第49話 審問官 レツ
開けられた音楽準備室でチュチュは信じられないものを見た。
壊れた楽器の置かれた部屋の真ん中に大人の女性が倒れていた。
「だ、大丈夫なのです?」
チュチュは慌てて助け起こす。女性にはかろうじて意識がある。しかし息も絶え絶えで返事は曖昧だ。
鍵のかけられた音楽準備室にずっと倒れていた。いったいいつから?
「三塩先生なら心配しなくても死にはしませんわ。残妖ですもの」
低く力強く可憐で優雅な声。獣王ミヤビ。
チュチュは背筋が凍りつく。
ミヤビはここに教師がひとり倒れているのを知っていた。
知っていながらチュチュに音楽準備室を見せた。
無事に帰すつもりはなさそうだ。
ミヤビはかまわず話し続ける。
「数学教師というのは三塩先生の仮の姿。本当は残妖集団『泡沫』からヲロチの頭骨を探しに来た密偵ですの。昨日の夜、ふらふら頭骨を探していたので少し痛い目を見て反省してもらっているのですわ」
「なぜそれをチュチュに話すのです?」
(チュチュの正体がバレる要素はなかったはず……)
「あなたに興味はありませんわ。ただ、ドーシャのお友達なのでしょう?」
「それがいったい?」
「わたくしはドーシャのことなら何でも知っている。だけどあなたのことは知らなかった。あなたとドーシャの関係を詳しく教えてもらってもいいかしら」
「だったらチュチュはミヤビさまが持っているヲロチの頭骨について聞かせてほしいのです」
チュチュは右の手のひらをミヤビに向けた。
屋内なのに突風が吹きミヤビを打つ。
ミヤビのくるくるの茶髪が風になびく。
だがそれだけでミヤビはしっかりと立っている。
普通の人間の可能性も考慮して弱めの風を吹かせたがそれでも立ってはいられないはずだ。
やはり残妖。
ミヤビはにこやかに語る。
「風を操る卑妖術かしら。いろいろなことに役立ちそうですわね」
「次は本気でいくのです。
忌まわしき乙女は捧ぐ死神の歌」
チュチュが両手を掲げ、そこへ向かって風が吹く。
高圧で圧縮された空気の塊。空気密度の違いによる光の屈折でその形がぼんやりと見える。
チュチュは圧縮空気の塊をミヤビへと撃ち出した。
ミヤビは右手で受け止める。ミヤビが空気の塊に触れた瞬間、圧縮空気の解放による爆風が音楽準備室を吹き飛ばす。
☆☆
ドーシャは寮の玄関前で雑木林レツと対峙していた。
小学生みたいな背の低さで右目が黒で左目が薄い茶色、髪も右半分が黒で左半分が灰色。
「どいて」
「部屋に戻れ」
さっきの揺れは昨日とは違う。
一瞬の気圧の変動はチュチュの卑妖術による衝撃波。
チュチュが戦っている。助けにいかなければ。
もはや正体を隠している場合ではない。ドーシャは全力で走ってレツの横を通り抜けようとする。
レツは素早く下駄箱をつかみブン投げる。普通の人間の膂力ではない。ドーシャはとっさに足を止めてよけ、下駄箱は壁にめり込んで靴をばらまく。
大きな音に寮の生徒たちが異常に気づく。
「見られてもいいってわけ?」
「どうせここの生徒のほとんどは将来ミヤビの下で働く。だったらいづれ知ることだ。そんなことより絶対にお前を通すなと言われている」
その言い方からしてほとんどの生徒は無関係らしい。最悪全員が残妖の可能性もあったが心配がひとつ減った。
レツは傘立てからひとつの傘を持ってくる。古い唐傘。それをレツは真横に持って引き抜くと芯が外れ中から刃が現れた。仕込み刀だ。ノコギリのように刃がギザギザしている。
「血を吸え蛭神」
レツは自分の右腕に左手に持つ刃を這わせる。滴る血が刀を濡らし、刃が不気味に赤く光る。
どう見ても妖刀だ。だが今ドーシャには包丁が無いため素手で立ち向かわなければならない。
レツは刀を下段にかまえる。防御のかまえだ。自分からは動いてこない。レツの目的はここを通さないことだから当然といえる。
ドーシャはレツを避けるように斜めに走る。レツも通さぬよう横へ移動する。
ちょうど壁際まで来てこれ以上横へ移動できなくなるところで間合いに入る。
レツが刀を振った。
下段にかまえていたこととレツ自身の身長の低さも相まって剣の軌道が非常に低い。
ドーシャは上に跳んでかわす。
レツはすぐに刀を返し空中のドーシャを狙う。
ドーシャは壁を蹴ってさらに跳んでかわした。そのために壁際まで移動したのだ。
レツの刀が壁をえぐり斬る。
隙だらけのレツの脳天にドーシャはかかと落としを入れて着地する。
「いってえな!」
レツが壁から刀を引き抜き乱暴に振り回す。今度は下駄箱に当たって止まった。レツが刀を引き抜こうとするが今度は抜けない。
ドーシャはその隙を逃さずレツの腹に蹴りを入れる。
「がふっ」
レツは唾液と胃液を口から撒き散らした。
それでも倒れず下駄箱を蹴り飛ばして刀を引き抜く。
ドーシャが距離を取るとレツは刀を再び自分の右腕に這わせる。
「ったく、すぐ切れ味が悪くなる」
今度はさっきより深く切ったらしく血がドバドバ流れている。
ドーシャは忠告した。
「血を吸わなきゃ切れない妖刀なんて使うのやめたほうがいいよ。先に自分が倒れることになる」
「心配いらねぇよ」
レツは右腕をドーシャに見せる。
流血が止まった。いや、傷がふさがっている。
「再生能力……?」
「そうだ。オレはハンザキの血を引いてるからな」
ハンザキとは山椒魚の別名だ。その名は半分に裂かれても生きていることからつけられたが実際の山椒魚にそんな能力は無い。だから半分に裂かれても生きているハンザキは妖怪だ。
「面倒くさいやつ」
何人かの生徒が遠巻きにこちらを見て騒いでいる。
ドーシャは周囲に視線を走らせる。
あとで情報局に収拾を頼まなければならないだろう。
「よそ見すんなよ!」
レツが斬りかかってくる。
武器を持たぬドーシャはよけるしかない。
いったん野次馬に飛び込み学生カバンを奪い取る。
「おらあっ!」
振り回してレツの刀にぶつける。カバンは真っ二つになり中に入っていたプリントがばら撒かれた。
プリントが視界を隠す一瞬に蹴り上げる。レツの小さな体は1秒ほど宙に浮かんだ。
「ぐっ。無駄だって言ってんだろ!」
レツが刀を振り回し周囲の壁を切り刻む。野次馬が悲鳴を上げて逃げ回る。
また刀が壁の途中で止まった。
「くそ!」
レツが力いっぱい引き抜くその隙にドーシャは三たび蹴りを入れた。
痛そうな顔はするもののレツが倒れる気配は無い。
「効いてんだか効いてないんだか」
再生能力がある以上物理攻撃に意味は無いのかもしれない。
レツはまた刀を自らの血で濡らす。
刀を持った左手を下げると右手で自らの喉をかきむしる。
「ああ、渇いてきた。こんなやつ殺したっていいよなミヤビ?」
色素の薄い左目でドーシャを睨みながらここにいない主人に問いかける。
レツはかまえを下段から中段に変えた。
真っすぐ突いてくる。
速い。
かわすためドーシャは後ろに下がって相対速度を落とすがよけきれず脇腹を裂かれる。
ドーシャの血を吸って妖刀はさらに切れ味を増す。
「せめて包丁があれば……」
追撃をなんとかかわすもドーシャの背が壁にぶち当たる。
「しまった!」
動きが完全に止まったドーシャの喉を狙ってレツは真っすぐ突く。
ドーシャはとっさに両手で防御しようとしたが、その必要は無かった。
「…………」
レツの刀は狙いを大きく逸れて何も無い壁を貫いた。
殺人をためらってわざと外したのだろうか。いや、おそらくそうではない。
レツが刀を引き抜く前にドーシャはレツの腕をつかんだ。
「逆鱗山の雷!」
体内に溜めている雷をつかんだ手からレツに流し込む。
「ぐはっ」
レツは片膝をつく。
しかしすぐにドーシャの手を振り払い立ち上がる。
刀をかまえ直すが剣先がふらふらと定まらない。
「渇く。ああ渇く。渇いて仕方ない」
レツはのどをかきむしる。
「なあ」
ドーシャも気づいた。
「もうやめろ。命にかかわる。傷は治っても流した血までは戻らないんだろ?」
レツは勢いよく刀を右腕に這わせた。自らの血を刀に浴びせる。
「だったらどうした。ミヤビの期待に応えるためならオレはなんでもできる」
☆☆
雑木林レツは孤児だった。
育ったスラムにも居場所はなく高級住宅街とスラムを仕切る悪意の柵にもたれかかっていた。
柵の向こう側の道路を自動車が通り過ぎていく。
何年も変わらない光景。
この柵を越えることができたとしても、綺麗な場所か汚い場所か、野垂れ死ぬ場所が変わるだけだ。
さっき通り過ぎた黒い自動車が戻ってきた。こんなところで停車するのは初めて見る。
黒ずくめの運転手が降りた。
後部座席のドアを開け、小さな女の子が降りるのを手伝う。
女の子はレツのほうへ近づく。
その金の瞳はレツをしっかりと見ていた。
☆☆
「オレを必要としてくれるのはミヤビだけだ。お前なんかに何が分かる」
そう言うレツの刀は震えている。限界が近い。
「だったら倒すしかない」
ドーシャはレツの懐に飛び込んだ。
レツは低い軌道から剣を跳ね上げる。
かわすのも防ぐのも難しいが、レツが弱っている今なら。
ドーシャは刀の側面を蹴り飛ばす。軌道が乱れた。刀がドーシャの頬をかすめる。
レツの持ち手を叩き刀を奪いとる。
「ふん!」
力いっぱい壁に突き刺すと柄まで深々と入った。
レツは刀を取り戻そうとしてドーシャに背を向けた。ドーシャは後ろからレツを締め上げ雷を流す。
だんだん抵抗が弱くなりついには気を失った。
「死んでなきゃいいけど……」
ここまでしなければ再生能力を持つレツを倒せなかった。
ドーシャは医務局に連絡する。残妖を普通の病院に送るわけにもいかない。
救急車を呼んだと他の生徒に大声で伝え、ドーシャは校舎に向かう。
「時間をかけすぎた。チュチュは無事か?」
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名前:雑木林 裂
所属:私立獣王学園1年生/獣王財閥審問官
種族:ハンザキの残妖
年齢:16
性別:♀
卑妖術:自己再生能力。失った体液までは回復できない。




