第53話 母の死
真昼の日差しがまぶしい。
数人の黒スーツの集団が汗に濡れながら早歩きで町を移動している。
「この町に逃げ込んだところまでは分かっているんだが」
20代半ばの男性が汗をぬぐいながら呟く。
集団の中心人物であるその者は風御門タメミツ。
名門退魔師の末裔である。
タメミツ率いる退魔師集団は、数週間前にテロを起こした『逢魔』の残党の1人を追っていた。
『逢魔』は普通のテロ組織とは違う。構成員は全て妖怪の血を引く残妖であり、その事実を伏せたまま秘密裡に処理するため警官ではなくタメミツのような退魔師が駆り出されている。
「風御門さん」
離れたところから仲間の1人が合流する。
「どうも岩永キョウは近くの山に逃げ込んだみたいです。我々が追ってきたのに気づいたのかも」
タメミツは山を見上げる。
「夢幻山か……」
退魔師にとっては有名な山だ。
非常に凶暴で強大な山姥が住んでいて山に入った者は残らず取って食う。
過去に夢幻山の開発計画もあったが関係者の多くが行方不明になったり不審死して頓挫した。
幾人もの退魔師が挑んだが誰も退治することはできなかった。それどころか生きて帰ってきた者すらただひとりしかいない。
「ならば追う必要はあるまい。あの山に入った者は生きては帰れん」
「えっ」
タメミツにとっては当然の判断だったのだが仲間たちは意外そうな顔をした。
「風御門の当主ともあろうものが引き下がるんですか? たかが山姥でしょう?」
これだから素人は。タメミツは呆れた。
「たかが山姥と侮った愚か者が何人死んだか。あの山にいるのは魔の神だ」
他の仲間が言った。
「あの九条アキラでさえ討伐を諦めた妖怪ですよ。山に入るなんて正気じゃない」
「なんだと?」
聞き捨てならぬ言葉だった。
九条アキラは風御門と並ぶ名門退魔師の一族であり、中学生の頃から大妖怪をいくつも仕留めその名を有名とした。
年齢が近いこともありその名はよく聞く。
タメミツにとってはライバルといってもいい。
「お前は俺が九条アキラより弱いと言っているのか?」
「え? いえ、そんなつもりでは……」
「来い。夢幻山に入る」
タメミツと数人の仲間は装備を整えて山に入った。
杖をつきながら険しい道をゆく。
仲間の前ゆえに強気の発言をしたがタメミツはかなり緊張していた。
この山にいるのは危険な妖怪であることは間違いない。
だがあくまで探しているのは『逢魔』の残党だ。だから山姥に会わずに山を下りても逃げたわけじゃない。
だから残党をさっさと捕まえれば山姥と会わなくてもメンツは保てる。
ガサガサと落ち葉を踏みながら歩く。
突然背後で悲鳴が上がった。
タメミツが慌てて振り向くと仲間が2人減っている。
「また来客か」
女性の声がした。上からだ。
タメミツは声のほうを見上げる。
木の枝に女性が立っている。
外見は10代の少女だが、結った髪は老婆のように真っ白だ。着物は江戸時代の農民のような簡素なものだが真っ赤に染めてあり派手派手しい。倹約令が出る前の時代の恰好だ。
「た、助けて」
その両手には退魔師の足首が握られている。2人の人間をぶら下げて平然としているその怪力は人間の女性とは程遠い。
山姥だ。
山姥というと老婆の姿のイメージが強いが美しい女性の姿をしていることもあり山姫とも呼ばれる。
夜空のような黒い瞳で見下ろして山姥が言う。
「どいつもこいつも軽々しく私の山を踏み荒らしおって。この山が山姥ユメのものと知って入ったのか?」
タメミツは答えず懐から取り出した金剛杵を投げつけた。
ユメは両手に持った2人の退魔師を投げ捨てて枝を飛び降りてかわす。
「やはり人間は愚かしい」
「時間を稼げ」
タメミツは仲間に指示し呪文を唱える。
仲間たちは杖やら鎖やら武器を取り出して立ち向かう。
退魔師の1人が杖で殴りかかる。
ユメは素手で受け止めた。そのままへし折る。
ユメは退魔師を逃がさず腕をつかんで軽く振り回すと退魔師は脱臼して痛みに苦しみながら土の上を転がる。
別の退魔師が背後から鎖を振り回してユメに巻きつけた。
「智鎖印権現よ!」
神に清められたこの鎖は妖怪の力を封じる。
しかしユメは鎖を軽く引きちぎった。
「山姥より弱い神の力で調伏できるわけがなかろう」
ユメがもう1人の退魔師に近づこうとしたときタメミツが大声で呼ぶ。
「準備はできた。いでよ、凱具阿修羅!」
仲間の稼いだ数秒で呪文を完成させたタメミツが紙でできた人形に力を与える。それは3つの顔と6つの腕を持つ鬼神となった。
感心するユメ。
「ほう。こんな術がまだ現代に残っていたか」
ユメは袖から2本の包丁を取り出し両手に持つ。
ゆっくりと走って鬼神に近づき自らの包丁と鬼神の6本の剣をぶつけ合う。
目にも留まらぬ速さの剣戟だ。しかし決着はすぐに着いた。鬼神の首が刎ねられる。
「そんなバカな……」
タメミツは目の前の光景が信じられない。
目の前の山姥が神に近いことは分かっていた。だが戦神がこれほどあっさりと倒されるなど。
ユメはタメミツに向かって歩く。
タメミツは布袋から剣を抜いた。
ユメは気にせずタメミツの正面に立つ。
少女と剣を持つ男性という形だが、怯えているのはタメミツのほうだ。
「はあ!」
自らを奮い立たせタメミツは剣を振るう。
ユメはなんでもないように歯で噛んで受け止めた。
そのままタメミツを蹴り倒し剣を吐き捨てる。
タメミツは上擦った声で叫ぶ。
「ま、待て。岩永キョウという者がこの山に入ったはずだ。我々が用があるのはそいつだけだ」
「名を言われても知らんがさっき山に入った者ならもう食ってしまった。用がそれだけならさっさと帰るがいい。私は今満腹なんだ」
ユメは包丁を袖に収めた。
くるりと向きを変えて歩いて行く。
タメミツは呆然とした。
山に入った者は決して生きて帰さないと言われた山姥が自分たちを見逃した。
助かったのか。
ユメの背中を見つめ、タメミツは剣を拾った。
「うおおおおお!」
渾身の力を込めてタメミツはユメの背中に剣を突き刺した。
「俺に情けをかけるな! 俺を見下すな! 俺は!」
ユメは口から血をこぼしながら笑った。
「ふふ。命を助けるなんて慣れないことはするものじゃないな。この程度の退魔師に殺されるはずはなかったのに。私を殺すのは九条アキラだと思っていた」
そのままユメは倒れた。
虚ろな目で呟く。
「私を殺すのが誰であっても変わりはしないか。だがライジュとドーシャには悪いことをしたかな。せめて2人が大人になるまでは生きていたほうがよかったか……」
「山姥まで俺を九条アキラの下に見るのか!」
タメミツの叫びが山にこだまする。
☆☆
それから12年。
風御門タメミツは残妖との戦いで命を落とし、山姥ユメの配偶者であった九条アキラは『式』の長官となっていた。
「九条さん。『逢魔』が人を探して暴れているようです」
秘書の國生ハニが言う。
「追われているのは工場の労働者ですが元『逢魔』だとからしく内輪もめではないかと。名は、岩永キョウ」
「なんだと?」
それまで無反応だったアキラが表情を変えた。
「岩永キョウは死んだはずでは……」
夢幻山に逃げ込んでユメに食われた残妖。
タメミツは少なくとも岩永キョウの生死について嘘をつく理由は無いはずだ。
「なぜ生きている」




