第41話 闇の中の影
老人が木製のイスに座ってパソコンを睨んでいる。
白髪まじりの薄い頭髪にメガネ。平凡で特徴の無いこの老人がかつて3000人を殺し闇の中の影と恐れられた残妖だと気づける者がいるだろうか。
「王カイは死んだか。まったく、何のためにあいつに高いお金を払ったと思っているのだか」
あまりの言い草にドーシャは黙っていられなかった。
「それがお前のために死んだ者にかける言葉なのか。なぜ助けなかった? 私たちが戦ってるのは気づいてただろ」
「肉体労働は私の仕事ではない。そんなことをしなくていいようにお金を払っているのだ」
ドーシャは苛立ちをつとめて抑える。
「今さら何を言っても無駄か。両手を上げろ。お前を逮捕する」
「そのためにわざわざ乗り込んできたのか。こんな所にいていいのか? ヤマタノヲロチの頭骨が外国に持っていかれてしまうぞ」
「殺人犯を捕まえるほうが重要に決まってる」
「理解しがたい。ヲロチの頭骨は個人の能力をはるかに上回る。これから先、あれは私などよりはるかに多くの犠牲者を生み出すだろう。しかし……」
鈴木エーイチは立った。
「私のほうが価値があると思ってくれているなら光栄だ。『逢魔』に参加した甲斐もあった」
「どういう意味だ」
「あれは私に値段をつけるために参加したのだ。
この世の中で目に数字として見える価値はお金だけだ。だから私は稼ぎに稼ぎ、稼いだ。そして多くの価値あるものを買いあさり着飾った。だがどれだけ高額なものを身に着けても何かが足りない。
私は気づいたのだ。私自身に値段をつけることが必要だと。
そして私は『逢魔』のテロに参加し自らの能力を存分に余すところなくアピールした。結果私の能力に目をつけた裏社会が私に10億の賞金をかけた。少々生活は不便になったが私は満足している。金銭のみが正当な評価だ。世界が私を評価している」
「そんなことで人を殺したのか。それに、私のお母さんはあのテロの巻き添えで殺された!」
「そんなことは知らん。人は生きているだけで知らず知らず無関係な誰かを犠牲にしているものだ。人はそうやって生きている。くだらん逆恨みはやめてもらおう」
「ふざけるな!」
ドーシャは我慢できずエーイチへ向かい駆け出した。
瞬間、エーイチの体から黒いモヤモヤが噴き出してドーシャの腕をつかんで投げ飛ばした。
ドーシャは身をひるがえして足で壁を蹴って着地する。
黒いモヤモヤはエーイチの周囲を守り続けている。
あれが鈴木エーイチの卑妖術だ。
鈴木エーイチは本人がさっき言ったように自らの能力の全てを明かしている。
エーイチは黒い霧状の闇を操ることができ、闇は物理的な力をもって全てを飲み込み破壊する。
『式』の百々マナが似た卑妖術を持っているが比較にならないほど強力だ。
黒いもやもやはあっという間に膨れ上がり部屋を満たした。
光が消える。とはいえ残妖は夜目が利く。見えないことはない。
周囲を満たす闇の圧力が机やイスを潰した。
ドーシャにも圧力が襲いかかるが潰されるほどやわではない。
だが動くのに邪魔だ。まるで水の中のようにゆっくりとしか動けない。
鈴木エーイチはドーシャに目もくれず背後の棚をあさり始めた。
そしてまず拳銃を取り出した。
滑らかな動作で撃つ。
銃弾はドーシャの肩と胸に当たったが大したことは無い。
「ヨーロッパで買った1発3万の銀の弾丸だが効かないな。やはり吸血鬼や狼人間でないと効果がないのか? 値段に見合ってないな」
エーイチは次なる武器を出した。
「聖女が自害に使った短刀トライゾン。聖女の清らかな魔力と強い怨念が宿っている。値は2500万」
相手が武器を使うならこちらも武器を使う必要がある。ドーシャは包丁を取り出した。
エーイチが包丁を見て目を細める。
「山姥の包丁か。山姥はありふれていて人気も無く買い手がつかない。包丁はせいぜい100万。山姥の残妖は基本的にそれ以下の50万。お前は若く強いがそれでも100万いかないだろう」
「私の価値は私が決める」
「残念だが私の目は確かだ」
「そんなことは勝ってから言え!」
「結果が出る前に分かるからこそ目利きだ」
エーイチは堂々と歩いて近づく。
ドーシャは体内に溜めた火炎を放つが闇にかき消された。
短刀の届く間合いに入る。
振り下ろされる短刀トライゾンを包丁で受ける。
闇のせいで充分に動けないがエーイチは剣術に優れるわけではない。
ただ打ちつけるように振り下ろされる短刀を受け流しながらドーシャは隙をついて反撃する。
しかし周囲の闇が包丁を受け止めエーイチに届かない。
ドーシャは過去にも七凶天と戦ってきた。
だが1対1で勝てたことは無い。
(どうすれば攻撃が届く……?)
全ての攻撃が闇に飲まれかき消される。
勝ち目が見えない。まさに闇の中だ。
エーイチは今度は剣を取り出してきた。
「神剣バルグラム。値は1億。神の怒りをかって打ち砕かれた神剣を甦らせたものだ。元の神剣は竜を殺したらしいがこれはどうか」
エーイチが神剣を振り上げ、真っすぐ打ち下ろした。
闇の中では避けるのは難しい。
ドーシャは包丁で受け止めた。
神剣と山姥の包丁の衝突。
甲高い音を立てて包丁の刃が欠け……割れた。
「あ……」
お母さんの包丁。
お母さんが遺したものはこれしか無い。
それが割れて砕けた。
鈴木エーイチは冷酷に告げる。
「1億と100万では全く違うのだ。それは1億の武器を見たことの無いものには想像もできないだろう」
呆然とするドーシャ。
エーイチはさらに1歩踏み込み神剣を突き出す。
剣はドーシャの腹を深々と貫いた。
エーイチは静かに剣を引く。
ドーシャは両膝を床についた。
包丁を落とし、両手でお腹を押さえる。
傷から水が漏れ、火が漏れ、雷が漏れる。
胃をやられた。
胃に溜めていたものが漏れ出している。
水と火がぶつかり蒸気となり、水と雷がぶつかり自ら感電する。
重傷だ。
そしてさらに重大なことは、もうドーシャは卑妖術を使えないということだ。
ドーシャの卑妖術は体内に溜め込んだものを放出する。その全てが流れ出てしまった以上何も撃ち出すことはできない。
「終わりだな」
血に濡れた剣をぶら下げてエーイチが宣言する。
淡々と事実を告げる勝利宣言。
確かにドーシャはすでに瀕死だ。武器も卑妖術も失っている。
だけど……。
「終わりじゃない」
ドーシャはなんとか声を絞り出した。
「終わりだ。私の目に狂いは無い。いや、どんな節穴でもこの状況を見間違うことはあるまい」
それでもドーシャはしっかりと言い切る。
「1億の武器を見たことない者には分からないって言ったよなぁ。じゃあお前は見たことがあるか? 山姥の最後の武器を」
エーイチの表情は動かない。
「つまらんハッタリだ。山姥の残妖は何人も見たが誰一人そんなものは持っていなかった」
「だったら見せてやるよ」




