第44話 蒙昧山の雀天狗
真夜中の工事現場。
無人の重機はライトがつけられたまま。
さっきまでは人がいた。しかし今は異様な静けさ。
白い髪に夜空のような黒い瞳を持つドーシャは音を立てないようそっと周囲をうかがう。
ドーシャが重機の陰に隠れるように移動すると、背後からぎいっと音がした。
振り返ると重機がこちらに倒れてきている!
ドーシャは慌てず片手で受け止めた。山姥の怪力なら可能だ。
だがその瞬間、影から誰かが飛び出して猛スピードで近寄ってくる。
ヘルメットの作業員。
両腕が刃物になっている。残妖だ。
ドーシャは重機をぶん回して作業員にぶつける。が、たちまち重機は切り刻まれてバラバラになった。
ドーシャは懐から包丁を出して刃を受ける。
包丁の刃は数センチしかない。
鈴木エーイチとの戦いで折られてしまったからだ。
代わりの武器も無いのでムリヤリ使っている。
折れた包丁で作業員の刃を弾き、怯んだところであごに掌底を入れて砕く。
作業員は気を失って大の字に倒れた。腕が刃物から人間のものに戻る。
片づいた。
いつものように携帯で自撮りする。それから管理局に連絡を入れようとして声をかけられた。
「ドーシャちゃん。自撮りなんかしてるんですね」
びっくりして声のほうを見ると赤土色の髪の女性がいた。『式』長官秘書の國生ハニだ。
「な、なんでいるの?」
ドーシャはハニから携帯で事件を伝えられてすぐここに駆けつけている。
この工事現場で残妖の暴行が発生してからそれほど時間は経っていないはずだ。
そもそもハニがここに来る理由が無い。
「たまたま近くにいたので……。管理局への連絡は済ませておいたので必要ないです」
「ふうん。家まで送っていこっか?」
「大丈夫ですよ。まだ仕事が残っているし他の職員もいるので」
「そう。じゃあ先に帰るね」
歩いて帰るドーシャ。
ドーシャが見えなくなるとハニは携帯で電話をかける。
「九条さん。ドーシャちゃんが来て事態は収拾しました。けれどヤマタノヲロチの頭骨がなくなったままです。倒された残妖もうちの作業員です。おそらく残妖はもう1人いて、頭骨を奪ったあと作業員を残妖に変えて目くらましに使ったのかと……」
☆☆
住宅街を歩いて帰るドーシャ。
狭い一本道の途中で立ち止まる。
ドーシャは振り返った。
「出てきなよ。つけてるのは分かってる」
カツカツと固い足音が暗闇に響く。
現れたのは和装の女性。
年の頃20ほど。雀色の髪。笹の柄の着物。
ドーシャにとっての戦闘の間合いに入ったが女性は気にも留めずまだ近づいてくる。
折れた包丁で牽制すると足を止めた。
「その包丁、折れているのです」
女性は見れば分かることを指摘した。
「知ってる。それよりあなたは誰。なんで私をつけてたの」
「あ。申し遅れましたのです。下桐チュチュと申す者なのです」
ぺこりと頭をさげる。
「深山ユメ様のお嬢様で間違いないでしょうか?」
鳥の囀るような綺麗な声だ。
のんびりおっとりした雰囲気をまとっているがドーシャは緊張した。
深山ユメ。ドーシャの母にして純血の山姥。
だがその名を知る者は家族しかいないはずだ。
「なんでお母さんの名前を知ってるの? あなたは何者?」
「チュチュは蒙昧山から来た雀天狗なのです」
チュチュは笑顔で答える。
「チュチュと一緒にヤマタノヲロチの頭骨を探していただけませんか?」
☆☆
住宅街のど真ん中で立ち話を続けるのもなんなのでとりあえず家に連れていく。
お茶とおせんべいを出すとチュチュは喜んで食べる。
チュチュはニコニコしながら説明した。
「おせんべいおいしいのです。
あ、チュチュは天狗の残妖なのです。おじいさまが天狗なのです。チュチュもずっと普通の人間として生きてきたのですが天狗の世界に憧れがありました。それでおじいさまのいる蒙昧山に入り天狗の修行を始めたのです。そこで天狗たちがチュチュのような天狗の残妖に与えた地位が雀天狗なのです」
「雀天狗が何かは分かったけどそれがなんでヤマタノヲロチの頭骨を探してるのか聞かせてくれない?」
「その説明は難しいのですが……。
簡単に言うと歴史を記録するためなのです。決して表に出ない残妖の歴史を。
天狗たちは人間社会と関わりを持たないように生きています。ですが人間の社会や歴史には興味を持っているのです。
天狗たちはチュチュに修行の一環と称して命じました。これからの歴史を左右するであろうヲロチの頭骨をめぐる争いの記録を」
「で、なんでうちに?」
「ヲロチに近づくのはあまりに危険なのです。協力者が必要なのです。そこでおじいさまはドーシャさまに協力をお願いするよう言いました。天狗と山姥はどちらも山の王者。チュチュのおじいさまとドーシャさまのお母様は支配する山は違えど古くからの敵であり味方だったのです」
ドーシャは少し考えた。
「チュチュのおじいさんは私のお母さんを知ってるってことだよね? だったら……チュチュのおじいさんに会いに行っていい?」
「もちろんいいのです」
チュチュは了承した。
「それにドーシャさまのこと、一度お呼びしようと思っていたのです。ドーシャさまの包丁、折れたままではきっと困るのです。おじいさまならなんとかできるかもしれないのです」
☆☆
蒙昧山。
チュチュの後ろについて山の中を歩く。
同じところをぐるぐる回っている。方向感覚を狂わせる。
ときおり天狗の気配がする。ドーシャを見張っているらしい。あまり歓迎されていないようだ。
歩きに歩いた先に神社のようなものが見える。
かなり大きい。こんなものがあったら山の外からでも見えるはずだ。だがおそらく妖力で外からは見えないようになっているのだろう。
周囲に大勢の烏天狗がいる。100人近い。
ドーシャは感心した。
「純血の妖怪がこんなにいるの初めて見た」
「これでも昔よりずっと減ったらしいのです」
チュチュが教えてくれる。
「で、どれがチュチュのおじいさん?」
「もう少し奥にいます」
チュチュがそう言って示した社殿の奥の小さな天狗。小さな体の割に大きな青い翼がある。小さなイスに腰掛けメガネをかけて本を読んでいる。
「おじい様。深山ドーシャさまがお見えになりました」
老天狗はメガネを外してこちらを見た。
「君が深山ドーシャ君か。なるほど面影がある」
ドーシャは単刀直入に言う。
「そっちの用件はチュチュから聞いた。別に引き受けてもいい。六文ヌルがヤマタノヲロチの頭骨を集める限りどうせ避けては通れない。でも代わりに聞かせてほしい。お母さんのこと。知り合いだったんでしょ?」
老天狗はドーシャをじっと見た。その目はドーシャよりずっと遠くを見ている。
「深山ユメ。夢幻山の女神と呼ばれた山姥。孤独を好み、山に入るものは人間であれ妖怪であれみな殺した。縄張りを争い隣接する山の天狗を殺したことも一度や二度ではない。そのたびに私は調停のために夢幻山に行った。おかげで何度も殺されかけた。命がいくつあっても足りないと感じた」
いきなり聞いたこともない話だ。
お父さんもライジュもお母さんの話はあまりしない。でもきっと優しい性格だと思ってた。
「だがあの孤高の山姥こそ妖怪のひとつの到達点なのだとも私は思っていた。他を寄せつけぬ強さ、気高さ、美しさ。あれこそが妖怪のあるべき姿なのだと。
だからあれが人間と結婚したと聞いたときは驚いた。いったいどういう心境の変化があったのか私には分からん。わざわざそれを聞きにいくつもりも無かったしな。
そういうわけで私が知っているのは君が生まれる前のユメだけだ」
「ううん。ありがとう。聞けてよかった」
「あれが人間の退魔師程度に殺されたとは今も信じがたい……。
ユメのいた日々はもはや幻。あれが死んですぐに夢幻山は人間たちに取り崩され何もかも消えて無くなった。あれがこの世にいた証はいまや遺された2人の娘しか無い」
「分かってる。だから私がお母さんの仇を取る」
話が一区切りついたと見てチュチュが切り出す。
「あの、おじいさま。ドーシャさまの包丁なのですが、実は折れてしまったらしく……」
ドーシャは持ってきた包丁を見せる。
老天狗は包丁を近づけたり離したり角度を変えながらまじまじと見る。
「なるほど。確かにユメの包丁だ。だがなぜ折れたのか?」
「すっごく強い剣に折られた。山姥の包丁よりずっと高いんだってさ」
「相手の剣を見てないから何とも言えぬが……。ユメの包丁がそう容易く折られるはずは無い」
「そんなこと言われても折れたものはしょうがないじゃん」
「いわゆる妖刀神刀の類はこの世の様々な妖力魔力を吸っている。妖怪であったり土地であったりな。そしてこの包丁は噴火で地の底より吐き出された金属で作られている。地球の気そのものを何億年も吸った金属だ。包丁の持つ地の気を破るとすれば天の気を持つ神刀ニルヴァーナぐらいしか考えられぬ。そうでないなら……包丁が使い手をかばったのではないか。強い想いの込められた武器にはある話だ」
「かばった……」
(お母さんの包丁が……私を……)
「残りの破片は持っているか?」
「持ってきてるけど」
「直せないか試してみよう」
「直るの?」
「鍛冶師の妖怪を知っている。弟子を殺した罪で鍛冶を禁じられもう数百年は刀を打ってないが直せるとすればあやつしかいないだろう」
ドーシャは包丁と破片を全て渡した。
「ヤマタノヲロチの頭骨は危険な残妖を惹きつける。山姥の包丁はこれからも必要になるだろう」
「丁度いい。七凶天は全員倒すつもりだから」
「例の7人だけとは限らない」
「どういう意味? 気になる残妖でもいるの?」
「いや……。ただ、ヤマタノヲロチには子がいたという。もしかしたら今も血を引く者が生きているやもしれぬ」
「ヤマタノヲロチの残妖がいるってこと?」
「杞憂かもしれぬ。既にヤマタノヲロチもその子も討ち取られている。だがもしヤマタノヲロチの残妖がいたとしたら祖の頭骨を放ってはおかぬだろう」
老天狗は話題を変えた。
「チュチュのことを頼む。代わりにチュチュに君の復讐の結末を記録させよう。我ら天狗にできるのはいなくなったものたちを憶えておくことだけだから」
「ありがと。でも記録なんか必要ないくらい派手に勝つよ」
ドーシャは握った拳を前に突き出す。
負けることは考えていない。
気がつけば社は消えていた。
天狗たちもいない。チュチュとふたり。
☆☆
この日からチュチュがドーシャの家に来るようになった。
お互いに残妖などの情報を交換するのが目的なのだが、新しい情報は滅多に無いのでだいたいは世間話だ。
包丁が直るのもいつになるか分からない。
ひたすら待ちの時間だ。
一週間後、新しい任務が入った。
「ある高校に大勢の残妖が集まってるという噂があるの。これは呪い殺しのツバキの学生時代と似た状況。ヲロチの頭骨の可能性があるわ」
長官秘書ハニからの電話だ。
「前もそんな感じでハズレだったような」
「今度こそアタリかもしれない。だからドーシャちゃんには高校生としてその学校に入学してもらうわ」
「は?」
ドーシャは固まった。聞き間違いであってほしい。
「私小学校中退なんですけど」
「誰が残妖なのか、誰がヲロチの頭骨を持ってるのか。突き止めるまでは退学にならないように勉強も頑張って」
「え、あの」
一方的に押しつけられたまま通話は切れてしまった……。
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名前:下桐 紬々
所属:蒙昧山
種族:天狗の残妖
年齢:20
性別:♀
卑妖術:空気を自在に操る。




