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第30話 残妖と人間

「ぐ、いったいなにが」


 リンネとシシュンが正気を取り戻した。


 クシーニがハンマーを振り下ろす。何度も、何度も。


「もうやめよう」

 ドーシャはクシーニの腕をつかんでとめた。

「もう死んでる」


 クシーニはメガネについた血をぬぐう。


「…………」


「なんつうか、これで終わりか?」

 シシュンが問う。


 リンネが答える。

「終わりでしょう。ドーシャ、早いですがこれでお別れですね。次に会うときは敵か味方か分かりませんがお元気で」


 ドーシャは言う。

「いっそ『式』に来ない? 元『逢魔』もいるし犯罪歴は問わないよ? 思想と戦闘力のチェックはあるけどそのぶん人手不足だから歓迎だよ」


 リンネは曖昧な笑みを浮かべて首を横に振る。

「私は組織に忠誠を誓う気はありません」


「そう。気が代わったらいつでもどうぞ。シシュンも考えてみてよ」


「そうだな……」

 シシュンは夜空を見上げぼんやり考える。


 ドーシャは携帯を取り出す。

「とりあえず管理局に報告したら今回の件は終わりかな」


 しかしそこでクシーニがドーシャの手から携帯を払いのけた。

 携帯が路上をすべる。


「ちょっと!」


 ドーシャは怒るがクシーニの顔を見てそれ以上言えなかった。

 その表情が今までのクシーニからは想像できない強い敵意だったから。


 クシーニは携帯を払い落とした右手を左手で持ったハンマーの柄へと握り直し横薙ぎに振るう。

 ドーシャは後ろに跳んでよけた。ハンマーを握り直す隙があったので容易くかわせる。


「おい、何のマネだ」

 シシュンが鉈をかまえる。


 リンネも妖刀サンサーラの柄を握る。

「たった今『式』には思想のチェックがあると言っていませんでしたか?」


「一応聞くけど、何のつもり?」


 ドーシャには薄々理由が分かっていたが本人の口から聞きたかった。


「先輩、5号を見たっスよね」


 クシーニの言葉にドーシャは黙って続きを待つ。


「あれはあたしの切り札なんス。『式』に知られずに残妖を狩るための。新宿サクヤみたいな『式』が放置してる残妖を殺すためには絶対に誰にも知られてはいけない」


「新宿サクヤを襲ったのはクシーニ?」


「あたしだとも言えるしそうでないとも言える。襲ったのは5号。5号は7年前からずっとあたしとは別に活動してる。薄汚い残妖を闇に葬るために生み出されたあたしの分身。切り離されしあたしの殺意」


 ああ。やっぱりそうなんだ。

 ドーシャは悟った。クシーニの気持ちを。


「そんなことで我々を殺そうというのですか?」

 リンネが問いかける。

 けれどこれはクシーニにとってきっかけのひとつに過ぎない。それがドーシャにはもう分かっていた。


「口封じはついでだろうさ。こいつは最初から俺たちを殺すつもりだった。目を見れば分かる」

 シシュンも分かっているらしい。


 クシーニとの付き合いが浅いのは同じなのにリンネに分からずシシュンに分かるのは境遇の差だ。シシュンはドーシャと同じく“あの目”を見慣れているんだ。


「そうっス。最初から全員殺すつもりだった。でも裏切ったのはドーシャ先輩が先っスよね? 『逢魔』の高山シシュンやヤクシニーを連れてきたりして」


「知ってたの?」


「顔バレしてるリンネのせいだろ」


「名前がバレてるシシュンのせいでしょう」


 冗談を言い合うシシュンとリンネを無視してクシーニは続ける。


「ドーシャ先輩は“いい残妖”だって4号は言ったけど。結局残妖はみんな同じ。あたしを踏みにじって平気な顔してる。七凶天も、『式』も、ドーシャ先輩も」


 クシーニの目を彩るのは強い憎しみ。

 残妖であるドーシャには見慣れた目。


「クシーニは残妖みんな憎いんだね……」


 ドーシャとクシーニには残妖として大きく違うところがある。

 ドーシャは生まれたときから自分が残妖だと知っていた。

 山姥の母を持ち、自分の中の妖怪の血に誇りを持っている。


 一方クシーニはずっと普通の人間として暮らしていたところを残妖に生活を破壊された。

 残妖を憎み、自分が残妖であることを受け入れていない。


 ドーシャは過去にも残妖を憎む残妖は見てきた。


「だったら私はクシーニと戦わなきゃいけない。私の復讐はその先にあるから」


「七凶天ならあたしが全員殺してやるから先輩は心置きなく死んでいいっスよ」


 クシーニはビー玉を撒いた。

 それらはクシーニと同じ姿に変わる。


「クシーニ2号!」

「クシーニ3号……」

「クシーニ4号っス」

「クシーニ5号」


 ドーシャは気づいた。4人目が無口なクシーニじゃない。今の4号こそこれまでドーシャが接してきたクシーニ。


「やれ」

 クシーニが分身に命令する。

 2号がシシュン、3号がリンネ、4号がドーシャに向かう。5号は本体のそばを離れない。


「先輩……」

 4号はしかしそれ以上は何も言わない。

 ハンマーを握りしめ走り出しドーシャへと振り下ろす。


 速い。ドーシャはかわした。が、ギリギリだ。


「急に強くなったじゃん」


「あたしたちの力のほとんどは5号に分けられてたっス。けど今はそうじゃない」


 4号はハンマーを振り上げる。今度はドーシャの胸に当たった。


「ぐ」


 ドーシャは顔をしかめる。山そのものの体を持つ山姥のドーシャにすらダメージを与える威力。

 だが黒鉄イクサを撲殺したことを考えればこれでも弱いくらいだ。

 弱い理由ははっきりしている。

 黒鉄イクサを殺したハンマーは硫槌潰魔。魔石のかけらで作られている。だが分身の持つハンマーは妖力を持たないコピーに過ぎない。


 4号がハンマーを縦に一回転させて再び上から振り下ろす。

 よけそこなって右肩に受けた。骨が軋む。

 ドーシャは両手でハンマーの柄をつかむ。力をこめて折る。分身のハンマーに実体は無い。壊れるとすぐ煙と消えた。

 武器を失って狼狽える4号の鳩尾に思い切り拳を叩き込む。4号はお腹を押さえて倒れる。


「今のクシーニは強いけど結局正面から黒鉄イクサを倒すことはできなかった。勝てない相手じゃない」


 すでにシシュンとリンネも分身を倒している。


 4号が煙となって消えた。あとにはビー玉が残る。

 クシーニはポケットに手を突っ込んで言う。


「分身を倒しても無駄っスよ。いくらでも出せるんスから」


 ビー玉をばら撒いて2号3号4号を再召喚する。


 また4号がドーシャに向かってハンマーを振り下ろす。

 ドーシャは今度はよけなかった。

 直撃を受けた頭から血がこぼれる。


 ドーシャは4号を睨む。


「こんなので私を殺せるつもり?」


 4号からハンマーをもぎとると投げ捨てた。


「本気で殴らなきゃ私は殺せないよ」


「先輩、あたしは……」

 4号の声は震えている。


「どいて、あなたをとめるから」

 ドーシャは前に進む。4号はただ無言で道を開けた。


 クシーニ本体がドーシャを見ている。

 4号が命令に反して道を開けたことに対する反応は無い。


 夜の町にドーシャの声が静かに通る。


「分身の行動の意味、分かってるんでしょ? あれはクシーニの心の一部。あれもクシーニの本心なんだ」


 クシーニは答えない。

 クシーニ本体をドーシャの視線から守るように5号が立ちはだかった。


 5号はクシーニの殺意。

 その手に持つのは本物の硫槌潰魔。

 さっきのように体で受け止めれば致命傷になる。


 5号は片手でハンマーをぐるぐる振り回している。

 今度はドーシャのほうから間合いを詰める。

 攻撃の届く距離に入った瞬間5号はハンマーをぶつけてくる。


 4号より速い。今まで5号に集中していた力を分けたと言っていたがそれでも間違いなくこれが最強の分身。クシーニにとって一番強い感情。


 ドーシャはハンマーを受け止めようとしたが間に合わず左腕に受ける。吹き飛ばされ住宅の塀に突っ込み塀が崩れる。真夜中の轟音に驚いたのか住宅の明かりがつく。

 5号はドーシャが立ち上がるのを待たず追撃する。


「黄昏山の濃霧!」


 ドーシャは間一髪でよけながら霧を発生させた。5号はドーシャを見失う。

 山の天気は変わりやすい。霧が姿を隠すのは一瞬だ。だがそれで充分。

 ドーシャは5号を蹴り倒す。5号はビー玉に戻って割れた。


 5号を倒したドーシャが近づいてくるのを見てクシーニ本体は再び手をポケットに入れようとする。

 だがその手をドーシャが素早くつかんでとめた。


「もう終わりだクシーニ」


 クシーニ本体の力ではふりほどけない。

 分身を倒したリンネとシシュンがクシーニの首に刃を突きつける。


「こんなのおかしいっスよ」


 クシーニは泣いている。


「なんであたしがこんな目に遭わなきゃいけないんスか。悪いのはぜんぶ黒鉄イクサなのに。あいつがいなければ手に入れていたはずの普通の生活、守りたいって思うのはいけないんスか? 復讐者が復讐の罪をおとなしく裁かれなきゃいけないなんて、そんなの幸せな人間の傲慢っスよ」


「別にそれは否定しないよ。私も復讐者だから。けどクシーニが残妖みんなを憎むなら私はとめる」


 ドーシャは自分の携帯を拾った。

 クシーニの件を通報すれば終わりだ。


「いやだ……。これで終わりなんて。終わっちゃいけない。これで終わりならあたしの人生はなんなんスか」


 泣くクシーニを見て指が止まる。

 もしドーシャが通報しなければクシーニは今までの生活を続けられる。


 だけどドーシャは情けを振り切った。

 『式』と管理局に通報する。

 それがクシーニのためだ。


「管理局が来るならさっさと退散したほうが良さそうだな」

 シシュンが別れを告げ、リンネも去る。


 管理局の人間がやってきたのでドーシャはクシーニを連れていく。クシーニは抵抗しない。


 クシーニは『治療所』という名の監獄に送られた。

 通っていた学校も突然の退学ということになる。友人たちにひとことも無い退学は大きな衝撃とともに多くの憶測を呼ぶがすぐに忘れ去られるだろう。


☆☆☆


 ドーシャは自分の家の布団の中で横になっていた。

 部屋の隅に積まれた漫画が目に入った。

 クシーニから借りたものだ。


「返してなかったな……」


 ドーシャは布団から出て漫画を読む。


 クシーニはドーシャがリンネやシシュンと協力していたことを『式』には言わなかった。

 もしバラされても大した痛手ではないのだが、だからといって黙っている必要も無いはず。


「クシーニもよくこんなバトル漫画読んでるなあ。リアルが戦い漬けなんだから漫画くらいもっとゆるいの読みたいんだけど」


 ドーシャは少し考える。


「今度私のオススメの悪役令嬢漫画持っていってやるか」



*************************************


 名前:石塚(いしづか) 櫛惟丹(クシーニ)

 所属:『式』

 種族:狐の残妖

 年齢:15

 性別:♀

 卑妖術:分身を生み出す。

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