第46話 獣王ミヤビ
ぼやけた橙色の世界。
広がる不毛の黒い大地には鉄の遊具がそびえる。
見上げれば冷たい白い校舎。
小学校だ。
通っていたのは10年ほど前。
なぜ今自分はここに立っているのだろう。
戻る理由は無い。ドーシャにとってここは苦痛に満ちた場所だった。
子どもの泣き声が聞こえる。
気づけばドーシャは教室の真ん中に立っていた。
目の前で女の子が泣いている。
周囲に3人の男の子。女の子を取り囲んでいる。
みなドーシャのクラスメイトだ。
だけどもう顔も名も憶えていない。だから全員顔がぼやけている。
「やめろよ」
ドーシャは怒鳴った。
男の子のひとりが薄笑いで言った。
「何を? 俺たちは何もしてないけど?」
ドーシャはいらっときて男の子の顔面を殴った。
残妖の攻撃にただの子どもが反応できるはずもなく笑い顔は叩き潰された。
もちろん手加減はした。でなければ殺している。
狼狽え動けない残りのふたりをドーシャは捕まえて投げ飛ばす。
派手に机を薙ぎ倒す。
ドーシャは最後に残った女の子を見る。
女の子はドーシャを畏怖の目で見ていた。
「暴力を振るっちゃいけないって何度も言ったでしょう!」
おばあちゃんの声。
今度はドーシャは家にいる。
自分のせいでおばあちゃんはずっといろんなところで謝っていた。
おばあちゃんは本当にガッカリしていた。私に失望したんだ。
「もっと上手くやりなよ。ドーシャのせいで私まで目立つ」
姉のライジュがバカにしている。
お父さんが立っている。
ほとんど家に戻ってこないけどドーシャが問題を起こしたからおばあちゃんがわざわざ呼び戻した。
お父さんにも怒られる。そう覚悟した。
けどお父さんはドーシャに笑った。
お母さんが死んでからほとんど笑わないお父さんが笑ったんだ。
理由は分からない。
だけどきっと私を認めてくれた。私は間違ってない。
☆☆☆
朝の光で目が覚めた。
「夢……」
ここは獣王学園の学生寮だ。
どうも学校なんてものに入れられたせいで昔のことを思い出してしまったようだ。
眩しさをこらえベッドから降りる。
起きられないのは仕方ない。そもそも普段の生活リズムが夜型なのだ。目立つ日中に活動することはほとんど無いし。
ドーシャはぼさぼさの髪に指を入れる。
☆☆
最初の授業は数学。
雑木林レツや獣王ミヤビとも同じクラスだ。
「やばい、全然分からん」
そもそも小学校を2年の途中までしか通ってないのに分かるわけがない。
数学教師の三塩メイはまだ若く20代くらい。右手に青いゴム手袋をして厳しそうな雰囲気を漂わせている。怖い。
「じゃあ、深山さんがどの程度まで学習を進めているのか確認の意味も込めてこの問題を解いてもらおうかしら」
「うげ」
終わった。問題の意味すら分からない。
雑木林レツがこっちを見てニヤニヤしている。
絶望し硬直していると先生は呆れたようにため息をついた。
「もういいわ。じゃあ雑木林さん、正しい答えを教えてあげなさい」
「え、オレ!?」
レツが小さな手を忙しく動かして慌てている。
先生が厳しい声で言う。
「雑木林さん、勉強が足りていないようですね」
「くっくっく」
ドーシャは自分のことは棚に上げて笑う。
結局問題は獣王ミヤビが答えた。
正解を見ても意味が分からないので無駄な授業だ。
授業が終わったあと先生がドーシャに告げる。
「深山さんはちょっと深刻なので宿題を出しておきます。小学校レベルなので安心してくださいね」
そう言ってどっさり渡された宿題にドーシャは顔がひきつる。
☆☆
全ての授業が終わった放課後。
ドーシャはすでに死にそうなほど疲弊していた。
授業内容が理解不能なので半日ずっと謎の念仏を聞かされていたに等しい。イスから動けないしほぼ拷問。
そして全ての授業で宿題をもらった。
このままでは任務を達成する前に発狂して死んでしまう。
宿題を窓からブン投げたい衝動と闘っているとドーシャの隣に人が来た。
獣王ミヤビ。明るい茶髪に金の瞳を持つこの学園の頂点に立つお嬢様。
隣に雑木林レツも控えている。
黙って見ているとミヤビがにっこり笑って話しかけてきた。
「ドーシャ。わたくしと一緒に来てくれるかしら?」
「なぜ? どこに?」
レツが先に答える。
「質問するな。『はい』だけでいい」
ミヤビはレツを無視して答えた。
「ドーシャのことをみんなにも紹介してあげたいの。わたくしのお友達だって。でないと困ったことになってしまいますの」
「困ったこと?」
「いちいち質問するな」
レツが再び注意する。
「この学校にはいろいろとルールがありますの。ここにいるのはみな名家のお嬢様。無用なトラブルを避けるためにも各々の立ち位置をはっきりさせておかなければならないのですわ」
ドーシャは理解した。
要は新入りへのいびりだろう。
漫画でよく見た。
「わかった。行くよ」
ここで拒否したところでどうにもならない。
漫画の主人公みたいに機転で乗り越えるしかないのだ。
「ついてらっしゃい」
ミヤビは微笑む。
ドーシャが立ち上がると同時に教室の生徒も10人ほど立った。
ドーシャの周囲を固めて一緒についてくる。
(いっそ不良漫画みたいに校舎裏で暴力振るってくれたほうが単純で楽なんだけどな。でもこいつら全員残妖だったらさすがに苦しいか?)
どこへ連れていくのかと思えば、食堂。
「こちらへおいでドーシャ」
ミヤビは食堂の奥側中央に陣取りドーシャを隣に座らせる。
緊張でぎこちないが、できるだけ上品に見えるようにそっと座る。
ふと気づく。取り巻きどもが信じられないものを見るような目でこちらを見ている。
(なにか間違った? 作法とか全然分からん……。漫画読んでても作法の説明なんか記憶に残らないしなあ)
しかし取り巻きたちは何も言わない。
何人かが静かに席につく。
ミヤビの反対側の隣にはレツが座った。こちらを睨んでいる。やめてほしい。
残りの何人かが飲み物を運んでくる。
どうも下級生がやらされてるらしい。
「あ、私もやるよ」
ドーシャが立とうとするとミヤビがその腕をつかんだ。
「座ってていいのよ。あなたのために用意した場なんだから」
笑顔を崩さないが手に込める力は強い。
「はあ……」
言われるまま座り直す。
配り終わって全員席につくとミヤビがしゃべり始めた。
「こちらは土岐ヒカリさん。あちらは……」
どうもドーシャに仲間を紹介してくれているらしい。しかしいきなり10人以上を覚えられるわけもない。
取り巻きたちはミヤビが紹介したときはドーシャに軽く挨拶するがそれ以外のときは他の仲間と雑談している。どうもそんなに堅い空気ではないようだ。
ドーシャもオレンジジュースを飲みながらミヤビの声を聞き流す。
「で、これが雑木林レツ。レツのことは紹介いらないでしょうけど一応ね」
これ呼ばわりされたレツは何も言わない。
ミヤビは今度は取り巻きたちに話しかける。
「こちらがみんなの新しいお友達になる深山ドーシャ」
「あ、どうも」
ドーシャもとりあえず挨拶する。
しかし次にミヤビの発した言葉で状況は一変した。
「ドーシャは小学校でクラスメイトを傷つけてしまって以来不登校だったの。だから学校というものに不慣れですのでみなさんもドーシャが困っていたら助けてあげてくださいね」
(こいつ私のこと調べてる……!)
ドーシャは戦慄した。
「傷つけたって、いったい何をしたんですの?」
取り巻きのひとりが質問した。
「お顔を撫でて骨折させただけですわ」
ミヤビがなんでもないように答える。
「撫でたっていうか思いっきりグーで殴ったけど」
ドーシャは訂正した。
周囲がざわめく。
「その……少し野蛮ではありませんこと?」
「そのくらいでケガするほうが悪いと思いませんこと? ねえドーシャ」
ミヤビはずっと変わらない笑顔。
「それと、分かっているとは思うのですけれどドーシャを悪く言うようでしたら私の前に座ることはもうできないと覚えてくださいませ」
皆しんと静まり返った。
ここに至ってドーシャも気づく。
これは新参のドーシャをなぶる場所ではない。
ボスの新しいお気に入りを仲間に教えているのだ、手を出さないように。
ドーシャは訊く。
「えっと。なんで?」
疑問が多くて質問が絞れなかった。
ミヤビは少し意外そうにした。
「あら。本当に分からない? でも大丈夫ですわ。きっとすぐドーシャにも分かるから。わたくしはドーシャのことはなんでも知っている」
ミヤビがドーシャを見つめる。
まったく理解できない。ドーシャには目の前の少女の正体が分からない。




