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第58話 遠呂知の依り代

 土砂降りの雨の航空基地。

 パーカーを羽織った少女が見るのは中央に置かれたコンテナ。


「そのコンテナに頭骨が入ってるのは分かってるんだよー。最後の頭骨だ。おとなしくヲロチに返したほうがいいんじゃないかなー」


「返したらどうなる?」

 ドーシャは訊いた。


「8つの頭骨をヲロチの血を引くものが揃えたとき、ヤマタノヲロチは蘇り、悪しき人間の文明を滅ぼすだろう。いまやヤマタノヲロチを倒した神はこの地を去りヲロチを妨げるものはもはやいない。

 かつて人間たちは夜の闇に怯えていた。闇の中の妖怪たちに怯えていた。アカネは人間の支配するこの世界を破壊してあるべき世界の姿を取り戻す」


「どうしてもやらなきゃいけないこと?」


「アカネはヲロチの血を引く残妖だ。そのために生まれてきた。生きとし生けるものはみな血の運命に支配されている」


 ドーシャは否定できなかった。自分が戦う理由も母の血を引くからだ。


「さて、おしゃべりしてる間に逃げたのは1人だけ?」


 逃げた1人は長官秘書のハニのことだ。コンテナの裏に隠れた。

 それから背後も見る。


「遠巻きに見てる天狗のもいるけど見てるだけだろうねー。天狗は昔からそう」


 チュチュのことだ。『式』には知らせていないが遠くから姿を隠して見ている。チュチュは戦いには参加しない。


 アカネはポケットに突っ込んでいた両手を出した。指折り数える。

「雪女の。雲外鏡の。タテオベスの。月の兎の。塗り壁の。ぬっぺふほふの。二口女の。そして山姥の……。アカネに挑むのは8人か。意外と少ないけど、縁起のいい数だねー。ヲロチの首と同じ数だ」


 アカネは人を見ただけで何の残妖か分かるらしい。

 雪女はフユヒ隊長。

 雲外鏡は花鏡ナルミ。現代に似つかぬ白銀の鎧を身に着けた若い男性。隊長を除けば『式』で最も強い。

 タテオベスは海神キジャチ。女の子のドールを持った若いお兄さん。

 月の兎は宇佐ススキ。大柄の女性。

 塗り壁は左官ヨリヨシ。マントを羽織ったおじさん。元警官。

 ぬっぺふほふは水名方ホコリ。肥満の男性。

 二口女は風御門ナセ。墨色の髪の少女。『式』の隊員ではない雇われ退魔師。ドーシャの親友。


 少ないが『式』の通常の治安維持活動もあるためこれが限界の人数だ。


「それじゃ始めよっか。雷電よ来たれ、八網打尽!」


 アカネが光り電光がほとばしる。


「任せるであります!」

 左官ヨリヨシが前に出る。塗り壁の血を引くヨリヨシは周囲にバリアを作り出せる。

 ヨリヨシのバリアで守り、一方で皆が攻撃する。圧倒的な力を持つと予想されるヤマタノヲロチの残妖と戦うための計画的な攻守の分担。


 雷が落ちたときの轟音が響く。

 強い光の炸裂ののち、黒焦げになった左官ヨリヨシが倒れた。


「え……」

 一瞬ドーシャの思考が鈍る。思っていたのと違う。なぜこうなったのか。


「走れ!」

 フユヒ隊長が命じた。


 ドーシャもすぐ我に返ってその場を離れる。ドーシャとて戦闘経験は長い。アカネの雷がバリアを貫通したんだ。バリアを破られた以上ドーシャたちは完全に無防備。今アカネはいつでもこちらを狙い撃てる。


 目もくらむ雷光が視界を塗りつぶす。

 外れた雷撃がはるか彼方まで飛び、数キロ先にある山を砕いた。


 アカネは2撃3撃と追い打ちをかけつつ言う。


「卑妖術という言葉は残妖の使うそれを妖怪の使う本物の妖術、貴妖術と区別するために作られたものだよー。卑妖術ごときでヤマタノヲロチの貴妖術を防ぐことはできない」


 水名方ホコリが太った体でゴム毬のように弾んで高速移動し雷撃をかわし、アカネが他に攻撃すれば接近しアカネの注意を引きつつすぐに逃げる。


「貴妖術・飛雪八里!」


 アカネが手を動かすと土砂降りの雨が吹雪に変わった。みるみる内に積もって水名方ホコリが雪に埋もれて動きが止まる。


「うっ! 動けない。早く脱出しないと、こんなところで死ぬわけにはいかない。この戦いが終わったらあの子と結婚するんだ……」


 ホコリに彼女はいない。


「八網打尽」

 雷撃を撃ち込んで水名方ホコリを沈黙させる。

 そのまますぐアカネは後ろに跳ぶ。ほぼ同時にアカネのいた場所を剣の刃が通過した。


 花鏡ナルミ。白銀の鎧の戦士。

「ホコリくんは最初から囮さ。ボクが近づくためのね!」

 ナルミはアカネから離れないよう追撃する。


「あれだけ目立ってれば囮なのは分かるってー。鬱陶しいから黙らせただけー。どうせお前もアカネに勝つことはできないしー」


 花鏡ナルミがアカネに剣を振り下ろす直前アカネが光り雷撃を放つ。

 雷撃が激しく体を打った。


「な……」


 驚愕したのはアカネのほうだった。

 振り下ろされる剣をアカネは腕で受け止める。皮一枚切れはしない。


「どうしたんだい? ヲロチの貴妖術に残妖の卑妖術は通用しないんじゃなかったのかい?」


「くっ。鏡か……」


 花鏡ナルミの卑妖術は鏡だ。ナルミの白銀の鎧は鏡の役割を果たしていて、それを使って相手の攻撃を反射できる。それだけでも強いが他にもいろいろなことができる。隊長を除けば最強と言われるだけある非常に強力な卑妖術だ。


「鮫々山の水流!」


 ドーシャがアカネに水をかける。それはたちまち凍りついていく。フユヒ隊長の卑妖術が凍らせている。

 アカネが逃げようとするがナルミが剣を押し込んで留める。


「ナメんな。貴妖術・乾坤八擲!」

 アカネが眩しく発光した。光熱に周囲の雪が蒸発する。


「ぐああ!」

 眩しくて見えない中悲鳴が聞こえる。

 光が収まると花鏡ナルミがいない。


「こっちよこっち」

 ナセが髪の毛を操ってナルミを自分のそばに引き寄せている。弱っているが意識はあるようだ。

「間一髪やね。髪の毛巻きつけといてよかったわ」


 アカネは少し疲れている様子で言う。

「ヲロチの操る8つの天候の1つ、日照りが乾坤八擲だよー。反射はアカネを傷つけるどころか光を増幅させた。雪はもういらないねー。雪女のが元気になるだけだしー。貴妖術・黒雲八雨」

 雪が雨に戻る。


「アカネはちょっと疲れちゃったよ。さすがに『式』の最高戦力が集まってて一筋縄ではいかないねー」

 というもののまだ余裕のありそうなアカネ。


 一方フユヒ隊長はのんびり言う。

「大丈夫ですかナルミ?」


 ナルミは答える。

「大丈夫……いや、やっぱりダメです。少し待ってください。光で目つぶしされた一瞬に攻撃を受けたので」


「できれば早く立ち直ってください。状況はよくありません。予定していた作戦をすぐに実行しなければなりません」

 それからフユヒ隊長は仲間を見る。

「ええと、ではススキ。ナルミが戦えるようになるまで護衛をお願いします。残りのみなは全力で時間を稼ぎます」


 ススキはナルミを背負って逃げる。高速移動の卑妖術を持つのでひとまずそっちは安心だろう。

 フユヒ隊長は氷の槍をかまえる。

 隊長にくわえてドーシャ、ナセ、キジャチの4人。はやくも戦えるのが半分になってしまった。


 切り込むのはフユヒ隊長。

 アカネの雷撃に対して氷の壁を生み出して防ごうとするが一瞬で破壊されるため一向に近づけない。


 何にでも自らを染み込ませる卑妖術を持つキジャチが地中を潜行して接近し不意打ちで地中から飛び出し槍でアカネの足を斬りつける。

 だが槍の刃は1ミリも食い込まない。

 キジャチはすぐに地中に逃げるが直後雷撃が地面を打った。舗装が砕け地面に穴が開く。

 砕け散った破片の1つから傷を負ったキジャチの姿が染み出してきて、倒れる。


 アカネは視線を真横へと上げた。ドーシャが包丁をかまえて飛び込んでくる。

 アカネは右の手のひらで受けようとして貫かれる。


 苦痛に顔を歪めて言う。

「いい包丁持ってるじゃん。ヲロチの皮膚を貫くなんてー」


 反対側からフユヒ隊長が近づいてきたのに気づきアカネはフユヒ隊長を睨む。


「卑妖術・蛇視眈々」


 アカネの目が妖しく赤く光るとフユヒ隊長の足が止まった。まるで蛇に睨まれた蛙のように動けない。

 その隙に左手でドーシャをつかむとフユヒのほうへ投げ飛ばす。

 ドーシャをフユヒ隊長にぶつけるとアカネは追撃する。


「八網打尽!」


 直撃する前にフユヒは氷の壁を作り出して雷を防ぐが氷は砕けドーシャは雷を浴びてしまった。

 皮膚が裂けるが火傷のため血も出ない。


 アカネが褒める。

「さすが山姥のは頑丈だ。だけどヲロチは山をも砕く」


 山そのものの体を持つ山姥の残妖であるドーシャであってもヲロチの貴妖術は危険だ。氷の壁が無ければ死んでいたかもしれない。


 フユヒ隊長が言う。

「ヲロチの姫が攻撃してくる直前、一瞬のことではありますが私は体を動かせなくなりました。おそらくヲロチの姫本人の卑妖術でしょう」


 かなり強力な卑妖術だ。しかしだったらなぜ今まで使わなかったのだろう……?


「みんな少し離れてください」

 フユヒ隊長から冷気が吹き荒れる。

「ココバの裁き」


 地面が凍結し巨大な霜柱が成長する。どんどんフユヒ隊長から離れた場所へ霜柱は生え、アカネに近づく。

 一瞬にして霜柱がアカネの右腕を飲み込んだ。


「乾坤八擲!」

 強い光が周囲を塗りつぶす。氷を溶かすほどの強烈な光熱、熱に弱いフユヒ隊長は直射光で火傷を負った。


 ドーシャは目をつむって光を凌ぎアカネのいるであろう場所へ右手を向けた。

「カチカチ山の山火事!」


 火炎攻撃は雨でかなり威力が下がってしまうところだがアカネが光で周囲を焼いたことで100%通るはずだ。

 それでもヲロチの残妖にどれほど効果があるかは疑問だがやれるときにやるしかない。


「蛇視眈々」


 急に眩しさが消えた。

 ドーシャが目を開くと放った火炎が水でもかけられたかのように消えていくところだった。

 アカネがこちらを赤い目で見ている。

 炎が消えるとドーシャの体も意思と関係なく動かなくなってしまう。

 アカネがなにかしようと少し動いたが、そのときスルスルっと長い髪の毛がアカネに巻きついた。ナセの髪だ。

 自分の手足を絡めとる髪の毛にアカネはもがく。同時にドーシャの体の自由が戻った。

 アカネは素早くドーシャフユヒに視線を走らせながら体から電気を発する。


「八網打尽」


 強すぎる電気に髪の毛が燃え尽きる。そのおかげで体まで電気が届かずナセは無事だったが。

 再び伸びて迫る髪の毛にアカネは素早く逃げる。

 逃げ場を封じるようにフユヒ隊長が氷の槍を投げつける。しかしアカネが一瞥すると氷の槍は空中で止まった。


 ドーシャは言う。

「アカネの卑妖術……。弱点分かったかも」


 フユヒ隊長が答える。

「私も気づきました。ただし確かめる余裕は無いのでぶっつけ本番の答え合わせとなります」


 反対側にいるナセと相談できないのが不利だ。

 それに予想が外れていれば負ける。しかし戦いとはそんなもんだ。


「ナセとは何度も一緒に戦ってきた。きっとなんとかなる」


 空を覆う雷雲が光ったときドーシャは走り出した。

 アカネが雷を撃ってくる。

 フユヒ隊長の作り出す氷柱を盾にしながら近づき、声の限り呼ぶ。

「ナセ!」


 ナセが髪の毛でアカネを絡めとる。

 アカネはすぐに雷で髪の毛を焼く。


 アカネの卑妖術は視線そのものだ。

 それが1つ目の弱点。

 自分の目で見ているものしか動きを止めることができない。

 だからナセの髪の毛のような四方八方から迫るものを止められない。だから圧倒的な力を持ちながら大勢と戦うことに内心不安を抱いていたはずだ。


「いいかげん鬱陶しいなー」

 アカネがナセを標的に据える。


「こっちだ!」

 ナセがやられる前にドーシャが飛び込む。

 アカネが再びドーシャに視線を戻すとドーシャが氷の塊を抱えて飛び込んでくるところだった。


「八網打尽」

 強力な雷撃が氷を砕きドーシャに命中する。

「ぐっ」

 ドーシャの体に激痛が走る。だが耐えきった。足を止めず突進する。


 包丁をかまえ向かってくるドーシャを見たアカネはその瞳を赤く光らせる。

「蛇視眈々」

 急激にドーシャの動きが遅くなり停止する。


 同時にアカネの視線に白い花びらのようなものが混じる。

 アカネは訝しんだがすぐ理解する。周囲の気温が下がっている。フユヒ隊長の能力で雨が凍結して雪に変わっている。アカネの体が凍結し始めている。


 2つ目の弱点。

 アカネの視線は火炎を打ち消したが冷気は打ち消せない。

 理由は分からないし確証も無かった。だが冷気を消せるならここまでフユヒ隊長を警戒していないだろう。


「乾坤八擲!」


 アカネは光で周囲の気温を上げる。

 強烈な光で視界が消える中、アカネは自分の胸に熱いものを感じた。

 光が消える。

 アカネは自分が胸から血を流しているのに気づいた。

 目の前に包丁を持ったドーシャがいる。


 アカネは片膝をついた。

 胸を斬られた。


「3つ目の弱点。卑妖術と貴妖術を同時に使えない。自分の視線が自分の妖術を打ち消してしまうからだ。この3つの弱点を知られないためにギリギリまで使わなかった」


「まーねー。1対1なら必殺だけど、何度も使えばすぐバレる。だから大勢の残妖と戦うことになるここが正念場だったんだ」


 少し離れた場所から声が聞こえた。

「隊長、もうやれますよ!」

 花鏡ナルミだ。


「では所定の位置についてください」

 フユヒ隊長が言うと一瞬で移動した。ススキの高速移動で運んだようだ。


 フユヒ隊長とナルミがアカネを挟んで向かい合っている。ドーシャはすぐに離れた。

 フユヒ隊長が左手を前に突き出すとアカネが凍結を始める。離れているドーシャも寒いくらいだ。

 そしてナルミの白銀の鎧に映るフユヒ隊長もまた左手を前に突き出す。鏡写しになっていない。


 ナルミは鏡に映した残妖の能力の一部を使用できる。これでフユヒ隊長の能力を2倍にすることが作戦の1つだった。


「ハドマの静寂」


 あっという間にアカネが凍りついていく。


「乾坤八擲!」


 アカネは光を発して氷を破ろうとするが叶わず次第に光が弱まっていく。

 顔まで凍りつきながらアカネは言う。


「ヲロチの力にはまだ上がある……。本来8つの頭全てを揃えなければならないが今やるしかないようだね」


 アカネの赤い瞳に力がこもる。

「八紘八宇」

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