から狂少女が姿を現す。
遅れて飲んだくれどもが這い出してくる。キララがくいっと顎で合図すると皆逃げていった。
「あたしを殺す気かい? 竜の逆鱗に触れる覚悟はあるのか」
周囲数百メートルにわたってバチバチと静電気が走る。
スラム街に落ちる金属片や硬貨が宙に浮きその全てが狂少女へ弾丸のごとく撃ち込まれる。
もうもうと煙が上がるが狂少女は無傷。
☆☆
スラム街の隅でひっそりと休んでいた鬼城リンネは抱えるように持っていた妖刀サンサーラが奇妙に震えるのを感じた。
今まで感じたことのない感覚。それが何か考える暇もなく猛烈な衝撃波で全てが吹き飛んだ。
衝撃波が収まるのを待ち、粉塵を吸い込まないよう袖で口元を覆いながら立つ。
一歩歩こうとしてこけそうになる。リンネは地面がでこぼこに歪んでいるのに気づいた。さっきまでと地形が変わっている。
街を吹き飛ばし地形を変えるような戦い。七凶天同士の戦いしかありえない。
「キララさん……」
リンネはキララの身を案じた。
☆☆
スラム街を吹き飛ばした爆発の爆心地に立つのは少女。
少女には両腕が無い。
肩から先を失い体液をボタボタこぼしている。
長い時間をかけて、垂れ流される体液が固まり新たな腕となった。
少女は新しい腕を動かし感触を確かめる。
「これで不確定要素がひとつ消えた」
少女が見下ろすのは大量の血を流して倒れる老婆。
老婆にはまだ息があるがやがて息絶えるだろう。
虚ろな目で老婆は少女を見ていた。
(腕を破壊するのではなく全身を焼き尽くすべきだった……。だけどそれはできない。あたしにはあの子を殺せない。
12年前、あたしとあの子は出会った。ひと目で分かった。幼いあの子がどんな人生を送ってきたのか。
あたしはあの子を救いたかった。けれど抱えるものが多すぎて、手からこぼれたもの……それがあの子。
あたしの人生最大の後悔。それを殺して終わりになんてできなかった……)
キララは狂少女を見つめたまま息を引き取った。
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名前:箒星 雲母
所属:『残妖互助会』会長/七凶天
種族:竜の残妖
年齢:66
性別:♀
妖術:電磁力を支配する。静電気と磁力を操り、電磁波で機械を破壊し生物を沸騰させる。




